革命

mudan tensai genkin desu -yuki

ころころと、印象の変わる女だった。


セノーが初めて彼女を見たのは、刺客から逃げ出した森の中でだ。
彼を追ってくる刺客たちを、魔法で一蹴した女。
長い黒髪に闇色の瞳の、恐ろしい程の美貌の彼女を一目見て―――― 子供の彼はただ「不吉だ」と思った。


暗い城の廊下を走る。
いくら真夜中とはいえ、城内はあまりにも静かだ。
人気のなさは異様なほどで、まるで悪夢の中のようだ。皆が知らないうちに死んでしまったのかもしれない。
そんなはずはない、と思いながらも脳裏をよぎる厭な考えに、セノーは歯噛みした。
背後から追ってくる気配はつかず離れずで、一定の距離を詰めてこようとはしない。
そうして彼が力尽きるのを待っているのだろう。
彼は右手に持った王剣を一瞥する。
「これが狙いか……?」
王位を継いだばかりの若き王が持つもの。
その中でとびぬけているのが、やはり王剣アカーシアだ。
それ以外、彼には大した価値もない。かつての魔法大国の血は衰え、彼自身ほとんど魔力さえ持っていないのだ。
そんな王を廃したいと思う人間は、国の内外問わず数多くいるのだろう。
かつて子供だった彼が、そうして雇い主も分からぬ刺客に攫われたようにだ。

―――― そろそろ限界が近い。
走り続けるのも、一向に終わりが見えないとあっては無駄だ。
セノーは廊下がいつまでも変わらぬ景色であることを確かめ、足を止めた。
アカーシアを手に振り返る。
「それで、話す余裕くらいは残しておきたいんだが」
相手にとっては、自分は取るに足らぬ若輩に過ぎないのかもしれないが、それでも虫程の矜持はある。
まだ二十歳になったばかりのセノーは、暗闇に向けて誰何した。
「出てこい。それとも、姿を見せられぬほど臆したか?」
「……戯言を」
ぼそりと夜に響く声は、老人のものにも子供のものにも聞こえる。
何人かの声が重なってぶれているそれは、ただ殺意だけを明確にセノーに向けていた。
薄暗い廊下に、フードを被った人影がゆらりと現れる。
「力なき子供よ。分不相応な王座から、死を以て降りるがよい」
「俺も別に、好きで王になったわけではないんだが」
言ってしまえば「他に人がいなかったから」王になったのだが、彼らに言わせれば別の意見があるだろう。
より真実に近い言い方をするなら「私欲にまみれていない人間が他にいなかった」だ。
半ば血族たちが生んだ空隙によって即位したセノーは、溜息をつく。
「言い分はお互い色々あるだろうが、おそらく平行線だろうな」
話し合いで解決できるなら、とうに彼は自由の身だ。
疲労を表情に滲ませるセノーに向かい、人影は右手を上げた。そこに鈍い赤光が生まれる。
「和解の道などはなから存在せぬわ。魔力も持たないお飾りの王め。その王剣は返してもらおう」
「それは困るな」

セノーは周囲に意識を向ける。
この終わらない廊下自体、相手の魔法の内だ。
アカーシアであればこれを破れるのかもしれないが、魔力を持たない彼に、結界の要を見破るのは難しい。
彼ら次第では、セノーをここに閉じ込めたまま放置することもできるのだ。
気分としては、箱に放り込まれた蟻に等しい。
セノーはそれでも、人影に向かいアカーシアを構えた。

―――― 呼吸を整え、意識を集中させる。
それは子供の頃、ある男に習ったことだ。

「悪いが、この剣は渡せない」
王とその契約を受けた血族のみにしか扱えない剣。
大国ファルサスの象徴とも言える両刃の剣を、セノーは人影に向ける。
ひからびた嘲笑がそれに応えた。
「ろくに王剣を扱えぬ身が何を言う。それは、お前などが持つべきものではない」
「俺などが、という点には同感だな。ただ……これを渡す相手は既に決まっている」
「何だと?」
「―――― 私ですよ」

しん、と静けさに響き渡る声。
透き通る女の声は、人影の更に向こうから聞こえた。
フードを被った人影はあわてて振り返る。
何もいないはずの闇の中に、ふわりと一人の女が現れた。
時代がかった黒衣の魔法着の、幻のように美しい女。凪いだ海に似た闇色の目が、人影とセノーを捉える。
その目は、全てを飲みこむ狂気を孕んでいた。

「なんだ、お前は……」
「さあ、なんだろうな。俺にもよく分からん」
それは、偽りないセノーの心情だ。
勿論彼は、彼女の本当の名も、存在も知っている。だがその狂気は知らない。
理解してしまえば、彼女に似ている自分もまた引きずられてしまう気がするからだ。
溜息をつきたそうなセノーに、女は言った。
「一人で殺せますか?」
「多分」
「なら早くなさい。諸共殺しますよ」
「それでも俺の精霊なのか……」
「精霊!?」
王家の魔法士が使役する上位魔族。今の時代ではほとんど見られぬその存在に、人影は驚愕の声を上げる。
女はその声に不愉快そうに眉を顰めると、ぱちん、と指を弾いた。
途端―――― 周囲の景色が変わる。

そこはもはや、無限に続く夜の廊下ではない。
夜明け前の、城の訓練場だ。
セノーは慣れ親しんだ砂地を靴先で確かめる。

「これも訓練か。本当に嫌味な女だ」
「なんだ……これは……」

精霊の力に慣れ切っているセノーと違い、フードの人影はきょろきょろとあちこちを見回している。
得体の知れない存在から、道化に近しい物へと引きずられてしまった相手に、セノーはほんの僅かな同情を抱いた。
だがそれもすぐに消え去る。

「では始めようか。ファルサス最後の王の話だ」
「き、貴様……何に魂を売った!」
「何にも。ただ約束しただけだ」

契約と言うほど真摯ではない。
もっと幼く妄執に似たそれは、ただの約束だ。
そしてセノーは、二つの約束を以て、彼女を己が精霊としている。
かつての王妃で魔女であった、闇そのもののような女を。
セノーは、腕組みをしたまま動く気配のない女を一瞥し、人影へと視線を戻す。


―――― ころころと、印象の変わる女だった。
初めて会った時には「不吉だ」と思った。
助けられ、家に招き入れられた時には、母親のようだと思った。夫に寄り添う穏やかな笑顔を見て、慈愛に満ちた女だと思った。
だが、今の彼女はただの狂気だ。


砂の上に広がっていく血溜まりを、セノーは見下ろす。
死体は既にない。それはアカーシアで切り伏せた瞬間、霧散してしまった。
一体相手はなんであったのか、不可思議さに首を捻る彼に、女は言う。

「少しはマシになりましたね。飽かず努力するように」
「お前の手を煩わせないようにとは思っているが、おそらくそこまでは無理だな」

国の最期を看取る為に現れた魔女に、いつかこの剣を返す日が来るのだろう。
それが、自分の最期だ。
まだ若いセノーは、己の死を思って笑う。
明けていく空は、深い青色をしていた。