アウラティカ 06

禁転載

アウラティカの髪は金砂、そして瞳もまた赤みがかった金である。
それは遠く大陸西端の国の血を引く母親の瞳と、金の髪を持つ父親との血の現れであり、特に瞳の色はこの近辺では類を見ない色だった。
だからこそ、髪と瞳の色両方が彼女と似ている人間など近隣諸国どの国でも見られない。
同じ両親を持つ彼女の姉、以外には。
もし男がもっと有能な人間であれば、そもそも失言をしなかったであろう。しても何とか言い繕えたに違いない。
けれど彼はただうろたえるばかりで、それはアウラティカの抱いている疑いが真実であると言っているようなものだった。
彼女は怒りに震えが滲む声を搾り出す。
「あなたは、わたしの姉を知っているのね? お姉さまは? 今、どこにいらっしゃるの?」
「な、何か勘違いをなさっておられるのでは……」
「言いなさい! その首が惜しいと思うのなら!」
腰が抜けたのか、へたりこんだ男はただ首を左右に振る。
宴席に集まっていたクルースの者たちは皆、ある者は怪訝そうに、ある者は険しい表情で女王とその前に座り込む使者に注目していた。
今まで国の為にと抑え込んでいた憎悪。
それが思わぬ方向から口を開き、アウラティカは怒りにどうにかなってしまいそうだった。
厳しい声で背後にいる側近に命じる。
「クード! この男を連れて行って吐かせなさい! 必要なら魔法士を使っても構わないわ!」
最後の言葉に場がどよめく。
大陸に少なからずいる異能の魔法士たち。
けれどその底知れなさの為に上流の人間からは忌避されている人間たちを用いてでも、真実を明らかにせよと、彼女はそう言っているのだ。
女王の鬼気迫る形相に、使者の男は我に返ると床に這いつくばって逃げ出そうとする。その襟首をクードが掴んだ。
もはや他国の使者に対する態度ではない。容赦なく力を込めて引っ張り上げる。
悲鳴を上げる男が引きずり出され広間から姿を消すと、後には重苦しい沈黙が残った。
―――― アウラティカは本当は、両手で顔を覆ってしまいたかった。この場に一人であるのなら。
予感がしたのだ。どんなに父王がそう言っても否定したかった、姉はもう戻らないのではないかという予感が。
もしダセルカに姉がいるのならアウラティカに政略結婚を申し込んでくる意味がない。使える札がないからこそ直接彼女のところに来たのではないか。
アウラティカは金の瞳を閉じて深く息を吐き出す。
何もかもが黒く塗りつぶされ、光はどこにも差さない。
全ては奪われ、遠ざかる。
形成されつつある絶望の中、彼女はゆっくりと沈んでいくのだ。

三日にわたる尋問は、使者が本当に何かを知っていると知れた二日目からは、城都の裏路地に棲む魔法士も加わり魔法薬がふんだんに投入された。
その結果得られた事実に聞いた者たちはみな言葉を失くす。
―――― アウラティカの姉、ディセアはダセルカに連れ去られていた。
そのままダセルカ王家の血を引く子を産むよう第一王子の後宮に監禁され……そしてつい先日、首を吊って自殺していたのだ。
二年間にわたって姉が受けた責め苦がどんなものであったのか、アウラティカには想像できない。したくもない。
死の三ヵ月前からディセアには懐妊の兆候が見られ、それを境に彼女の精神は一気に狂い出したのだという。
ダセルカとしてはまずクルースの次期王を暗殺し、残る二人の姉妹のどちらかにダセルカ王家の子を産ませるつもりだったらしい。
そしてその子をクルースの玉座につけることで、憎き隣国を併呑しようとしたのだ。
目標がアウラティカではなくディセアになったのはたまたまとしか言いようが無い。たまたまその日、ディセアが遠乗りにでかけたから。
それだけのことで、姉は全てを失う羽目になった。
もしセデウスに忠告を受けていなかったら、ダセルカの手に落ちていたのはアウラティカの方であった可能性も高かっただろう。
彼女は姉よりも、外に出て花を見ることを好んでいたのだから。
別にそうあってもよかった、とアウラティカは凝り固まり冷え切った心で思う。
どうせセデウスとは一緒になれなかったのだ。ならば、姉の代わりに自分がその苦しみを負ってもよかった。
単なる後悔にすぎないとしても、彼女は本当にそう思ったのだ。
けれど全てはもう済んでしまった。
彼女は女王となり―――― そして、姉は死んだ。

「女王陛下、これは……」
事情を知り、意見を伺おうとする諸侯たちの目も怒りに震えていた。
無理もない。やり方が悪辣すぎる。
いくら外交に禁じ手はなしと言われるこの時代においても、ダセルカの打った手は彼らの限界を遥かに越えるものであった。
国の象徴たる王家を無残に踏みにじられた彼らには、ただ大切にしていたものを、誇りを、傷つけられた憎悪しかない。
ディセアを得て計画は順調だとほくそえんでいたダセルカはしかし、彼女を失ったことで方針を修正せざるを得なくなった。
第一王子をアウラティカの夫とすると持ちかけて―――― その実、内側からクルースを蝕み、やがては属国とするよう企んでいたのである。
しかし、この計画もまた失敗に終わる。
真実を知ったクルースの大臣諸侯は既に、一人たりともダセルカに歩み寄ろうと思う人間はいなかった。
広間に煮えたぎる憎しみを感じ取ってアウラティカは目を伏せる。
床に広がるドレスの裾を引き、ゆっくりと玉座から立ち上がると……彼女は優美に嗤った。
「使者は殺しなさい。首は塩漬けにしてダセルカに送るように。
 軍の六割は東の領地に。軍船を準備し、油の甕を用意なさい。奴らが軍を挙げたらすぐに河を焼くのよ」
戦争準備を指示する命に全員の表情が引き締まった。だがそこに反対の色はない。
憎悪を形にして示してやろうとみなが心に固く誓っているのだ。
口々に賛成の声をあげ、細かい実務を詰めていく諸侯をアウラティカは感情のない目で眺める。
―――― 百五十年前のダセルカも、このように怒りに駆られ走り出したのだろうか。
そうなのかもしれない。
そしてそれが今まで続く連鎖を作ってきたのかもしれないだろう。或いはもっと前から始まっていたのか。
頭ではいくらでも理想を考えられる。潔癖なことも言える。
けれど実際自分が当事者となると……人は何と脆いものかと、彼女は実感せざるをえなかった。
永く広く渡るであろう平和よりも、身近な人の無残に人間は簡単に狂うのだ。
憎しみが理想を駆逐する。与えられた以上の痛みを以って敵を討ち、苦しみを癒せとたきつける。
音の無い嵐。
自分でも制御できぬ激情が荒れ狂う中、記憶の奥底でただ…………子供の彼女が泣いていた。

いきり立つクルースはあっという間にダセルカとの戦争に向けて軍の配備を整えた。
いつ攻めてこられてもよい、そんな状態のまま十日が過ぎる。
開戦の報は唐突に、執務をしていたアウラティカのもとへと飛び込んできた。
予想できていたことであるにもかかわらず、発狂しかねないほど取り乱した武官を女王は怪訝そうに見やる。
「どうしたというの。ダセルカは河を渡ってきたのではなくて?」
「ち、違います陛下! 敵軍は南西―――― 我が軍が薄い国境地点を破り、進軍してきています。その数は九万!」
「南西? 南西なんてダセルカは……あの国境は、ウォルザとのものではないの」
「ですから、ウォルザです!」
アウラティカは意味を掴みかねて眉を寄せる。
ウォルザが何だというのか。
セデウスと弟王の関係が思わしくないことは知っているが、それだけのはずだ。
一向に理解を得られない彼女はしかし、次の武官の言葉に凍りつく。
「ダセルカではなく、ウォルザです! ウォルザが我が国に攻め入って来たのです!」
女王の白い指からペンが零れ落ちる。
鋭く尖るペン先から、徐々に黒い染みが書類の上に広がった。
何も分からない、一瞬の自失がアウラティカを飲み込む。
まるで迷子になってしまったかのような空隙。頭の奥底で懐かしい声が「貴女に女王が務まるのか?」と囁いたのだった。