禁じられた夢想 030

禁転載

全体的に球状であることを除けば、3Dで描いた非常に複雑な建築物の骨組み図のように、それは見えた。
雫は自分で描いた図を何度も見返し感嘆の息をつく。
「これでどうでしょう」
五度目の清書となった紙をエリクに手渡すと、彼は軽く眉を上げて驚いたようにその図に見入った。
「……凄いね。申し分ない」
「あってるかどうか私には分からないんですけど」
「あってる。あとは各系列の説明を僕が書き込めば完成だ」
事実上の終了宣言に、雫は両手を上げた。万歳をしようとして、そのまま力尽きて机に突っ伏す。
この四日間、二人は提出用の構成図にかかりきりになっていた。
まずは一般に解放されている図書館から、魔法を知らない雫の為に構成図を集めた魔法書を借りてきて感じを掴むことから始めたのだが、それはもう実に厄介そう な代物だった。
構成図は、立体的な魔法構成を真上から見た図、真横から見た図、そして俯瞰図の三つが必要とされる。
中でも俯瞰図は、立体設計図のような分かりやすさと緻密さが要求され、雫などはどちらかというと建築学科の人間がやった方がよいのではないかと思ったくらいだ。
そして、エリクが彼女に要求したものはそれら本に載っていたどの構成図よりも、複雑な作りをしたものだった。
絵で説明するにはあまりにも絵が不得意な彼の口頭説明を受けて、本当に出来上がるのかと何度も思ったものだが、ラフ画を何十枚も経た挙句、何とかぎりぎり完成 へと至ったのである。
必要事項を書き込み終わったらしきエリクは立ち上がると書類をまとめた。
「お疲れ様。僕は城にこれを提出してくるけど、お礼に何か欲しいものとかある?」
「お構いなく。旅に付き合って頂けてるだけでも嬉しいですから。これくらいやらせてください」
それは彼女の偽りない本音だ。
雫は今まで色々な場面で自分が足手まといであり、旅をするのにさえ無力だということを思い知ってきている。
そんな中、今回自分が彼の役に立てたということは思っていた以上に嬉しかった。
苦労して描き上げた構成図は、何だかこの世界にも自分の居場所があるような気にさせてくれたのだ。
「あ、私もちょっと散歩に行って来ていいですか?」
「いいよ。メアも一緒にね」
机から顔を上げた雫の頭の上で、小鳥が鳴く。
メアの反応に頷いたエリクが部屋を出て行くと、雫は大きく伸びをして出かける支度を始めたのだった。

外は清々しい程の快晴だった。
ここ四日間宿にこもりきりだっただけに、午後の日差しが実に気持ちよく感じられる。
人のざわめきが街に活気をもたらし、店の呼び込みの声に混じって微かに弾むような音楽も聞こえた。
子供たちが人込みをすり抜けるようにして何人も駆けて行くのを見ると、雫もつい顔をほころばせてしまう。
元の世界なら近くの公園でテイクアウトのコーヒーを飲みながら本を読むといったところだが、コーヒーのないこの世界、彼女は道を行く人々の流れに乗ってあちこ ちの店先を覗きながらふらふらと歩き回っていた。
ショーウィンドウのある店は多くないが、その分表にまで品物を並べている店は多い。
中に色水の入った硝子球など何に使うのか分からないものから、どことなくアンティークなランプまで、雑貨を見て回るだけで少しも飽きがこなかった。
雫は手にとって見ていた陶器の人形を台の上に戻すと隣の店の前へと移動する。
そこには硝子の大きな窓越しに、少し凝った作りのドレスが飾られていた。
煌びやかな色でも生地でもない。生地はどっしりとした厚手のもので、ベージュ色を元にしてゴブラン織りのように精巧な花の模様が織り込まれている。 広がったスカート部は中にクリノリンでも入れているのか綺麗な曲線を描いていた。 腰には幅広い漆黒の帯が巻かれており、後ろで大きなリボンに結われている。胸元は四角く開いており、下にもっと薄いベージュの立て襟のブラウスが着せられてい た。
裕福な家の子女が普段着として着るようなそのドレスに、雫は足を止めつい見惚れる。
「こういうのってやっぱり私、似合わないのかな」
溜息と共に疑問を吐き出すと、頭の上で小鳥が小さくさえずった。
少し前に湖底で一度豪奢な白いドレスを着たが、その時は衣裳が凄すぎて何だか日本人である自分の顔立ちに合わないような気がしていたのだ。
今は町娘のような飾り気のないブラウスとスカート姿だが、これはこれで見慣れてきている。
ここに飾られているような地味な色のドレスなら少しは似合って見えないかと雫は悩んだ。
勿論馬に乗るような旅だ。こんなドレスを着ては満足に進めないだろう。
それでもたまには、綺麗な服を着てみたいという欲求もあることは確かなのだ。
「元の世界ではね、夏はもっと薄着だったの。腕とか足とか背中とか出して。
 こっちの世界はそんな蒸してないせいか、さすがに背中は出さないよね」
はたから見たら鳥に話しかけている変な人間に見えるのかもしれないが、雫にとってはメアは鳥ではなく友人である。
幸い人通りはそれなりに多いせいか、わざわざ彼女に奇異な目を向けてくる人間もいなかった。
じっとドレスを見上げていた雫は、けれど苦笑してかぶりを振る。
「次行こっか」
諦めることは決して苦手ではない。
物事には優先順位というものがあるのだから。
雫はドレス屋の看板の下をくぐって次の店へと視線を移す。
花と衣裳が描かれたその看板の隣には、黒い蛇のオブジェがかかっていた。

最後に入ったのは、先日エリクと一緒に来た魔法具の店だった。
あの時は買うものが決まっていたのであまり他のものが見られなかったが、雫は矢張り魔法の品物が気になって仕方ないのだ。
薄暗い店内は占い屋の雑貨コーナーのようでもある。
同じものが二つとない小さな店内を、彼女はきょろきょろと見て回った。
手にとって見たいアクセサリや不思議な形の道具も多いが、魔法士でない彼女には触っていいものかどうか分からない。
身を屈めて一つ一つをじっくりと見るだけに留めていた雫は、その中にふと黒い二重円のペンダントトップを見つけて、例の蛇に似たオブジェのことを思い出した。 店の奥で手袋を嵌めて小さな銅像を磨いている店主に声をかける。
「あの。あれって売ってないんですか? あちこちの軒先にかかってる蛇っぽい黒の……」
「シューラ像かい。あれはないよ。魔法具じゃないから」
「あれ。じゃあ何なんでしょう? 流行の置物とか?」
「違う違う。宗教だよ。おまじないみたいなもんだ」
「宗教?」
頓狂な声を出してしまって雫は思わず自分の口元を押さえる。
だが言われて見ればそう変わった話でもないだろう。元の世界でも田舎にいけば玄関に御札を貼ってある家も多くあるくらいだ。
彼女は納得すると振り返って窓越しに店の外を見た。
「あちこちにかかってますけど、この店にはないですよね」
「ああ。魔法士は基本的に無神論者ばかりだからね。俺は魔法士じゃないけど、こういう店やってるせいか信仰ないんだ」
「なるほど。ありがとうございます」
雫が返答の礼を言うと、店主は軽く手を上げて笑う。店の雰囲気とは逆に、明るく気さくなおじさんだな、と彼女も微笑んで会釈した。
これくらいのささやかな挨拶で人は気が軽くなれるのだから不思議だ。更に色々見た後に雫は店を辞す。
よい気分転換になったと思えたのはしかし、店を出てすぐまでのことで…………
まるで待ち伏せていたように道に立ち塞がる男に気づいて、彼女はキャッチセールスに話しかけられた時のような顔になってしまった。
「よう、雫。偶然だな」
「………………ストーカー」
冷ややかな切り返しにも怯みもしない。
剣を佩いた長身の男―――― ターキスは、にやにやと笑いながら仏頂面の雫を見下ろしたのだった。

「そのストーカーって何だ? 誉め言葉か?」
「そう。あなたみたいな人を誉めてストーカーって言うんです」
「つまりまた俺に会えて嬉しいと」
「嬉しそうに見える? この顔が」
「嫌そうに見えて実は……ってやつだろ」
「全然違うっての!」
雫は力の限り隣の男を殴りたくなったが、彼女の腕力で職業的に体を鍛えている男に痛手を与えられるとは到底思えない。
心の中で「暴力はよくない、暴力はよくない」と唱えて何とか強い誘惑を退けた。
一体どこからつけられていたのか。彼女はターキスの「偶然」などという申告をまったく信じていない。
これだけの人出だ。気配にうとい雫の後を追って来るくらい造作もないことだったろう。
二人で連れ立って、というより帰る彼女に勝手について来ている男は、一軒の店の前に差し掛かると突然足を止めた。
そのまま立ち止まらず歩いていこうとする雫の腕を、ご丁寧に取って引き寄せる。
「何? 離してよ」
「まぁまぁ。ほらこれ」
ターキスが指し示したのは先ほど雫が見惚れていたドレスだった。虚をつかれて軽く驚く彼女に男は顔を寄せて笑いながら囁く。
「買ってやろうか? きっと似合うぞ」
「み、見てたな」
「見てない見てない。それより欲しくないか?」
「…………いらない」
それだけ言って歩き出そうとする雫をターキスは再び引き寄せる。肩に腕を回して逃げ出せないように抱え込んだ。
体格差の激しい相手にべったり拘束され、彼女は嫌悪も顕に手をばたつかせて暴れたが、ターキスはそれを難なく抑えると楽しそうに笑った。
「離してってば!」
「正直に言った方が得をするぞ。着てみたいと思ってただろう? 似合わないなんてことはない。
 少し頬と唇に紅を差して髪に香油を塗ればいい。黒絹のように艶が出て映えるだろう。瞳も同じ色だしな」
品定めをするような無遠慮な視線で見つめられて雫は顔をしかめる。
そう言えば初めて会った時も、日焼けをしてると言われて不愉快な思いをしたのだ。
この場にバッグを持っていたらぶつけてやっただろうが、何も持っていなかったのでただ雫は男を睨んだ。
「物で釣ろうったっていらないの! 大体、得体の知らない男の着せ替え人形になったって嬉しくないから!」
ぴしゃりと返すと、ターキスはいささか驚いたようだった。雫の肩に回していた腕を上げ、頭を掻く。
「欲がないというか……固いな。あの男の影響か?」
「もともとこういう人間! 何の取り得もないただの旅人ですから! もうほっといてよ」
この男とは話をしていればいるほど不快が増していく気がして仕方ない。
雫は腕が離れた隙に男の傍から駆け出した。しかしすぐに肩をつかまれる。
「と、言われても気になって仕方ない。本当はお前はどこから来たんだ? 東の大陸じゃないだろ。
 何故ファルサスを目指している? 魔法のこともよく知らなかったようだし魔法士じゃないみたいだが、あの国で何をしようというんだ?」
「知らないって!」
「教えないとこのまま攫ってくぞ」
軽い声。しかし奥底に響く本気に雫はぞっとした。思わず体が強張る。
―――― エリクはこの男について何と言っていたか。
ああいう輩は実力行使をしかねないから、貴族に売られるかもしれないから、気をつけろと言わなかったか。
ようやく自分の状況を感じ取って恐怖を瞳に宿した彼女に、ターキスは顔を近づけると口元だけで笑った。
「お前には何か秘密があるんじゃないか? 文字を知らない魔法も知らない。かといって記憶がないわけでもない。
 なら……代わりに何を知っている?」
「……何も」
「そうかな。俺は結構鼻が利くんだ。―――― お前からは異質を感じる。それと、何かの予感が。
 何か力があるなら俺と一緒に来ないか? 二人で協力すれば名でも財でも手にはいるかもしれない」
誘惑とは、毒のような力があるものなのかもしれない。
目の前の男には確かにそういった力があった。人の心をくすぐり、その気にさせる力が。
まるでメフィストフェレスのようだ、と雫は思う。
だが彼女はファウストではない。まだ自分の生に絶望していなければ、優れた才など持ち合わせてもいないのだ。
雫は深く溜息をつく。
それは自分と彼の両方に、現実を思い知らせようとしているかのようだった。
「……勘違いだって。私は何も出来ない小娘です。自分一人じゃ旅だって出来ない」
だから、彼に助けられているのだ。
ただ一人彼女の素性を知り、信じてくれた魔法士の男に。
特別な力などない。たとえ知識があっても伝える気にはならないだろう。
世界を動かしたいわけではない。
彼女が望むのはただ、元の世界に帰る事。そして、他の誰とも比べない自分を創る事の二つだけなのだから。