辺境の村

mudan tensai genkin desu -yuki

「旅に出ようと思う」
「はい?」
主人である青年の奇行は今に始まったことではない。
だが、突然の逃亡宣言はさすがに予想外だ。
エルは、アリスティドの整ってはいるが、間の抜けた印象を受ける顔をまじまじと見つめた。
「旅というのは、城都を散歩するということですか」
「それは旅とは言わないだろう、エル。遠い町や村を回って、見聞を広めなければ」
「世の中には、遠い町や村を回っても特に見聞に影響のない方もいます」
それはあなただ、とまでは言わなかったが、アリスティドにはある程度伝わったらしい。
この国の庶子王子である彼は、腕組みをして小さく唸った。
そして再びエルに言う。
「でも旅に出てみたい。何となく」
「…………」
こうしてエルは、アリスティドを連れ、仕方なく辺境の村を訪れることにしたのだった。

国境にほど近いところにある農村は、これと言って見るべきものもない平和な村だ。
旅に出るにあたり、あえてそのような場所を選んだエルは、物珍しげにしている主人に言う。
「では、ざっと見て帰りましょうか、殿下」
「……何か思っていたのと違うのだが」
「辺境の村に行ってみたい、と仰っていたのは殿下です」
「いや、転移門で城からここに出ただけで、あまり旅をしているという感じは……」
「広く世には、結果よりも過程を重んじる動きもありますが、殿下はご身分ある方です。迅速な結果こそが国の命運を分けるのだということを、よくご承知の上、行動なさってください」
「……別に、ちょっと馬で初めての場所にぶらぶら行けたらそれで……」
「よくご承知の上、行動なさってください」
「……分かった」
しおしおとアリスティドは項垂れる。
いい大人の青年がそんな風にしょぼくれているのは憐れに思えなくもないが、ここで同情していい結果になった試しがない。
エルは冷然と村の通りを指さした。
「ご理解頂けましたら、村を探索してきてください。きびきび回れば三十分ほどで一周できるはずです」
「きびきびって……困っている村人に出会って助けたりとかは……」
「そういうことがない村を選びました」
「…………」
アリスティドは一層しおれる。
もうしおれすぎて帰りには原型がなくなってしまうかもしれない。
エルは小さく溜息をついた。
「子供向けの冒険譚か何かをお読みになったのかもしれませんが、現実に中々そのようなことはありませんよ、殿下」
「エル……」
「絵空事を期待して傷つかれるのは殿下ご本人ですし、殿下に付き合う周囲も困ります。―――― お分かりですか?」
正確には、大体エルが困っているが、彼女としては自分のことはどうでもいい。ただアリスティドにはもっと責任感を持ってもらいたいと思っている。
彼女の説教を聞いて、アリスティドは深く息をついた。
「そうか……。そうだな。ごめんなさい……」
小さくなる青年は、一応それなりには身に沁みたようだ。見聞を広めるというなら、今、違う意味で若干広まったのかもしれない。
高望みをしないエルは、そこで手を打つことにした。
「分かって頂けたのなら、どうぞ村を散策なさってください。この村は養蜂家が多く、蜂蜜を使った食べ物も多いですよ」
「!!! 蜂が見られるのか! すごいぞ、エル!」
言うなりアリスティドは子供のように通りを走りだした。
たちまち遠ざかるその背中を唖然と見送ったエルは、我に返ると走りだす。
「殿下ー! 殿下! こら、もうー! 待ってくださいってば!」
ばたばたと騒がしく走っていく二人を、村人は苦笑混じりに見送る。
民からは「度が過ぎて親しみやすい」と言われる王子アリスティドの評判は、こうして着実に国内に広がっていくのだった。