最後の日

mudan tensai genkin desu -yuki

全ての人間が眠っている時間など、普通の街には存在しない。
だが、この街に限ってはそれが在る。
ただ一人の歌姫の為に作られた十二都市―――― ドーム状の仮想都市のある夜は、そうして人知れず始まった。



その日の夜、早々にベッドに入ったはずのアキラは、自分の名を囁かれた気がして目を覚ました。
暗い寮の部屋、ブラインドから外灯の白い光だけが差し込む室内に、一人の少女が浮いている。
淡い緑のノースリーブワンピースは、初めて出会った時と同じものだ。人形に似て整った顔立ち、黒い瞳が透徹を湛えて彼を見つめている。
アキラは体を起こしながら、彼女の名を呼んだ。
「シェラ、何かあったのか」
一年前のゲームで、彼のパートナーであった少女には「何かあったら起こせ」と言っておいたのだ。
本来なら現実世界で動いているはずの彼女がこうして訪ねてきたということは、厄介な問題が起きたのかもしれない。
そう思ってアキラが宙へと手を伸ばすと、シェラは悲しげにかぶりを振った。
「違うんです。今日は―――― 」
そこで彼女は口ごもる。さかさまに浮いていた少女は、水中にいるかのように向きを変えると、足からベッドサイドに降り立った。長い黒髪が孕んだ空気を吐き出す。現実ではどれだけ時間が経ったのか、夜の色に染まる彼女の貌は昔よりも大人びて見え、ニーナによく似ていた。
シェラは彼に向かい手を差し出す。
「行きましょう、アキラ」
「行く? 何処へ?」
時計を確認すると、時刻は日が変わろうかという夜中だ。どう考えても外出可能時刻は過ぎている。
しかしシェラの次の言葉に、アキラは頷かざるを得なくなった。
現実の世界、虚都から来た少女は行く先を口にする。
「行きましょう、私たちの空塔に。―――― この十二都市の終わりを見に」


都市の存亡を賭けて彼女と共に戦った日のことは、まるで昨日のことのように鮮やかに思い出せる。
チェンジリングというスキル一つを頼りに空塔を上っていく冒険は、彼ら自身の懇望を覗き込む短い旅でもあった。
都市の真実を知ったあの日から、けれど一度も足を踏み入れていない空塔の内部を、アキラは少女と再び上っていく。
しんと静かな塔の内部は機器の類こそ動いていたが、白い照明に照らされるフロアはここに来るまでの街と同じく、まったく人気がなかった。
青白い照明だけが照らす廊下を、まるで死都のようだと、アキラは思う。
「なぁ、一体どうなってるんだ? どうして人がいないんだ」
「もうすぐシステムアップデートが始まるからです。住民たちは停止状態で、今、この都市の中で動いているのは私とあなたしかいません」
「システムアップデートって……」
それに、十二都市の終わりとはどういうことなのか。アキラは嫌な予感に駆られて、さかさまでない少女を見上げた。
宙に浮いているシェラは、だが彼が何かを言う前に湾曲した通路の突き当たりにある転移ポートを指し示す。
「あそこで最後です」
行きましょう、と少女は床を蹴って飛ぶ。
アキラは慌てて後を追い―――― そして懐かしい、空塔の屋上へと辿りついた。

目の前に広がる夜景はひたすらに美しかった。
紺青に染められた空と街を照らし出す無数の光。遥か遠くには他の都市の空塔さえぼんやりと光っているのが窺える。
彼の胸にいつも秘められていたこの世界の姿。焼け付く感情を引き起こす景色に、アキラは息を飲む。
隣に浮かぶ少女が彼と同じ方向を見つめて、口を開いた。
「こちらの世界では随分長くかかってしまいましたが、ゲームの結果から十二都市の行く末が決まったんです」
「それって……」
「ええ。今夜のシステム変更で、十二都市はそれぞれ分割されます。福祉コミュニティやゲームに転用される都市、別の研究所や企業に移譲される都市など様々です」
「第八都市は」
「この都市はこのままに。ただもう、他の都市は存在しなくなりますから。行き来は出来なくなりますし、必然的に都市の名前も変わります」
「名前が変わる? どんな名前?」
その問いに、少女は長い睫毛を伏せて微笑んだ。
「―――― 『オリジン』」
託宣に似た言葉が、空塔に灯る。
それと同時に、見える景色が変わった。遥か遠く、他の都市に灯る光が、夜の中へと浮かび上がっていく。
一つ一つが蛍火のように美しいそれらは、ゆっくりと舞い上がり鏡面の空を一際明るく照らすと、そのまま吸い込まれて消えていく。
第八都市の明かりはまだ地上に灯ったままだ。それだけは、消えていく他都市の光を見送るように、微かに震えてまたたいていた。


まるで無数の魂が、天に昇っていくかのようだ。
アキラは手を伸ばそうとも届かない光に、喪失と幾許の感動を覚える。
この眺めを美しいと思ってしまうことは、彼自身の罪悪感が許さなかった。思わず握った拳を隣からシェラがそっと両手で包む。
「それでもアキラ―――― この都市はあなたが守ったんです」



歌姫は眠り、ゲームは終わった。
十一の都市は散っていき、彼ら二人の手元にはただ一つの都市だけが残る。
「始原」という名を与えられた街。ニーナの歌を伝え続ける研究都市。
それが、彼らの掴んだ全てだ。



「目が覚めれば、元の、あなたの知っている街です」
シェラはそう言い残すと空塔の屋上に彼を置いて、また虚都へと戻っていった。
彼を一人にしてくれたのは、少女の気遣いなのだろう。アキラは第八都市を除いてすっかり明かりの消えた景色を見つめる。
「分かってたんだけどな……」
それでも達成感よりもやりきれない苦さが勝つのだ。
アキラは片手で顔を覆い、こみあげてくる熱を飲み込む。

十二の都市、十二本の空塔は、こうして唯一つになった。
緩やかにささやかに成長してく閉じた都市。始まりの街は人知れず、最後の日に誕生したのだ。