空が降る

mudan tensai genkin desu -yuki

研究所内に割り当てられた彼の部屋には、余分なものがほとんどない。
灰色のロッカーが一つと、黒い金属ラックが一つ、そして部屋の中央に大きなテーブルが置かれているだけだ。
その上には円形の都市の巨大なジオラマが鎮座している。
今は何処にも存在しない十二都市―――― 実際は、最初から何処にも実在はしていなかった虚構の街を、アキラはコーヒーカップを片手に眺めた。
テーブルをぐるりと回って反対側から模型を眺めだしだところで、ノックの音が聞こえる。
「はいよ。開いてるよ」
「アキラ、前回のモニタリングデータですが―――― 」
書類を手に入ってきたシェラは、テーブルの上の街を見て一瞬目を丸くした。口にしかけていた話を忘れてしまったかのように、彼女はテーブルに歩み寄るとまじまじとジオラマを覗き込む。
「これ、どうしたんですか?」
「特注。まだこれから色々手加えるんだよ」
「何と言うか……すごいですね」
「いいだろ? シェラも作りたいなら何か見繕うけど」
「すごいというのは、あなたがすごいという意味です」
「…………」
何だか誉められているニュアンスではない気がする。
アキラは一瞬反論しようかと迷ったが、彼女相手に正攻法の口論で勝てたことはない。結果として冷めかけたコーヒーを黙って啜った。

シェラは書類ボードを抱え込んだまま、小さな街を眺めてテーブルを一周する。その足がぴたりと止まった。
彼女が見ているのは第八都市―――― かつて二人がプレイヤーとしてゲームを戦った場所だ。
細く縒った吐息が小さな口から零れる。黒い瞳が切なげに細められた。
彼女は何か言おうと唇を開いて、けれどアキラの視線に気づくと我に返ったように言葉を飲み込んだ。少し気まずそうに微苦笑する。
おそらくは感傷的な感想を言おうとして、自分より余程都市に思い入れが強いはずの男のことを思い出したのだろう。そこで自分を恥じて黙ってしまうシェラは頑なだが、アキラは彼女のそういうところを損な性分だと思っても、欠点だとは思わなかった。
彼はシェラと二人で上った第八都市空塔を指差す。
「よく出来てるだろ」
「ええ。そのままですね」
「かなり費用かかったんだよな。ま、俺、金の使い道あんまないからいいんだけどさ」
「あなたは都市でも無駄遣いをしませんよね。まだプレイ資金が大分残っていますよ」
ゲームが終わったのは、現実世界では三年前のことだ。
とは言え、当時よりも頻度は減ったが、今でもアキラは都市内管理者として働いているし、あの時のゲーム資金も個人口座に残っている。
だが、社会人となった都市内の「瀬戸アキラ」は、未だにシェラが残していった大金のほとんどに手をつけていなかった。
自分であって自分でない彼の行動に、現実のアキラは苦笑する。
「ま、模型買うくらいなら自分の給料で充分だし」
「あれはあなたへの正当な報酬なんですよ」
「俺とシェラの、だろ。シェラが来たら使うからいいんだよ」
「え……?」
「少なくとも『俺』はそう思ってるから取ってあるよ。……ま、記憶ないからシェラが忙しいって分かんないんだけどな」

ゲームを終えてから、シェラが都市を訪ねたことは三度しかない。
それは彼女自身が来訪を避けているというより、全ての感覚を非現実に没頭させられる程彼女の時間に余裕があるわけではないからだ。
代わりと言ってはなんだが、アキラが都市から離れている時はよく彼女についているし、今ではシェラも都市の中のアキラより現実の「明良」の方に余程馴染んでいるだろう。
しかしそれは、第八都市で生きる「瀬戸アキラ」はあずかりしらぬことだ。
彼は今でも空を仰いでいる。空塔が支える鏡面と、その向こうのさかさまの都市を。



シェラは複雑な目で彼を見上げる。
「……来月、都市を訪ねようと思っているんです」
「お、了解。会社のデータ弄って有給入れよう」
「公私混同ですよ」
「時々こっちでも残業してるからいいんだよ」
眉を寄せるシェラへ、にやりと笑ってアキラは別都市の空塔を指差す。
「それに、公私混同ってのはこういうのを言うんだよ」
「こういうのって……。―――― え、どうして他の空塔までこんなにきちんと再現されてるんですか。これ、表に出てないモデリングデータですよね」
「ログ引っくり返して俺が自分で作り足してみた」
「…………アキラ」
ふるふると肩を震わせるシェラが、爆発するまではあと十秒ほどだろうか。
彼女の性格をよく知っているアキラは、これから起こることを予想して笑いながら距離を取る。
シェラはそんな彼をきっと睨むと、突如金属ラックに駆け寄った。そこに置いてあるジオラマ用の道具箱を手でかき回す。予想外の女の反応に、アキラはぽかんとした。
「シェラ? 何してるんだ」
「接着剤を……」
「接着剤?」
「ぜ、全部くっつけてやります! 街もテーブルも、持ち出せないように!」
「ちょ、待っ、そんなことしなくても外には出さないって」
「絶対駄目です! くっつけますからね!」
「やめろ、シェラ、そんな持ち方したら手がくっつく―――― 」

ばたばたともみ合った後、アキラは涙目の女に散々説教されて謝った。
そうしてついでに彼女に夕飯を奢る羽目になったのだが、これはこれで公私混同なのかもしれない。