王位争い

mudan tensai genkin desu -yuki

王の血を継ぐ者を王位継承者とするなら、今現在この国に王位継承者は一人しかいない。
それは、未だ子のいない王の異母弟である青年だ。

「つまり、王様に何かあったらシシュが担ぎ出されちゃうってこと?」
「それはない……と思うが」
まだ昼前とあって、しどけない浴衣姿のサァリは小さく欠伸をする。
かつて彼女の私室であった離れは、今は夫と暮らす家になっている。
妻であるサァリの生活様式に染まってきたせいか、仕事のない時は着物姿のシシュは、小さなテーブルで妻の淹れたお茶を飲みながら苦笑した。
「俺は王族としての身分は貰ったが、何も教育は受けていないからな。担ぎ出されたとしてもできることはない」
「そうなんだけど。だとしたら傀儡とかになるんじゃない?」
「傀儡を勧めるな、サァリーディ」
「勧めてはないんだけど」
お茶を淹れた後、寝台に戻ったサァリは細い肢を組み替える。
白い膝頭が露わになり、シシュが軽く眉を顰めた。
苦言を呈したそうな夫を無視して、サァリはあどけなく微笑む。
「可能性の問題だよ。今までだって何度か来たでしょう? あなたに取り入ろうとした人」
「それはまあ……」
「あなたに不要なら追い返すけれど。それでもいい?」
「構わない」

―――― この街は、彼女の街だ。
シシュは今でこそ、彼女の夫としてこの街の住人になっているが、それでも客人という感は否めない。
古き街の主、そして人の世に降りている神である彼女は、嫣然と微笑む。
見る者の魂を虜にする底のない美貌に、シシュは無言のまま見惚れた。

寝台にうつ伏せになり、頬杖をついているサァリは青い瞳を細める。
「あなたの血を人が欲しがるなら、子供を生んであげることも出来るけど」
そんなことを、彼女は言う。シシュは今度こそ苦い顔になった。
「巫の子は、月白の次の主だろう」
「二人目を生めばいいんじゃないかな」
平然とそんなことを言う彼女は、シシュの目には出会った頃の少女のような悪戯心を働かせているように見えた。
いつでも彼女はこうなのだ。夜の街の住人であるサァリーディは、稚気に富んだ韜晦を口にすることがままある。
艶やかな口元が優美な笑みを含んで、シシュは溜息を飲みこんだ。
「巫の血を引く者を国には渡せない。俺の子でもあるなら尚更だ」
「人間じゃないものね。私たち」
さらりと返された内容にシシュは妻を見たが、彼女は自虐を口にした様子もない。ただ事実を悠然と述べただけに見える。
そのことにシシュは幾分安堵した。
サァリは彼の視線に気づくとにっこり笑う。
「でも、何か必要なら言って。出来ることならやるから」
「巫の手を煩わせることはしない。陛下も俺たちのことはご存じだ。後継者問題についてもお考えがあるだろう」
王は、最初からシシュにそのような役目を回すことはしない。
今、後継がいないことにも何らかの考えはあるだろう。もしそこに何らかの私情めいたものがあるのだとしたら、それは王の片翼たる先視の巫が消えてしまったことと関係しているのかもしれない。
シシュは澄んだお茶の表面に視線を落とした。波紋一つないそこは鏡のようで、だが未来も何も映ってはいない。
彼にはそのような力はないのだ。人間をやめたシシュに与えられた力は、純粋に戦うための力だ。
それは妻であるサァリーディを守るものであり、それ以外に使うべきではないと、彼は思っている。

サァリは空気を食むように囁いた。
「シシュは、ずっとアイリーデにいてくれる?」
「そう約束した」
「真名まで変えちゃってごめんね」
本来は王族としての名があった彼も、今ではサァリの呼ぶ名が真名だ。
彼女と出会ってから数年で、多くが変わったようにも、また変わらない部分が多いようにも思える自身をシシュは振り返る。
彼は立ちあがると、寝台に腰かけた。サァリの長い銀髪を撫でる。
「巫のために在ると決めた。そうしたいと俺が望んだだけだ。謝る必要はまったくない」
「うん……ありがとう」
人の世を儚むように、それでも深い愛情を込めて、彼女は微笑む。
古き時代から続く神の館は、今日も争いからは遠く、緩やかな静謐の中に在った。