琥珀の城

mudan tensai genkin desu -yuki

昔、鄙びた古物商で小さな石を見せてもらったことがある。
死んだ虫を閉じこめた琥珀。
日に透かすと美しく煌めくそれは、ただ時の流れから取り残された、孤独な欠片に見えた。

「あなたは見たことがある? 珍しいものらしいけれど」
「残念ながら……」
吟遊詩人だという青年は、困ったような微笑を浮かべる。
レオノーラは城の露台から、広がる森を見つめた。

―――― ここは、かつての亡国が残した城だ。
そして今や、とある貴族の持ち物となっている。
戦乱が大陸を支配している現状だが、このように鬱蒼とした森の中の城は拠点として使えない。
そのため、誰からも見向きもされないここは、今や何処からも忘れられた安寧の場所と化していた。

数日前からこの城の新たな客人となった吟遊詩人の青年は、すっかりレオノーラの美貌に夢中らしい。
椅子に座り直しながら、あらためて彼女に問うた。
「それで、あなたは宝石にご興味が?」
「別に。ただ面白いと思っただけ」
ふっとレオノーラは笑う。彼女がこの城に招かれたのは、城の主に気にいられたからだ。
何処かの小娘のように、歌い手として招かれたなどというのではない。「ただそこにいるだけでいい」と懇願された。
だからここに逗留しているのだ。それは彼女にとっては当たり前のことで、特に何かを思うこともなかった。
レオノーラは肘掛けに頬杖をついて、ふっと息を吐きだす。
見上げる空は、陽が落ちかけた薄赤い色だ。金色の光が地平から洩れているのを見て、彼女は微笑む。
「面白いと思ったの。あんな風に、生きながら閉じこめられていつまでも残るなんて」
「あなたほどの美貌なら、誰もが永遠に残したいと思うでしょう」
陳腐な追従に、レオノーラは黙って微笑んだ。
―――― 彼女の美貌は、誰かに残してもらうようなものではない。彼女自身が在り続けるのだ。
絶大な力を以て時を渡り続ける。その事実をだが、レオノーラは口にしなかった。
彼女は若き吟遊詩人に艶笑を向ける。
「ここに来るまで、あなたは他の国を見てきたのかしら」
「ええ……それは酷いものでしたよ。ご婦人方にはお伝えするのも心苦しい有様ばかりです」
「別に私は気にしないけれど」
レオノーラは赤い唇だけで笑ったが、青年にはその意味が分からなかったらしい。
彼は静寂が立ちこめる森を見下ろす。
「外は騒がしくても、この城までは届かない。無音の楽園と言ってもいいでしょう。おまけにここには、あなたがいる」
熱のこもった視線と言葉。 レオノーラは青年を見返す。
いつまでも似たやりとりの繰り返し。―――― だが次の瞬間、ふっとその瞳が僅かに色を変えた。
彼女は白い肢を組みかえる。
「確かに、こんなところにある城は、誰からも忘れ去られて変わらないままなんでしょうね」
「……あなたはそれが淋しいのですか?」
「いいえ」
ついと、白い指が露台の下を差した。けれどそれは、青年の目にただの優美な仕草としか映らない。
そこから生みだされる不可視の構成。膨大なそれは、見る間に蔦のように城の外壁を覆い始める。
レオノーラは囁いた。
「変わっていくものも、変わらないままのものも好きよ。それが私の手によるものなら。……でも今は、私が触れなくても滅んでしまうものばかり。つまらなくて仕方がないわ」
構成が、残照を吸いこんで輝きを宿す。
きらきらと輝き始める城。吟遊詩人の青年が、その光に気づいて露台の外を見た。
魔女の声が謳う。

「変わらないものなら、私によって変わらないまま在ればいいわ。変わらないまま―――― 滅んでしまえばいい」

霜が走るような硬質の音。
ぴきぴきと音を立て、露台の下から飴色に輝く琥珀が出現する。
城の全ての窓を埋めてきた透き通る壁は、たちまちに露台をも覆い城の先端へと向かった。
「な……っ」
唖然とする青年を置いて、レオノーラは床を蹴る。
それと同時に彼女は城の上空へと転移した。自らの魔法によって生みだされる巨大な琥珀城を見下ろす。

夕陽を受けて金に輝く城。
それは喩えようもなく美しく、刹那的だ。
レオノーラは、琥珀に覆われた露台で必死に壁を叩く青年を見つめた。緑の瞳が慈しみに満ちて細められる。
「あなたもいつまでも残してあげる」
忘れ去られて孤独な琥珀の中の虫のように。
だが、それよりもずっとこの城は綺麗だ。皆がそう口に出来ずとも思うだろう。
他でもない、彼女が作ったものなのだから当然だ。

レオノーラは愉悦を食んで空を飛ぶ。遠ざかる琥珀の煌めき。思うよりも早く嘆息が口をついた。
「ああ……退屈」
遠く森の向こうに戦火が見える。
それはまた一人でに消えて、また新たな火が新たな人を焼くだろう。
―――― だから願わくば平穏な時代を。
彼女はそう祈って、近づく夜の中へと消える。

魔女の時代の始まりは、もうまもなくに迫っていた。