アウラティカ 05

禁転載

アウラティカが女王となってからまもなく、父王は安心したのか疲れ果てたのか、ある日の朝眠ったまま息を引き取っているところを発見された。
彼女は父の死を強く悼んだものの、苦しむ父の姿を見ずに済んで心のどこかで少しだけほっとする。
子供の頃見た力強かった父はいつの間にかとても小さくなり、その寂しげな目を見るだけで胸が痛んでいたのだ。
悲しみに浸っている余裕もない状況で彼女はまずは諸侯たちと話し合いを重ね、国政が正常に動き出すよう苦心した。
特別なことをしようと思っていたわけではない。
まずは父がやっていた執務をこなすことから始め、それと平行して少しずつ自分の意志で考えようと決めている。
アウラティカは自分が特に才がある人間だとは思っていなかった。
だからこそ欲張らずに周囲の人間の力を借り、ゆっくりでも確実に成長することを選んだのだ。

「陛下、次の会議のお時間です」
扉の前に控えていた若い騎士が頭を下げる。
クードという名のこの男は彼女の即位が決まってから護衛につけられたのだが、実直で信頼できる人柄であり、彼女が即位してから一年が経つと女官のマトラと並ん で女王の側近となっていた。
アウラティカは彼の手から書類の束を受け取って目を通し始める。クードは一歩後ろに付き添いながら書類の内容を口頭で捕捉した。
「財源の調節は大体完了したようです。東の領地の軍備も少しずつ増強しています」
「よかったわ。戦争なんて無いにこしたことはないけれど、ダセルカがどう出てくるか分からないものね」
アウラティカは一年かけて国内の財政を整理し過不足無いよう調節すると、出来た余剰をダセルカに対しての軍備にあてたのだ。
ユーエルスム河の岸には等間隔で物見台が建てられ、何かあれば東の領地にある兵士詰め所へと連絡が行くようにしてある。
大陸中央部で争う国家の中には、魔法で大人数を離れた場所に移動させられるような技術もあるらしいのだが、この辺りでは魔法士は禁忌の技を使う妖しの存在とさ れており、登用している城などほとんどない。勿論ダセルカもそうであるとの情報を彼女は既に得ていた。
彼の国がクルースに直接手を出そうとした時の為に、もしくはその気が起こらないように、構えはきっちりしておかねばならない。
アウラティカはひとまず思った通りに軍備が整いつつあることを確認すると、ほっと胸を撫で下ろした。
続いて別の書類に目を通し始める。
「ウォルザでは新王の評判があまり芳しくないとか。王と宰相閣下との間で確執が生まれつつあるとの話も聞かれます」
「―――― そう」
女王の表情は途端に曇り、感情が押し込められたかのような無表情になった。クードもまた顔から感情を消している。
半年前まで彼女の婚約者であった男とその国で、目に見えて深刻なものではないにせよ問題が起きているという情報は心弾むものでは決してなかった。
アウラティカの脳裏に数瞬、子供時代の思い出が甦る。
小さな庭の中で過ごした輝けるような日々。決して戻らない幸福の欠片が。
彼女は息を止めてその記憶を懐かしく反芻する。
泣きたくなるような胸の温かさが全身を支配した。
けれど、それも会議を行う広間の前に到着した時、女王としての意識に振り払われる。アウラティカは頭を下げる兵士たちに気づいて顔を上げた。
胸を張り、自信に満ちた笑みを浮かべて彼女は部屋に入っていく。
そう振舞うことこそが女王たるものの姿であると、彼女は既に学んでいた。

玉座についてから二年が経つと、アウラティカは十八になっていた。
内政は滞りなく動き、何本か街道の整備を済ませて諸侯の評価を得たものの、不安要素であるダセルカとの緊張関係は持続したままである。
いつ爆発するか分からない火種をすぐ傍に抱えているような月日の中で、アウラティカは姉の捜索をも未だ行っていた。
だが、他国にまで間諜を派遣して探っているにも関わらず、芳しい情報が得られたことは一度も無い。
調査のことを知っている貴族たちは、暗黙のうちに彼女に「諦めろ」と目で訴えてくるが、彼女はどうしてもそれができないでいた。
今もどこかで姉が彼女の助けを待っているのではないかと思うと、何かせずにはいられないのだ。
いつまでこれを続けるのか、引き際が見つからないまま、彼女は調査の継続を命じ続けている。

セデウスの国ウォルザとは年に数度、外交の場で接点を持つが、そこに彼が現れたことはない。
アウラティカに会うことを周囲の人間に忌避されているのかもしれないし、彼自身が彼女に会いたくないのかもしれない。
彼の真意が分からぬ彼女は、そのことを考える度、姉に抱くのとは異なる胸の痛みを覚えて気持ちが自然と沈んでいく。
諸侯に結婚を勧められながらも、なかなか頷けないでいるのは、幸せすぎた子供時代の為かもしれなかった。

変化はしかし、唐突に訪れた。
まるで睨みあうことが当然のように感じていたダセルカから、ある日外交の使者が訪れたのだ。
もとは第一王子の側近であり、昨年から外交の仕事についていると自己紹介したその男は、驚くべき内容の書状を携えていた。
書面とあわせて口頭でも説明されたアウラティカは大きな瞳を零れ落ちそうなほど見開く。
「第一王子とわたくしの……婚姻?」
「左様で御座います。ここ百五十年、残念なことながらダセルカとクルースの関係は好ましいものではございませんでした。
 ですが、いつまでも過去の遺恨に引きずられていては先が見えないのもまた確かです。
 ここで一つ、我が殿下を女王陛下の夫として迎えられることで、これからの両国の関係を改善できないだろうかとの仰せをつかって参りました」
それは今までの関係を真逆にする提案だ。居合わせた文官たちが驚きに表情を変える。
自らも驚愕から脱しきれないアウラティカは、片眉を上げて使者に問うた。
「でも……興味深いお話ですが、第一王子でいらっしゃるなら王になられるべき方なのでは? 
 クルースにいらして頂くことなどできかねるでしょう」
「その点はご安心を。殿下の従兄弟君が代わって玉座につかれることになっております」
アウラティカは思わず眉をしかめる。
それは本来、ありえないことだ。普通ならば従兄弟が彼女の夫となり、第一王子が即位するものだろう。
現にウォルザの方は、今は王となった第二王子もセデウスも、彼女の夫にしようとはしなかった。
ならばダセルカは何故そんな提案を持ってくるのか。
第一王子がよほどの問題人物だとでもいうのだろうか……と考えてアウラティカは使者の視線に気づいた。
男は玉座に座る彼女より低い位置にいるにもかかわらず、この場の誰よりも上に立っているような自信に満ちた目をしている。
永きに渡るせめぎ合いに平和的な決着をつけようという申し出なのだ。断られるなどと思ってもみないのだろう。
アウラティカはかつてセデウスに尋ねた、百五十年前の出来事を思い出す。
誰があの時、ダセルカの王子を死に至らしめたのか。真相はもう分からない。証明できない。
けれどクルースが怪しいと思ったのは彼女自身なのだ。当時の王の血を引き、今はもうクルースの女王となった彼女が。
ならばその時生まれた諍いを終わらせる為に、彼女こそ動かねばならないのではないか。
今まで何人もの貴族たちが自分の息子を彼女の夫として勧めてきた。
それに動かされなかったのは彼女の中の言葉にならない想いのせいだろう。
しかし、はっきりと利益が見える政略結婚ならば――――
踏み切るべきは今ではないかと、アウラティカは思った。
国の為、民の為にこそ自分は結婚するのだと。
もし心だけが自由に飛んでいけるのなら、それはセデウスのもとへと向かうのかもしれない。
だが、体を捨てられない彼女は、いずれ女王として夫を迎えるのだ。
…………ならばもっとも利益を生む婚姻を選ぶのは当然のことだ。彼女は一生を国の為に費やさなければならないのだから。

「願ってもみないお話、お受けしたいですわ」
決断は短かった。
時間をかけては迷いが生まれてしまうと思ったのだ。
アウラティカが使者にそう返答すると、男は不遜な笑顔で応じる。
その表情を見た時、彼女の中に不快な脱力感が生まれた。取り返しのつかないことをした、と思いかけてすぐにその考えを打ち消す。
迷いたくないと、思った矢先に揺らいでしまうようではこれからやっていくことなど出来ないだろう。
彼女は使者への歓待の祝宴を用意するとだけ言って玉座を立った。控えの間へと戻る途中クードと目が合う。
彼は気遣わしげな目で女王を見ていたが、すぐに頭を下げその表情は見えなくなった。

宴の準備が整うまでの僅かな時間、アウラティカは自室に戻り寝台の上にうずくまる。
いつもならこういう時はマトラが傍にいてくれた。けれど今は彼女も宴席の準備に借り出されているのだ。
アウラティカは広い部屋に一人、乾いた空気を吸い込む。
政略上の婚姻なら早い方がいい。だが、王族同士の式ならば支度にはそれなりの時間と費用がかかるだろう。
勿論彼女には二年前、セデウスとの結婚の為に仕立て上げられたドレスがある。
けれどそれを彼以外の人間の為に着る気にはどうしてもなれなかった。
あのドレスは彼と、昔の彼女自身の為の衣裳なのだ。だから二度と袖を通されることはない。 ただドレス部屋の奥深くで沈黙していくだけだ。
アウラティカはこのまま眠ってしまいたい衝動に駆られる。
感傷を恋しいと思えば、そこに溺れてしまうのではないかという危惧を彼女は抱いていたのだ。

始まった祝宴は豪勢なものだった。
内心はどうあれ祝いの空気に、出席した臣下や貴族たちも笑いさざめきながら酒盃を空けていく。
アウラティカは、自分の手柄と酒の両方に酔っているらしきダセルカの使者を見て、次に今は空席である隣を見やった。
もうすぐ顔も知らぬ他国の王子がここに座るのだ。そしてそれにより緊張漂う隣国との関係も変わる。
民の為に平穏な未来を買えると思えば、充分すぎるくらいだと彼女は思った。
ただそれには、兄をダセルカに殺されたかもしれないという彼女自身の憎悪を飲み込まねばならない。
三年前、彼女の人生に翳を差させたあの悲しみのことを。
証拠もない、ただの疑惑だ。けれどそれは事実だとも彼女は感じている。
心の中でかつての自分が、ダセルカなどと和平を結べるか! と叫んでいるような気がしてアウラティカは拳を握った。
―――― 私情に動かされてはならない。
憎しみの連鎖は不毛なだけだとも思っていたではないか。
百五十年は長過ぎる時間だった。だから、これ以上は繰り返してはならない。
アウラティカは自身に燻る激情を宥めようと必死に言い聞かせる。
その時、ふっと酒気の匂いが濃くなってアウラティカは顔を上げた。
見るといつの間にか目の前にダセルカの使者が来ている。彼はアウラティカに向かって酒盃を差し出しながら歯を見せて笑った。
「如何ですか、女王陛下。愉しんでおられますか?」
「ええ。あなたのおかげだわ」
「とんでもございませぬ。わたくしめは単なる殿下の使者でございますから」
男の態度は言っていることとは裏腹に尊大なものだった。アウラティカは内心辟易したが、社交的な会話を続けようと適当な言葉を口にする。
「殿下はどのような方でいらっしゃるのか、聞いてもよろしいかしら」
「勿論でございます。……彼の君は、頭の切れられる方です。年は女王陛下よりも三つ上でございまして、風格もあり姫君からの人気も高くお持ちです。
 ―――― おっと、これは余計なことでしたか」
それを聞いてもアウラティカはダセルカの王子個人に興味は持てなかった。
しかし、自分から聞いた以上、笑顔で「素敵な方なのね」と答える。
使者の男は既にかなり酔っているのか馴れ馴れしい雰囲気をかもし出しており、背後で控えるクードが険しい気配を漂わせているのを彼女は感じ取っていた。
アウラティカは男から受け取った紅色の酒を口に運びながらほろ苦く微笑む。
「そのような方なら今までいくらでも美しい姫をご覧になったでしょうに、わたくしを気に入って頂けるかしら」
「無用の心配でございます、陛下。あなた様はお若く、お美しい。それにその髪色も瞳もよく似てらっしゃる」
後から思えば、男は酔って気が大きくなっていたのだろう。
もとは王子の側近であったというが、外交には向いていなかったに違いない。
加えて立てた手柄と、アウラティカと直接話が出来ているということに彼は舞い上がっていた。
だからこれ程までに致命的な失言を口走ってしまったのだ。
男は、アウラティカからの返答がないことに気づいて彼女を見上げる。
十八で一国の女王を務める少女はその時 ―――― 冷え切った金の瞳で、男を見つめていた。
長く感じられる間をおいて紅い唇が動く。刃物と変わらぬ鋭さを持った声が男に突き刺さった。
「誰と、似ていると言うの」
男はその時ようやく自分の失態に気づいた。
一瞬で冷水を浴びせられかのように顔色が変わる。空になりかけた杯を持つ手が小刻みに震えた。
アウラティカはゆっくりと立ち上がりる。憎悪さえこもる目で男を睨みながら。
「言いなさい。わたしが誰と似ているというのか」