大神官

mudan tensai genkin desu -yuki

大陸屈指の大国ファルサスの宮廷は、魔法士にとってはよい職場であると、ドアンは思う。
研究は自由で、そのための物資も豊富だ。行われている講義の質もよく、多くを各人の裁量に任せてくれている。
ただ―――― そのせいかどうかは分からないが、よく分からない騒動も多かったりする。

「え、あの材料、全部補填されたの? マジで?」
保管庫の設定を誰かが誤ったせいで、貴重な魔法薬原料の多くが駄目になってしまったのは、つい昨日のことだ。
ドアン自身、この失敗に関わっていたわけではないが、被害の大きさに連帯責任も覚悟していた。
何しろ希少なものが多すぎて、金では何とも出来ないものも多かったのだ。
いくらファルサスの王族が寛大とは言え、他の国では何人かの首が落とされてもおかしくない状況だ。
しばらくはこの対応に全ての魔法士が追われることになるだろう。
だがそう思っていた矢先に―――― 全ての材量が補填されたという。
ほんの一日で希少な材料を全て持って帰ってきたのは、王太子が魔女の塔から連れてきた一人の少女だった。

「なんかこう、あのお二人って見ているだけで微笑ましいんですよね!」
城の談話室にて、お茶を飲みながら無責任な噂話に興じているのは同じ宮廷魔法士のシルヴィアだ。
彼女は、魔法士として能力が低いわけではないが、他人のことに興味を持ちやすいのが問題だと思う。
だからドアンは、彼女の言葉を無視して魔法書を捲った。
無視をすればいいのに、もう一人の同僚のカーヴが聞き返してしまう。
「あの二人って?」
「殿下とティナーシャちゃん」
「ああ……」
「ティナーシャちゃん?」
予想外な呼び方に、ドアンは思わず声を上げてしまった。すぐに口を噤んだが、時すでに遅し、シルヴィアが食いついて来る。
「彼女すっごく可愛いよね! 着せ替えしてみたいなあ!」
「いや、俺は別に……むしろ関わり合いたくないというか……」
「なんで!」

ティナーシャとは、王太子のオスカーが一月ほど前に魔女の塔から連れ帰ってきた魔法士の少女だ。
年の程は十六歳前後だろう。黒い髪に同じ色の瞳の、ぞっとするような美しい顔立ちをしている。
その彼女にオスカーが好意を持っているのは、はたから見ていて明らかなのだが、世慣れていない少女はまったくそれに気づいていないらしい。
貴人と彼に助けられた美少女という、まるで御伽噺のような取り合わせに、城内の噂も賑やかなようだ。
その筆頭を担っているシルヴィアは、うっとりとした目を天井に向けた。

「あんなに綺麗な子なんだから、花嫁衣裳も似合うだろうなあ。楽しみだなあ」
「どんだけ気が早いんだよ……。お前、本の途中を飛ばして最後を読んだりする性格だろ」
「最後を楽しみながら読むの! いいじゃない、別に!」

シルヴィアは頬を膨らませたが、わざわざ他人事の最後を気にする意味が、ドアンには分からない。
もちろん、仮にオスカーが非人道的な性格で、少女が面倒な目にあう、というなら心配もするが、ドアンの主君はそういう心配のない人間だ。
半ば天性のものとも言える彼の器は、やがて少女の心も変え得るだろう。
だから、シルヴィアの思う未来も、いつかは来るのかもしれない。
ただ――――

「あ、ひょっとしてドアンは、自分がティナーシャちゃんのこと気に入ってるとか?」
「いや全然全く無理」

城内の男性陣の中には、少女の神秘的な美貌と佇まいに惹かれている人間も多くいるという。
だがドアンにとって、それは無理だ。
何故なら、彼にとってあの少女は、オスカーの視界に映るように「庇護される無垢な少女」ではない。

「あの子、多分俺より強いからな。俺よりってか、この宮廷内で勝てる魔法士はいない」

ティナーシャは、巧みにその実力を隠しているが、おそらく彼ら宮廷魔法士とは一線を画している。
それは希少な魔法薬の材料を取り戻してきたことだけでなく、日頃の講義での発言内容や、構成技術からでも明らかだ。
魔女の塔から来た少女は、明らかに普通の魔法士を凌駕しているのだ。
肌身に感じる違和感は、次期魔法士長と言われる彼だからこそ気づくのかもしれない。
ドアンは誰にも聞こえぬように呟いた。

「あれはな……正直恐い」

はたして勘のいいオスカーは、彼女の異質に気づいているのだろうか。
―――― 気づいているのだとしたら、別にいいとは思う。
あの主君は、年に似合わぬ器を持っている。飛びぬけた才能を御せるとしたら、彼以外の適任はそういないだろう。
ただもし彼の手にも余るとしたら……その時は自分たちが身を挺してでも主君のために動くしかない。
出来れば避けたい未来までを想像して、ドアンはかぶりを振った。

「まあ、殿下に任せるのが一番だ」
「そうだよね! ちょっとずつ外堀を埋めて逃げられなくして欲しいよね! あ、私買い物に誘っちゃおうっと!」
「そういう話はしてない。……お前本当恐いもの知らずだな」

外堀を埋めた結果、人の形をした災厄が城に閉じ込められたらどうするんだ、とドアンは思ったが口には出さない。
ともあれ、今は平和な時代だ。
変に気をもまずとも、こんな日々に似合った結末が自然に訪れるのかもしれない。
それが主君にとっての幸福に繋がるなら、文句のつけようもないだろう。
ドアンはそこで思考を打ち切って、魔法書へと戻る。シルヴィアの話を以後完全に聞き流した。

そうして「なるようになるだろう」と思っていた彼が、ティナーシャの真実について知ったのは大分経ってからで――――
オスカーの前にもかかわらず「マジですか」と言ってしまった彼は、主君の度量の大きさを改めて感じたのだった。
ちなみに密かに避けていたはずのティナーシャからは、「貴方は腕も判断力もある魔法士ですね。面白いです」と恐ろしい評価をもらった。