禁じられた夢想 044

禁転載

城の中央、最上階にある部屋。今はその部屋の更に中央に複雑な魔法陣が描かれ、外周には金の燭台が等間隔に十二本配されていた。
燭台には火ではなく魔法の明かりが灯っている。薄紫に発光する光は、時折魔法陣が光を帯びるのに呼応してその光量を強めた。
奥に据えられた玉座には豪奢な服装の初老の男がふんぞり返っている。
眉間に深い皺を刻んだ国王オーラウは何度目かに鼻を鳴らすと傍に控える大臣を呼びつけた。
「どうなっている? 順調なのか?」
「それは…………多少の遅れは出ておりますが、順調は順調とのことで。ですが、城門には民が詰めかけ外は大変な騒ぎになっております。
 このまま沈黙していては暴徒が出る可能性も……」
「ふん。卑近しか見えぬ愚か者どもが。どちらが国の為になるかなどと分かりきったことであろう」
己の国の民を煩わしげに語る言葉に大臣は眉を寄せたが、王はそれには気づかない。
そもそも禁呪の形成に重臣の全員が心から賛同しているわけではないのだ。だが、面と向って王に批判を向けた一人は既に任を解かれた。
他の者は賛同か沈黙を余儀なくされ、今日を迎えているのである。
「おそれながら陛下が一言民にお言葉を賜れば混乱は収まるかと」
「まずは襲撃者を排除しきってからだ。そうすれば余が出て民を落ち着かせる」
オーラウの反論を許さぬ言葉に大臣は口を噤んだ。
それでは手遅れになるかもしれない、と本当は言いたかったのだが、実際に口にしては襲撃対応の指揮の不味さをあげつらわれることは明らかだったので忠言を諦 めたのだ。実際城に入り込んでしまった襲撃者たちは巧みにあちこちに分かれ潜みながら魔法士や兵士を狙って攻撃をしかけてきている。この上、王が表に出ては 暗殺の危険性は高いだろう。大臣は深い溜息をつきたくなってそれを堪えた。
部屋の中央に描かれた魔法陣。禁呪が完成すれば、そこに炎を纏った光球が生まれると構成図は伝えている。
そうしたら城の魔法士たちでそれを水晶に封じ込め、魔砲とするのだ。
偽りの効果。だが、それに気づいている者はこの部屋にはいない。
「禁呪に溺れし者は禁呪に滅びる」と言われる千年を越える不文律が、今まさに進行しつつあった。

惨劇の場であった第四地下研究室を出た雫は、第五を探すべきか、あの少年が向ったであろう第三へと追いかけるべきか逡巡した。
そのどちらかにエリクがいるのかもしれないのだ。彼を殺させることなど決してさせたくない。
彼でなければ殺されてもいいのかと言ったら否だが、悔しいながらもこの非常事態では優先順位をつけざるをえないのだ。
ならば、確実を期して第三だろうか。しかしそう思って歩き出した雫はすぐに方向転換を余儀なくされる。
廊下の向こうから現れた魔法士二人が彼女を指して何事か言葉を交し合ったのだ。
二人のうち一人が呪文詠唱をしだし、もう一人が彼女に向かって走ってくる。それらを見た雫は素早く踵を返した。
彼女は一番手近にあった角を右に飛び込む。何かの魔法が背後を真っ直ぐ通りすぎていくのが分かった。
「まずいまずい! ばれたっぽい!」
先程の魔法士長が彼女の容貌を指示して手配をかけたのだろうか。
雫は追っ手が角を曲がってくる前にすぐ次の角を曲がる。そのまま彼女は後ろを見ることなくジグザグに逃走を開始した。

記憶にある限りもとの世界で最後に全力で走ったのは…………高校二年生の時のスポーツテストの測定でだろうか。
人数が多い高校だった為、雫は体育祭では応援しかしていなかったし、三年生になってからは受験勉強ばかりだった。
大学に入ってからはバレーやテニスなどの球技しかしていない。
寝坊して慌ててダッシュなどということもなかった為、自然と走らない生活が当然のものとなっていた。
にもかかわらず。
この世界に来てからは走ってばっかりだ。何だか段々体力がついてきた気さえしている。
どちらかと言えば頭脳労働派な文系大学生だった雫は、ここに来て「体が資本」という言葉のもっとも言葉通りの意味を実感する羽目になっていた。
「そ、そろそろ死ぬかも……」
酸欠による眩暈に雫は柱の影にへたりこむ。喉と脇腹と足が痛い。体中が熱くて仕方ない。
全力で走りきったおかげか追っ手は何とか撒いたが、研究室が位置しているであろう場所からは大分中心部へと突っ込んでしまった。
あんな無茶苦茶なルート選択をしては、雫以外の人間でなかったらまず迷子になってしまっただろう。
まるで家猫が家から逃げ出した後、野良猫にあちこちで追われて家から遠ざかってしまったかのようだ。
雫は何とか現在位置を頭の中で確認しながら呼吸を整える。いくらなんでも廊下にいつまでも座り込んでいては怪しい。
彼女は近くに小部屋を見つけるとその中に滑り込んだ。中は空き部屋なのか家具の一つもなくがらんとしている。
「ちょっと確認しよう」
雫はバッグの中からルーズリーフとシャープペンを取り出すと、走り回った一階部分の大体の地図を書き始めた。
あたりを取ってからスタート地点の塔を書き込み、第二研究室と第四研究室も書き込む。
その上で今いる場所に×をつけると、そこは彼女の予想通り城の中心に近い場所にあった。
普段はもっと厳重な警備が敷かれているのかもしれないが、今は人手が足りないに違いない。何度か兵士の姿も見かけて避けたが、彼らもどこかへ移動する途中の ようだった。
「中心……穴?」
五つの研究室は中心を同じくして円状に位置している。―――― これがまず仮定の一つ。第二と第四は少なくともその通りになっている。
今いる場所は中心に近い。―――― これは仮定ではあるがおそらく正しいだろう。今自分は、大分城の真ん中近いところまで近づいてきている。
禁呪の魔法陣は五つの研究室を結んで巨大な円形を成している。そしてその中央に「穴」が開く。―――― ならばこの推測は果たして、正しいのだろうか。
「塞げないかな。まだ開いてないのかな」
人を狂わせる「負の穴」が開くとはセルーが契約が成立した後、更に説明してくれたことだが、それは魔法に通じていない雫には想像しにくいものだった。
「穴」とは本当に穴なのだろうか。黄泉比良坂でイザナギが黄泉路に通じる道を大岩で塞いだという日本神話を思い出して彼女は首を捻った。
岩で塞いでしまえるなら塞ぎたいが、あれはきっと神様だから出来たことなのだろう。第一雫にはそんな大岩を動かす腕力もないし、大岩自体が見当たらない。
折角中心近くまで来たのだから何か出来るならしないと勿体無いという思いがあるのだが、具体的に何をしていいか分からないのは致命的だった。
雫は諦めて地図とシャープペンをしまうと、ここから一番近いのではないかと思える第一研究室に向うことにする。
だが立ち上がって扉を開けた時、それまで沈黙していた小鳥が急に自分で飛び始めた。
彼女の少し前に来て羽ばたくと小さく鳴く。そのままメアは廊下の右奥へ向って空中を進みだした。
「あ、あれ。道案内?」
主人の問いに小鳥はまた鳴いて肯定を示す。進んでいく先は第一研究室とはまったく違う方角だが、使い魔を信用している雫は頷くとその後をついて歩き出した。
何度か角を曲がる。その方角を確認する度に彼女の緊張は増していった。
―――― 間違いなく中心へと近づいている。
途中で階段を下り、半地下の階に足を踏み入れながらもメアはひたすら中心へと近づいていった。
他に人影を見ないのはこの階自体が倉庫扱いだからなのだろうか。
先程までいた一階とは違って装飾もほとんどない無骨な石の廊下は研究室の石広間と似通ったものがあった。
やがてメアは一つの扉の前で空中に止まる。
左右にいくつも並んでいる扉と同じ、何の変哲もない扉に雫は僅かに震える手をかけた。
―――― ここはほとんど城の中心だ。
ならば、もしかしたらこの部屋の中には穴があいているのかもしれない。それを今、塞いでしまえとメアは言いたいのだろうか。
雫は扉を開く前に廊下を見渡す。そこにはあちこちに大きな木箱が置かれており、これならば彼女でも何とか動かせるのではないかというものも混じっていた。
「箱で塞げるかな……」
穴の方が大きくて落っこちてしまったら、それはどこにいくのだろう。
自分でもよく分からない疑問に真剣に悩みながら、けれど雫はついに扉を開けた。

開けてすぐに見えたのは大きな木箱だった。
雫の身長より遥かに高い位置まで積み上げられている箱を彼女は唖然として見上げる。
いくら倉庫だって何もこんな間近まで箱を積まなくてもいいだろう。これでは中のものが取り出せないではないか。
そんな憤慨を覚えながら、けれど雫はすぐ箱が全てを塞いでしまっているのではないことに気づいた。
よく見ると右側にすり抜けられそうな隙間がある。その奥にはまだ空間がありそうだ。雫は体を横にしてそこを通り抜けようとした。
この日何度目かのメアの警告が聞こえたのはその時のことで―――― 直後、雫は箱の陰から現れた短剣に静止を余儀なくされた。
進路を塞ぐバーのように横に突き出された剣は、彼女の首とほぼ同じ高さにある。
誰がその剣を持っているのかは箱の陰になって見えない。雫は思ってもみなかった「誰か」の存在に自分も剣を抜くべきかどうか迷った。
だが、彼女が迷っている間にメアは剣の上を飛び越えてふらふらと中に入ってしまう。雫は慌てて手を伸ばした。
「待って! メア!」
「え?」
虚を突かれた男の声。少し遅れて短剣が引かれる。その声に雫は覚えがあった。
―――― 分からないはずがない。ずっと一緒だった男の声なのだから。
彼女は急いで隙間をもどかしくも抜け出る。奥はやはり開けており、そこには一人の魔法士が立っていた。
「エリク!!」
「あれ。何で君ここにいるの」
驚いたような藍色の瞳。あまり緊張感の感じられないいつも通りの口調。
だがそれは雫の胸を懐かしさでいっぱいにさせた。たった一日がどれほど長く遠かっただろう。けれどようやく彼に会う事ができたのだ。
今まで溜め込んで押し付けてきたものの箍が緩む。自然と零れ落ちる涙に彼女は慌てて顔を拭った。
何かを言おうとするのだが声にならない。嗚咽を出さないようにするので精一杯だった。
エリクは目を丸くして女官姿の少女を見下ろしていたが、短剣を鞘に戻すと苦笑する。
そして彼は時々するように拳の背で彼女の頭をこつんと叩いた。
「うん。頑張ったね。ありがとう」
何故彼は、言葉足らずでも色んなことを分かってくれるのか。
けれどそんな疑問よりもたった一言で全てが報われた気がして、雫は涙に濡れたまま笑顔になると頷いたのだった。