禁じられた夢想 038

禁転載

ターキスは黒尽くめの男たちと共に、更に店の奥にある個室へと移動した。勿論雫も一緒である。
彼は彼女に「待っててもいいぞ」と言ったが、雫自身が話を聞きたいと同席を希望したのだ。
ターキスを除いた男たちは、明らかに戦闘とは無縁に見える少女に物言いたげな視線を送ってきたが、雫はそれを無視した。
何と思われようともこちらにも事情があるのだ。彼らの話がこれからに関わってくるなら聞かないという選択肢はなかった。
それぞれの席に落ち着くと壮年の男はテーブルの上で指を組む。彼が黒尽くめの男たちの上司のようなものにあたるらしい。男はセルーと名乗った。
「お前は横の繋がりも広いらしいから他の人間への口利きも早いと聞いたのだ、傭兵」
「仕事を頼むつもりなら名前で呼んでくれよ。確かに知り合いは多いがね」
「ならばターキス、我らの依頼は一つだ。城への攻撃を仕掛けたい。明日中にだ。その為に人を集められるか?」
雫は声を上げそうになって唇を噛む。やはりこの男たちはあの戦闘に加わっていた者たちなのだ。
そしていまだ諦める気配はない。それは一体何の為だというのか。
ターキスは横目でちらりと雫を見た。口の片側だけ笑っていたように見えたのは気のせいだろうか。
「傭兵を雇って国相手に戦争しようっていうのは稀にある話だが、規模と期間が普通じゃないな。
 明日中にこの辺にいる奴らだけなんて無謀だろう?」
「だがやらねばならん」
「何の為に?」
「国が滅ぶ」
端的な答にさすがのターキスも絶句した。隣で雫が口を押さえる。
城に渦巻いているという異様な魔力。それは国をも滅ぼすものだったというのか。
雫はまだ城にいるであろうエリクが今どうなっているのかを考えて、不安に血の気が引いていく自分に気づいた。
今すぐ城に戻りたい。飛び込んで彼の名を呼びたい衝動に駆られる。
だが焦燥に気分さえ悪くなりかけた雫は次のターキスの声で我に返った。
「何で滅びるんだ。さすがにありえないだろ」
「禁呪だ。完成すればこの街を飲み込んで人が皆狂う。だから、その完成を止めたい」
「―――― 禁呪」
それは、聞いたばかりの単語だ。
まだ宿にいたエリクが教えてくれた言葉。使ってはいけない魔法。かつてもそれによって滅びた国がいくつもあるという。
あってはならないものが間近で蠢いているという事実がすぐには信じられなくて、雫は何度もまばたきをした。
「禁呪? また物騒な単語が出てきたな。情報源はどこだ」
「言うことはできない」
「じゃあこの話はなしだ」
拍子抜けするほどあっさりとターキスが言い放つと、セルーと名乗った男は顔色を変えた。立ち上がりかける傭兵を慌てて留める。
「待ってくれ! 言う! 言うから最後まで聞いてくれ! ―――― 情報源は我らそのものだ!」
「何だそりゃ。分かりにくいぞ」
「だから…………その禁呪を城に組ませようと画策したのが我らなのだ」
ターキスと雫は顔を見合わせる。
お互いの目を見ながら言われたことを咀嚼して…………元通りセルーを見ると、二人揃って
「馬鹿?」
と言った。

「馬鹿とは何だ! あれがあんなものだと分かっていたら私も止めていた!」
「あー、まー、はい。分かったから。声大きいぞ」
やる気なく振られた手にセルーは状況に気づくと、浮き上がっていた腰を落として口をつぐんだ。幾分冷静になったらしく今度は声を潜めて問う。
「そういうわけで……納得してくれたか? 受けてくれるか?」
「いやー……理解はしたが。つまりは組ませようと思っていた禁呪と実際組まれている禁呪が違ったってことか?」
「ああ」
「自業自得だろ、それ。他の人間に尻拭いを押し付けるなよ」
ターキスのそっけない言葉は男の痛いところをついたらしい。セルーは喉に物が詰まったような顔になると黙り込んだ。
「もとはどんな禁呪を使うつもりだったかは知らんが、禁呪ってところからして駄目だろ。ファルサスにばれたらどの道国ごと滅ぶぞ」
「……分かっている」
歯切れの悪い返事にターキスはまったく感銘を受けたように見えない。彼は手を首にあてて軽く横に揺らすと鼻を鳴らした。
「大方あんたら宗教絡みだろ? その格好と感じからして、この街に蔓延しているシューラ信仰の一派か?」
セルーはこれには答えなかったが、沈黙は肯定と同義であることは誰から見ても明らかである。
街のあちこちで像を見かけるほど浸透している宗教が、禁呪の黒幕であるという事実に雫は唖然とした。魔法士が基本的には無信仰だというのもこういうことがある からなのだろうか。彼女自身もまた無信仰であるが、人の信仰を尊重する気持ちは持っている。ただ、今後街中であの神像を見かけても無心でいられるかどうか自信 はなくなっていた。
セルーは苦虫を噛み潰して味わっているかのような顔で沈黙していたが、深く息を吐き出すと共に口を開いた。
「それで……やってくれるのか? それともこの国から逃げるか?」
「先に聞かせろよ。どうすれば止められる? 城の全破壊とかはさすがに無理だぞ」
「城の魔法士長は我らが送り込んだ同志であった。もし奴がまだ事実を知らないだけならば、説得で止められるかもしれない。
 そうでなければ構成を組んでいる臨時の魔法士たちを端から殺せば済む」
「ちょっ……!」
叫びかけた雫はすかさず伸びてきたターキスの手に口を押さえられた。もがもがと暴れるがまったく離してくれない。
大きな手はがっちりと顔の下半分を覆っており、両手をかけてもはずれそうになかった。
「厄介だな。しかも時間制限つきか。流れ者に頼むような仕事じゃない」
「なら、別の者にあたる。時間は惜しい」
「そう言うな。やるさ。面白いからな」
さらりと返ってきた返答にセルーは自分が依頼を申し出たにもかかわらず瞬間ぽかんとした。
半分くらいは断られると予想していたのだろう。残る三人の黒尽くめたちも目を瞠る。
ターキスは自分が口を押さえたままの少女を一瞥すると人の悪い笑みになった。何もかもを楽しむような飄々とした笑顔の仮面だ。
「それに、こいつからも依頼を受けている。城にいれてくれとな」
雫は男の手を噛もうとしていた歯を止める。見上げるとターキスは片目を瞑って返してきた。
彼女が視線を漂わせると、セルーはまるで馬鹿を見るような目で彼女を見つめており―――― 雫は何だか釈然としない気持ちを味わう羽目になったのだった。

話がまとまると、雫は近くの宿屋の一室に放り込まれた。
彼女をここに連れて来たターキスは「色々下準備がある。動くのは明け方になるから仮眠しとけ」と言ってどこかに行ってしまったのだ。
このまま置き去りにされるのではないかとも怪しんだが、深夜であり疲れていることも確かである。
窓からは城も見えることだし、騒ぎが大きくなれば気づくだろう。寝不足で足手まといになってはよくないと判断すると雫は服のままベッドの上に丸くなった。メアは 見張りをするつもりなのか窓辺に飛び移って小さく鳴く。彼女は使い魔に「おやすみ」とだけ返した。
今まで神経を張っていたせいか、彼女はあっという間に深い眠りの中落ちていく。
断続的に見た夢は、元の世界で家族と一緒に笑いながら食事を取っている夢で……
―――― それが現実ではないのだという自覚がある雫は、姉や妹に向って笑いかけながらも…………一人だけ少し泣きたかった。



起こされたのは翌朝という程の時間ではなかった。窓から見える夜明け前の空は真っ暗であり、街は静まり返っている。
雫はぼんやりする頭を振るとベッドから立ち上がった。戸口のところに立つターキスが呆れた目でその様を眺める。
「乗合馬車でも思ったが、お前本当にどこででも寝るんだな」
「ベッドで寝て何が悪いか。起こしてくれてありがとう」
「はいはい。どういたしまして。その重い荷物は持ってくのか?」
「当然。これで殴られると結構痛いよ」
自分のバッグを肩にかけ雫は歩き出す。男の前に立つと、彼は棒のようなものを彼女に向かって差し出してきた。
「これも持ってけ。何があるか分からないから」
「……剣?」
「お前みたいなやつでも何とか扱える。長すぎず重くない」
目の前に出された無骨な黒い柄を、彼女はじっと見つめる。かつてエリクに短剣を勧められ、つき返した時のことが嫌でも脳裏に甦った。
「武装したら戦意ありって取られるんじゃない?」
「何を今更。侵入する時点で叛意ありだろ」
これだけのやり取りで、そして雫が手を出そうとしないことで、男は彼女が武器を持ちたがっていないことを看破したようだった。
ターキスは長身を屈めると雫の顔を覗き込んでくる。
「持っていけ。いざと言う時なくて困っても知らないぞ」
「人に向ける為に?」
「自分を守る為にだ」
雫は決して徹底した平和主義者でも何でもない。ただ、自信がないだけなのだ。人を傷つける道具に自分が惑わされないという自信が。
道具を道具として御せる自信がない。だから一度は断った。力を持つことで気を大きくしたりはしたくなかったのだ。
あの時の短剣はエリクが持っている。今は城で揉め事に巻き込まれているのであろう彼が。そしてあの剣は、本来彼女の為のものだった。
「使いたくないよ。人を斬りたくはない」
雫は言いながら手を伸ばす。硬い柄をしっかりと握ると、そのまま剣を受け取った。
男は可笑しそうに笑う。何もかも見透かすようなその笑いにはいつも腹が立つのだ。
「なら努力しろ。武器よりも怖いものはたくさんある」
バッグのファスナーを半分ほど開けると、雫は短剣より少し長めの剣を鞘ごと斜めに押し込んだ。
柄の部分だけ外に突き出させ、それが前にくるように左手でバッグを持ち直す。
テニスラケットが持ち手だけスポーツバッグから出てるのに似てるかな、などと彼女は思ったのだが、ターキスはあからさまに眉を寄せた。
「何だそりゃ……格好悪いぞ」
「うっさいな! 格好は二の次でしょ!」
「別に俺は構わんが。……間抜けだな」
「うるさいって!」
「ま、悪くはないか」
ターキスはさっさと背を向けると歩き出す。その後を黙って雫は追った。

この世界では、人は死ぬとそれきりなのだという。
それはとても怖い。本当に、生とは一度だけで後には人は何にもなれないというのだから。
重い、とこれ程までに実感を以って感じたのは初めてだ。まるで人々が当たり前のように生きていることが奇跡に思えるほど、死は冷たい。
だから誰かの命を押し退けてまで進みたくはなかった。自分の為に誰かを終わりにしたくない。
けれど雫のその感情は理想の領域に属するもので……彼女はだからと言って、誰かの為に自分やエリクを終わりにさせてしまう気もまた、微塵もないのである。
「メア、力を貸してね」
主人の声に小鳥は頷く。
日が昇り始めぬ早朝。こうして静寂の中、二日目は静かに幕を開けたのだった。