天に聳ゆ 025

禁転載

上手く撒いたと思ったのにまさかこんなところで再会してしまうとは思っても見なかった。
しかもあろうことか、男はクレアの兄だと自称しているのである。
雫は顔を引き攣らせてエリクを見たが、彼は既に治癒の魔法に専念しているようでターキスにはまったく興味がないのか見てもいない。
ターキスの方も雫を認識しているらしく嫌な笑顔を一瞬見せたが、今はクレアに向き直っていた。
「妹って……どういうこと?」
「そのままの意味しかないだろう。俺はお前の兄ってこと。近くまで来たから顔だけでも見ようと思ったんだが」
少なくともエリクを除いた三人は見知らぬ男の言うことに困惑をあらわにしていた。
特にクレアは目を大きく見開いて男の顔を凝視している。ターキスは苦笑して手を振った。
「疑ってるだろう? でもほら、これがある」
彼は言いながら自分の首の後ろに両手を回した。つけていたペンダントをはずし、クレアに差し出す。
それが何であるか雫には分からない。だが、クレアにとっては意味があるもののようだった。目に見えて彼女の表情が変わる。
「これ……本当に……?」
「本当。俺が母から託されたものだ」
「……殺されたんじゃ、なかったの?」
「違う。生まれてすぐ養子に出された。ノイ家にいるままでは呪いで死んでしまうからってな。
 お袋もきっとお前に説明するつもりだったんだろうが、その前にちょっとおかしくなっちまったようだ」
ここに来る前に会って来たけど話は半分も通じなかった、というターキスにクレアは表情を曇らせた。
彼女に老齢の母親がいるとは本人から聞いていたが、色々状態は難しいのかもしれない。雫は部外者としての沈黙を守る。
クレアは希望と苦渋が入り混じった複雑な目を誰にともなくさまよわせた。
―――― もしターキスが本当に彼女の兄であるなら、彼女の苦悩もまた薄らぐはずだろう。
呪いの象徴である兄の死はずっと彼女を苛んできたのだろうから。
けれど、彼女はまだすぐには飲み込めないようだった。目を伏せて視線を膝の上に落とすと小さくかぶりを振る。
そしてその反応は男の予想の範囲内だったらしい。ターキスは苦笑してクレアの傍まで歩み寄ると、彼女の頭に大きな手を置いた。
「俺は仕事があるし、ノイ家の人間じゃないってことになってるからこの村には残れない。
 だが、あんまり気に病むな。お前はお前で好きに生きればいいんだ。鬱陶しい塔のことなんか放っておいてな」
男は顔を上げて、広がる空を仰ぐ。
クレアはしばらくためらっていたが、やがてゆっくりと視線を上げ男にならった。
柔らかな風が吹いていく。
緑の香を孕む風は、百二十年に渡る暗闇を洗い流していくようだった。

「よし! 逃げましょう!」
「前向きな笑顔で言われると、ちょっと面白い」
「だからあいつがストーカーなんですって!」
ターキスの登場によって、ひとまずの落ち着きを得た一同は、塔を下りクレアの家へと移った。
彼女の母はやはり年を取って記憶が薄らいできているのか、受け答えもぼんやりとしたものだったが、ターキスが手を取って支えてやると嬉しそうに微笑む。
それを見たクレアもまた彼を兄だと信じるつもりになったようだった。エリクと雫に「取り乱してごめんなさい」と頭を下げる。
ただ彼女とダルスとの間には見ればまだわだかまりが残っているらしい。
それはこれから埋められるものなのかもしれないし、そうではないのかもしれなかった。
隙を見てエリクを廊下に引きずり出しターキスのことを説明した雫は、部屋の中を窺いながら声を潜める。
「きっと捕まったら貴族に売られて生皮剥がれますよ。逆さづりにして油絞られますよ」
「君のその貴族観ってひょっとして僕のせい? だとしたらちょっと反省する」
「ともかく荷物取りに行きましょう。いつでも夜逃げできるように」
「まだ昼にもなってないよ」
馬鹿馬鹿しい会話ではあったが、結局二人はクレアたちには何も言わずにオルヤの家へと戻った。
おきっぱなしになっていた荷物を取り、何があったか聞きたそうなオルヤに挨拶だけを述べると馬を預けた厩舎へと向う。
その途中、足早に村を横断しながら雫は気になっていたことを尋ねた。
「あの、呪いってそのままでいいんですか? クレアさんとかに言わなくて……」
「いいよ。大体君が塔を壊しちゃったしね」
「私ですか、あれ!?」
「何言ってんの。使い魔のやったことは主人のやったことだ。気になるなら命令の仕方を考えればいい。
 ……まぁもっとも今回は上手くいったと思うけどね」
「あれで?」
「あれで」
エリクは首だけで塔を振り返る。最上階はここから見ても分かるほど崩れかけていた。彼は小さく笑う。
「呪いってのは殺されかけた魔法士の女性がかけたものじゃないよ。いや、実際にはそうかもしれないけど伝えられているものとは違う。
 あの塔の最上階はね、塔の構造そのものに魔法陣が含まれてたんだ」
「え。それってどういう……」
「つまり建築段階で魔法がかけられてたってこと。怪しいとしたら建てた職人か……塔を建てさせた奥方がかぶれていたっていう宗教かな。
 大して強い魔法じゃないから気づかれにくいが、徐々にあそこにいる人間の精神を蝕み、あの部屋に執着するよう呪縛する。
 特に産前産後の女性なんかはもともと精神的に不安定だから如実に影響を受けてしまうだろうな。
 クレアが少しおかしかったのも多分そのせいだ。もしかしたら彼女の母親もね」
呪いの真相を聞いた雫は呆気に取られた。
つまり、だからこそエリクは興奮したダルスに塔を登らせたくなかったのだ。あの場所は、人を狂気に導く場所であったのだから。
雫は嘆息ともつかない溜息を吐き出す。
「うっわぁ……。じゃあ殺された魔法士の女性って本当に何にも関係なかったんですね」
「関係ないってことはないだろう。多分あの魔法陣の構築に関わっていただろうしね。
 だから、自分が絶命するまで塔の外に居続けたのは彼女なりの復讐なのかもしれない。
 呪いのかかった塔の内部こそ安全と思わせて……彼らを狂わせてやろうという考えがあったとかね」
まぁ僕の考えすぎかも、とエリクは言ったが、雫はぞっと背筋が凍るのを抑え切れなかった。
呪詛を吐きながら塔の扉に爪を立てる女。そして、その女を最上階の小窓から見下ろし、死ぬのを待っている女。
二人の女のうちどちらがどれだけ相手の破滅を望み、狂っていたのか、陰惨な光景を想像してしまったのだ。
彼女は脳裏に描き出された情景を首を振って打ち消す。
「でも、だったらクレアさんにそう言えばよかったじゃないですか。かなりぎりぎりでしたよ」
「あの彼女に『君は魔法のせいで少しずつ頭がおかしくなってます』なんて言ったら火に油だ。
 だから当たり障りなく塔を壊させたかったんだけど、結局君がやったしね。乱暴だけどあれでよかったと思うよ」
彼はそう言うと荷物を肩に背負い直す。目指す厩舎はすぐそこに見え始めていた。

二人は馬に乗って村を離れた。
街道まで戻ると城都に向って馬を進める。左手の森の向こうに塔の先端が小さく見えた。
ここからでは最上階が崩れているところまでは見えない。だが、少なくともクレアはあの塔から解放されるであろうことは確かだった。
雫は開けた空を見上げていた彼女の顔を思い出す。
塔そのものが人の心を狂わせてきたのだとしたら、百二十年もの長き間、本当に子を投げ捨ててしまった女もいたのかもしれない。
もしくはターキスのように、養子に出された子が他にいたかも分からないだろう。
けれど、ひとまず過去からの連鎖はここで終わりと相成ったのだ。
これからは死した人間の遺したものではなく、今生きる人間の作り出すものが系譜を織り上げていく。
そう思えば、少しは救われる気もした。
雫は深く息を吸うと前を向きなおす。
たとえもう二度と彼らに会えなくとも、出来ればその行く末が穏やかなものであるように、ただ願って。

街道に出てからしばらく、雫は隣を行くエリクが急に顔をしかめたのに気づいた。
肩の上にいる小鳥が背後に向って小さく鳴く。振り返ると遥か向こうから馬に乗った人影が一騎、近づいてくるのが見えた。
「え、あれ、まさか……」
「そのまさかだと思う」
「に、逃げましょう!」
雫は慌てて手綱を引き絞る。しかしエリクは片手を挙げてそれを留めた。
「危ないよ。君、馬で走ったことないだろう」
「だって……」
「まぁ何とかなる、多分。生皮は剥がれないようにするから」
「そんな限定した状況についてだけ約束しないでください!」
「それが一番嫌なのかと思ってた」
「嫌は嫌だけど他にも色々嫌はあるんですって!」
くだらない言い争いを二人がしている間に、追って来る馬は誰が操っているのか、その顔をはっきりと視認できる距離になっていた。
雫は蒼ざめてその男―――― ターキスを見やる。
ターキスは手綱を鳴らしてあっという間に二人を追い越すと、進路を塞ぐように道の前を行きながら速度を緩めた。
彼は雫に、人の悪い笑顔で声をかける。
「挨拶もなしに出発するとはつれないな、雫」
「呼び捨てすんな! 鳥肌立つ!」
「………………」
「……」
何とも言えない気分の悪さに反射的にそう叫んでしまった雫は、エリクの呆れた視線に気づいて慌てて顔の前で手を振った。
「あ、エリクはいいんですよ。気持ち悪くないから」
「……今のは俺に喧嘩売ってるととっていいのか?」
「君は時々豪胆を通り越して意味が分からない」
毒気を抜かれたようなターキスと、もう真顔に戻っているエリクのそれぞれの感想に雫は乾いた笑顔を作る。
こちらの世界では人の名を呼び捨てするのが普通なのかもしれないが、 あいにくと雫は親しくも世話にもなっていない人間に下の名前を呼び捨てされるという感覚には馴 染んでいない。それもある程度は気にしないように我慢できるが、正体不明のストーカーからはさすがに嫌だった。
エリクは、ターキスの全身を一瞥する。その視線は好意的とは到底言い難い、温度のないものだった。
「折角妹が出来たのに、こっちに来てしまっていいのか?」
「妹が、出来た?」
聞き返したのは雫である。エリクの持って回った言い方に何か含むものを感じ取ったのだ。
ターキスは片眉を上げて笑った。
「あまり長くいるとぼろが出るからな。それに折角お前たちを見つけたのに逃がす手はない」
「ボロって……え、じゃあ」
「うん。この男はクレアの実の兄じゃないんだろう。顔立ちも似てないし、登場の間がよすぎる」
雫は唖然としてターキスを見つめた。彼がにやにやと笑っているのはエリクの言葉が正しいからなのだろう。
彼女は驚きから覚めると、人を食ったような男の態度に無性に苛立ちが沸き起こってくるのを感じる。
―――― クレアは表情こそ乏しかったが確かに、兄が生きていたということに救われたに違いないのだ。
にもかかわらず、それは全てこの男の虚言だったというのか。喉をせりあがる怒りが言葉になった。
「クレアを騙したの!?」
「嘘をついたのは確かだな。ただ一応言っとくが、あの女に兄がいたのは本当だ。先日病で死んだだけでな。その男の依頼を受けて俺は来た。
 ……それともあそこで、あの女を放って置いた方がよかったか?」
白々とそう言う男の首にはもうペンダントはかかっていない。
クレアに渡してきたのか、それとも本当の持ち主のところにいずれ返すつもりなのか、雫には見当もつかなかった。
ただ男の言葉に納得する理性と、不愉快さを燻らせる感情が彼女の中で渦巻く。
これでもう少しこの男が神妙な態度だったのなら、こうまで腹は立たないのに、と雫は心中で罵った。
けれどエリクの方はそういったことをうんぬん言う気も最初からないらしい。ターキスを見やって「それで何の用?」と軽く尋ねた。
「何って、察しはついてるんじゃないか? お前も雫から俺のことを聞いたんだろう?」
あれだけ率直に罵倒したにもかかわらず、この男は呼び捨てを貫く気らしい。
雫はこれ以上ないくらいターキスを睨んでやったが、彼は顔の筋肉一つ動かさなかった。
会話は当事者である雫を置き去りにして続いていく。
「ファルサスに連れて行ってくれるって? 折角だけどそれを鵜呑みにして喜ぶ程、世間知らずじゃないな」
「だが、こうしてちんたら旅をしていくより余程早い。まさか山越えをしてカンデラに入っているとは思わなかったが……。
 かえって南のアンネリやナドラスには行かなくてよかったかもな。あの辺はアンネリが滅ぼされた余波で今はきなくさくなってる。
 ナドラスにキスクが介入して戦争になるかもしれんというところだ」
立て続けに国の名前を出されて雫は一瞬混乱したが、すぐにアンネリは本来行くはずだった戦争にて滅んだ国で、ナドラスはその隣国、キスクはなにやらお近づきに なりたくない王族がいる大国であるということを思い出した。頭の中に大陸地図を思い浮かべて確認する。
一方エリクは不穏な情勢について聞いても、変わらぬ口調で言い放った。
「ならそっちに行けばいいんじゃない? 傭兵には稼ぎ時だろう」
「勝ち負けが明らかな戦には関わらないことにしてるんだ。勝国につけば軽んじられるし、敗国につけば命が危ない。
 キスクが介入したとあっては小国には勝ち目がないからな」
「彼女に関わって君に何の利が?」
「まだ分からない。けど嗅覚が疼く。何かを為すのに二度とない機会だという勘がするのさ。
 ……お前もそうじゃないのか? 魔法士」
話に置いていかれた雫は対応に困ってエリクを見やり―――― そして呆然となった。
彼女の視界の中エリクは、今まで一度も見たことの無い全てを凍りつかせるような冷ややかな目を、ターキスに向けていたのだ。