天に聳ゆ 020

禁転載

「言送陣って何ですか?」
宿屋に戻った雫は、若干疲れているらしいエリクに尋ねた。
結局今日一日では修理は終わらなかったのだ。彼は休憩を入れながら三時間かけて魔法具を調整し、あとは「頭が痛くなってきたからまた明日」となった。
どの道昼過ぎに村を出ては真夜中にならなければ次の町には着けないのだし、それを避けるためには出発日を延ばさねばならない。
余分な宿代は修理を依頼したオルヤという女が持ってくれるということで、二人はもう一泊することに決めたのだ。
「言送陣ってのは基本的に対で使われるものだ。離れた場所にそれぞれ置いて、中に入ると他の言送陣に声を繋いでくれる。
 通信魔法が使えない魔法士が使うというか……基本的には城や役場とか、多数の人間がいて遠距離と連絡を頻繁に取る必要がある施設で使われるね。
 普通、平民の家であれを置いてるところはそうはないよ」
「あー、電話みたいなものかぁ。こっちはみんな個人で持ってますよ。あのシャシン取るやつがそう」
「本当に? すごいな、あの大きさだし。ここでも使える?」
「無理です。アンテナないですから」
おまけに電話の相手もいない。今の雫の携帯電話はその名称にもなった機能を微塵も使えないのだ。
雫はバッグにしまったきりの携帯と、そのメモリに番号がある人々の顔を一瞬思い浮かべた。まるでもう何年もあっていないような懐かしさが胸を灼く。
だがその感情はそれとしてそっとしまいこむと、彼女は「この世界」の通信について考えを巡らせ始めた。
知り合いであり、なおかつそれなりの魔法士同士であれば、身一つでも通信が出来るというのは実に魅力的だ。
携帯と違って写真は送れないが充電は不要である。
だが、代わりに魔法士でないと家に電話のようなものを置くことさえままならないというのはかなりの不便に思えた。
これでは携帯のように各個人が遠隔通信ツールを持つなど、先の先の話かもしれない。
第一雫の世界でもこれ程までに携帯が普及したのはここ数年のことなのだ。
雫は、寝てはいないのだが目を閉じたまま椅子の背もたれに寄りかかっている男に、そう思ったことを話した。彼は口元だけで苦笑する。
「生活に即した効果を持った魔法具が流通するようになったのは、ここ二百年ほどのことだ。
 それだって国や城、貴族や豪商などの富裕層にだけ手に入るようなもので、平民でも買えるものとなると本当に少ない。
 魔法技術は徐々に進歩してるけど、それは平民には還元されないんだ。だから、それこそ暗黒時代から文明全体は大して代わり映えがない」
「魔法具を作るのが大変で、大量に生産できないとか?」
「それもある。まずね、普通魔法ってのは術者がその場にいないと駄目なんだ。
 けど、魔法具とか陣とかは紋様を物に焼き付けることで、術者の手を離れても効果を持ちうるようにしてある。
 で、強力な魔法士なら魔力だけで焼き付かせることが出来るんだけど、そういう人間は少ないから昔は魔法具なんて城に所蔵されてるものくらいだったよ」
「うわぁ。貴重品だったんですね」
雫は自分が嵌めている指輪を見やる。複雑な模様はどうやら魔法的な意味があるらしい。
だがこれも、そして他にエリクが持っているものもあまり大きな効力はないし、ある程度使えば魔力を失ってただの道具になってしまうのだという。
ただそうではない強力な魔法具も大陸には山ほどあると雫は聞いた事があり、おそらくは城に所蔵されているようなものもそうなのだろう。
男の涼やかな声が説明を続ける。
「ただ三百年前にガンドナでちょっとした構成が作られた。
 それは魔法で作ったのではない紋様や形と魔法の構成を連結させる為のものでね。
 それによって紋様部分は職人に、魔法構成は魔法士にって分担が可能になったんだ。で、一気に色んな魔法具が作られた」
「それで普通の人でも買えるようになったんですか?」
雫の質問に、しかしエリクは首を振った。
「いや。まず作られたのは魔法兵器の類だった。各国は城の魔法士を総動員して魔法具で軍備を増強し……結構大きな戦争がいくつも起こった。
 それまでの国のほとんどが十年あまりの戦乱の間に入れ替わったよ。一時は暗黒時代の再来とまで言われたほどだ。
 生活用品と言える魔法具が作られだしたのはようやくその後からで、まだ歴史が浅いせいか平民には高価だね。
 日用品って兵器と違って、大きな威力よりも安定してて細かく調整できるものが求められて難しいし……。
 そもそも城に仕える女官とかの為に開発されたものだから、材料からして魔法と馴染みやすい貴重なものを使ってるんだ」
「なるほど」
何だか社会科の授業を受けているような気分だ。雫はついノートを取りたくなって、バッグを開けるべきか迷う。
つまり、元の世界の機械技術がこちらでは魔法技術に相当するということだろう。
そしてそれは、機械技術の発展と比べれば、まだ途上の過程を辿っているように思えた。
「色々あるんですね。これからの技術の進歩に期待ってとこですか」
「どうだろ。日用品の研究をしてる魔法士は多くはないと思う」
「え。何でですか。需要があるのに行き届いてないんだから、儲けどころじゃないですか」
雫の素朴な疑問にエリクは素朴な回答で答える。
「魔法士は自分の魔法があるからそういう魔法具は要らない。
 なおかつ、あまり便利な魔法具が安価で流通し始めると魔法士の存在意義が薄くなる。
 最後に、研究開発に才のある魔法士は大抵城に所属してるから、まず軍備や国の保全の仕事を優先して―― 日用品の研究なんかには携わらない。
 こういうわけで平民の生活はほとんど代わり映えがしないんだ。……あまり面白い話じゃないね」
「あー……納得しました」
要するに魔法士は技能的な特権階級なのだろう。そして強力な魔法士ほど上流の人間の為に働き、平民にはその力が届かない。
魔法士たちは自身の特権を維持したいだろうし、それは結果的に魔法士を擁せるところと擁せないところで格差を生む。
エリクが今のこういった状態をよく思っていないことは不機嫌そうな声音からもありありと伝わってきた。
彼は目の上に手を置くと眉間をほぐす。疲れているのだろう、彼には珍しい仕草だった。
「だから、平民にまで魔法具が浸透しているファルサスは特殊だ。
 けどファルサスがそうなのは単に平民にも魔法を使える人間が多いからってのもあるだろうな。
 今はあの国でも魔力を持たない人間でも使えるような日用品の研究は、需要がないのかほとんど進められていないようだし、
 魔法大国という特殊な地位を守りたいのか、あまり魔法具を輸出したがっていないから……他国の民の生活まで変わるのはずっと先になるだろうね」
この世界にも色々あるのだ。雫は黙って頷いた。
彼女はふと思いついて部屋にあった水差しから水を円器に注いで布を浸すと、よく絞ってエリクの額に乗せる。
彼は少し驚いたようだったが礼を言って手をその上に乗せた。
おそらく誰もが幸福で富んだ世界などないのだろう。人が人の本質を持ち続ける限り。
雫には何となくそれが分かっている。彼女の世界も似た煩悶に足掻き続けてきたのだから。
魔法は便利で、本当に夢のようで、感心することしきりだ。
けれどそれは確かに人の技能の一つであり……しかも魔力を持てるかどうかは生まれた時に決定され、努力ではどうしようもないのだ。
その事実が生み出すひずみを、この世界はどう消化していくのか。
ぼんやりと思いを馳せた雫はふと旅の連れの魔法士を見て―――― もし魔力が持てるか否かを自分の意思で選べたとしたら、彼はどちらを選んだのだろう、と埒もない空想を抱いたのだった。

オルヤが「他の人間には近づくこともできない」と言った通り、確かに塔の周辺は高い生垣が築かれており、 塔の下がどうなっているかは見ることもできなかった。 雫はどこか切れ目がないかと生垣に沿って一周してきたが、一箇所鉄の扉があっただけであとは彼女の背より遥かに高い、尖った葉の植木が茂っているだけである。
扉は私有地ということもあり確認しなかったが、鍵でもかかっているに違いない。彼女はもう一度塔を見上げた。
エリクは今はオルヤの家に行っている。
今年五十歳になるという彼女は実に世間話が好きで、おそらく雫がエリクについていっても嫌な顔はしないだろう。
しかし率直に賛同することがためらわれる、棘のある会話が混じってくることもあり、雫は抵抗を感じてもいた。
エリクはそれを敏感に察したらしく、「何かあったらメアを呼べばいい」と言って彼女が村を出ないことを条件に、一人でオルヤの家に向ったのだ。
雫は最初の二時間は本を読み、レポートの為のメモを作っていたが、どうしても気になって今は息抜きがてら塔を見に来ている。
塔は、おかしなことに最上階と思しき高さのところに一箇所、人の頭より少し大きいくらいの窓があるだけで、他には灰色の石壁が続いているだけだった。
まるで本当に塔というより煙突だ。ここが産所とは何か特別な理由でもあるのだろうか。
昨日オルヤが「呪われた家の塔」などと言っていたのを思い出し、雫は思わず身震いする。
人の死後に魂は残らないということはまた、幽霊は存在しないということをも意味しているのだろうが、それでも呪いとはいい思いはしなかった。
一通り好奇心も満たし、なおかつ怖くなったことだし宿屋に戻ることにする。
塔を背に歩き出し、数十歩行ったところで雫は木の軋む音に視線を右に転じた。
近くにある家の扉が開かれている。ちょうど中から老いた男が出てきたところだった。彼は雫と目が合うと少し驚いた後に笑う。
「嬢ちゃん、よその町からお使いかい?」
「……いえ、城都に向って旅をしてます」
できるだけ大人っぽく聞こえるよう、かしこまった声音で雫は答えた。
しかし老人は「そうかそうか。大変だねぇ」と言っただけで、何だか分かってくれたようには思えない。
もう精神衛生的にもこの辺は諦めた方がよさそうだ。雫は「一人じゃないので、平気です」と普通に返す。
「塔を見てたのかい?」
「そうなんです。目立ちますよね、これ」
「ノイ家の負の財産だからね。取り壊しちまえばいいと思うんだが、呪いが怖いらしくてな」
「呪い……」
またこれだ。
ひょっとしてこの塔が村のどこからも見えるように、呪いもこの村のみなが知っていることなのだろうか。
好奇心が表情に出たのか、老人は雫を見て目を細める。
そして彼は一度、塔を見上げると、ずっと昔のことを手繰り寄せるような目で
「別に怖い話じゃない。ただの人間の話さ」
と呪いと塔に纏わる話を始めたのだった。