飛竜

mudan tensai genkin desu -yuki

ドラゴンは、実在を確認こそされてはいるが、険しい岩山に少数だけが現存している魔法高等生物だ。
であるからして、一生ドラゴンを見ない人間が大多数だ。むしろ見る人間の方が稀少だ。
そしてニケは、勿論自分を前者だと思っていた。
砂漠でドラゴンに鷲掴みにされた、今日この時までは。



「ニケ、辞世の句とかあったら聞くけど」
「…………」
頭上から降って来た女の声には真剣みが足りない。
彼女が自分について口にする時にはいつもそうだ。加えて、彼女自身は鷲掴みにされていない。
ニケはみるみる遠くなる地上を見ながら、ようやく返した。
「何も言うことはない……」
「今の自分の状況に、なんら不満や疑問は感じないと」
「不満はある」
「あ、やっぱり」
ドラゴンに鷲掴みにされ空を飛んでいて、不満のない人間がいたらお目にかかりたい。
だがそんなことを口にすると、二人ばかり具体名を上げられそうで、ニケは無言を保った。
女を背に乗せ、ニケを鷲掴んで飛ぶドラゴンは、ゆっくりと砂漠の上を旋回する。
誰かに見られたらさぞ騒ぎになってしまうだろうと思ったが、幸い広い砂漠に他の人影はない。このドラゴンの主人もまだ戻って来ていないようだった。
同僚の女の「魔法士の人手がいる」という話についてきて空を飛んでいるニケは、自身の状況を気にしないことにすると、言われた通り眼下の砂漠に意識を集中した。魔力のほつれを探す。

異階層を渡る転移魔法において、極一握りの抜きんでた魔法士であれば、誰かが転移した跡を解析して転移座標を突き止めることが出来る。
勿論その難度は、解析対象たる転移から時間が経過するにつれて増す一方だ。一時間も経ってしまえば、どんな魔法士であっても解析は不可能と言われている。
だから―――― 今彼が探しているのは、転移の痕跡ではきっとない。
ましてや探しているのが三年近く前の痕跡なら、今ドラゴンに鷲掴みにされているのは無意味な嫌がらせだ。「魔力的におかしいところがあったら教えてほしい」と言われているニケは、下ろされたならどういう抗議をしてやろうか考える。
だがその時―――― 砂漠の一点に青い焔が燃え上がった。

「……なんだあれは」
「え、何? なんかあった?」
ドラゴンに乗る女が怪訝そうな声で返してくる。
向かう先、鮮やかに燃える青炎に気づかないその声を聞いてようやく、ニケは炎が異常な魔力そのものであると気付いた。
ぞっとするような、骨までを焼きつくす魔力。
美しい青の輝きに戦慄していると、雫がなんということのないように付け加えた。
「なんかあったなら、そこの転移座標取ってよ」
「阿保か! あの中に入れってことか!」
「だからあの中って何」
魔力の見えない雫は呑気な声を上げるが、ドラゴンはぐんと高度を下げ青い焔に向かって降り始めた。
ひゅっと内臓が浮く錯覚を味わって、ニケは目を閉じる。
「っ、お前、転移座標ってのはその場に立たないと取れないんだぞ!」
「知ってる知ってる。複数文字で構成されてて、一歩でもずれると全然違くなるんでしょ?」
「だから―――― 」
言いかけた直後、ニケはドラゴンの手から解放された。
高度が落ちていたとはいえ、突然宙に放り出された彼は、必死で浮遊制御の構成を組む。
しかしそれよりも落下の力の方が強い。多少の勢いを緩和しつつ、ニケは青い焔の中、砂の上につっこんだ。
ひしゃげたカエルのようにうつ伏せになりながら、彼はそれでも飛び退こうとして、青い焔が周囲に揺らめていることに気づく。
構成のない魔力の冷炎は、彼の身体を焼くわけでもない。
当然といえば当然の現状に、ニケは我に返ると舌打ちしたくなった。異様な魔力に本能で畏れた、そんな自分が恥ずかしくなる。
「まったく、なんなんだ……」
ぼやきながらも言われた通り転移座標を取得したのは、彼の気真面目さゆえだろう。
青い焔は、まるでそれを察知したかのようにふっと消え去る。続いて同じ砂漠の上、遥か遠くにまた同じ冷炎が上がった。
ぎょっとするニケにお構いなく、またドラゴンの手が彼を鷲掴む。次の焔に向けて、彼の身体は強制的に地上を離れた。

「……で、結局これはなんだったんだ?」
ドラゴンに鷲掴まれること三時間。次々上がる青焔の座標を紙片に全て書き記して、ニケはそれを雫に手渡した。
彼女は、魔法士でなければ意味の分からぬ座標の羅列に頷く。
「これ、実験の一環なんだって。『向こう』とこっちで、座標の対応にどういう規則性があるのかって」
「向こう?」
「向こうは向こうだよ」
あっさりとした返答は、それ以上の説明をする気がないことを示している。
雫は紙片と引き換えに、小さな布袋を差し出してきた。
「これ、預かってた御礼」
「……礼を言われるほどのことはしてない」
「ドラゴンに鷲掴みにされた代」
「それについては触れるな」
散々掴まれたり離されたりでぼろぼろだが、もうそこは放っておいてほしい。早く忘れたい。
一生縁がないと思っていたドラゴンを一生分以上に味わって、ニケはよれよれと帰路に就く。
この日の「実験」が何の役に立ったのか、ついには分からず―――― ただ途方もない疲労感が、砂と同様全身にこびりついていた。