禁じられた夢想 040

禁転載

遠くで何かが激しく爆ぜるような音がした。その音の最後に男の悲鳴がいくつか重なる。
まるで爆竹のようなすさまじい音に雫は反射的に振り返ったが、来た道もなく鬱蒼とした庭木があるだけの林には何も見えない。前を行くターキスが笑った。
「リディアが暴れてやがんな」
「リディアさんが?」
「あいつの力は宮廷魔法士並だ。おまけに実戦経験は並じゃないし。まず敵に回したくない人間だな」
「へー」
ひょっとして、ターキスと最初に会った時に「ファルサスに直通で門を開ける魔法士がいる」と彼が言ったのは、彼女のことを指していたのだろうか。
考え事に気を取られそうになりながらも雫は目の前の低い植え込みを飛び越えた。前を行く男に声をかける。
「もうちょっと右。方向ずれてるよ」
「そうか? 真っ直ぐ来てると思うが」
「ずれてる」
断言すると男は訝しさを拭いきれない表情をしたものの従ってくれるらしい。二人は枝を掻き分ける音を立てながら前へと進んだ。
先程までは真っ暗だった周囲が次第に薄明るくなり始めている。夜が明けるのだ。
そしてそれは、禁呪を止める為のタイムリミットが迫りつつあるということでもある。
術は三日目に完成する。それを止める為にこれから苛烈な戦いが繰り広げられることになるだろう。
「大体さ、セルーだっけ、あのおじさん。城の魔法士と仲間なら連絡取れないのかな」
「取れないんだと。もともと教団と城との繋がりは極秘で、連絡も主教を通してしか出来なかったらしい。
 だがその主教が今行方不明だ。セルーははっきりとは言わなかったが、主教は禁呪の本当の効果を知ってて教徒を騙してた可能性がある」
「あちゃー。そりゃ駄目か」
二人は建物に真っ直ぐ向うのではなく、城の外周にある林を建物の壁と平行方向に進んでいる。
陽動や侵入した一団に兵士たちがひきつけられている間に、離れた入り口から侵入しようとしているのだ。
雫は足を止めぬまま徐々に遠ざかる戦闘の音に耳を傾ける。
「じゃあさ、お城の人に片端から実はあの禁呪は国が滅んじゃうんだよ、って言ったら?」
「何で禁呪のことを知ってるんだってなってやっぱり戦闘だ。だが、そんなことより自分のことだけ考えてろ、雫」
ターキスの言うことには一理あったので雫は口を噤んだ。今はとにかく目の前のことに集中すべきだ。
この作戦には百人以上の人間が関わっているという。ならば自分が思いつくようなことは既に議論済みのことなのだろう。
『国が滅ぶ』
何度思い返してもそれは非現実的な言葉だ。
どうしたら国がそんな簡単になくなってしまうのか。
もし、この作戦が失敗したら、一体何が起きてしまうというのだろう。

林の終わりが見え始める。すぐ左手には白い塔状の建物。右には城壁だ。
幸い視界内には人影はない。二人は頷き合うと林の外へと飛び出した。
建物についている小さな木の扉へと向う。ターキスはナイフを取り出すとそれを扉と壁との隙間に捻じ込んで掛け金を外した。
周囲を警戒しながらまず中に誰もいないことを確認し、雫を先に押し込む。
城の一番北東にあるこの建物は、事前調査で女官たちが出入りする備品倉庫になっているらしいと分かっていた。
明け方のせいか、城の複数の場所で騒ぎが起こっているせいか、人の気配はない。二人は手近な扉から開いていき、三番目の扉で目的の部屋につきあたった。
城の使用人が着る服を保管している部屋。備え付けの棚には何種類もの衣類が畳まれ並べられている。
雫は無言で棚に駆け寄ると、その中から自分が着れそうな女物の服を探し出した。
手に取ったものを広げてみると灰色のシンプルなワンピースだ。足首まであるスリムなデザインの服は召使か何かのものであろう。
「これでいいか。ちょっと着替えるから出てってよ」
「無茶言うな。廊下にいて誰かに見つかったらどうする」
「じゃあせめて後ろ向いて」
「見られても減らないと思うぞ」
「減るよ? あなたの髪の毛の量とか」
言いながら手をわきわきさせて「引き抜いてやるぞ」とアピールすると、ターキスは形容しがたい苦い顔をしながら後ろを向いた。
遺伝的に髪を大事にしなければいけない心当たりでもあるのだろうか。他人事な感想を抱きながら雫は急いで着替えを始める。
戸棚に飛び移ったメアは興味深そうにあちこちに首を動かした。それを時折見上げながら、彼女は上から下まで二十個近いボタンを全て止める。
ワンピースを着てしまうと、髪を覆う布ははずすべきかそのままにしておくべきか、どちらが目立たないだろうかと少し悩んでしまった。
こんなことなら元の世界にいた時に茶色にでも染めておくべきだったかもしれない。
エリクが今まで何も言わなかったところをみると、この世界では髪を染めるという行為はそれ程一般的ではないのだろう。
その時悩む雫の頭にぽんと白い布が乗せられる。
「棚に並んでた。これもつけるんだろ?」
「何勝手に振り返ってんの」
「もう着替え終わってるだろ。裸を見たわけでもあるまいし」
「見てたらモヒカンにしてやるからね」
「モヒカンって何だ」
その質問は見事に無視して雫は白い布を広げる。二枚あるうち片方は頭に被るものらしい。もう一つはエプロンのようなものだろうか。彼女はその両方を身につけた。
「何だかメイドみたいだな」
「メイドって何だ」
「あの世のこと」
日本人にしか通じない冗談を言うと、ターキスは訝しげな顔になる。だがそれには構っていられない。
雫は今まで着ていた服をも詰め込んだバッグを持ち直した。結局、髪がどうであろうとこれを持っている時点で怪しさが極まっているのだが、取りに戻れるか分からない場所に置いておくわけにはいかないだろう。
彼女は自分の格好を確認すると、傍で面白そうに彼女を見下ろしているターキスを見返す。
「うん。ありがとう」
「本当に一人で大丈夫か?」
「何とかするよ。あなたはあなたでやることあるんだし」
男は何か言いたげに片眉を上げたが、結局「気をつけろよ」とだけしか言わなかった。
彼は剣を手に踵を返すと扉に手をかける。男を見送る雫を軽く振り返ると、いつもの人の悪い笑顔を見せた。
「では報酬として二つ目の質問だ、契約主殿。お前はどこの国の出身だ?」
「日本。東の島国」
嘘は言っていないけれど全てを説明してもいない。
この駆け引きは彼を騙すものではなく自衛の為のものだ。異世界から来た人間だと知られればどうなるか分からないから。
自分の命運は自分が握るものなのだ。そこは慎重にならねばならない。雫は緊張して最後の質問を待つ。
向こうも二つの質問では全貌を掴めていないと分かっているだろう。残り一つでどう切り込もうかと考えているはずだ。
―――― もしここで自分の本当の素性がばれたらどうなるのか。
雫は乾いた喉で息を飲み込んだ。男は顔を傾けて彼女を注視している。
「なるほど。聞いた事のない国だな。なら最後の一つだが……」
「うん」
「また後で。全部終わったら聞こう」
「へ!?」
予想外な答に雫は意表を突かれた。事態はまだ始まったばかりで、これから更に苛烈になっていくはずなのだ。
雫もターキスも無事で済むかは分からない。なのに報酬を先延ばしにしてしまっていいのだろうか。雫は構えていた気を崩されてぽかんとしてしまう。
だが、彼は雫のそんな顔を見て軽く吹き出した。
「お前、リスザルみたいな顔してるぞ」
「リスザル!?」
「まぁそれは置いといて。お前が何者か分かっても死なれちゃ仕方ないからな。
 最後の質問は終わってからだ。だから、それまで頑張って生きてろよ」
男が向けてきたのは普段のものとは違う、暗さもからかいもない笑顔だった。
―――― もしかしたら彼はただ単に、好奇心が強すぎて好戦的すぎるだけの、人のいい男なのかもしれない。
でなければこんなよく分からない人間に手を貸し、その安否を気遣ったりしないのではないか。
そんな思いに雫は一瞬気を取られたが、すぐに我に返ると苦笑して頷いた。
「分かった。そっちも気をつけて」
「平気平気。後でな、雫」
まるで街の食堂から出て行くような気軽さを以ってターキスは扉の向こうに消える。
そして本当に一人になった彼女は、もう一度服装を確認すると何度か深呼吸して決心をつけた。
行かなければならない。できるだけ早く。彼女の行動には見えないタイムリミットが課せられているのだ。
「メア、行くよ」
肩に戻った小鳥と共に、彼女は扉を開ける。
日は既に空を白く染め上げ、喧騒と混乱が城内に広がる時間の中に、こうして雫もまた踏み込んでいったのである。

一人の少女が城の中を歩き始めた頃、カンデラの魔法士長イドスは肉付きの少ない顔を引き攣らせ、守護結界の監督に回っていた。
深夜の襲撃は何とか退けたものの、夜明け直前に第二陣が襲撃をしかけてきたのだ。
闇雲に壁を魔法で破り攻め込んできた第一陣と違い、第二陣は相当数の人員を動かして陽動を使い城に巧妙な攻撃をかけてきている。
その上、手練の魔法士が混ざっているのか、城の外周結界を破って中に転移門が開かれてしまった。
門から入り込んだ襲撃者たちはある程度は撃退したものの、半分以上は城の内部に散り散りに隠れこんでしまい、思わぬところで小規模な戦闘が行われている。
だが、それら襲撃者たちを始末するよう命じたイドスの指示はいまいち精彩を欠くものだった。
数時間前から彼の頭の中に巣くい、疼き続けているのは第一陣の襲撃時に捕らえた男の言葉だ。
地下牢に収監された黒衣の男は尋問に来たイドスを見るなり、「シューラの使徒が警告する! 禁じられた構成は違えられた!」と叫んだのだ。
その時は他の人間たちの目も考え、反射的に男を殴って黙らせたが、あの男がイドスが属する教団の私兵であることは間違いない。
主教からは何の連絡もないというのに、外では何か問題でも起こっているのだろうか。
真実を知りたい気持ちと、このまま禁呪の完成まで持ちこたえようとする使命感の板ばさみにあって、彼はいらいらと落ち着かなさを味わっていた。
「いかがなさいましたか、魔法士長殿」
「いや……結界に変わりはないか」
「今のところは。ただ、裏門での戦闘は押されぎみとのことです。陛下は正規軍の使用を許可されましたが……」
「軍を用いての城での戦闘など不審極まりないのだぞ! もう夜も明けた! 人が集まってくる!」
城都での事件など、下手をすればすぐに他国にも知れ渡る。そしてその中にもしファルサスが入っていたのなら。
魔法大国である彼の国は即刻転移を使って事態を調査にくるかもしれない。それでなくとも民衆にいらぬ不安を抱かせることはよくないことであろう。
イドスは傍に控える魔法士を、そんなことも分からないのかと睨みつけた。だが、相手は萎縮しながらも苦言を呈してくる。
「ですがこのままでは、どの道人目を集めざるを得ないかと。昨晩の騒ぎもありますし、裏門は既に戦場です」
「…………仕方ない。最外周の結界を解け。中に奴らを引き入れて将軍たちに迎撃にあたらせる」
普段ならば魔法士長のイドスには将軍たちへの命令権などないが、今は禁呪の構成中であり、それを取り仕切る彼には王から軍を動かす権利をも与えられている。
その彼の命令に魔法士は慌てて伝達の為走り去った。イドスは他の側近たちに「少し席をはずす」とだけ言うと地下牢へと向う。
―――― やはりもう一度詳しい事情を聞こう。
捕らえた男への尋問は禁止したままである。他者が尋問して余計なことをばらされるのをイドスは嫌ったのだ。
だが、主教に連絡の取れない今、もう少し情報が欲しいと彼は思っていた。
確かに彼は直前で禁呪の構成を「書き換えた」。
だがそれは主教の命に従ってのことだったのだ。ならばあの男の言っていた「違えられた」とは何を意味するのであろう。
イドスは足早に城内を移動する転移陣を使うと地下牢に足を踏み入れる。
暗い中火を灯そうとして、だが彼は硬直した。
―――― 強い血の匂いがする。
そんなものは数時間前にはなかった。牢である以上、ある程度の古い血の匂いと腐臭はするが、これほど鼻につく新しい匂いではなかったはずだ。
第一いるはずの見張りの兵がいないのだ。何かがあったに違いない。彼は声を殺して防御の構成を組んだ。しかしその時、暗闇の奥から聞き慣れた声が響いてくる。
「イドスか?」
地の底から響くようなしゃがれた老人の声。魂を凍らせる響きにイドスは反射的に片膝をついた。頭を垂れながら言葉を返す。
「主教様。何故こちらに……」
「セルーが裏切った。襲撃を手引きしているのも奴だ」
「セルーが!? 何故……」
「奴には奴の野心があったのだろう。だが、惑わされるでない。長年の悲願が叶う時はもうまもなくに迫っている。お前はお前のすべきことをするのだ」
「…………我が神の御心のままに」
イドスが定型とも言える信仰の意を口にすると、息を吐く満足げな笑いと共に相手の気配は消える。
同時に無形の圧力のようなものも消え去って、彼は周囲の気配を窺いながら恐る恐る立ち上がった。
「セルーが……?」
つい零れた疑念に答える者はもういない。
躊躇いながらもイドスが火をつけて血臭の元を辿ると、最奥の牢の中にはずたずたに切り裂かれ血まみれになった黒尽くめの男が、死骸として転がっていたのだった。