アウラティカ 11

禁転載

クルースの東部軍勢を軍事力を以って制圧すべしという意見もウォルザの重鎮の間では根強い主張だ。
だが議論の結果、まず武力に訴えてはアウラティカを王妃とした意味がないという反論が主流を占め、 東部領主エトルスをクルース代表として話し合いを持とうという試み がなされることとなった。
今まで三回、交渉の場を持とうという交渉が行われたが、クルース側でも意見が割れているのか了承の返事は返って来ていない。
その代わり共通して毎回出される要求は「女王陛下にまず会わせて欲しい」とのものだった。
アウラティカはその話を聞いて半ば腰を浮かす。最初の要求はもう二週間近く前のことであるというのに、彼女は今初めてそれを聞いたのだ。
「何故、黙っていたの? わたしに話す必要などないと思った?」
「いいえ……。どうぞ、お怒りをお収め下さい、王妃様。これは、陛下のご指示なのです」
「セデウスが? それは大した気遣いね。わたしのことなど何の力もない小娘と思っているのでしょう」
文官の男はますます困った顔になったが、アウラティカはそう簡単に怒りを収めることなど出来そうになかった。
昔彼に「貴女に女王が務まるのか?」と聞かれたことを嫌でも思い出す。
そして、問われた通り務まらなかったことを思い知らせるように、彼は彼女自身が絡む国政の場から彼女を退けたのだ。
奪われ、仕舞われ、愛玩される。これではまるで人形だ。彼女の眉目には怒りだけではなく羞恥と愁いが漂った。
男はそれに気づくと顔色を変える。これ以上ないくらいの勢いで頭を深く下げると、苦渋に満ちた声を漏らした。
「申し訳御座いません。王妃様が思ってらっしゃるような意味ではないのです。
 クルースは今、混乱の只中で周辺諸国の注目を集めている状態です。
 軍事力が終結している東部領地はともかく……北部が今、どのような目で見られているかご存知でしょうか」
アウラティカは自然と息を止める。
明確に報告を受けたことはないが、北部の状況がどうなっているのかは容易く想像ついた。
ウォルザに侵攻されたと最初の報を受けた時、アウラティカはまず五つに渡る周辺の国の名を思い浮かべた。
そのどれかに頼ろうと思ったわけではない。他の国々にどうすればつけこまれずに済むかを考えたのだ。
クルースがウォルザに敗北したことが知られれば、彼らは間違いなく弱りきったクルースへと手を伸ばしてくる。
あわよくば領地が、そして財が手に入らないかと貪欲な牙を剥いてくることは確実なことだった。
そして、ウォルザにはそれらの牙から旧クルースを守る義務はない。
今のところ高い岩山が多い北部はその魅力のなさの為、見逃されているのかもしれないが、空白地帯となった彼の土地が制圧されるのはそう遠くない未来のことであ ろう。
もし複数の国の手がクルースに伸びだした時、セデウスはどうするのか。用の済んだ土地を放棄し、ウォルザへと戻るのだろうか。
「既にクルース国内には多くの間諜が入り込んでいます。その中には暗殺者などもおり……陛下も先日、襲撃されました」
「セデウスが!? それは……」
「ご無事でらっしゃいます。怪我の一つもされておりません。
 ただ、今向こうが危険であるのは確かなことなのです。中には王妃様を誘拐し、自らが東部領主との交渉を行おうと企む者もいるでしょう。
 陛下はそれを心配されてらっしゃいます。貴女様は安全な城に居て欲しいと、そう思われているのです」
アウラティカは力の抜ける思いがして椅子の背もたれに体を寄りかからせた。我知らず溜息が零れる。
―――― 何故、自分と彼は、こうも見ているものが違うのだろう。
今の彼女は過度に守られることに喜びを感じ得ない。
それは、彼女の無能さを、非力さを責められているような気がして、正しい判断なのだとしても虚しさを呼び起こさせるものでしかなかった。
アウラティカは金の睫毛を伏せる。狭くなった視界に小さな自分の手が見えた。
「……それで、あなたは何を言いたいの?」
消え入りそうな妃の声に、男は理由が分からずとも心を痛めたようだった。沈痛な表情で答える。
「陛下は王妃様を来させまいと命じてらっしゃいます。ですが、事態はそろそろ限界なのです。
 ご同行下さいとは申しません。ただ、東部領主に書簡の一通でもしたためて頂くことはできませんでしょうか。
 ウォルザとの交渉の場を持ち、戦闘を回避して欲しいと……」
「交渉……」
「左様で御座います」
一瞬の沈黙が部屋を横切る。
アウラティカはまるで、人形のように静謐な表情で椅子に座していた。
透き通る美貌は人間味がなく、ただ僅かに震える唇だけが、命の証のように血に似て紅い。
「何故、今なの?」
彼女の声はか細くはあったが、重い感情を孕んだものだった。
文官は問われた意味を掴みかね彼女を見つめる。
敗国から連れ去られた王妃は暗く淀む闇を瞳に孕んで男を凝視していた。
「何故、今? 戦闘を回避したいのならもっと前にすればよかったでしょう……クルースに攻め込む前に!
 それを沢山殺しておいて今更何!? 今度は楽に勝てなそうだから? よくもこのわたしにそんなことが言えたものね!」
小さな肩が急激な呼吸に上下した。アウラティカは震える手をきつく握る。
美しい顔は怒りに歪みながら、その実彼女は泣き叫んでしまいたかった。
今、戦争を回避したいのなら、彼女を守りたいと思ってくれたのなら、何故あの時そうしてくれなかったのか。
彼女の命よりも思いを、国を、民を、何故尊重してくれなかったのか。
千の非難を振るっても足りない。傲慢な振る舞いだ。人の思いを何とも思っていない。
どんな気持ちで彼女が一人、女王となることを選んだと思っているのか。あの別れを悲しんでいないとでも思ったのか。
そうまでして彼女を手に入れて―――― 憎まれて、それで彼は本当に「幸福」になったのだろうか。

アウラティカは固く喉の奥に力を入れる。そうしなければ、嗚咽が零れてしまうと思ったからだ。
王妃からの感情的な叱責を受けた文官は短い沈黙の果てに口を開いた。
「心中、お察しします。いえ、分かるなどとおこがましいことでしょう。ですが、王妃様のお言葉ももっともです。
 確かに陛下は貴女様の国を侵略された。何を思って急な出兵を決められたのかは、私どもも存じ上げません。
 こちらが予想していたより戦いにおいて双方遥かに少ない被害で済んだのも、クルースの布陣が変わっていたというだけのたまたまの幸運でしょう。
 ですが、それを差し引いても陛下は無益な殺戮を避けられていた。それもまた本当のことなのです。
 もし、ほんの少しでもご理解下さるのなら、どうかご協力いただけないでしょうか。貴女様の残る民の為に……」
男の話をどこか遠くからの声のように聞きながら、束の間、彼女は目を閉じる。
瞳の裏にありえない風景が思い浮かんだ。
ウォルザでも、クルースでもないどこか遠い国で、セデウスと二人で暮らしている風景。
たわいもないことで笑い、怒り、隣り合いながら日々を過ごす夢。
裕福ではないが花に囲まれた温かい生活を、彼女はほんのいっとき思い描いた。
単なる空想だ。
そしてだからこそ罪深く、物悲しい。アウラティカは二十年に満たない己の人生を振り返る。
「…………ペンと紙を貸して頂戴」
「王妃様!」
文官は喜色を浮かべると持っていた書類の中から慌てて用意していた書簡用の紙を取り出した。自分のペンと合わせて差し出す。
アウラティカはそれら受け取ると、文面を考えながらささやかな疑問を口にした。
「……セデウスは、戦陣に立ったの?」
「はい。自ら剣をお取りになりました」
「それであの怪我を?」
「怪我? 怪我などされておりませんが……。陛下は武芸にも秀でた方でいらっしゃいますので」
セデウスが強いというのは本当のことだろう。彼は、クルースでも腕の立つ騎士だったクードを容易く打ち破ったのだ。
その時の記憶を思い出してまた沈みかけたアウラティカは、手紙を書くために意識を別の方へ向けようと質問を重ねた。
「でも、胸に剣の傷があったわ。結構大きい……新しいものだったみたいだけれど」
「剣傷? そんなものは存じ上げませんが」
言いながら文官がわずかに顔を赤らめたのは、それが妻である彼女しか通常目にしない場所だったということの為だろう。
彼はしばし視線を彷徨わせて―――― ふと、思い出したのか口を開いた。
「そういえば……ご即位前にご病気で数日、臥されたことがおありです。
 あの時は前の王……陛下の弟君もちょうどご病気で亡くなられた頃で、陛下にも万が一のことがあるのではないかと不謹慎ながらも皆が心配しておりました」
「―――― そう」
アウラティカは表面上は関心がないように装いながら、内心首を傾げる。
即位の少し前、ということは軽く三ヶ月ほど前だ。確かにあの傷の様子を考えればその時期に怪我をしたとして丁度よい。
第一あれだけの傷なら、臣下に悟られず普通に過ごすことは難しいだろう。 最低でも数日は安静にする必要があったはずだ。
アウラティカは書簡を書き上げ、三度文面を読み直すとそれを男に渡す。
男はまるで宝石でも下賜されたかのように手紙を押し抱いて、彼女に向かって頭を下げた。
急いて仕方ない気を抑えようと努力しながら部屋を退出する文官を見送って、アウラティカは自らの物思いに耽る。
急な前王の死とセデウスの即位。
病に臥せっていたのだというセデウスに本当はその時何が起きたのか。
疑惑の芽が、ゆっくりと彼女の中で育ちつつあった。