アウラティカ 22

禁転載

アウラティカはクルースの陣をかきわけて前へと出てきたエトルスの姿を認める。
彼は女王の負った怪我に驚き、馬ごと駆け寄ろうとしたが、アウラティカはそれを手で遮った。
まるで自分は先ほどのセデウスみたいだと思うと、内心少しおかしくなる。
だがアウラティカは少女のように笑い出したい気分を押し込み、穏やかな目でエトルスに問うた。
「お久しぶりですね。エトルス」
「女王陛下、この度は……」
「私が尋ねたいことは唯一つです。何故、和平の中もう一度兵を挙げたのです?」
半ば予想していた問いにエトルスは身を竦ませた。
彼自身何かがおかしいと思い始めているのだ。だが、あの時はまるで確かに全ての諸侯が熱に浮かされているかのような調子で出兵を支持した。
その決断を女王を前にして覆い隠せるものではないだろう。エトルスは深く頭を下げる。
「ウォルザの大臣より密書が届きました。ディセア様を死に至らしめたのは実はウォルザなのだと、耳飾と共に……」
「それは偽りです。ダセルカが己の罪をウォルザに着せようと画策したのです」
誰のものともつかぬ嘆息が零れた。
聡い者は今のやり取りで事態のほぼ全てを見抜いたのだろう。
この場にいない国によって引き起こされた争いに苦渋の呻きが洩れる。
戦の狂乱が大きかった分、真実がもたらした沈痛は徐々に彼らの精神を絡み取り、重苦しさがその場に満ち溢れた。
彼ら全ての中心に立つアウラティカは、怪我の痛みを全く感じていないような静かな貌で操られた兵たちを見つめる。
重きを当然のものとして負う彼女の姿は、血臭の中にあって異質な程、静謐な美しさを纏っていた。

「聞きなさい。クルースの民、私の民よ。
 あなたたちが私の兄や姉の為に憤り、復讐をなそうというのなら、それは無用なことです。
 私は彼らが死んだ事がとても哀しい。でもその為に更なる流血は不要なのです。
 王族とは生まれた時から民を守り、民に仕える為に育てられた一族なのですから」
主と従を逆転させる女王の言。
しかしそれは紛れもなく一つの真実であったろう。
彼女はそうして育てられた。その為に今まで生きてきたのだ。
動揺を窺わせるクルースの兵たちにアウラティカは微笑んでみせる。
「王は民あっての王。
 ですからもし私を殺すことで、あなたたちが燻る不満を晴らしたいというのなら、それもいいでしょう。
 私も一度は復讐に狂い、過ちの為に国を滅ぼしてしまったのですから。その罪過を贖わなくてはなりません。
 私は甘んじて受けるでしょう。自らの死も、そしてクルースを滅ぼした夫の死も。
 ―― またもし、あなたたちがこれからの時代を、容易に過つ一人の人間……王の判断によってではなく、自らの力で渡って行きたいと思うのなら。
 その時も私は自らの死を厭いません。私の命は初めから、あなたたちのものであるのです」
静まり返る戦場。
それは全ての終わりのようでも、何かの始まりのようでもあった。
止まりかけた時の中、ただ一人、アウラティカだけが幕の前に立っている。
あまりにもか細く気高い女王だけが。
「王はその欲によって、愚かによって、無能によって、多くの民の行く末を左右するべきではありません。
 ましてやその行いを正当化することなどあってはならない……。
 民よ。この時代をもし少しでもあなたたちが忌んでいるのなら、私はその思いを受け入れて消え去りましょう。血を以って己の罪を購いましょう」
彼女は言葉を切る。
少しだけ振り返ってウォルザ軍の遥か後方を見つめた。
セデウスがいるであろうその方角を。
「―――― ですが、責を負うべきは私と夫、ただ二人だけです。あなたたちが血を流す必要は少しもない。
 ただ私たちだけが、この王国の終わりを示す為、最後に血を流す人間たちです。
 望むのならどうぞ矢をつがえなさい。剣をお取りなさい。
 あなたたちが選ぶ時代が私の屍の先にあるというのなら、私は喜んで死にましょう。
 それが…………夫セデウスの意でもあります」
彼は、多分にかなり前から王制そのものについて批判的な考えを持っていたのだろう。
自分が王族として生まれたがゆえに不自由を強いられたというそれだけの為ではなく、今の時代が王族たちの気まぐれによってあまりにも左右されすぎているという事実の為に。
現在大陸で起こっている戦乱のいくつもが、王族たちの政治的な、感情的な判断によって決定されたものだ。
そして、生まれた時から戦乱の中にあり、人の命を使う ことを当然として育った彼らのほとんどが戦に対し抵抗感を持たない。
この忌まわしき現状にセデウスはずっと不満を覚えていたのだろう。
だが彼は王制の廃止を明確な改革として実行に移すことはできなかった。
おそらくは、制度を変えることで他国から警戒され、自国に攻め込まれることを恐れるが為に。
けれど―――― アウラティカは思う。
これが最後になるやもしれぬならば、彼の思いを、自分の願いを、人の中に撒いていきたい。
今すぐには何もかもが変えられなくとも、疑問を持って欲しい。希望を持って欲しい。
どんな血に濡れた時代でも望めばいつかは別の方向へ動き出すのだと、いつかは平穏が当たり前の時代になるのだと。
せめてそれくらいのささやかな期待は残していきたかったのだ。



アウラティカは微笑んで目を閉じる。
たとえ離れた場所にいようとも、死ぬ時は彼と時を同じくしよう。
生の上に築かれる幸福でなくて構わない。愚かと嘲笑われることも気にならない。
全てを抱え込んで、彼女は彼女として、彼と運命を共にするのだ。



風が吹いて行く。
血の臭いを和らげるように。けれど決して消えない死を包み込んで。
草がさやさやと揺れる。遠くで鳥が鳴く。
いつしか戦場は―――― 溜息一つも聞こえない静穏に、満たされていた。
アウラティカは目を開く。
長い睫毛の下、広がる視界。
果てしないその景色。
そこに居合わせた兵たちは…………皆が真摯な目で、じっと彼女を見つめていた。
女王としてだけではなく、一人の人間として。
時代の在り方を悲しみ、不自由さを分かち合う魂として。
言葉よりも伝わる思いが、彼ら一人一人の目の中に溢れている。

人は戦いを望む生き物だと、厭世のさなか皆が思い知る。
だが確かに別の望みが、本能を越えることも出来るのだ。
喪失を悼む悲しみが、虚脱の中平穏を求め次へと繋がる。
人の世の中、戦乱の中、連鎖していくものは、決して憎悪だけではないはずなのだ。

アウラティカは体いっぱいに風を吸い込むと、深く頭を下げる。
自分とセデウスを王と仰ぎ、今までついてきてくれた人々に向って。
「ありがとう……」
それは、一つの戦いの終わりを告げる呟きで―――― 別の戦いの幕開けとなる、言葉だった。