暗躍

mudan tensai genkin desu -yuki

生まれた時から地下にいた。
空を初めて見たのは、八歳の時だ。
物ごころつくころには、自分は人とは違うと分かっていた。

「聖女様、お召しかえを」
部屋に入ってきた女から、ユディトは白い聖衣を受け取る。
普段から彼女は白い服しか着ないが、それは彼女の趣味というより教団の色が白であるからだ。
どういう経緯によってかは知らぬが、テドラという教団で生まれ育った彼女は、少し前まで「服というものは全て白色だ」と思っていた。
今は、外を知っている少女のおかげで、そうではないことも知っている。
ただそれでも、このような時に着る服は白だ。
ユディトは裾の長い聖衣に着替えると頷いた。
「行けます」
そして彼女は出陣する。

テドラが戦っている相手は、この大陸の地上を支配する軍だ。
軍は、言うなれば支配欲を具現化したようなもので、「自分たちではないもの」を執拗に追っては潰していく。
そうして今は、地上の一強になったのだ。
テドラがそれに抗っているのは、愚かな使命感のようなものだろう。
人によって意見は違うかもしれないが、ユディトはそれをいわば「最後の堤防」だと思っていた。
テドラが負ければ、軍はおそらく緩やかに崩壊し始める。
そうなれば地上に巻き起こるのは嵐だ。それは全ての人間を否応なく標的にしていくだろう。
だから、戦い続ける。
それは使命感でも義務感でもない。ただの予定調和のようなものだ。

部屋を出たユディトは白い廊下を歩いていく。
短い廊下の途中で、知己である少女が頭を下げて待っていた。
「ユディ様」
「ミリアム。貴女も出るの?」
「遊撃としてですが」
「気をつけて」
友人でもあるミリアムは、年若い少女ではあるがその力はかなりのものだ。エギューラの潜在量で言えば、ユディトに次ぐかもしれない。
だが、いくらそれだけの実力を持っていたとしても、彼女は一人だ。物量で言えば軍には及ばない。
ミリアムは微苦笑してもう一度頭を下げた。
ユディトは彼女の前を抜けて廊下の先へと向かう。突当りにある扉は、向こうからひとりでに開かれた。
その先の部屋に待っているのは、「異階持ち」と言われる実働部たちたちだ。
彼らはユディトの姿を見とめると、揃って姿勢を正し黙礼する。
第一異階、ユディト・デカピタートは彼らを見回し、言った。
「待たせたかしら。さっそく行きましょうか」
長い裾と袖を翻し、彼女は歩きだす。
白い爪先が一歩を踏むごとに、床に広がるエギューラ糸が彼女の体へと吸いこまれていった。
裾が波打って広がるように、歩いた跡が光の軌跡を残すように、ユディトの後ろに無数の糸が揺れる。
後に続くものは、異階持ちたちのそれぞれの武器が鳴る音だ。
異能者たる彼らそれぞれにあわせて作られた銃が、剣が、軽い音を立てて光り始める。
ユディトはそれを振り返ることなく、部屋の先へと向かった。
軍を誘いこむために作られた地下の拠点。そこから繋がる戦場へ聖女は踏み入る。
もう一つの扉をくぐって外に出るなり、彼女は細い右腕を上げた。
「始めましょう」
千本にも及ぶエギューラ糸が、一斉に地下の通路を走り出す。
それは瞬く間のうちに枝分かれしていき、広い地下を掌握する。それと同時に異階持ちたちが次々散開していった。
ミリアムが、ユディトの脇をすり抜けて走り出す。彼らの動きに、既に地下に散っていた教徒たちからも応答があった。
ユディトは、ついと空中に指を滑らす。
一本の線を走る光が、長く続く通路の先に消えた。数秒後、遥か地上の方から重い崩落音が響いてくる。
ユディトはエギューラ糸を震わせて、教団の者だけに聞こえる声を届けた。
「出口は塞いだわ。援軍が来るまでは当分かかるでしょうから好きにやりなさい」

億に届くほどのエギューラ糸は、彼女に地下の全てを手に取るように伝えてくる。
第一異階の称号は、人外とほぼ同義だ。ユディトの耳には今も、困惑しながら走り回る兵士の足音が聞こえる。
ユディトはふっと笑った。
「まるで終わりがない……」
圧倒的な物量を前に戦い続けるこの状況は、ただただ際限がない道行だ。
一つだけ共通しているのは、死ねばその者にとってそこが終わりだということだろう。
だから生きている者は生きている限り続いていく。ユディトがそうであるように。
戦い続ける。
彼女は深く息を吸いこみ―――― そして吐いた。
辺りが眩い光で溢れる。膨大なエギューラが濁流となって彼女の周囲を渦巻いた。
ユディトはそれら膨大な力を難なく操り、歩を進める。

終わりがない。
いつまでも続く道行。
空には遠い彼女の初めての敗北は、まもなくに迫っていた。