誰もいない場所

mudan tensai genkin desu -yuki

四角い部屋には、一つの窓もない。
それどころか、扉も灯りも存在していなかった。
閉ざされた、ただ在るだけの場所。そこには玉座が一つ在り―――― 眠らない男が座している。

人間の世界で暮らしたのは、どれくらいの年月だったろうか。
おそらく、「魔女」と呼ばれた女たちの人生と同じくらいだ。それくらいの間、彼は人間階にいて、好きなように過ごしていた。
「生きてきた」などと言うつもりはない。強いて言うなら「遊んでいた」で、だがそういう言い方さえも正しくないように思えた。
人のことを何も知らなかったのだ。最後の一人に会うまでは。

『トラヴィス、何してるの?』
聞こえたと思った声は、だが現実ではない。
彼はそのことを知っている。この部屋を作ってから、何度も聞いた声だ。
その回数を数えたことはないが、「何度も」と意識している自分に気づいて、トラヴィスは苦笑する。
年月を、回数を、数えるということ自体が、この位階や自分たち魔族には存在しない習慣だ。
そもそも空間を作ってそこに在る、ということ自体、感傷的な行いだろう。
彼は何とはなしに指で肘掛を叩く。闇に包まれた部屋の中に、一人の人間の姿が浮かび上がった。久方ぶりに目をあけた彼は、自らが作った懐かしいその姿を眺める。
『トラヴィス』
懐かしい、彼女の声。
それは何故か、いつも少女の声として思い出される。
だから彼が作った彼女の姿も、十五歳くらいの少女のものだ。
思えば、この頃が彼女と一番衝突していたかもしれない。年を経ることによって彼の在り方を受け入れるようになった彼女は、けれど若い時は本来の性格の潔癖さで、彼の行いを咎めることが多かった。目の前に眉を吊り上げてやって来ることなど日常茶飯事で、トラヴィスはよく彼女の言い分を鼻で笑って聞き流してきたのだ。
―――― そのような記憶もまた貴い。
だが残念ながら、彼の耳に届く彼女の声は全て、穏やかな日常を思い起こさせるものだ。
ゆっくりとした、当然のような、ただ温かな声。
懐かしいと、思うのは自分が変わったせいだろう。
おそらくはもう変わらない。存在し続ける限りずっとそうだ。
ほんの僅かしか生きられないはずの人間は、時にそうして永遠を生み出すのだ。

「オーレリア」
彼女の名を呼んでみる。声にする。
久しぶりに聞いた己の声は、過ぎた時に置き忘れたような乾いた響きがした。
トラヴィスは闇の中に佇む少女を見つめる。席を立ち、その隣に立ちなおした。彼女との最後の数年をそうして過ごしたように。
「オーレリア」
呼んで、だが彼女は動かない。
彼自身の作った幻像はいつもそうだ。彼の思う通りには動かない。
それは、オーレリアがそういう人間であったからだ。
トラヴィスは誰もいない玉座を見下ろす。
―――― 彼女と過ごした数十年で、自分は変わった。そしてこれからはもう変わらない。
永遠に忘れないまま、ここで時を過ごしていくだろう。

少女の姿が掻き消える。トラヴィスは目を閉じる。
時間も灯りもない部屋で彼は変わらぬまま在り続ける。
それを幸福と思う自分が、少しだけ可笑しかった。