アウラティカ 13

禁転載

「西の方では大きな国がまた一つ、滅んだそうですよ」
絶えず入ってくる戦争の話。それさえもが代わり映えのしない日常の一部に思われてアウラティカは苦笑した。
きっと滅びたとうの国は今頃混乱の只中にあるだろう。血と炎が都を彩っているかもしれない。
数ヶ月前には自分も味わった国の最期。
けれど、それも大陸全土で見ればありふれた話なのだ。今もきっとどこかで国を追われた王族が復讐を誓っている。
アウラティカは無常感に囚われて、ふと部屋の中視線を泳がせた。
「いつまで続くのかしらね。こんな時代が……」
「さぁ、どうでしょう。戦っても仕方がないと皆が思うまで、なのかもしれませんね」
開けられた窓から緩やかな風が吹き込む。
風はアウラティカの金砂の髪と、窓際に置かれていた白い花をくすぐり、揺らしていった。

セデウスに抱いた疑惑。
それは彼が城に戻ってから二週間経っても、確かめられないままであった。
アウラティカはいっそ本人に直接探りを入れてみようかとも思ったのだが、渾然としない感情のゆえかどうしても出来ないでいる。
また、もし疑惑が真実だとしても、それが何になるのかという気も確かにするのだ。
既に彼はアウラティカの祖国を滅ぼしている。そのことで非難には充分足りているだろう。
この上彼が簒奪者だったとしても彼女にしてみればあまり変わりがない。
それともサウマと組んで彼の王位の不当性を明るみにし、排斥でも狙うべきなのだろうか。
王妃の身分を失うことに抵抗はない。
ただ彼女はまだ選びかねて、足踏みをしている。
自分とセデウスはどういう終わりを迎えるのか。
アウラティカの中でそれは、そう遠くには感じられない、けれど白紙のままの終焉だったのである。

寝台の中で言葉が交わされることは少ない。
はじめの一週間こそ苦痛を紛らわす為に彼女は夫をよく罵ったが、今はただ沈黙し目を閉じているだけだ。
体などどうでもいいから意識を手放してしまいたい、自分一人眠ってしまいたいと思うこともよくあったが、それはアウラティカに出来ることではなかった。
ただ彼が囁く声で自分の名を呼ぶ度、まるで胸が焼けたかのように熱くなる。
深奥に宿る熱は彼女の体に火を灯し、目頭を温めるが、セデウスの前では、そして彼の手が触れている時には決して涙を流すまいと彼女は決めていた。
―――― それは、雲の多い夜のことである。
アウラティカは夜中にふっと目が覚めた。
何の夢も見ていない。まるで自然に眠りから起き上がったのだ。
彼女は自分を腕の中に抱く男からすり抜け、寝台の上に座る。
白い裸身に布を巻きつけて隠すとよく眠っている男の胸に手を伸ばした。
斜めにつけられた長い剣傷。ずっと気になっていたそれを指でそっと撫でてみる。
部屋が薄暗いせいか、視覚よりも感触が如実に傷の存在を主張してきた。
アウラティカは傷の上、端まで辿りついた指を、もう一度なぞって往復させる。
「気になるのか?」
不意なる声にアウラティカはぎょっと手を引きかけた。
だが、いつの間に目を覚ましていたのか、セデウスは彼女の指を逃がさないようしっかりと握っている。
大きな男の手は彼女がいくら力を込めてもびくともしなかった。
「は、放して」
男は妻の要求には応えず、掴んだままの彼女の指を自分の口元に引き寄せると、軽く口付ける。
指先に触れる熱にアウラティカが細い体を震わせた時、彼はようやくその手を放した。
「貴女は傷など見た事がないから気になるのだろう」
「そんなことは……ないわ。少しくらいは見た事がある」
「庭で膝を噴水にぶつけて擦りむいたりとかか?」
「あれはあなたが蛇がいると脅かしたから……っ!」
少女の如き非難の声を上げかけて、アウラティカはまるで昔に戻ってしまったような自分の態度に気づいた。慌てて口を手で覆う。
恐る恐るセデウスを見下ろすと、彼はじっと彼女の目を見つめていた。
だが本当に見ているものは金の瞳を越えた遥か遠くなのかもしれない。
そこにいるのははたして自分なのだろうか。アウラティカは熱い息を飲み込んだ。
「一応本当だったのだがな。貴女を庇おうと思ったのに結局怪我をさせてしまって、とても後悔した」
「……あんなのすぐに治ったわ」
男の穏やかな声は、まるで数年前に戻ったかのような幻想を彼女にちらつかせる。
そして本当にそうだったらどんなに幸福だろうとアウラティカは頭の片隅で考えていた。
けれどそれはどう足掻いても現実にはなりえない。
彼も、そして彼女自身もここに至るまでに多くのものを捨ててきてしまったのだ。
虚脱していた半分、アウラティカはさりげなく聞きたかったことを問う。
「その傷、どこで負ったの」
「先だっての戦争でだ」
「嘘。戦争であなたに怪我はなかったと聞いたわ」
間髪おかず切り替えすと、彼は沈黙した。
生まれた空白が、急激に部屋を冷やしていくような気さえする。
先ほど微かに抱いた温かな幻想が余韻も残さず掻き消えた。
アウラティカは息を止め、セデウスを見つめる。僅かな欺瞞も見逃さないようにと注視した。
「誰にそのようなことを聞いた?」
「あなたが、怪我をしたのは前王が病気に倒れた時なのでしょう? あの時あなたも数日臥せったと聞いたわ。
 本当は病気ではなくて―――― 誰かに斬られたから臥せった、のではなくて?」
「なるほど。面白い」
「はぐらかさないで! 本当はその時何があったの? あなたは ―――― 」
弟を殺したの? と続く言葉を彼女は口にできなかった。
ただ言葉を切って、彼を見下ろす。
否定が欲しいのか肯定が欲しいのか…………ただ真実を知りたいと思った。
それが彼を変えてしまったのではないかと、アウラティカは心のどこかでうっすら疑っていたのだ。

セデウスの表情には、動揺も怒りも見られなかった。
彼は長い腕を伸ばすと、硬直したままのアウラティカの髪を掬い取る。
愛しむようにゆっくりと指を滑らせ、その手を彼女の顎にかけた。
教師が巣立っていく生徒に向けるように、親が子に見せるように、ほろ苦く微笑む。
「貴女は昔から好奇心が強かった。何でもやりたがって仕方なかった」
「今、そんな話はしていないわ」
「あの庭で新しいことを発見しては、嬉々として私に教えてくれた」
「セデウス、やめて」
「貴女はいつまでも可憐な花のようで、繋ぐ手は温かく、微笑みは無垢で、共にいると安らいだ」
「教えなさい! セデウス!」
鋭く打ち据える声。
その声に責められたのはまるで自分ではないかと思うくらい、アウラティカは動転して、息を荒くしていた。
昔のことなど聞きたくはない。
それは今の自分たちが口にしてはいけないことだ。
あの頃の思い出。お互いがどれ程大切で、幸せだったか。
宝石よりも花よりも愛しいあの王国の日々を、彼らはもう言葉にすることも許されない。
滅ぼした国の王と滅ぼされた国の女王。
二人が同じ幸福を分け合うことは、とうに出来ないことなのだ。

アウラティカは両手を寝台につく。そうして仰臥したままの彼の顔を間近に見つめた。
今の彼は、彼女の記憶の中、最後に庭園で分かれた時よりもずっと精悍な男の顔をしている。
だが時折見える―――― 昔と同じ表情を彼女はどうしても無視できないでいた。
庭園からどうやってここまであの花を持ってきてくれたのか。
鉢が割れないように、花が枯れないように気を配るのは面倒だったろうにと思うと何も言えなくなる。
二人をこの今へと導いたのは何なのだろう……。
アウラティカは揺らめく感傷に突き動かされ、囁いた。
「教えて…………。何が、あなたを変えてしまったの?」
―――― もし、答が得られても。
セデウスを許すことは決してできないだろう。
それは最早どれ程望んでも変えられないことだ。
愛情と憎悪は決して相殺しあうものではない。
殺したい程に憎みながら……相手を愛することもできると、アウラティカは既に分かっていた。
―――― それなら自分は、彼を愛したいのだろうか。
かつてのようには無理だ。もうそれは全て壊れてしまった。
だから、憎しみと共に、己を焼くまでの感情で彼に触れていたいのか。
アウラティカの長い睫毛が震える。
セデウスはしばらく彼女を見つめていたが、ふっと息を吐くと自嘲ぎみに笑った。
「変わってなどいない。私は昔からこういう人間だったのだ」
唐突に強く肩を引かれる。彼女の視界が回転する。
何があったのか分からず暴れるアウラティカの手に、男の体が触れた。
彼女はそれを反射的に払いのけようとするが、セデウスの腕も胸もびくともしない。
逆転した上下の上で彼は彼女の両手を寝台に押し付けながら……もはや少しも笑っていない、射抜くような眼差しで彼女を見下ろしていた。
「昔からだ、アウラティカ。貴女はきっと知らなかったのだろう。ほんの少女の貴女には綺麗なものしか見えていなかったのだから。
 だが ―――― 私にとっては貴女が全てだった。昔も今も他のことはどうでもいい。国も何も貴女以外は価値がないのだ」

男の言葉に気圧され恐怖を感じながら、けれどアウラティカはどうしても彼から目を離すことができなかった。
言われることが信じられない。理解出来ないほどの激しさがそこにはある。
彼女もまたセデウスを確かに愛していた。彼との将来を心待ちにしていたのだ。
だが、彼が彼女に抱いていたものはもっと強く……そして周囲を焼き尽くすことをも厭わぬ激情だったというのか。
「貴女が待っていると思うからこそ、王族で居続けた。重圧にも苦痛にも耐えてきた。
 にもかかわらずこの国が、そしてクルースが、私から貴女を遠ざけたのだ。
 だから滅ぼした。それだけのことだ。
 私は何も変わっていない。変わったというのなら……貴女が女王になったことと、私が王になったことだけだ」

正気と狂気の境目は何処に横たわっているのだろう。
アウラティカは間違いなく、目の前にいるこの男に恐怖しながらも、いつかのように「狂っている」と批判することがどうしてもできなかった。
王族の役目は重い。
今では彼女もそのことを知っている。
セデウスと別れ一人になってから痛いほどその重さを身に染みてきたのだ。
誰にも言えず重責に苦しむ彼女を支えたのは、民への義務感と過去の思い出の温かさである。
それでも ―――― それでも時にままならぬ自分の境遇に憤り、緊張からくる辛さに吐いたこともあった。
何故自分は王族なのかと誰へともなしに恨んだ。
自分のようなただの小娘にこの国の全てを支えられるはずがないとも。
広い寝台の中為すべきことの多さに震えた夜もあった。
家族の誰もがいなくなった食卓に座る度に鈍痛が精神をよぎった。
彼女にとってはたった二年。
けれど彼にとっては……それはいつから始まっていたのだろう。
小さな共感が、今の彼女の胸には宿っている。
それはセデウスを非難する言葉と溶け合って交じり合い、胸中に渾然たる泉をもたらした。
おそらく、全てを飲み込み受け入れ、彼を肯定すれば。
そうすれば自分だけは楽になるだろう。残り数十年を彼への穏やかな愛情と共に過ごせるかもしれない。
だがアウラティカには、それだけは決してしてはならないことだということも、また分かっていた。
そんなことをしても誰も幸福になれない。救われない。
彼に翻弄される民は言うに及ばず、歪みを正されない彼自身も、そして彼の為に自らの心に叛くアウラティカも、皆が苦しまなければならないだろう。

どちらにせよ痛みを味わうのなら、せめて民は守るべきだ。
彼女は恐れを自らの内心で捻じ伏せると、彼を見つめ返した。
「誰かがやらなければならないことよ。たとえ私心を殺してでも。
 わたしたちは王族として生まれた。民の為にその義務を果たさねばならないわ」
今のセデウスに義務を主張することは、彼を苛むと同義なのかもしれない。
けれどそれは、目を背けてはいけないことだ。
望むと望まないとにかかわらず、義務を負うことと引き換えの恩恵を、彼らは既に受けてきたのだから。
しかしセデウスは、予想していたことではあるが、まったく彼女の言葉に感銘を受けたようには見えなかった。
ますます冷えた鋭い眼で組み敷いたままの王妃を見据える。
「アウラティカ。本当に民を尊重したいと言うのなら、王が必要だというその意識こそ傲慢とは思わないか?
 大陸に記された歴史の中で世の愚王がどれだけ自国の民を圧し、苦しませてきたというのだ。
 一人の人間が多くの人間を守るなどただの理想で欺瞞だ。しかも生まれによってそれを決定づけるなどとはな。
 民の為というのなら民に力を与え、民自ら国を動かさせた方が余程よいのではないか?」
「そんなことは……」
不可能だ、と言いかけてアウラティカは口をつぐんだ。
彼女の知る限り、国が王によって統治されていなかったのは古代の少数の国のみだ。
そしてそれら国のどれもが今、滅んでどこにも残っていない。すなわちこの事実は王制こそ国を保つ為に適した制度ということではないのだろうか。
ただ―――― セデウスはいつも彼女の見えないことが見えていた。彼女の知らないことを知っていた。
同じことを学んだとしても彼は常により遠くが見えている。
だからこそ、今の言には単なる己の運命への恨み言以上のものが含まれているのかもしれなかった。

セデウスは黙って彼女に顔を寄せた。
金の瞳、瞼の上に口付ける。
普段狂おしいほどに熱く感じるはずの触れられた箇所は、今は血が引いたかのように冷たかった。アウラティカの背筋を身震いが走る。
「国は私に欲しくないものを押し付け、欲しいものを奪っていった。
 だがもう充分だ。待ち過ぎるほど待った。
 アウラティカ。貴女が手に入るのなら国などどうでもいい」
それは熱情の言葉であり、決別の言葉だ。
彼女の思いを拒絶し、彼女を愛する残酷な宣告だ。
アウラティカは唇を噛む。
きっと自分は一生泣けないのだと、そう思った。
「ならばあなたは、王ではないわ」
「そう。そして貴女は女王だ」
見つめあう夫婦の、どちらがどれだけ相手を愛していて、どちらがどれだけ憎んでいるのかは誰にも分からない。
ただ分かち合えない悲しみだけが彼らの視界の中、世界をどこまでも染め上げていく。
セデウスは目を閉じた。黙って首を横に振る。
何かを振り払うが如く息を吐くと、彼は妃の首筋に唇を触れさせた。
「義務を謳うなら貴女も義務を果たせばいい。
 私の子を産み、私への不信を植え付け、次の玉座に据えれば復讐も叶うだろう」
「あなたはわたしの復讐の仕方まで支配しようというの? 子供まで巻き込もうなどとは傲慢に過ぎるわ。
 復讐されるのはあなただけでいい。そして罰を受けるのはわたし。
 他の誰一人、関係のないことよ」
毅然とした女王の言葉にセデウスは刹那、息を詰めた。冷たく閉ざされていた瞳の奥に何かが揺れる。
かつて二人の庭園には誰も入ることが許されなかった。
そして今、矢張りこの喜劇にも彼ら二人以外の誰一人、入ってくることは出来ないのだ。
王国はなおも彼らの周囲を取り囲んでいる。もはや二人を守らない、苛むだけの王国が。
感情に引き摺られ飲まれそうになりながら、彼らは孤独を抱え体を重ねる。
その間を埋め得るものは、とうに失われた過去の破片のみであったのだ。



先代王の毒見役は三人いたのだが、市井に下ったという彼らの全員が今は城都にいないらしい、というのがマトラの調べ物の結果だった。
アウラティカは少なからずその報告に心冷えるものを感じる。
いないというのがただ住居を移したということだけであればよいが、そうでないのなら疑惑は濃くなるだけだ。
その日図書室の奥で歴史書に目を通していた彼女は、無意識のうちに深く溜息をつく。
「どうかしたか、王妃よ」
突然の声は囁くように肩口に吹きかけられた。
アウラティカはあまりのことに飛び上がる。ぶつかった椅子が床に倒れそうになるのを後ろにいた男がすんでのところで支えた。
「サ、サウマ殿下……っ! わたしを驚かせようと……」
「シッ! 図書館だから静かに話しかけるのは当然だろう」
言われてみればその通りだ。危うく椅子を倒してもっと大きな音を立てるところだった。
アウラティカは冷静になると自らの非礼を詫びる。
だがサウマは大して気にした様子でもなく、にやりと笑っただけだった。
「何を読んでいるんだ? 古代の政治についての歴史書? また埃を被ってそうなものを読んでいるな」
「す、少し興味があって」
「まぁいい。それより兄上はどうだった? 王妃の疑問は解消されたか?」
サウマの問いは口調とは逆に、からかいだけではない真剣さを幾許か含んでいるようだった。アウラティカは眉を寄せる。
「何も……。聞いてもセデウスは答えてくれないわ」
「兄上は奥方にも秘密主義なのか。困ったものだ。
 では、いいものを義姉上にはお渡ししよう」
そう言って彼は上着の内側を探る。手の平に収まるくらいの小さな瓶をそこから取り出した。彼女に向かって差し出してくる。
「何かしら」
「自白の魔法薬だ。飲み物にでも混ぜて飲ませれば、質問に正直に答えてくれるようになる」
「魔法薬ですって!?」
「声が大きい」
アウラティカは口を両手で押さえる。またここがどこであるか忘れてしまっていた。
けれどそれを忘れさせてしまうくらいサウマの発言は威力のあるものだったのだ。
かつて彼女もダセルカの使者を自白させる為に魔法士と魔法薬の使用を許可した。
だが本来それらは無闇に宮廷に引き入れるべきではない、忌まれる異能の技なのだ。
魔法は常人には分からぬ力で、容易く人を操り死に至らしめる。
生まれながら魔力を持つ者はその為裏町に追いやられ、ひっそりと一生を終えるのが通例だ。
どういう伝手で王弟であるサウマがそんなものを持っているのか、アウラティカは差し出された瓶を訝しんだ。
「そう用心しなくていい。実は俺の女が、俺が浮気をしていないかどうか疑ったらしい。
 こっそり飲み物に入れられて……とにかくえらい目にあった。まぁその分効果の程は実証済みだ。体に害がないということもな」
自分の顔を指差して舌を出してみせる男に、アウラティカはつい吹き出してしまう。 本当に彼は「大変だった」というような顔をしていたからだ。
サウマは彼女が口を押さえて笑っているのを見て肩を竦める。悪童のような仕草は、アウラティカの張っていた気をほぐしてくれるものだった。
こんな風にウォルザの人間と対等に、くだけた会話をしたことはない。
クルースへの書簡の件が広まったのか、城は彼女に否定的な人間ばかりではなくなりつつあったが、それでもほぼ全ての人間にとって彼女は目上の王妃であるのだ。
だが王族であるサウマは彼女の身分にまったくの敬意を払わず話しかけてくれる。それだけのことがアウラティカには妙に嬉しかった。
もしウォルザの申し出通りこの人と結婚していたらどうなっていたのか、少しだけ考えてしまう。
それでもセデウスは彼女を手に入れる為やってきたのだろうか。

「というわけで、持って行ってくれ。俺が持っていてまた女に取られでもしたら困る」
「分かったわ。でも、使わないかもしれないけれど」
「浮気を疑った時にでも使えばいいさ」
サウマは瓶を押し付けるように彼女に握らせると去っていった。
本を借り出し自室に戻ったアウラティカは、秘密の薬の置き場所を探して悩む。
目のつくところに置けばセデウスに見つかるであろうし、迂闊なところに隠しておいて掃除の女官にでも見られたら困る。
化粧瓶に詰め替えようかとも思ったが、間違えて使ってしまったら怖いのでやめておいた。
結局彼女は窓際に置かれた鉢植えの、花一輪には大きすぎる土の隅にその小瓶を埋めた。
王妃だけの秘密の薬はこの時はまだ、使い道も定められず部屋の片隅で眠りを与えられるだけだったのである。