神の代理人

mudan tensai genkin desu -yuki

手際よくかき混ぜられていく生地は、もったりとした乳白色をしている。
ひと混ぜごとに艶やかになっていくそれは、雫が彼女に教えているレシピだ。
美貌の魔女は、長い黒髪を一つにまとめ、子供のような一心不乱で陶器のボウルに集中している。
下手をしたらそのまま未知の物体と変じそうな生地を、雫はいつ止めようか機を見計らっていた。
だが彼女が声をかけるより先に、ティナーシャは手を止めて息をつく。
「なかなか力がいりますね……。撹拌用の魔法具を作りたくなります」
「あ、私の世界には実際ありますよ。電気で動くやつですけど」
「動く猫の造り物みたいな?」
「それそれ、そうです」
雫の帰省に付き合ってもらった時のこと、ティナーシャは乾電池で動く猫のぬいぐるみを買ってきたのだ。
勿論、電池のないこの世界では動ききったら止まってしまったのだが、彼女もそれで想像できたのだろう。
ティナーシャは放射線状に枝別れたした器具の先を見つめる。
そのまじまじとした視線に、本当に今から魔法具が開発されそうで、雫は慌てて話題を転換させた。
「で、でも、結構食べ物が元の世界と一緒で助かりました。植物とか動物とか……」
夫であるエリクには、かつて「二つの世界で言葉が同じなどありえない」と言われたが、それ以前に生態系自体があまりにも乖離していなくてよかった。
これてまったく見知らぬ動植物だらけの世界であったり、人間自体が存在しない世界であったらどうなっていたか分からない。
運が良かったと―――― だが、そんな感想を漏らすと、黒髪の魔女はくすりと笑う。
「それ、きっと幸運じゃないですよ」
「え?」
「私たちの世界ってきっと、同じ川を流れる小石なんです」

魔女はそう言うと、攪拌機をついと宙に滑らせる。
たちまち空中に描き出されたのは、青く光る線で描かれた川だ。
次々と何本も、交わらずに、時には枝分かれして流れる川は、たちまち部屋中に広がっていく。
幻想的なその光景に雫が見惚れていると、ティナーシャは細い指を弾いた。
一本の川のはじまりから、不揃いな形の石がいくつが流れ始める。
雫はそれを見て―――― 彼女の言いたいことを察した。

「同じ流れによって研磨された世界だからこそ、似通っている、ということですか?」
「私はそう思いますよ」

―――― 何故、異なる世界に共通する動植物が存在しているのか。
それを環境によって淘汰された、と言うこともできるだろう。
だが、本当は、それだけでなくもっと大きな何かに淘汰されているのではないのか。

理解した瞬間、思わずぞっとして雫は身を竦める。
そこに何らかの、別の存在の思惑があるように感じてしまったからだ。
けれど、彼女の戦慄とは別に、ティナーシャは笑った。
「恐がる必要はありませんよ。自分が大きな枠組みの中にいるのは元からです。まず時間と空間からしてそうですし」
「そうなんですけど……」
ただ何か、幸運を喜ぶよりも恐怖が勝ってしまうのだ。
たとえば、「自分たちのいる川より外には、何があるのか」などと。

「ティナーシャさんは、前からそういうこと考えていらっしゃったんですか?」
「少し。でも貴女に出会ってから確信に近づいた気がします」
「私のいた世界と、ここの世界の他にも、似た世界はまだあります?」
「あると思いますよ。『呪具』は、外から来たんですしね」
「ああ―――― 」

だからこんなにも恐いのか。

何処とも知れぬ外。
観察の道具を送りこんできた何か。
それは、同じ川を流れる別の小石から来たものだろうか。それとももっと遠くからか。
雫は身の内に、懐かしい冷たさを覚えて硬直した。
だがそれは今はもうないものだ。錯覚に気づくと、彼女はかぶりを振る。
「ティナーシャさんは……いつかまた別の世界に行くんですか……?」
「その時が来たなら」
きっぱりと言い放つ逸脱者は、けれど闇色の目から刃の鋭さを一瞬で消すと、微笑んだ。
「でも今は、これを作る方が大事です。続き教えて下さい」
「……あ。は、はい」
すぐに切り替えができずに雫は口ごもったが、魔女はもういつも通りだ。
彼女はクリームをかき混ぜながら謳う。
「恐いことなんて、何もないですよ。私がいますから」
ティナーシャが手を振ると、全ての川は青い飛沫となって消え去った。
幻想と広がりを失い、現実と甘い香りを取り戻した部屋で、二人はまた乳白色のクリームと向かい合う。
それは雫が残りの一生を過ごす、平穏と同じ香りだった。






そして魔女は何処の川でもない場所に辿りつく。