天に聳ゆ 021

禁転載

この村に塔が作られたのは百二十年ほど前に遡る。
当時、村にはデトスという男がいた。彼は若い時からしょっちゅう出稼ぎに村を出ていたのだが、ある日かなりの大金を持って帰ってきた。
何でも出稼ぎ先で友人になった男が病死して何もない土地を譲り受けたのだが、そこに良質の水晶窟が発見された為、土地ごと国に売って報酬を得たのだという。 デトスはその金で村に新しく家を建て城都から妻を貰った。 ツィツェア・ノイという家名を持つ女は由緒ある家の出身ということだったが、彼女の他には兄弟もいなかったのでノイの名は以後デトスの家系に継がれることとな る。
問題の塔が建てられたのは、デトスがデトス・ノイとなった一年後のことだった。
ツィツェアは城都にいた時からおかしな宗教にかぶれていたらしく「塔を建てて家を守護せねば不幸が訪れる」と突然言い出したのだ。
デトスが内心どう思ったかは誰にも分からないが、結局彼は塔を建てるため城都から職人を数人呼んだ。その中にはミルセアという女がいた。
彼女は若く美しい魔法士で、塔の出来上がった部分に劣化防止を掛ける為に呼ばれたのだが、ツィツェアは日が経つにつれ夫と彼女の間を疑ったらしい。
塔の完成目前で、ミルセアが夫の子を孕んだのではないかと思ったツィツェアは彼女に密かに毒を盛った。
だが魔法士であるミルセアは魔法で作られた薬にすぐには死ななかったのだ。
彼女は吐血しながらもツィツェアに詰め寄り、デトスは妻を連れて怒りに狂う女から逃げると塔に立てこもった。
ミルセアは絶命するまでの数時間、ずっと塔の扉を叩いていたという。
デトスは途切れ途切れに聞こえる呪いの言葉に慄き、ミルセアを助けることなど考えもせずただ時が過ぎるのを待った。
一晩経って静かになった扉を開けてみると、そこには事切れた女の遺骸と「呪い」が残されていたのである。
血で扉に描かれた「お前の血を継ぐ息子は奪われるだろう」という言葉。
ツィツェアがその時身篭っていた子供を生み、そして男児だった赤子が生まれてすぐ死亡するのは八ヵ月後のことだった。

「結局、死んだ魔法士の女はデトスの愛人でも何でもなかったのさ。勿論孕んでもいなかった。おかしな女に濡れ衣を着せられ殺されただけだ」
「そ、それは……」
災難というか何と言うか、それで殺されては呪いたくもなるだろうな、と雫は思った。
もうちょっと夫は何とかできなかったのだろうか。はた迷惑にも程がある。
しかしこの話だけなら確かに酷い話だが、何故塔が産所となったのか分からない。それを問うと老人は苦笑を浮かべた。
「その時ツィツェアが身篭っていた男児は出産後まもなく死んだ。
 けど二人目の子供をツィツェアは塔の中で産んだのさ。ここならミルセアの呪いが届かないからといって。
 そしてその通り無事子は産まれた。ただその子は女の子だったから本当に塔に呪いが届かないのかどうかは分からない。
 それでも呪いを受けるよりましだろうってことで、あの塔は以後ノイ家の産所となったんだ」
「他に男の子は生まれなかったんですか?」
「それが生まれてないんだな。ノイ家はそれ以来女系の家になってる」
「うっわぁ……」
それはつまり、呪いが効力を持っているということの表れなのかもしれないし、違うのかもしれない。
ただ確信は得られずとも塔であれば無事に生まれるということなら、わざわざ塔以外で出産をして危険な橋を渡ることもしたくないだろう。
雫は納得の息を漏らすと振り返って塔を見上げる。
曇天の中、黒々とした塔は世界全てを呪うかのように異様な姿を曝していた。

雫が宿に戻りレポートを書き出してしばらく、エリクはメアを連れて昨日よりも疲れた顔で帰ってきた。
単なる疲労ではない嫌そうな連れの顔に雫は少なからず驚く。
「修理……どうでした?」
「ほぼ終わった。けど三日後にならないと言送陣の向こう側に人がこないらしい。
 だから直ったかどうかはそれまで確かめられないんだ」
「なるほど。それまでこの村ですか?」
「うん。時間かかってごめん」
「あ、別にそういう意味では。ゆっくり休んでください」
慌てて顔の前で手を振るとエリクは苦笑する。彼は椅子を引いて座りながら「今日はずっと勉強してたの?」と聞いてきた。
雫は聞かれて塔の話を思い出す。ついでというわけではないが話しておいた方がいいだろう。
いくつか要点を整理しながら彼女は「ノイ家の呪い」の話をエリクに伝えた。
彼は雫の書きかけのレポートを眺めながら話を聞いていたが、最後に彼女が「こういう話よく聞きますけどね」としめると顔を上げる。
「よくあるって君の世界で?」
「そうですよ。勿論実際に直面したことはないですけど、死んだ人の恨みを買って子孫代々祟られるってのはよくあるお話です」
「へぇ。魔法がないのに面白いね」
「あー」
雫は一人納得する。この世界には幽霊がいないのだ。死んだ人間が生きている人間に怨念を持って影響するという意識がないのだろう。
彼女は簡単に、自分の世界には死後の世界について何も分かっていないことと、死者が幽霊や怨霊になって生者に害をなすという考えもあることを説明した。
エリクは大して驚いた様子もなく相槌を打っているが、彼は大抵こういう表情なので本当に驚いていないのか、表面に出ていないだけなのか分からない。
彼は一息つくと雫が適当に淹れたお茶を手に取った。
「昔はね、こっちの世界でもあんまり知られてはいなかったんだ。魂が残らないって」
「あ、そうだったんですか?」
「うん。そういうのって精霊術士……非常に珍しい魔法士の種類だけど、彼らだけが分かっていたことだった。
 精霊術士はそういうのに接する能力が敏感だからね。それが徐々に魔法士に広まって、更に知識人に伝わった。
 今でも普通の人は知らない人が多いんじゃないかな」
だから田舎では今でも幽霊は信じられていたりする、とエリクは続ける。雫は納得の面持ちでそれを聞いた。
ならばノイ家の呪いもまたそういう種のものなのだろうか。
しかし彼はまた雫の表情から疑問を見て取ったらしく、彼女の思考に訂正を加える。
「いや。僕も聞いたけど件の呪いは生きた魔法士が魔力を使ってかけたものだと思うよ。
 あくまで人の話を信じれば、だけどね」
「え! 聞いたんですか!?」
「聞いたというか聞かされたというか……散々だった」
彼は深い深い溜息をつく。
一拍置いての散々な話を総合すると、つまり彼は修理に行った先で修羅場に出くわしてしまったのだ。
疲れているのは修理の為というよりどうやらそれをやむを得ず止める羽目になった為らしい。
「あそこの家の息子はどうやらクレア・ノイ……つまり塔の家の女性だけど、彼女と結婚したいらしいんだ。
 でも当然ながら母親は大反対。子殺しの家の女なんか娶れるかってね」
「子殺し!?」
何故そんな一足飛びに話が飛ぶのか。
思わず口をぽかんと開けてしまった雫にエリクは苦々しい笑いを見せた。
「男の子が生まれないんじゃなくて、生まれちゃったら殺してるんだろうってことなんだよね、つまり。
 オルヤは呪いそのものは信じていないみたいだ。嬰児を塔から投げ捨ててるから塔の傍に近寄らせないんだと言ってた」
「えええええ……。いくらなんでもそんな」
「でも僕もちょっとそう思った」
「え」
今度こそ雫は目が点になってしまう。
血の繋がった赤ん坊を塔から投げ捨てるとはどういう発想なのだろう。
エリクは確かに冷めたところはあるが、無闇に人にそんな疑いをかける人間ではないと思う。それとも何か理由があるのだろうか。
男は彼女の内心の疑問に応えるかのように、白紙の紙にシャープペンで丸を描いた。中に二つの目と口を足す。
どうやら赤ん坊をイメージした絵のようだが、下手すぎて断言できない。話よりもむしろ絵に気を取られてしまった雫に彼は自分の考えを捕捉した。
「たまたま男児が生まれないっていうなら分かるけど、呪いで女児しか生まれなくするなんてことは出来ないから。
 殺してるとまでは思わないけど、男児が死んでしまってもそれを伏せてるだけじゃないかなとは思った」
「ああ……」
決して共感できる文化ではないが、雫は自分の世界の一部に「嬰児殺し」と言われる風習が存在していることを知っていた。
双子の片方や望まれなかった性別の赤子を生まれてすぐ殺し、死産だったことにする。理由はあるのだろうがいたたまれない行いだ。
オルヤはノイ家にそれを疑っており、一方エリクはノイ家が意図的に呪いの効果を隠蔽しているのではないかと考えているのだ。
百二十年前から今まで何人の女の子が生まれ、何人の男の子が生まれなかったのか。
それは、村人に不審を抱かせるに充分なものだったのだろう。雫は人の心に不安を与える塔の姿を思い出す。
「ああもう。何か落ち着かないなー」
「気にしないのが一番だ。その土地にはその土地の、人には人の事情がある」
「よし! 勉強に集中します!」
「それがいいよ」
エリクはお茶を飲み干すとレポートの紙を手に取った。机の端に置いてある辞書に目を留める。
彼は少し考えて、だが結局辞書を指差した。
「それ、僕も作ろうかな」
「え?」
「辞書。こっちの世界の単語と君の世界の単語を対応させる。
 そうすれば僕も君の書くものがちょっと読めるかもしれないし、君もこの世界の文字に馴れるだろ?」
「あー……」
実はちょっと彼女も欲しいと思っていたのだ。この世界の文字の辞書が。
語尾変化などを考えればそう簡単にはいかないかもしれないが、出来るならやってみるだけやってみたい。
何よりエリクは文字が専門の人間である。元の世界の文字は辞書があることだし、分からないことは彼に聞けばいいのだ。
雫は力強く頷いた。
「作りましょう! すっごく欲しいです!」
「じゃあ紙に書き溜めて、普段は紐で束ねて溜まったら製本してもらおうか。
 順番は……どちらに合わせようかな。とりあえずよく使う単語から並べて、あとで調節しようか」
「分かりました! ルーズリーフ使いますね」
「君の世界の紙ってかなりすべすべだよね」
雫はレポートの為の本を端に寄せると、バッグからルーズリーフをファイルと合わせて取り出した。
エリクは淡いピンク色のファイルをぱらぱらとめくる。中には二、三枚だけ授業のノートが挟まれていた。
はじっこに描かれた教授のデフォルメの似顔絵を見て彼は吹き出す。
「何この絵」
「私の先生です。口癖は『そうなんだけどね?』」
「君、学校で何学んでるの?」
「うーん……考えることそのもの、かな」
彼は僅かに目を瞠る。その表情に雫はにっこりと笑って返したのだった。