禁じられた夢想 034

禁転載

何故、兵士がここに来ているのか。
雫は早くなる鼓動を自覚しながらも、自分には関係のないことだと思い込もうとした。
何の心当たりもないのだ。堂々としていればきっと通り過ぎられる。
それでも自然と息を殺して様子を窺っていた彼女は、兵士たちが中に入ってくる気配に緊張して身を竦めた。見つからないようもう一歩下がる。
宿屋の主人だろうか、慌てて誰かが出て行く物音が夜の宿に不思議な程大きく響いた。
「これは……どういったご用件でしょう」
「人を探している。黒い瞳の若い娘だ。魔法士の男と一緒に行動していたはずだが」
つい声を上げそうになった雫は慌てて自分の口を手で塞いだ。肩に止まる鳥と目を合わせる。
黒い瞳で魔法士の男と一緒にいた娘など、この宿には他にいない。雫を探しに来たのだ。
自分だと出て行くべきか否か、彼女は動転しながらも必死で考えを纏めようと意識を集中した。肩にかけたバッグの持ち手を握る指に汗が滲む。
「その娘がどうかしましたか?」
「別に問題があるわけではない。ただ連れのことで聞きたいことがあるだけだ」
やはり城で何かがあったのだ。そしてエリクはそれに関係している。
詳しいことを知りたいという焦りが雫の中に生まれたが、彼女はそれだけで飛び出して行くほど無謀でもなかった。気配を殺したまま壁に身を寄せる。
「揉め事ですか? 困りますよ、そういうのは」
「大したことではない。それに城からの正式な命だ。隠し立てすればお前にも咎は及ぶぞ」
それを聞いた瞬間、雫は踵を返すと入り口とは逆方向に向って歩き出した。本当は走り出したかったのだがばれてしまっては元も子もない。
震えそうになる足を内心叱咤して、彼女は静かに裏口へと向かう。
―――― 出て行っては不味い。そう思わせる険が兵士の口調にはあったのだ。
決して善意や義務感だけではない威圧と棘のある気配は、まるで犯罪者を探しているかのようである。
自分の気のせいかもしれないとも思ったが、雫は反射的に名乗り出ないことを選んだ。宿の裏口に辿りつき、掛け金をはずすと暗い外に出る。
無言のまま小走りに手近な角二つを曲がると、彼女は閉まっている店の壁によりかかって空を見上げた。
建物と建物のほんの細い隙間に城が見える。硝子のドームが内側からの淡い光で神秘的に輝いていた。
「どうしよ……」
ぽつりと零れた言葉に不安を覚えたのは誰よりも彼女自身である。雫は肩の小鳥を両手の中に抱き取ると目の前に持ってきた。
「ね、メア。どうすればいいかな。エリクがどこにいるか分からない?」
雫には無理だが、メアは本来魔族であり、使い魔としての契約にはエリクの名も刻まれているはずだ。
なればこそ彼の居場所を魔力を辿って判別することも可能かもしれない。彼女は切なる希望を込めて自らの使い魔を見つめる。
メアは軽く首を傾げると、主人の「お願い」を受けて浮かび上がった。それは鳥として飛ぶのではない「浮遊」だ。
雫が慌てて支えていた手を引くと同時に緑の小鳥の輪郭が歪む。緑の色が空間に染み出した。
目を丸くしたのは一瞬。―――― 気がつくとそこには緑色の髪の少女が佇んでいた。
「メア!」
「ご注意を、マスター。この街の城近くには今現在異様な魔力がうずまいております」
「異様な? それって……エリクは?」
「魔力が感じ取れません」
「え?」
端的な返答に雫は戦慄を覚える。生まれてからずっと彼にあるはずの魔力が感じ取れない。つまりそれの意味するところは……
「ご安心下さい。城の魔力が強力すぎて探知できない可能性があります。私はそれ程強力な魔族では御座いませんので」
蒼白な顔色になってしまった雫は、付け加えられた言葉を聞くと気が抜けて座り込みそうになった。
微かに震える片手で顔を覆う。
「無事ってことかな……」
「確証がないことは申し上げられません。ですが、彼の方が生きてらっしゃるなら城にいらっしゃるとしか思えません」
「城で何かがあった?」
「強大な魔力が蠢いています。ゆっくりと成形されつつある……何か…………よく、分かりません」
エリクは「何かの仕事」をする為に城に行った。おそらくそれが、今の事態と関係しているのだろう。雫はもう一度遠くの城に視線を送る。
彼はきっとあそこにいるのだ。何かが起きつつある城に。もしかしたらそこで危機に陥り、助けが必要なのかもしれない。
ただ……先ほどの兵士たちが本当に城の命令で彼女のところに来たのだとしたら、城に近づいては捕まってしまう可能性も高いだろう。
そうなっては彼を助けるどころか足手まといになりかねない。自分の身を最優先にするならどこかで隠れていた方が無難と言えば無難だ。
だがそれでも。
もし「何か」が起きているのだとしたら、彼女にはエリクを見捨てるという選択肢はなかった。
世界の存亡を賭けて旅をしているわけでも、大事な人を救う為の旅でもない。恩人を、旅の連れを踏み台にしてまで先に進むほどの理由を雫は持っていないのだ。
そんなことをしなければならないくらいなら、最初から旅になど出なかった。元の世界に帰れぬままあの小さな町で一生を終えることさえ彼女は選べたのだ。
しかし彼女は旅立つことを選んだ。人の好意を助けに可能性を追い求めることを望んだ。
―――― だから、「見捨てる」などということは、諦めることは最初から思いつかない。
捨てたくないものを捨てるつもりは、毛頭ないのである。
雫は深く息を吸う。緊張に波打ちそうになる精神を、ゆっくりと吐く息と共に整えた。
初めてこの世界に来た時、そうして砂漠を越えたように、自らの意志を静かに、けれど強く保つ。
重いバッグを支える指を握り直して、こちこちに固まっていた手に気づくと少しだけ苦笑した。
「よし、行ってみよう。どこかから忍び込めるかも」
主人の声に応えてメアは再び小鳥へと戻る。使い魔に左手を差し伸べて雫は歩き出す。
そして、誰からも予想外である異質、無力なジョーカーは夜に溶け入って消えていったのだ。

「それ」が何であるか、エリクが気づいたのは奇跡的な早さであっただろう。
少なくとも集められた五十人の中で、「それ」が何だか分かったのは彼だけだった。
しかしそのことは必ずしも彼が構成を読み解く能力に秀でているという結論を導くわけではない。
なぜならエリクは「それ」が何だか分かる下地を持っていた唯一の人間だったのだ。つまり、彼は前にも似た構成を見ていた。―――― 小さな村の呪いの塔の構成を。
二つの構成の類似に気づけば、そこから読み解くのは早かった。おおよそを把握すると同時にエリクは己の迂闊さに舌打ちしかける。
百二十年前に作られたというノイ家の塔は、城都にいた女がかぶれていた宗教の教えで作られたものなのだ。
ならばその宗教の母体は城都にあったということで……百二十年が経過した今も、何かしらの城都に影響を残していたのだろう。 何故その可能性に今まで思い至らな かったのか。旅には関係ないから仕方ないのだとしても気づかぬまま事態が悪化してしまったことは確かである。
あの塔には、人の精神を気づかれないうちに徐々に侵蝕する構成が組み込まれていた。
そして、今彼が関わっているこの構成は――――
「正気じゃない」
エリクは口の中のみで消え去る呟きを零す。
そんなことは未だかつて「起きた事がない」のだ。
千年を越える大陸の記録にさえない。未遂と思われる事件が何回か起きただけで。
そしてその事件のどれもが、未遂にもかかわらず少なくない人命を消費することとなった。
紛うことなき禁呪。
それが今、彼の触れている構成だ。
これを完成などさせてはならない。だが、どうすれば食い止められるのか。彼は考えながら更に二時間、構成を繰る。
―――― 奇異なのは、これが城によって組まれている構成ということだ。
過去起こった片手で数えられるほどの未遂事件はどれも、決して人数が多くない集団が密かに準備をし、狂信的な理由のもとに実行に移したものだった。
城や国が率先してこういった構成を組ませたことなどない。それはそうだろう。この構成が発動すればまず、周囲一帯にあるものは滅びてしまうのだから。
だからおそらく、城の人間の中にもこの構成がどういうものなのか真実を知らない人間は多いはずだ。
兵士か、魔法士か、あるいは王か。
彼らを説得して味方を増やすことができれば、この構成を止められる可能性は格段に上がる。
エリクは長い詠唱を経て構成の第二十から第二十五系列までを組んだ。広がる系列は左右の同じものと繋がり絡み合う。
次は第七と第三一系列。これも慎重に詠唱を重ねて彼は対角の構成と繋げた。
―――― 重要なのは人を見る目。誰が構成について誤った情報を持っているのか。誰が話を信じてくれるのか。
危ない橋だ。誤れば即、殺されかねない。
詠唱を重ね、ひたすらに構成を組み上げながらエリクは周囲を窺う。
今、この部屋にいる城の魔法士は二人。壮年の男と、エリクと同年代くらいの若い男の二人だ。
壮年の男の方が服装からいっても権力がありそうだが、気難しそうな顔立ちは、部外者の彼が提言しても容易くは信じてくれないのではないかと思わせる。
話をするなら若い男の方だろうか……。動く為の機を見ていたエリクだが、それは以外にも早くやってきた。
別の魔法士が外から入ってくると、壮年の魔法士を呼び出して二人で何処かへと出かけていったのだ。
これで兵士を除けば部屋にいる見張りは若い魔法士のみとなった。エリクは短く決断する。きりのいいところまで構成を組んでしまうと片手を軽く挙げた。
「すみません。少し休憩で外に出たいのですが」
「ああ、いいよ。私も付き添うがいいか?」
「お願いします」
もしここで、自分が殺されたのなら。雫はどうなるのだろう。
出来れば考えたくはないが、考えなければならない疑問が彼の中に沸き起こる。
彼女は割合しっかりしている人間だ。メアもいることだし自力で最初の街に戻ることもできるかもしれない。あるいは別の同伴者を見つけることもできるかも。
絶対に代わりがきかないという程の存在ではないのだ。彼女にとって自分とは。
―――― だが……彼女はきっと悲しむだろう。あの性格なら、帰って来ない彼を真摯に待ち続けるかもしれない。
それはちょっと嫌だな、とエリクは思う。
何故かはよく分からないが、あまり彼女に悲しい顔をさせたくない。
ファルサスまではまだ遠い。彼女は元の世界に帰らなければならないのだ。
エリクは平静を保ったまま城の魔法士と連れ立って階段を上っていく。その果てに見える小さな空は、残照が薄青く染めていた。
彼は一度だけ振り返る。遠ざかる暗い城の地下から濃密な魔力が黒い手を伸ばし追って来るような、そんな気がした。