アウラティカ 10

禁転載

クルースが攻め落とされた時、国の軍事力の六割は東部領地に駐留したままだった。
これら軍は城都からウォルザ侵攻の連絡を受けて、彼らを迎え撃つべく進軍し始めたものの間に合わず、城都占領後は東部領主エトルスの指示のもと再び東部に布陣 し、ウォルザへの敵対姿勢を明らかにしている。
女王を奪われた彼らは今後の方針についても混迷を極めていたが、まもなくアウラティカがウォルザの王妃となったことを知ると、内部では主に二つの意見が持ち上が ることとなった。
一つは、女王の婚姻を切欠にこれ以上の争いをやめ、ウォルザの軍門に下るべきという意見。
もう一つは、何としてもアウラティカを奪回し、クルースを再興しようとする意見である。
それぞれの意見を主張する者たちは日々話し合いを持ったが、どちらかの意見が主を占めるということはなく、ただ軍備を調整し情報を集める毎日が過ぎていった。
そして、女王がいないとは言え大軍を擁する旧クルース勢力に積極的な戦闘を仕掛けたくないのかウォルザもそれを監視し、無言の睨みあいはクルース陥落後一月以上も、 変わらず続いていたのである。

天気がよい日だ。陽は高く、風はそよいでいる。
部屋から見える庭園に花はなかったが、小鳥の声がよく聞こえてきた。
露台に備え付けられた椅子に座っていたアウラティカは、ぼんやりと景色を眺めながら出されたお茶を一口、口に含む。
けれどそれをゆっくり嚥下すると彼女は眉をひそめ、後ろに控える女官を見上げた。
「これ、変な味。ウォルザのお茶ってみなこうなのかしら」
「苦味がきつうございますね。お毒見はさせて頂きましたが……。
 最近親しくしているウォルザの女官から貰ったのです。お口に合わなければ以後はクルースから取り寄せたものをお出ししましょう」
申し訳なさそうに頭を下げるマトラに向って、アウラティカは慌てて手を振った。
「いいのよ。折角もらったのだから。慣れるわ」
こんな些細な我侭でマトラの周囲の人間関係を乱したくない。敗戦国から来た女官である彼女は、ある意味アウラティカよりも遥かに精神的に疲労する生活を送って いるはずなのだ。敗国の女王から今や王妃となったアウラティカはカップに残るお茶を飲み干した。
けれど、マトラは主君の気遣いにほろ苦く微笑んで頭を下げたものの、茶器に残っていたお茶はさっさと下げてしまう。彼女も彼女で主君に些細なわずらわしさも与 えたくないと思っているのだろう。
アウラティカはマトラが戻ってくると、ぽつりと呟く。
「セデウス……いえ、クルースはどうなっているのかしら」
ウォルザ国王である彼女の夫は今、城にはいない。式の後一週間を新妻と過ごした後、再びの戦争処理の為クルースの城都へと赴いているのだ。
たった七日の彼との生活。それはアウラティカにとって建設的とは到底言い難いものだった。
彼女が口にするのは皮肉や弾劾ばかりで、彼はそれを否定することもなく受け止めているだけである。
自らの中に渦巻く負の感情の中には、多分に自分への憤りも含まれていると分かってはいるものの、それでセデウスへの憎しみが薄らぐわけではない。
アウラティカは一言、彼への非難を口にする度、自分もまた苛まれるような痛みを感じながら、それでも二人きりで顔を合わせれば彼を謗らずにはいられなかった。
―――― もし子供の頃彼と触れ合っていなければ、或いはこれほど複雑な憎悪に焼かれることもなかったであろう。
彼個人というよりもウォルザを恨んで、祖国復興を目指していたかもしれない。
だが、今のアウラティカはまるで同じところをぐるぐると回っているような気がするのだ。
終わりのない迷路。それはセデウスを中心にしているのか、彼もまたその中に迷い込んでいるのか分からなかった。
「エトルス侯は有能な方でらっしゃいますから……軍をどう操るのであれ、一筋縄ではいかないかもしれません」
マトラの返答は、ウォルザとクルースどちらから見たものなのか判然としない。おそらく本人もよく分からないのだろう。
王妃となった主人の為にウォルザに寄るべきか、祖国に殉じるべきか、彼女一人では決めかねているのだ。
アウラティカは同意を込めた溜息を吐き出す。
クルースの残軍とウォルザ軍が熾烈な戦闘を行うことは、決して彼女の望みではない。
それでどちらが勝つとしても、血で血を洗う争いに終わりはないからだ。
姉の無残な死を知った時、一度は確かに復讐の炎に浮かされた彼女も、今はこの時代を彩る戦争について懐疑的な見方を取り戻している。
支配者が変わり、国の名が変わり、財が移動する。事実としてはそれだけのことの為に人の命を草のように薙ぐ価値があるのかと。
けれどそれは、彼女が敗者となったからこそ手に入れられた諦観なのかもしれなかった。
勝利は人を酔わせる。事が上手く行けば行くほど人は次が欲しくなる。
そうして広がっていく欲望は、この先何を飲み込むのだろう。
アウラティカは誰の姿も見えない庭園を見下ろす。
この城もまた、いつかは火に焼かれ崩れ滅びる日が来るのだろうかと、夢想しながら。

今はもう王を抱いていない城は、財宝など目ぼしいものが運び出された後、ウォルザ軍の警備兵が少数留まるのみになっていた。
旧クルース領土の整備が整えば広い内部は必要最低限を除いて封鎖され、将来的には領主の館として使用される予定である。
その時はこの城に住む領主は旧クルースの南西部から中央部までを支配することとなるだろう。
残る地域はまだクルースの残党が勢力を残しており、将来は不透明だ。
もっともこの国自体が滅んだことは既に周辺諸国も知るところである。
遅かれ早かれ各国はてぐすねを引いて残るクルースの領地に手を出し始めることであろう。
「北部には大した軍備もなく、岩山ばかりで土地も中央より枯れております。遠征をしてまで征する必要はないかと。
 ただやはり問題は東部です。領主エトルスのもと五万の軍勢が残っており、他にも何人かの諸侯が身を寄せているとか。
 ユーエルスム河を支配できれば漁だけではなく交易にも有利ですので、多少の犠牲には目を瞑ってもダセルカに渡す前にこちら打って出るべきでしょう」
力説する文官をセデウスは無言で一瞥した。貴族出身である男の目には隠せない興奮が宿っている。
戦場に出たこともない上、先だっての快勝が彼の精神を肥大化させているのだろう。都合のよいことのみが見え、他は意識にも上らないらしい。
現在の東部情勢について情報を集めるよう命じたにもかかわらず、半ば勝利後の話に終始し、出兵を煽ろうとする文官を王は軽く手を振って下がらせた。
「一時間後にもう一度報告を持ってこさせろ。今度はきちんとしたものをだ」
それだけを侍従に命じるとセデウスは席を立つ。護衛を断り、一人クルースの城を離宮へと向って歩き出した。
かつてはどこもかしこも磨かれ、塵一つ落ちていなかった廊下も今は薄汚れて見える。
人気がない為静まり返ったこの城の現在の有様を見たら、アウラティカの顔は曇らざるを得ないだろう。
長い廊下は二枚の扉を隔てて離宮へと繋がる渡り廊下となっていた。
セデウスは石畳の渡り廊下に出て、途中から下りると芝の中を進んでいく。
木々に覆われた小さな楽園。
かつて二人だけの王国であった場所が、そこにはあった。
もはや誰もいない庭園に征服者となった男は踏み入る。
一年中花を絶やさぬよう作られた花壇には今は少し萎れた白い花だけが咲いており、水の止まった噴水は干上がって底にざらざらと砂が残っていた。
男は目を細めて変わり果てた庭を見回す。
強い日差しが木漏れ日となり、木々の隙間を光と影で彩った。
その中を幼い少女が駆けてくる。
小さな手に白い花冠を持って、息を切らせながら。
少女は真っ直ぐ彼の前まで来ると金の瞳で男を見上げた。花冠を真っ直ぐ差し出してくる。
『ほら、セデウス。今度は綺麗にできたでしょう?』
あどけない、一分の疑いもない信頼の目。
男は微量の苦味と共に微笑んで花冠に手を伸ばした。けれどその瞬間、一陣の風が庭園を通り抜ける。木々も花も音を立てて震えた。
「…………アウラティカ」
風が過ぎ去った後には何もない。冠も、そして少女の姿も。
何も持っていない自分の手に視線を落とし ―――― セデウスは深い溜息をついたのだった。

マトラがその話を持ち込んできたのはセデウスがウォルザを経って二十三日目のことだった。
図書館から持ち込んだ本を数冊、テーブルに重ねて目を通していたアウラティカは眉をひそめる。
「文官?」
「左様で御座います。是非、アウラティカ様とお話がしたいと……。どうやらクルースについてのことらしいのですが」
「分かりました。行きましょう」
即答したのは祖国についての話だからというだけではない。
飼い殺されるような無為の日々が苦痛になり始めていたのだ。
貴族たちの目を避け、自室にこもっているばかりもよくないとは思うのだが、そもそも妃になったとは言えセデウスのいない今、彼女の行動には多くの制限がつけら れている。出入りできる部屋は限られ、常に五人を越える護衛がついて回る。基本的に庭園であろうと外に出ることは許されないというのが現状だ。
彼女の身柄が今後、クルース残党と相対する上で重要な要素となると思えばそれは度を過ぎているとは言えないが、息苦しいことは確かだった。
アウラティカは簡単に身支度すると文官が待っているという部屋へと向う。
どんな嫌味を言われるのか、冷たい眼差しを向けられるのかと思いながら入室した彼女が見たのは、予想よりも遥かに若い、人のよさそうな男だった。
壁際に備え付けられている机に書類を広げていたらしき男は、アウラティカに気づいて慌てて臣下の礼を取る。
慇懃無礼ではない心からの礼。見知らぬ人間にそのように対応をされることなどついぞなかった彼女は目を丸くした。
「挨拶はいいわ。楽にして頂戴。話を聞きに来たの」
「は! では早速本題に入らせて頂きます!」
美辞麗句が苦手な、実直な性格であることを窺わせる言葉遣いで男は説明を始める。
それは要約すると、旧クルースの平定に向ったセデウスと東部領地に残るクルース勢の間で交渉が難航しているというものだった。