天に聳ゆ 022

禁転載

雫は手に持ったスティック状のものを齧る。
―――― とても硬い。見た目からいって硬いのだろうとは思っていたが予想以上だった。
彼女は噛み切るのを諦めて歯をはずす。何だか歯茎が痛いくらいだ。ちなみに虫歯は一本もない。
「予想を外されるってそれだけで結構威力が大きいものですね」
「初めて食べるものをそんな勢いこんで噛みつけるのが凄いと思うよ」
「勢いって大事じゃないですか。助走をつけた方がたくさん跳べるというか」
「歯、痛くない?」
その疑問には答えたくなかったので雫は黙殺した。
塔のある村に到着してから四日目。明日には言送陣の動作テストができるという。
それまでの時間、勉強をして過ごしていた二人はちょっとは外に出て気分転換しようということで、今散歩にきている。
村の真ん中にある小さな店で、雫は「甘いもの下さい」と言ってこの狐色のスティック菓子を買ったのだが、揚げ物だろうという予想を裏切って飴のように硬かった 。これはもしかしたら噛むものではなく舐めるものなのかもしれない。彼女はほんのり甘い菓子を舐めながら塔を指差す。
「どうせなら窓を増やすとか拡張するとかすればいいと思うんですけどねー」
「出来ない理由があるのかもしれない。手をいれると塔全部が崩れてしまうとか」
「どんな建て方してるんですか、それ。積み木じゃないんですから」
「だって窓が小さいのはわざとじゃないか? あれはおかしいだろう」
「赤ん坊が通せて大人は通れない、そういう大きさになってるのよ」
突然割り込んできた声は、若い女のものだった。
つい最近そうやってオルヤに背後を取られたばかりの雫はやっぱり飛び上がって驚き、エリクは平静に「そうなんですか」と答える。
女はくすんだ灰色の瞳に微かに自虐的な表情を浮かべて微笑していた。綺麗な顔立ちの女性なのだが、何故か薄ら寒さを感じて雫は硬直する。
「あなたたち旅の人でしょう? 塔が気になるの?」
「気になるという程では。ただ目立ちますから」
「そうよね。街道からも見えると聞いた事があるわ」
不思議な物言いだ。
ここから街道までは一時間もかからないのに彼女はそこまで出た事がないのだろうか。
雫は何となく後ろに下がりたくなったが、さすがにそれは失礼だと思いとどまる。
だがエリクの方がその気配を感じ取ったのか、雫より一歩前にでて女性に相対した。
「あなたがクレアさんですか」
「ああ……誰かに私のことを聞いたのかしら。皆噂話が好きですものね」
穏やかに笑う女は、しかし少しも雫を安心させはしなかった。一見普通に見えるのにどこか歪んでいる印象を受ける。
そしてそれはあの塔から受ける印象と同じもので―――― 多分、彼女こそがノイ家の女性なのだと雫はまず空気で感じ取ったのだった。

クレアは表面上はにこにこと愛想よくしていたが、エリクが「あなたのことはダルスさんに聞きました」と言うと途端に表情を消した。
張り付いていた笑顔が剥がれ落ち、暗く穴が開いたかのような中身が露わになる。
雫はぎょっとして自分も表情を凍りつかせたが、クレアはまた最初の自虐的な目に戻ると笑顔を作り直した。
「あの人が何を言ったのかしら。あまり鵜呑みにしないでちょうだい」
そう言うクレアが何故か傷ついているように見えるのは何故なのか。
雫は「ダルスさんって誰ですか?」と小声でエリクに問う。返ってきた答は「オルヤの息子だよ」というものだった。
なるほど、つまり結婚を反対されている恋人同士ということだろうか……。多少違和感もあるが、彼女はそう納得した。
「この村で暮らしていれば嫌でも塔が目に付くわ……。だから皆好きなことを噂するの。別にどんな話でもいいのだけれど」
「偽りの話が広まってもいいと?」
「見る人が異なれば真実も異なるものでしょう? 目くじらをたてていてはきりがないわ。私はこの村で一生暮らさねばならないのだし……」
その一瞬、クレアはまるで生きることにくたびれた老女のように見えた。
閉鎖されたこの村で、呪われた家の女として彼女がどんな日々を過ごしてきたのか。
わずかながら想像できる気がして、雫は溜息を喉元で押し殺す。
他人からの評価とはどうしても少なからず、自分からのものとは乖離してしまう。
クレアとは比べ物にならないだろうが、雫自身もずっと姉妹との比較のもと評価されてきたのだ。
他人からの悪意のない感想に、それは違う、と言いたいことも何度かあったが、彼女はその抗弁を大体は諦めた。
いちいち気にしていては本当にきりがないのだ。そして別に雫は姉妹が嫌いではないのだから、気にするべきではないと言い聞かせた。
ただそれでも両親まで、まず姉を、そして妹を見て、最後に雫を見てくれるという順番が固定していることに一抹の淋しさは拭えなかったのだが。
その感情を思い出した雫はクレアに頭を下げたくなる。
先入観が辛いものだとよく知っているにもかかわらず彼女を恐れた自分を恥じたのだ。
クレアはおそらく疲れきっているのだろう。今までの偏見に、そしてこれからもその中で生きていかなければならないことに。
雫は唇をきゅっと結んで姿勢を正す。出来るだけ塔のイメージを排して彼女を見ようと意識した。
一歩前にいるエリクは首を僅かに傾けてクレアを見つめている。
「先ほどあの窓は子供が通る大きさだと言いましたね」
「そうね。まるで計ったみたいにそうだわ」
「それはあなたが間違った噂を許容しているという意味ですか? それともあなた自身がそう思っていると?」
「どちらかしら……。ねぇ、興味があるなら塔を見にいらっしゃる? 鍵を持っているわ」
降ってわいた誘いに雫は目を丸くした。だが、同時にエリクは断るだろうとも思った。
彼は根本的には人がいいのか、請われれば頼みごとなど引き受けることもあるが、自分からはあまり余所事に首をつっこまないように見える。
それは彼が「人間に興味がない」からなのかもしれないが、特に冷たいとは彼女は思っていなかった。多分、単に現実的なだけだ。
そんなことを思っていた雫はだから、彼が「では見せてもらっていいですか」と答えた時に、あやうく意外の声を上げてしまいそうになる。
何とか口を押さえて叫びを飲み込んだ彼女に、エリクは振り返ると苦笑した。
「宿に先帰っててもいいよ」
もし怖かったら、という彼の意を感じ取って、雫は口を押さえたまま慌てて首を左右に振る。
そこまで色々言われる塔を見てみたいという気持ちは確かにあるのだ。
幽霊がいるならば怖いが、いないなら多分大丈夫、だと思う。
クレアは自らが誘ったにもかかわらず、それを受けた二人にぽかんとした顔をしたが、雫と目が合うと困ったような笑顔になった。
「じゃあ……案内するわ」
彼女は一瞬自分の塔を仰ぎ、そして歩き始める。
直前に見た苦笑は今までで一番普通の女性らしいもので、それだけに雫はほっと安堵する思いと共に複雑な思いもまた味わうことになった。
エリクについて歩きながら彼女は囁く。
「どうしたんですか? 塔が気になるんですか?」
「いや、どっちかというと呪い。百年を過ぎても効いているような呪いを見たことないから、ちょっと興味があって」
雫は自分とは違った意味で、エリクは好奇心が命取りになるのではないかと思ったが口には出さない。
彼女は買った時からちっとも減っていない菓子の場違いさに悩んだが、まさかその辺に捨てていくわけにもいかず、かといってもう口にする気にもなれずに右手に提 げたまま、男の後を追う。
抱えている不安の表れか雫はふと背後を振り返ったが、そこには誰もおらずただ曲がりくねった小道が続いているだけだった。

クレアは持っていた鍵でまず、生垣の中にある鉄扉を開けた。
恐る恐る入った塔の周囲の庭は雫が予想していたより狭く、塔を中心にドーナツ状の幅広通路があるという感じだ。
整えられた植木もなく、枯れかけた芝が斑点のようにところどころ土を覆っていて、荒れた印象を与える。
塔の入り口は入ってきた鉄扉とはちょうど逆側にあった。三人は庭を半周して扉の前に立つ。
「この場所でかつて女が殺されたと伝わっているわ」
淡々とした女の言葉。
あらかじめ呪いについて聞いていなければ、雫は飛び退いてしまっただろう。
だが実際は彼女は周囲を見回すに留まった。そして当然ながら目に付くようなものは何もない。
それはエリクも同様のようだった。彼はあちこちに視線を移動させていたが、探すものが見つからなかったのか「ないな」と呟く。
「何がないと言うのかしら?」
「呪いが。術者の死亡した場所にあるんだと思っていたけど。何の構成もないね」
「呪いって魔法なんですか!?」
割り込んできた雫の疑問と似たものをクレアも感じたらしい。二人の女の問う気配を受けてエリクは肩を竦めた。
「魔法と言えば魔法。魔力を使うから。ただ法則に則る魔法と違って、呪いは術者が好きな言葉を選んで自分だけの意味を込めてかける。
 だから気になったんだけど、塔の中の方かな」
「え。塔の中は呪いが届かないから産所なんじゃないですか?」
「とは言うけど、もともと宗教がらみで建てられた塔なんだろう? 何かあるかもしれない」
彼の言葉に答えられる人間はこの場にはいない。おそらくこの世のどこにも。
クレアは少し緊張に強張った顔を隠すように踵を返すと、塔の入り口へと向う。
「……百二十年前の扉には血の跡と呪いの文字があったらしいけれど、扉はその後まもなく変えられてしまったわ」
女の手が木の扉を押す。
軋む音を立てて開かれたその先から、まるでドライアイスの煙が漏れ出すように、積もり積もった何かが流れ出てくる気がして雫は息を飲んだ。
クレアは入り口にあった燭台に火を灯して掲げると中に入っていく。エリクがその後に続いた。
中は薄暗かった。窓がないのだから当然だ。
それでも雫が思っていたより暗くはないのは、唯一の窓から差し込む光をいくつもの鏡で反射拡散させ最低限の明かりをとっている為らしい。
三人は壁に沿う螺旋階段をゆっくりと上り始めた。
細い塔の中は空洞で、部屋があるのは最上階だけなのだとクレアは説明する。
螺旋の為、何階分に相当するのか雫にはよくわからなかったが、こわごわ下を見下ろすと四-五階くらいの高さなのではないかと思われた。
彼女はすぐ前を行くエリクの服の裾を掴みたい衝動を堪える。
到着した部屋は、本当に小さな部屋だった。
今、二人が泊まっている宿屋の一室と同じくらいか少し手狭なくらいの広さで、中央に寝台が置かれている。
真っ白いシーツが敷かれているにもかかわらず何故か薄汚れて見えて、雫は息苦しさに小さな窓に寄った。
窓は小柄な彼女でも頭と肩の片方は出そうだが両方は無理な大きさで、見下ろすとちょうど塔の扉が真下にある。
顔を上げて遠くを見ると、見晴らしはよいのだが、肩に触れる石の冷たさから伝わる窮屈さは拭いがたいものだった。
頭をひっこめた雫と交代でエリクが窓の外を覗く。彼はまず真下を見て「ふむ」と頷いた。
「何か面白いものでも見つかって?」
「特には。魔法的な仕掛けも呪いも見つからない。やっぱり話だけだと思うよ。別に意味はないからこの塔は壊した方がいい」
「そう……」
クレアは唇だけで薄く笑う。
ずっとのしかかっていたのだろう呪いの存在が否定されたにもかかわらず、彼女は何故か聞きたくなかったことを聞いてしまったかのように、 虚ろな目を小さな窓に向けたのだった。