茨の砦

mudan tensai genkin desu -yuki

その砦は、切り立った崖の上にあった。
かつて神具が使われたという戦の跡地に建てられた砦。
周囲の国が滅び去り、入れ替わり、侵攻する者もいない山道の先に、今なお古き要塞はある。
―――― それは、忘れ去られた罪の証だ。



枯れ木の立ち並ぶ山林は、まるで長い戦乱の時代に、無念の死を遂げた兵たちが俯き並んでいるかのようだ。
ほとんど人の通らない朽ちかけた山道を眺める少女は、石と骨の入り混じる地面に足を下ろす。空から見ていた時とは違う眺めに、彼女は金色の目を細めた。
「辛気臭いわね」
「使われていない場所だから仕方がない」
少女の素直な感想に、苦言を呈したのは長剣を佩いた青年だ。
この大陸で生まれ、別の大陸に旅立ち、そこからまた引き戻されたネイは山道の先を指さす。
「あそこだ。印はつけてある」
「そう」
小首を傾げて了承の意を唱える少女は、形のよい唇に薄い笑みを湛えていた。
ぞっとするような艶めかしい表情は、外見年齢に似合わないもので、だが何処か目を離せぬ魅力を持っている。
清らかとも淫らともつかないその引力は、天性のものと言った方が近いだろう。少女は深緑の外衣を揺らして地面を蹴った。 その姿が、唐突に掻き消える。
何の断りもなく、連れてこられて置いて行かれたネイは溜息をついた。
―――― このまま逃げられたら、とも思うが、不可能であることは分かっている。
何しろ相手は人間ではなく、神の血を引く半神であるのだから。



「この大陸の神具を全部探してきなさい」
生まれ育った大陸に放り投げられ、そう言われたのはどれくらい前のことか。
戦場において絶大な威力を発揮する神具は、今でも大陸のあちこちに現存しているというが、手に入れようと思って入れられるものではない。
それが可能であるならとっくに戦乱の世は終わり、人のいない荒野ばかりが広がることになっていただろう。
苦い顔で反駁しようとするネイに、だが少女はあげつらうような笑みで返した。
「そう嫌がらなくても、私の力貸してあげるわよ。見えるようになるから安心しなさい」
「…………」
「転移くらいは面倒見てあげるから」
ここまでされては、否とは言えない。
言えばその瞬間に殺される可能性もある。結果としてネイは頭を垂れて―――― 大陸中を駆けずり回るはめになった。



見付けた場所は、今は無人の砦だ。戦略の要所とも言えない崖の上に建てられた砦。
どうしてここを守らなければならないのか、分からないまま兵士たちは朽ちて死んでいったのだろう。
ネイは山道の先に見えるそこに向かって歩き始める。辿りつくまでに全ては終わっているだろう―――― そう思った時、唐突に背後から少女の声が聞こえた。
「きっとあれよね。使ったら威力が凄かったから、恐くなって埋めて上に砦を建てたんでしょうね」
「……もう戻って来たのか」
「だってすぐに終わるし。ほら」
隣に並んだ彼女の指先が、山道の上の砦を指さす。
何の変化があるのかと目を凝らしたのは一瞬、ネイはすぐに外壁の色が下から変わっていくことに気づいた。
深い緑色。よく見ればそれは人を寄せ付けぬ無数の棘を兼ね備えた茨だ。
茨はまるでそれ自体意思があるかのように、土中から伸びて石の壁を這い伸び、堅牢な砦そのものを覆っていく。
繊細で、だが圧倒的な力。恐ろしくも美しくあるその様に、ネイはただ見入るしか出来なかった。
言葉を失った男に、少女は艶やかに笑う。
「これでもう、誰も手が出せない」



誰にも触れて欲しくない。
そんな思いから、砦は人知れず崖上に建てられることになったのだろう。
神の息吹のように、容易く、圧倒的に人を死に至らしめる武器を隠し封印するために。
兵士たちは、その大義を知らぬまま役目を果たして死んだ。
―――― そして神具は今、神の娘によって取り上げられた。



機嫌のよさそうな少女は、鼻歌を歌いながら山道を下りだす。
どこまでそうして歩いていくつもりなのか、ネイは溜息をつくと彼女の後ろを歩き出した。西の大陸では「閉ざされた森の魔女」と呼ばれる少女の、整った横顔を見やる。
「何を考えている?」
「色々」
「何をするつもりだ」
「誰かの尻拭いかしら」
目の前に見えてくる岩を、彼女は軽く地面を蹴って飛び越える。
宙を歩いているのと変わらぬその足取りは、何ものにも妨げられることはないのだろう。
金の目の娘はネイを振り返ると、愛らしく笑った。
「気が向いたら少しだけ助けてあげる。あんたも、それ以外も。人も、そうじゃないものも」
慈悲よりも気まぐれに、稚気よりも深い情で、半神はその手を差し伸べる。膨大な力で触れる。
そこにあるものは、似て非なる境界で、何処までも遠い断絶だ。
真意を理解しようとしても無駄だろう。眉を寄せるネイに、少女は笑声を上げる。
「悪いようにはしないわよ。つまらなかったらほっとくだけだし」
「最初から放っておいてくれる方がいい」
「だって、そうすると人間って勝手に死んじゃうんだもん。あんたとかもそんな感じじゃない?」
「適当な憶測で人を殺すな!」
まったくもって恐ろしいことを言う。身に覚えのないことだが、このまま彼女に同行していればいつか命も危うくなるかもしれない。
それとも―――― ここで砦に向かって逆走してしまえば、彼女から逃れられるのだろうか。
子供じみた現実逃避をしながら、ネイは大岩を乗り越える。山道を下りていく少女の背が見える。



人の足掻きの証は、崖の上、彼女の掌中で役目を終える。
それを救いと言っていいのかどうか。
荒れた人の道を行くネイは、先を行く神を見据えて進む。
終わりは知らない。ただそれは、そう遠くない日のことにも思えた。