孤高の賢人

mudan tensai genkin desu -yuki

シェラ・ハーディは幼い頃から頭角を現していた研究者だ。
十歳になる頃には研究者として認められ、情報工学の先端に関わっていた。
そのまま何もなければ、彼女は一時代を担う人材になっていただろう。
だが、今の彼女は父の研究を引き継いで、仮想世界「オリジン」の管理者兼調整者だ。
そして彼女は、いつもオリジンのサーバがある研究室にいて、外のことなど何の興味もないように見えた。



「シェラ、これ行かなくていいのか?」
テーブルの上に放り出されている手紙は、何処かの研究発表会の招待状だ。
アキラにはプログラムを見ても何だか分からないが、そこに書かれている発表者の肩書きはそれなりに権威あるものばかりに思える。
欠席・出席の返信に丸がついていないハガキを彼は手に取った。
モニタの向かったままのシェラは、振り返りもせず返す。
「行きません。後で処分しますから」
「へ? 本当にいいのかよ」
会場になっているのは有名なホテルで、会食もあるという。
遠いようにも思える世界に、アキラは勿体ないと思ったが、シェラにとっては違うらしい。
彼女はそこでようやく彼を振り返った。
化粧けのない、疲労の窺える顔。だがそれでも綺麗だと思える女の目が、アキラに向けられる。
「いいんです。そこで発表されるような話は、既に知ってるんです」
「なんだ、そうなのか」
「企業が開く研究会は大体がそうです」
苦笑して、シェラは落ちてきた前髪をピンでとめ直す。
もう三日も同じ椅子に座っている彼女は、今一人で「オリジン」のアップグレードに関わっている。
本来なら一人でやるような仕事ではないのだが、十二都市が解体されて以降、彼らに残されたこの都市はほぼ非営利で運営されている。スタッフを増やす余裕はないし、生半可な人材を入れるより、シェラが一人でやった方が早い。
それに何より、彼女が人に「この世界」を触らせたがらないのだ。
研究者には色んなタイプがいるというが、シェラは職人に近いだろう。
一区切りついたのか、ようやく彼女は立ち上がると、白衣を羽織った両腕を上げた。
「体が痛い、です……」
「そりゃそうだろ。仮眠ばっかだし、そろそろ体調崩す」
元々この地下研究所に住居を構えるシェラだが、作業が佳境に入るとその家にも戻らない。
シャワーを浴びて仮眠室で三時間ほど眠るのが精々だ。下手をするとデスクに突っ伏して寝ている。
きちんとすれば儚げな美人でしかない彼女の日常に、アキラは思わず笑った。
「どうしたんですか、アキラ」
「いや、シェラってほっとくと地上に出ないよな、と思って」
「そんなこともないですけど……直に会わないと手に入らない情報って、この世界にはほとんどないって思ってますし」
「確かに」
かなりの長期間、仮想世界で暮らしていたアキラは苦笑する。
だが、そんな経験をしている人間は、今の時代でも小数派だろう。
だからこれは単に―――― シェラが外を必要としていないという話なのだ。



出会った時から今まで変わらず、彼女にしか見えないものを見続ける女。
それを天才、と言えるほどアキラに知識はない。彼はあくまで雇われ技術者だ。
彼女とは見えるものが違い過ぎて比べものにならない。
―――― だから、自分のような人間が傍にいなければ、と思う。



「シェラ、今のアップグレードが終わったら、外に食事に行こうぜ」
「え。で、でも私、最近は白衣しかなくて……」
「通販しよう」
「食事を取り寄せるっていうのは……」
「外に出るぞ、たまには」
彼女が他を必要としない人間でも、バランスは重要だ。
自分のように、仮想世界を仕事場にしている人間が言うのもおかしな気がするが、シェラにそんなことを言えるのは自分だけだ。
彼女はじっとアキラを見つめると、叱られた子供のように小さく頷く。
「分かりました。……ごめんなさい」
「謝るようなことじゃないさ。じゃ、俺が手伝うからちょっと休憩で」
ぽんぽんと肩を叩いて、シェラを近くの椅子に座らせると、アキラは自分がモニタに向かう。
まもなく背後から聞こえてくる安らかな寝息。
彼は少しの優越感を感じて自嘲すると―――― 改めて彼女の作る世界へと向かい合った。