戦がもたらすもの

mudan tensai genkin desu -yuki

雫は、戦場というものを目の当たりにしたことがない。
勿論この世界に来てから、人の死には幾度も直面してきた。否応なしに触れるそれらは、彼女の中からどんどん甘えというものをこそぎとって行ったのだ。
だが―――― そういう旅を重ねてきてなお、雫は戦場に出たことがない。
城にいて、戦いの手配に関わりながら、その結果だけを受け取る。結果から次を想定し、対策を考える。
そういう自分が一体何者であるのか、彼女は多忙な日常の中で漠然とした不安を抱いていた。

ファルサスとキスクが停戦を決めた後のワイスズ砦は、戦後処理の騒々しい空気がそこかしこを支配していた。
結界を調整する魔法士たち。文官が兵士に案内され、書類を手に走っていく。
そのように誰も彼もが自分の仕事で奔走している中を、雫は一人何をするわけでもなく歩き回っていた。
外にある城壁上の通路で、前からやって来るファルサスの武官二人が、彼女に気づいて苦笑する。
それに会釈を返してすれ違った時、彼らの嘆息混じりの会話が洩れ聞こえた。
「今回の戦死者数は予想の範囲内だったようだな」
「先手で動いたからな。その分キスクの被害は大きいんだろうが……」
その内容に、雫は思わず足を止めて振り返る。
だが歩幅の大きい彼らは、既に先の入り口から砦の中へと入っていくところであった。
夕暮れ時の風が彼女の髪を揺らす。
「戦死者、か……」
その数は、雫も報告を受けている。
戦後処理が終わるとともにファルサスに引き取られる予定の彼女だが、女王の側近として一通りの情報は手に入れているのだ。
だからキスク側の被害もよく分かっている。その事前準備に僅かなりとも自分が関わっていたことも。
言いようのない倦怠感が足取りを重くする。
雫は自分の疲れを自覚すると、中に戻ることをやめ城壁にもたれかかった。 ほんの数日前には戦場であった草原を見下ろす。
風に揺れる草々は、無残に踏み荒らされていたが、辺りが暗くなっているせいか戦の爪痕らしきものは窺えない。
ここで何が起きたのか、雫は知識としてしか知らないのだ。
黙っていると感傷が沸き起こってくる。
そうして答の出ない逡巡に落ち込みかけた時―――― 不意に男の手が背後から雫の肩を叩いた。
振り返ると彼女の保護者とも言える魔法士がそこには立っている。
「どうしたの。一人で外にいるのは危ないよ」
「あ……すみません」
おそらく心配して来てくれたのだろう。エリクは彼女の表情を一目見るなり頷いた。隣に並んで城壁によりかかる。
そのまま何も言わないのは、きっと彼の優しさだ。雫はその優しさに甘えることにして、口を開いた。
「この戦いって、どういう意味があったんでしょうね。避けることって出来なかったんでしょうか」
回避出来るのならしたいと思っていた。
だが結局のところ雫の手はそこまで届かず、今に至っている。
ならばこの戦いにはやはり意味があったのだろうか。それを知りたいと思う雫に、エリクは淡々と答えた。
「意味はないよ」
「え……」
「こういうものの意味は、個々人が後付けするものだ。それはその人にとって意味があるってだけで、絶対的に意味があったわけじゃない。
 実際、人によってはやる前から今の結果を推測することも出来ただろうしね」
「それは……」
オルティアは、この終わりを予想していたのだろうか。
予想出来ていたのかもしれない。少なくともあの女王なら、可能性の一つとして考えていただろう。
だが現実は、彼女の脳内だけでは収まらなかった。
推測は誰の目にも見える事実となってようやく、次の未来を呼び込んだのだ。
―――― そしてそのこと自体に意味はないと、エリクは言う。
雫は強い罪悪感に焦燥を刺激された。
「じゃあ、これは――」
「まぁ今のは僕の私見だ。ラルス王やキスク女王ならまた違う考えだろうな。だから参考程度に聞き流してほしい」
エリクはそう言うと、苦笑して城壁から離れた。「風邪引かないように」と言い残して砦の中に消える。
雫に一人で考える時間をくれたのだろう。だが彼女は、そのことをありがたいと思いながら、既に軽い自己嫌悪に陥っていた。城壁に寄りかかり大きな溜息をつく。
「あー、私卑怯だよな……」
戦争に意味があったのかと問うなら、ラルスなりオルティアに問えばよかったのだ。
戦を主導し終わらせたのは彼らなのだから、彼らには彼らの考えがあるに違いない。
にもかかわらず雫は、エリクに問うた。彼がこの世界の知り合いの中で、もっとも自分に近い意識を持っていると知っていて聞いた。
―――― そうしてその答に、何処となく溜飲を下げている自分がいる。



気づいてみれば、そうして精神のバランスを保とうとしたのかもしれない。
雫は目を閉じて、感情と思考をゆっくりと咀嚼する。
そのまま数分が経った頃、彼女は前髪を乱暴にかき上げた。
「…………よし!」
立ち止まって考えなければならないこともある。
だが、それが終わったらまた歩き出さなければならない。今まで何度も同じことを繰り返して、ここまで来たのだ。
割り切れない疑問はそのままに、雫は城壁を離れた。振り返って夜の中に埋もれていく草原を、目に焼き付ける。
「……私、こんなんで元の世界に戻れるのかな」
戻っても現代日本に馴染みなおせるのか、不安は尽きないがそんなことを言っている場合でもない。
雫は大分伸びた髪を払って砦の中に戻る。
呼吸する現実の空気は、冷たくも温かくもなかった。