禁じられた夢想 029

禁転載

雫は自分の手元にある二本のペンを見やる。
一本はシャープペン、もう一本はボールペンだ。それらを自分で紐を使って縛り、繋いだものを彼女はじっと眺めた。
「あの、コンパスってないですか」
「コンパス?」
問われたエリクも手元の紙になにやら絵だか図だか分からないものを描いているのだが、よく言ってそれは前衛芸術、実際は幼稚園児の落書きである。
見ないようにしていたその落書きをつい直視してしまい、雫は凍りついた。
「コンパスって何」
「それ、何描いてるんですか」
重なった二つの質問にエリクは自分が譲ってくれた。「だから構成図」と返してくる。
これが構成図であったら魔法は本当に違う意味で凄い。何だか分からない。とりあえず異様な迫力だけは伝わってくる。
こんなものを描けと頼まれても絶対無理だ、と考えながら雫は質問に答えた。
「円を描く道具です。支柱になる部分と、ペン部分が根元で繋がってて角度つけて開けます」
「へー、なるほど。それと似た円を描く道具はこっちにもあるよ。
 でもそうだな。構成図を描くんだからそれ用の魔法具の方がいいか。街に出れば買えると思うよ。ちょうどいいから休憩にしよう」
エリクはそう言うとペンを置き立ち上がった。今まで自分が描いていた紙は小さく畳んでゴミ箱に捨ててしまう。
葬られた紙片に何が書かれていたのか、雫は間近でよく見たい気もしたが、気にしないほうがいいだろうと思いなおした。

城へ提出する審査用の構成が出来上がった、とエリクが言ったのは昨日の夕方だった。
提出期限まではあと四日。まだ充分余裕がある。
まずは構成図の描き方に慣れる為に、簡単な構成から描き出しを始めようとして、二人は早くも難航した。
何しろ雫には魔法の構成が見えないのだ。見えないものをどうやって描けばいいのか。
一度はエリクが自分で描いて説明しようとしたが、それがもう致命的に意味が分からなかった。
そこで、絵より遥かに分かりやすい彼の口頭の説明で構成図を書き出すことになったのだが、いかんせん製図用の道具が足りない。
シャープペンとボールペン、消しゴムとホッチキスとカッターしか入っていない筆箱を見て雫は唸り声を上げたばかりだったのである。

カンデラの城都は広い上に栄えている。
元の世界で言う首都なのだから当然なのだが、雫は外出する度にあちこち目移りして仕方が無かった。
今も店の外壁に飾られている何かの像に気を取られ、エリクに腕を引かれる。
通行人にぶつかりそうになった彼女を腕の中に庇いながら、彼は真面目くさった顔で注意した。
「前だけを見ろとは言わないけど、人にぶつからないように」
「ご、ごめんなさい。変なものがあるなーと思ってつい。あれ何ですか? この世界の信楽焼の狸みたいなものですか?」
「シガラキヤキ。言いにくいね」
雫が指差したのは、近くの店の前、壁にかけられている何かのオブジェだ。
よく分からない黒い螺旋状のものなのだが、改めて意識して見ると街のあちこちの建物にそれは飾られている。
昔ながらの蚊取り線香を黒く塗って、真ん中から持ち上げて伸ばしたらああなるかな、と彼女は適当な感想を抱いた。
「何だろうな。あちこちにあるね」
「あれ、エリクにも分からないんですか?」
「まったく。強いて言えば蛇に見える」
「あー、見える見える」
言われてみれば、ということで雫は頭の中のイメージを蚊取り線香からとぐろを巻いた蛇に直してみた。
長い体を巻き、首をもたげている姿は気持ちのよいものではないが、日本伝統の虫除け香よりは異世界の町並みに合っている。
「流行りものなんですかね。今までの街では見ませんでしたけど」
「何らかの姿勢を主張しているのかもしれない。客がそれを見て分かるように」
「セールスお断り?」
二人は顔を見合わせたが、結局答は出ないまま路地裏の小さな魔法具店に入っていく。
その店にはオブジェはかかっておらず、色褪せた看板がかかっているのみだった。

「これで円が描ける」
エリクが差し出したのは、元の世界で子供が遊びに使うような丸く円が切り抜かれた定規だった。
銀色の定規は非常に薄く、中央には彼女の手の平ほどの真円が開いている。
隅には何か短い目盛りのようなものが数本ついており、それぞれに小さな石がはめ込まれていた。今はどの石も目盛りの真ん中に位置している。
雫は受け取った定規を裏返してみるが何も変わったところは見つけられなかった。
「え、でもこれだとこの大きさの円しか描けなくないですか?」
「石、動かしてみて」
言われるまま雫は並んでいる目盛りのうち、一つの石を右に動かしてみた。
すると、銀板の中央に開いていた円空がみるみる縮む。彼女はあまりのことに唖然とした。
「な、何これ」
今度は同じ目盛りを逆側へと石を移動させてみる。するとそれに応じて円は広がり、目盛りの端までいくと定規ぎりぎりの大きさになった。
他の石を動かしてみると、どれも斜めに歪んだり湾曲したりを調整するもので少し動かす度に円は形を変えていった。
雫は目を輝かせて石をあちこちに動かしてみる。
「すっごい! すごいですよこれ! 面白い! 欲しい!」
「うん、買うから貸して」
エリクが勘定をしている間も雫は興奮覚めやらぬ目で店の中を見回した。
察するに魔法の定規なのだろう。銀色の金属がまるで液体のように動く機能に感動することしきりである。
戻ってきたエリクが定規を手渡すと雫は子供のように歓声を上げて喜んだ。
「魔法ってすごいんですね! 他にもあるんですか? アナログでCGが描けそうなもの」
「何のことを言ってるか分からないけど、まぁ色々ある。
 この手のものは小さいし生成時に銀に魔法をかけるだけだから、そう高くはない。製図をする人間には必需品だな」
「いいなぁ。私の世界だとこういうのはパソコン……あのシャシン取る奴に似たもっとでっかいのとかでしか出来ませんよ」
「へぇ。大きいのがいるのか。大変そうだな」
二人は店を出ると、途中で夜の分の食事を買い込んで宿に戻った。
さっそく買ってきた定規を色々動かしてみる雫を、エリクは頬杖をついて向かいから眺めている。
彼はしばらく何か考え込んでいるようだったが、軽く手を上げると雫の視線をひきつけた。
「ちょっと聞いてもいいかな」
「はい、どうぞ」
「君の世界の文明ってどうなってるの? 例えばこちらと比べて」
「あー……」
それは彼女も気になっているところである。
元の世界とこの世界で決定的に異なるものはやはり魔法だ。
魔法がある分、元の世界には出来ないことも出来るし、逆にそれ以外での文明はあまり発達していないようである。
雫は少し悩んで、頭の中で答を整理した。
「そうですね。魔法を差し引けば、私の世界の方が文明は進んでいるかもしれません。
 機械技術というものが発達していて……鉄で出来た船が空を飛んで何百人も人を運んだり出来ます」
「凄いな。それは、限られた人間しか使えないもの?」
「うーん……ある意味そうですが、こちらの魔力の有無みたいのとはだいぶ違います。
 高等な技術知識が必要で専門が細分化されてます。多分、最先端の技術なら何年も勉強しないと駄目なんじゃないかな。
 なので、専門が違う私なんかには元の世界の機械技術をこちらに持ち込むことは出来ません」
雫などは一応豊かな国に生まれた人間の為、文明の利器を享受できるが、どういう仕組みでそれらが動いているかはさっぱり分からない。
おそらく文系の人間の多くがそうではないかと彼女は思っていた。
エリクは指で自分のこめかみを軽く叩く。
「つまり、勉強の結果、知識があれば誰でも作れ、使えるというわけか。こちらの世界の人間でも」
「多分……。機械っていうのは言っちゃうと精密な作りの便利道具ですから。魔法を動力源としていない魔法具みたいなものですかね。
 科学法則自体が二世界で共通なら、こっちでも使えるはずです。元の世界と同水準のものとまで言うと材料をそろえるのが大変そうですが」
機械の動力は大体が電気だ。こちらの世界にも雷や静電気はあるのだから、その辺の自然法則は同じだろうと雫は踏んでいる。
ならば充分な知識と技術がある人間がここに来ていたのなら、何らかの機械を作る事もできていたのかもしれない。
そう考えると急に自分が役立たずに思えて彼女は浮かない顔になった。考え事をしていたらしいエリクはそれに気づいて首を傾げる。
「どうかした?」
「いえ……どうして急にそんなこと聞くのかな、と思って」
「ああ。君自身にどれだけの付加価値があるのか気になったから」
「へ?」
それはどういうことだろう。
もし彼女が機械の仕組みに詳しかったら、それだけ価値があるということだろうか。
だとしたら期待に反しているにも程がある。彼女にある知識と言えば、いわゆる人文科学についての広く浅い知識ばかりなのだ。
「うわー、私って役立たず、ですよね? それ言うと」
「え。何でそうなるの。専門じゃなくてよかったじゃないか。身の危険が減る」
その発言が嘘でないことを示すように、エリクは藍色の目を丸くして彼女を見ていた。
まったくどこにも残念さが見られない表情は、むしろすっきりしているようでさえある。
彼は一本指を立てて、上を指し示した。
「もし君がそういった技術に精通しているとしよう。で、誰かに異世界人だってばれて捕まるとする」
「いきなり不吉な仮定ですね」
「うん。ありえるから。―――― で、もし君が、魔法具ではない別の法則で動く高度な技術について知識を持っていたら、そいつらはどうすると思う?」
「えーと。き、聞き出す、と思います」
「そう。知識さえあれば誰にでも使えるなら尚更だ。
 そして画期的な技術の発見が大抵そうであるように、それは武器などへの転用を模索されることになるだろう。
 結果、君は戦争の道具を作る為に、油ならぬその頭の中を散々搾り取られることになる」
「文系でよかった!」
心からの叫びにエリクは苦笑する。彼は机の上に置かれていた定規の魔法具を手に取った。
「そもそも僕は―――― 個人的な意見を言わせて貰うなら、君にたとえそれら知識があったとしても、こちらの世界にその知識を伝えることには反対だ。
 君の世界の方が魔法を差し引けば進んでいるんだろう?」
「そうですね……似ている部分だけ考えれば、おそらく数百年くらいは文化に差がありそうです」
「なら余計にそうだ。君の世界の技術は数百年分の歴史と付随する議論を経て、おそらく今に至っている。
 それをすっとばして結果だけ持ち込むのはよくないことに思えるんだよね。
 ましてや異世界の知識なら、こちらの世界の本来の行く先を歪めかねない」
「あー……」
エリクの言うことは、おそらく一つの正しさを持っている。
新たな技術の発見はそれ自体のみではなく、それの使用についての是非を問う議論を伴って発展してきたのだ。
そしてそれら議論が雫の世界の社会、歴史、文化に基づいて交わされたものならば、そのままこの世界に持ち込んでしまうことは不適切だろう。
元の世界ではよしとされた意見がこちらで同じ結論を得られるとは限らない。逆もまた然りだ。雫は手元のペンを一回しすると頷いた。
「つまり、本来違う場所に住んでいる生き物を持ち込んで、生態系が荒らされるみたいなものですか?」
「近いと言えば近い。
 いい? もし君の世界の技術がこちらでも実践可能ということならば、こちらの世界にもそれら技術が生まれる可能性はあるはずなんだ。
 でも今のところ、それらは君の世界に追いついているとは言い難い。
 そこには君の世界と比べてこの世界なりの理由があるんだろう。……まぁ魔法だと思うけど。
 だからそれら技術をこの世界の人間が発見し、発展させていくのなら問題ないし、むしろ歓迎すべきことだ。
 けどたまたま何らかの事故で辿りついた異世界人が、いきなりかなり先の技術を持ち込んでくるってのは正直怖いよ。
 その人間がいなければ、或いはこの世界はそこまでの技術に辿りつかなかったかもしれないんだ。あるべき道を曲げられたに等しい」
「……そう、ですね」
それはまるで世界の突然変異だ。
もし雫が、武器の作り方に精通した人間だったら。
彼女を捕らえその仕組みを聞き出した者はそれだけで他者から優位性を持ち得るだろう。
そして、本来あるはずのない道具がこの世界を徐々に変質させてしまうかもしれない。
そうなった結果がこの世界にとってよいことなのか悪いことなのか、雫にはとても見当がつかなかった。
彼女はバッグの中にしまったままの携帯を思い出す。
元の世界では毎日見ていたそれを今はもう何週間も手にしていない。
何故そんな気分になれないのか、自分でも少し分かったような気がして、雫は最後に問うた。
「もし、異世界の知識ですごく便利になったり……それで人が助けられるようになったら、どうします?
 それでも知識の流入には反対ですか?」
この世界の魔法士は、予想外だったのか彼女の質問に軽く目を瞠った。
だがすぐに表情を崩し ―――― 微苦笑を浮かべる。
「そうだね、それはありがたいことかもしれない。治療法の分からない病気に手立てがあるのなら喜ぶ人も多いだろう。
 ただ線引きが難しいとは思うけれど……単に便利になるだけのものなら、僕は欲しくない。
 もし本当に必要とされるものならば、それはいずれこの世界の中から生まれるだろう。
 だから、どれ程世界の現状が不自由なものであっても―――― 僕は混入された便利さより、あるべき不自由を望むよ」
澄んだ藍色の瞳。
迷いのない声。
すっと通った背筋に雫は感嘆の息を押し殺した。
彼は、頑なだ。融通がきかない人間だ。
きっと利点も欠点もあるだろうに、それを与えられるべきものではないからと言って拒絶する。
解き方ではなく答だけを教えようとする教師を相手にするように、不要だと言ってのける。
必ずしもこの世界の人間全てがこう思っているわけではないだろう。
むしろ、医療や交通、通信などの技術を欲しがる人間は多いはずだ。
けれど雫は、一人自分の意志を示す彼の姿を気高いと思って…………自分もそうなりたいと強く意識する。
自分の考えを真っ直ぐに持ち、示せる男の姿勢が、彼女のなりたい自分のイメージと似ているように感じたのだ。

ただ、ずっと後に彼のこの時の言葉を思い出すことになるとは、今の彼女はまだ思いもしていなかった。
それは彼女が世界に隠された大きな違和感に直面した、その後のことであるのだ。