アウラティカ 09

禁転載

マトラがその部屋の前を通りかかったことは偶然に過ぎない。
アウラティカの為の着替えを持って廊下を歩いていた彼女は、曲がる角を間違えて普段は足を踏み入れぬ廊下へと迷い込んでしまったのだ。
しかもウォルザの城の廊下はみな似ている。彼女はしばらく気づかぬまま奥へと進んで行った。
聞き逃せぬ名が大きな扉の向こうから微かに聞こえたのは、マトラがようやく道を間違えたことに気づいた、その直後のことだった。
彼女は瞬間立ちすくみ、我に返ると慌てて柱の影に隠れる。
すぐ隣にある扉の隙間から、複数の男の笑いさざめく声が漏れ出していた。
「陛下も即位してすぐこれとは先が思いやられる。後宮も持たれず一人の女に拘るとは酔狂なことだ」
「婚約を弟王に破棄されたこと、腹に据えかねてらっしゃったのかもしれぬな」
「それであれか?」
マトラは一瞬、それが主人を揶揄する言葉かと思い、憤りかけた。
ウォルザの城にはアウラティカのことをあからさまに見下す人間も多いと、彼女は目の当たりにして知っていたからだ。
けれど遅れて室内に充満したものは、嘲笑ではなく重い沈黙である。
外に潜むマトラをも居心地悪くさせる空気は、それが口に出すことも憚られるような「何か」であることを彼女に悟らせた。
息を殺す彼女の耳に、ややあって男たちの笑い声が聞こえ始める。
緊張の滲む笑いは、部屋に立ち込めてしまった空気を払拭しようとしているかのようだった。やくたいもない会話が再開される。
「婚礼の式はもうすぐだ。クルースの女王が我らが王妃となれば、残るクルースの勢力も反抗する気を削がれるだろう」
「どうだか。女王を排斥して挑んでくるかもしれん」
「その時はその時だ。いくらでも方策はある。陛下があの女に飽きれば、奴らにくれてやってもよいのだ」
「どうしても手放さぬと仰られたらどうする。今のところ陛下の器量は酔狂を補って過ぎるほどだが、女に溺れるようでは先も知れるぞ」
「さぁ…………そうであれば、また何かが起こるかもしれぬな」
その言葉と同時に室内で誰かが立ち上がったらしき音がした。マトラは慌てて扉の近くから飛び退き、別の柱の影へと隠れる。
開かれた扉の向こうから現れた人物は恰幅のよい中年の男だった。服装からいって大臣か何かであろう。
男は廊下を歩き出しかけて、室内からの「お前は何か知っているのか?」という強張った問いに振り返る。彼は口の端だけでにやりと笑った。
「何も? たとえばの話だ」
笑いながら立ち去る男の後姿をマトラの視線はこっそりと追う。男の持つ雰囲気をどこか前に感じ取ったことがあるような気がしたのだ。
高揚、愉悦、驕慢、それらを混ぜ合わせ醜悪な彩りを示したかのような笑い。
それは、三ヵ月前クルースを訪れたダセルカの使者に、よく似ていた。



幼い頃は確かに、彼女は将来、自分はウォルザで暮らしていくのだと思っていた。
セデウスの妻として彼を支え、彼と共に異国を己が国として一生を終えるのだと。
それが叶わぬものとなった時、彼女は一人失われた未来の為泣いた。
どうして自分は王族などに生まれたのだろうと思い、けれど王族でなければ得られなかった思い出の為に、彼女は泣いたのだ。
そして今、彼女はウォルザにいる。
セデウスの花嫁として。
―――― 滅ぼされた国の、女王として。

「お綺麗ですわ」
アウラティカはマトラの言葉に苦笑して頷いた。
それが彼女を慰める為だけのものではない、心からの言葉だと分かっていたからだ。
薄青の花嫁衣裳はセデウスが彼女の為に仕立て屋を急かして作らせたものである。
結局彼女は彼が相手であっても、持っていた婚礼衣裳を着ることを拒んだのだ。
支度の最後に薄灰のヴェールをアウラティカは被る。この薄布で好奇心に溢れたウォルザの人間の視線を遮れることが嬉しかった。
彼女は、膝をついてドレスの裾を直していた女官に呼びかける。
「マトラ」
「何でございましょう」
アウラティカは深く息を吸った。目の前の女に、自分に、そして今はいない人間に言い聞かせるように硬質の声を紡ぐ。
「この先どうなろうとも、わたしはクルースの人間だわ」
誰の妻となり、どのような一生を送ろうとも。
アウラティカが生まれたのはクルースだ。あの国で慈しまれ、育ち、国を守る女王となった。
そのことを忘れる日はない。
たとえ全てが、無残に引き裂かれた記憶となってしまおうとも。
散り散りになった一つ一つの破片を決して取りこぼすまいと、彼女は思っている。
それらを忘れてしまった時、自分は本当に変わってしまうのだから。
アウラティカは無言で頭を垂れるマトラを見つめる。
涙が零れそうに温かい記憶たちの中、セデウスとの記憶だけ何処にも行き場がないと、そんなことを思いながら。

式はそっけなく思える程、滞りなく済んだ。
アウラティカはわだかまりというには大きすぎるしこりを抱えていたものの、自身の行いが祖国に残る人々にも影響すると思えば、王に嫁ぐ女として決められた言葉 を一句の間違いもなく口にすることが出来た。
彼女に遠慮ない視線を送っていたウォルザの貴族たちは、式の途中でヴェールを取り去った新王妃の毅然とした美しさに息を飲む。
アウラティカはそれら列席者の波を、何の感慨もなく一瞥しただけだった。
夫となった男の手によって頭上に乗せられた小さな王冠を意識する。
かつて父の手から冠をこの頭に抱いた時は、その重みを感じ取ったものだった。
けれど今は、ただ冷たく暗い水に沈み込んでいくような無感覚があるだけだ。
―――― わたしは、何を望んでいるのだろう。
アウラティカは胸を反らし深く息を吐き出す。
戦争に敗れ、捕らわれ、取り込まれた自分は、今何が望みなのか。
ウォルザの街がクルースの城都と同様燃えることか。
高慢な貴族たちがのた打ち回って苦しむことか。
それともこの国全てが瓦礫となり果て、処々に白けた無数の骨が横たわることか。
いくつもの悲惨な光景を思い浮かべてアウラティカは微笑む。
それら結末のどれをも自分が望むものではないことは明らかだった。
ウォルザの民の誰もが、彼女には関係がない。生きようが死のうが構わない。
国を最後に動かすのは王の業なのだ。
ならば、憎むべきはただ王のみであろう。世界にあって自分と、彼の二人だけだ。
アウラティカは式が始まってから初めて、セデウスを正面から見つめた。彼は真っ直ぐな視線でそれに応える。
生涯を共にするという婚姻の誓約。
けれどそれは、かつて彼女が思っていたように生を共にする為のものではなく、死を共にする、その為の誓いに思えた。

婚礼の式が終わって王の寝室に連れて来られた時、既に外は夕闇の中に落ちつつあった。
ウォルザの女官たちによって何度も効果の違う湯を使わされ、肌に香油を塗りこまれた躰は、それ自体が甘い花のように香りを帯びている。
いつになく重く感じる肉体は、アウラティカに自分が女であることを思い起こさせた。
一人の女官が彼女が羽織っていた外衣を解いていく。
そうするともう体の線が透けるような夜着のみになって、彼女は薄ら寒さに体を震わせた。
「ここでお待ち下さい。まもなく王がいらっしゃいます」
礼儀正しく女官がお辞儀をして出て行ってからしばらく、彼はやってきた。
いつ着替えたのか、式の時より簡略な正装を着ている男は、寝台の前に立ったままの彼女を見出し動きを止める。
アウラティカは背後にある燭台の炎を浴びて、自分の躰が男の視線に晒されているのだということに気づいたが、逃げ隠れすることはしなかった。
姿勢よく、女王であった時と同じように威を纏い彼を見据える。
「三年……」
セデウスの言葉は唐突に響いた。
それは過去と今との断絶に広がる空虚のように、広い部屋を響いて満たす。
何を言われても動じまいと決めていたアウラティカは、男の声に微かに滲む苦味に美しい眉を寄せた。
「何?」
「三年、待たされた。約束してからはもう九年だ」
約束。
その単語は懐かしさよりもアウラティカを苛む意味を持っている。
あの日、あの時の子供の約束。
一緒に幸せになりたかった、それだけの願いが巡り巡って、今二人はここに向き合っているのだ。
「諦めたことなど一度もなかった。どうすれば貴女を手に入れられるのか、そればかりを考えてきた」
「……わたしから全てを奪おうとも?」
「貴女の兄姉を殺したのはダセルカだ。私ではない。
 それともその憎しみをも貴女は私へと向けているのか?」
「…………っ!」
図星を指されてアウラティカは激昂しかけた。
つまり、そういうことなのだ。
彼女は国が滅びる直前まで抱いていたダセルカへの憎悪も、そして無知であった自分への苛立ちも全て、今はセデウスへと向けているのだろう。
彼だけを憎み、彼だけを思う。
そうしなければ強い感情を保ち続ける自信がなかった。だから、他は全て捨てることを選んだのだ。
内心の歪んだ激情を看破された彼女は、ただ男を睨むことで精神の痛みを堪える。
セデウスは彼女の表情からこれ以上ない肯定を読み取ったものの、反論するつもりはないようだった。
ただ黙って全ての憎しみを引き受けて、その上で彼女の前に立っている。確かにそれだけを見れば堂々たる姿だと言ってもよかっただろう。
けれどその時、荒れ狂う感情の手綱を必死でとろうとしていたアウラティカはもう一つのことに気づいてしまった。類稀な金の瞳を見開く。
「セデウス、あなた…………知っていたの? お兄様や……お姉様のことを」
彼女の兄と姉を死に追いやった原因。それがどこにあるのかこの男は知っていたというのか。
彼らの死の忌まわしい原因があったからこそクルースはあれほど容易くウォルザの前に陥落したのだ。ダセルカを相手に復讐戦の準備をしていたのだから。
今までも疑ってはいた。ウォルザは、クルースの布陣と内情を知っていて、手薄な方角から攻め込んできたのではないかと。
それでもきちんと確かめていないことであったから、アウラティカは本当にそうとは限らないと思っていたのだ。
セデウスは彼女の問いに片目を細めて「いや……」と言った。だがすぐに、何かを思い直したのか頷き直す。
「ああ、知っていた。知っていてクルースに攻め込んだのだ。貴女を手に入れるには今しかないと思ってな」
「……っ! よくも……この恥知らず! あなたもダセルカと同じだわ! 奪い取ることしか考えていない!」
「その通りだ」
何を考えているか分からない男。
アウラティカはその頬を思い切り殴ってやりたかった。せめてもの痛みを返してやりたいと思った。
―――― 結局、彼女自身もまた姉と同じ運命を辿るのだ。
男の手によって籠に閉じ込められた鳥として、一生涯を閉ざされた城内で過ごす。
その相手がかつては信頼し、愛していた男であることは幸運なのか不幸なのか、姉の苦悩を知らないアウラティカには比べることもできないだろう。
彼女の激しい憤りはしかし、男の表情を変えることさえできないようだった。
まるでぶつける感情や煩悶全てが彼の帯びる翳に吸い取られ、彼女ごと落ちていくような気がする。
アウラティカは深く息を吐いてまとわりつく幻影を振り払った。同時に激しいだけの怒りもまた、暗い海のように波を収める。
セデウスは腰帯を緩め、帯びていた護身用の剣を長椅子の上に置く。彼女は自分と椅子との距離を計ったが、無意味な計算に過ぎなかった。
代わりに間を一歩一歩詰めてくる男を彼女は待つ。狂おしい程の数の棘が、胸の中に咲き乱れた。
「貴女がどう思おうとも、もう私の妻だ。貴女は私の妃で逃げることは叶わない。
 それを忘れようというのなら何度でも、幾千、幾万の命を杯に注いで貴女の心を呪縛しよう。
 時は暗黒。死と変革が溢れる時代だ。人は戦いに酔いしれ、己の愚かさに気づかない」
「……そして、あなたもそうなのね。己の揮う力に酔っているのだわ」
「私は違う」
男の手が、アウラティカの髪に触れる。
つややかな金糸の如き輝きを彼は愛しげに見下ろした。
「私が酔うのは一輪の花のみだ、アウラティカ。どれ程棘があろうとも、この花以外には何の価値もない」
言うなりセデウスは彼女の顎に指をかけた。そのまま何の断りもなく唇を重ねてくる。
突然のことにアウラティカは抗ったが、彼女の後頭部に回された男の手がそれを許さなかった。
式の時の儀礼的な口付けとは違う、貪るような動きに彼女は崩れ落ちそうになってセデウスの服を掴む。
口内に割って入ってくる舌は柔らかな口壁を撫で上げ、彼女の舌を絡めとろうと奥へ奥へ動いた。
初めて触れる男としての彼に、アウラティカの思考は白くなる。
とても熱い。
触れてくる男の体が。そして自らの躰の芯が。
体中に広がっていく熱が彼の与える熱を迎え入れようとしているように思えて、アウラティカの体から力が抜ける。
気分の悪さに立っていられなくなったのだ。まるで悪い酒に酔ったかのように。
セデウスはそれに気づいて顔を離すと彼女の軽い肉体を抱き上げた。寝台に下ろし、顔にかかる金砂の髪を梳いてやる。
熱情を伴う仕草。けれどその指を逆に掴んで、アウラティカは宣告した。
「ここでわたしを抱いても、あなたはわたしを手に入れることは出来ない」
肉体など、所詮それだけのことだ。
精神までは屈しない。彼のものにはならない。
婚姻の誓いよりも強く、アウラティカは己に誓う。どれ程時を重ねても彼を許す日は決して来ないのだと。
だが、セデウスはそれを聞いても怒りも悲しみも見せなかった。
無言で顔を寄せ、もう一度、今度は触れるだけの口付けをする。
「それでも、他の男に渡してしまうより余程幸福だ」
そう言って苦々しく微笑む男の顔は、少しだけアウラティカのよく知る彼の顔だった。

触れられることに嫌悪感はなかった。
ただ、男の指や唇が肌に触れる度、許しがたい苛立ちが生まれていくだけだ。
両目を閉ざし、歯をかみ締めて声を殺していたアウラティカはふと顔を覆っていた手を解く。
叫びだしたくなるくらい胸の近くに感じられていた温度が急に遠ざかったのだ。
灯りのないくらい部屋。
ささやかな星月の影だけが視界を照らす寝台で、セデウスは両手をついて体を起こし、じっと彼女を見下ろしていた。
再会してからというもの、共にいる時彼がアウラティカを見ないということはない。
いつも彼の視線は彼女に注がれている。彼女だけを見ている。
嬲るつもりも嘲るつもりもない、かといって後悔も微塵も感じられない男の目は、遠慮なく体をまさぐる指よりも深く自分の体の奥に押し入ってくるようだ。
アウラティカはせめてもの抵抗として男の顔から目を逸らす。
だが、何処にも逃げられないよう寝台の上に縫い止められた彼女の自由になる視界は僅かだった。
自然と彼女の目は、自分を組み敷く男の体に吸い寄せられる。
はだけた前から覗く胸板は子供の頃一度見た時よりずっと精悍なものになっていた。
そこに昔はなかった斜めに走る刀傷を見出した彼女は思わず手を伸ばす。指でそっとなぞると少しだけもりあがっていた。
傷はさほど昔のものではないのか、よく見ると薄紅の肉の色をしているようだ。
「痛い?」
何故そんなことを聞いてしまったのか、自分でもよく分からない。
宮廷で王女として人生の大半を過ごしてきた彼女は、そんな大きな傷を目の当たりにする機会がなかったからなのかもしれない。
セデウスは、或いは彼女以上に問われたことに対して驚いていたようだった。細められていた目が見開き―――― 不意に穏やかに苦笑する。
「痛くはない。もう治っている」
「……そう」
馬鹿なことを聞いた。
アウラティカは再び片腕で自らの視界を塞ぐ。
彼を気遣いでもしたつもりなのだろうか。それで温情を得ようとでも思ったのか。
自分がひどくあさましいことをしてしまった気がしてアウラティカは唇を噛んだ。その痛みはけれど、何と比べても取るに足りないものに思われる。
これ以上の会話をして何になるだろう。
音を、繋がりを拒絶して彼女は沈黙した。
だが、遮断しきれない聴覚には衣擦れの音が聞こえる。まだ華奢な肢体にまとわりついていた薄布の夜着が取り払われた。
一瞬感じた肌寒さ。しかしそれを埋めていくのは絡み合う男の温度だ。胸に押し付けられた唇の感触に戦慄が走る。
「……あ……っ」
あますことなく肌の感触を味わおうとする大きな手。
その動きと彼の視線が脳裏で重なって、彼女は沸き起こる眩暈に敷布を掴んだ。
首筋に幾つも熱を感じ、きつく結んだ唇の隙間から声にならない吐息が零れ落ちる。
男の優しくない声が、耳朶を食みながら囁いた。
「私の古傷より、きっと、これからの貴女の方がもっと痛い」
それが何を指しているのか知って、アウラティカは喘ぐ。咄嗟に手を上げると、この間男の肩につけた爪痕を抉った。
「痛い方がいいわ。傷がついたと……よく、分かるから」
憎しみを孕む花嫁の声音に、けれどセデウスは何の躊躇もない。
小さな体の上に己の体を重ね ―――― そして、紅い唇に口付けを落とした。

「貴方様は勘違いをしてらっしゃる」
女の声は、せめてもの意趣返しなのか微量の嘲弄を含んでいた。
男がそれに気づかなかったのは、勘が鈍いというより言われた内容に気を取られた為であろう。
彼は馬鹿にしたように眉を上げ、石の床に這いつくばる女を見下ろす。
「何を勘違いしているというのだ? この俺が」
「望まれることは何でも思い通りになると、ご自分の手はどこまでも届くと思ってらっしゃる」
痩せ細った女の両手足には鉄の枷が嵌められ、鎖が部屋の隅へと伸びていた。
もとは白金だった髪は、今は埃と土に塗れ灰色になってしまっている。
少女のようにも女のようにも見える彼女は、罅割れた唇を歪めて微笑んだ。
「貴方様のお目に留まる人間は可哀想。行く末を弄られ、大事なものを奪われる」
「ふん。奪ってなどいない。壊してやってるだけだ」
「愚かな王は可哀想。孤独な女王も可哀想」
「可哀想? あの二人の望みは叶ったのではないか? 男は女を手に入れ……女は重責から解放された。文句を言われる筋合いはない。
 まぁ……俺はどちらに転んでもよかったのだがな。別の成り行きとなってもディセアに似ているという女が手に入っただけだ」
もっとも行き着くところは同じだ、と男は笑う。
女は瞳に憐れみを浮かべると、自分を拘束する男を見上げた。
「貴方様は可哀想でらっしゃる。人間の行き着く先はただ死のみ。いずれ復讐の業火が貴方様を焼き尽くす」
「何だと?」
それまでの愉しむような声音から一転して凄みを増す声に、けれど女は微笑したままだった。
男は苛立たしげに立ち上がると警告もなしに女の肩を蹴りぬく。彼女は短い悲鳴を上げて床の上に転がった。
「賢しいことを言うな。薄汚い異能の輩が……。お前は俺の言う通り動いていればいい」
女は床に顔を伏せたままぴくりとも動かない。
やがて、舌打ちした男が小さな部屋を出て行くと、彼女はくぐもった声を上げて笑い出したのだった。