密会

mudan tensai genkin desu -yuki

「シシュ」
夫の名を呼びながら両開きの扉を押し開ける。
だが、予想に反して花の間には誰の姿もない。正午を過ぎたばかりの時間、薄化粧に髪を下したままのサァリは首を捻った。後ろについてきた下女がおどおどと声を上げる。
「た、確かにお客様がシシュ様を訪ねていらっしゃったのです。それでお二人でお話をなさるから、と……」
「どのような人物でした?」
「お年は三十代半ばくらいの男性で……身なりはきちんとしていらっしゃって、おそらく上流階級の方だと思われます……。シシュ様とは面識がおありのようで」
「王都の方かしら」
それ以外に、シシュと面識がある人間がいるとは思えない。 アイリーデの人間であれば、下女も顔を知っているはずだ。
サァリは細い指を顎にかける。
「外には行かなかったのですね?」
「は、はい」
「なら……」
この館の主人はサァリだ。
物心ついた時より月白を飛び回っていた彼女は、何処が密談に向いた場所であるかもよく知っている。
結果としてサァリは、下女を下がらせると一人長い渡り廊下を抜け、裏庭に向かった。
そしてそこで予想通り、剣呑な空気を漂わせている二人の男を見つけたのだ。



月白の敷地内にある雑木林は、緩やかにくねる細道を抜けた先に小さな四阿を持っている。
その四阿の中にいる二人は、座りもせず睨みあって、不穏な様子を周囲に染み出させていた。
約束のない来客のせいか、着物姿のシシュが冷やかに言い放つ。
「何度言われようとも同じだ。王都に戻る気はない」
「今はそうお思いであっても、状況というものは変わるものです、殿下」
「この街では、その敬称も無意味だ。今の俺はただの化生斬りで、それ以外の何かではない」
「ですが殿下は今でも、陛下のよき臣で、弟君でいらっしゃる」
―――― まるで熱があるかのように語られる言葉だ。
だがその声音は、意図的な使嗾の気配を、完全には隠しきれていなかった。
人の真意に敏感なサァリは木陰に隠れたまま眉を寄せ、シシュでさえも不快そうに顔を顰める。
けれど、相手の男はそれで怯んだりはしなかった。勢いに乗って更に口を開こうとし―――― けれどその弁舌は、音になる前にシシュ自身によって遮られた。
軽く手を上げた青年は、明確な拒絶を見せてかぶりを振る。
「これ以上何を言われても変わらない。お引き取り願おう。妻が来た」
「……あれ」
―――― 隠れていたつもりだが、気づかれていたらしい。
木の影から顔を出したサァリは、気まずそうなシシュと目が合って、思わず小さくなった。目線だけで盗み聞きを詫びた後、改めて来客の男を眺める。
サァリの透き通るような美しさに気を取られていたらしい男は、我に返ると意識的に苦い顔を作った。
「殿下ともあろう方が、娼妓を妻などと……」
「事実だ」
「ですが」
更に言い募ろうとする男を無視してシシュは踵を返す。玉石の敷かれた小道を戻り、青年はサァリの前に立った。
「すまない。巫の耳を汚した」
「気にしないで」
どちらかといえば、彼の前で不当な侮辱を許してしまったことの方が心苦しい。
月白の主であるサァリは「娼妓など」という蔑みの言葉に何ら痛痒を覚えないが、シシュはきっと違う。彼女にそのような言葉を聞かせたことを、そしてそれを許してしまった自分を忌々しく思っているはずだ。
サァリは夫の肩越しに招かれぬ客を見やった。
「私、いない方がいい?」
「いや、もう終わった」
きっぱりと結論づける彼の言わんとするところは「これ以上は実力行使に出る」だ。
サァリは勿論、四阿に残ったままの男にもそれは分かったのだろう。失意に顔を強張らせる男と夫を、サァリは交互に眺めた。
頷いて彼女は、青年の腕に己の両手を絡める。
そうして不躾な来訪者に向かい、月白の主は嫣然と微笑んだ。
「―――― この方は、わたくしのものです」
花のように可憐に、夜の闇のように忌まわしく、サァリは謳う。
「誰よりもこの方ご自身が、そうお選びになったのです。諦めなさい」



咲き誇る傲然さは、愛されている娼妓だからこそ持つものだ。
サァリは夫に促されて細い道を戻り出す。四阿が完全に見えなくなってから、彼女はシシュに囁いた。
「ね、シシュ。もしだったら、ウェリローシアで嫁入りとかも出来るよ」
王都の貴族としても彼女は名を持っているのだ。
その名で婚姻を結べば、少なくとも「娼妓を妻にした」などと揶揄されることはなくなるだろう。
彼の立場を慮ってそう申し出るサァリに対し、けれどシシュは首を横に振った。
「いい。巫は巫だ。外にあわせることはない」
「でも」
「そのままでいい」
きっぱりと、当然のように彼女のあるがままを肯定する言葉。
昔からずっとそうであった彼の意思に、サァリは黙って頷いた。玉砂利のこすれる音に耳を澄ます。
「私も、そのままのシシュが好きだな」
「…………」
「あ、照れてる?」
「サァリ―ディ……」
苦い顔の夫にぶら下がるようにして、サァリは弾みながら歩いていく。
遠ざかる四阿はもはや彼らの意識の中にはなく、まるで無彩色の雑木林の中に沈んで溶け消えてしまったかのようだった。