足りない破片 053

禁転載

この世界に来て魔法があると聞いた時もまず驚いたものだが、その中で一番凄い! と思ったのは、瞬間移動が出来るということだ。
一瞬で遠く離れた場所に移動できるなど、まるで漫画に描かれた未来のようである。 そんなことができるならさぞ色々便利だろう。いつか自分もずっと遠くへ魔法で移動するような体験がしてみたい。
―――― そう思っていたことは確かなのだが、まさか目的地であるファルサスを飛び越えて大陸西岸に出てしまうとは思ってもみなかった。
たどり着いた最寄の町の宿で一息つきながら、雫は大陸地図の上に打たれた現在地の点を見て息をつく。
「めちゃめちゃ移動しましたね。ほぼ大陸横断じゃないですか」
「もうちょっと西にずれてたら海中だったね。海岸でよかった」
「嫌なこと言わないでくださいよ!」
緯度があるとして見れば、彼らがいるのはカンデラより小国二個分くらい北に行った西岸である。
勿論今まで西にあったファルサスは二人が西岸に移動してしまったことにより東になった。これからはファルサスに行く為には東に向って旅をすることになるのだ。
「あー……東遊記になっちゃいましたね」
「何なのそれ」
「仙人の話らしいですが、詳しくは知りません」
少し睡眠を取って回復したらしい男はテーブルに頬杖をついて地図を眺めている。一方雫はそんな彼の顔の方をまじまじと見つめていた。
改めて見るとやはり整った顔立ちだと思うのだが、最近は見慣れてきてしまった気さえする。
数時間前に間近で見た寝顔は状況のせいもあるのだろうが、思わず「すみません」と頭を下げたくなるくらい疲れが窺えるものだった。
勿論カンデラでの騒動は雫のせいではないのだが、そもそも旅を始めたのは彼女を元の世界に帰す為である以上、まったく何も感じないわけではない。
雫は自然と重い頭を垂れる、というかテーブルに額をべったりつけてしまった。
「色々すみません。こんなところまで……」
「何で。ここに飛んだのは不可抗力だし、気にすることじゃない。それにファルサスには前より近づいてるよ」
「確かにカンデラからよりは近くなりましたけど。ファルサスってやっぱり大きいんですね」
大陸中央部から西部に広大な領地を有するファルサス。
その為、西に移動した彼らはファルサスの北西国境には近くなったが、国境を越えてからはまだ城までかなりの距離がある。
目で測った分には東から入国するより大分遠いだろう。早くて馬で一ヶ月以上というところだろうか。だが雫の心配を読み取ったのかエリクは微苦笑した。
「一度入国しちゃえば国内の移動は転移陣が多いから。楽になるよ」
「あ、なるほど」
転移陣でここに飛ばされたばかりなのに、自分がそれを使うという発想がなかった雫は両手を叩く。
ならば今もそう困った事態ではないのかもしれない。彼女は地図の上を指でなぞった。
「―――― そういえば、あの転移陣の部屋から飛ばされる時、誰か外から来ましたよね。あの人は平気だったんでしょうか」
確かに消えかける視界の中で、雫は黒髪の女が現れたのを見たのだ。そしてあの時あの部屋には瘴気がいた。
ずっと追っていた雫がいなくなった後、瘴気は別の人間に襲い掛かったのではないだろうか。
「多分、平気だと思うよ。彼女がファルサスの王妹だから」
「え!?」
さらりと投げ返された答に雫は呆気にとられてしまう。エリクは地図から視線を離さぬまま口を開いた。
「彼女には精霊もついてる。禁呪と言っても陣から切り離された状態なら余裕で打ち勝てただろう」
「え、え。じゃああの時、ファルサスの人とニアミスしてたんですか!」
「ニアミス?」
「すれちがってた?」
「うん。惜しかった。けどまぁ、あそこで彼女と合流してても不審者扱いは免れなかっただろうからね。これはこれでいいのかも」
「あー……」
審査に受かって城に入ったエリクはともかく、雫などは魔法で結界を越えて中に侵入したのだ。
捕まったら確かに色々不味い気がする。彼女は複雑な思いで腕組みをすると言葉未満の唸り声をあげた。
「明日になったら東に街道があるらしいからもっと大きい街を目指そう。きっとカンデラがどうなったのか大体の情報も手に入る」
「ですね。今日はもう疲れましたし、早寝しますか」
少し転寝したとは言え、疲れは鉛のように体の中に残っている。雫は隣にとった自分の部屋に帰る為に立ち上がった。
彼に挨拶をして部屋を出ようとして、ふと振り返る。
「エリクってファルサスの王妹さんの顔、知ってたんですか?」
遠目にちらっとしか見えなかった状態で、彼は黒髪の女が誰であるか分かったのだ。
一度ファルサスに行ったことがあるという彼はその時にでも彼女の顔を見たのだろうか。
聞いてみただけの軽い疑問。けれどそれは、答が返ってくるまでに数秒の間があった。雫が怪訝に思うと同時にエリクは苦笑する。
「彼女は大陸屈指の美女だと言われているからね。ちょっと見ただけでも忘れられない顔ではある」
「へー。そんな美人なら私もちゃんと見たかったです」
納得のような、それでいてすっきりしないような気分で彼女は頷く。
何か引っかかるようなものと、少しばかりの不満に似た何かが生まれた気がしたが、疲れのせいだと片付けて、雫は部屋に戻ると深い眠りについた。
そして翌朝目が覚めた時、彼女は旅の準備で気が急いており、その全てを綺麗に頭の隅に押しやってしまっていたのである。

あれだけのゴタゴタを乗り越えてきたのに、全部ではないとはいえちゃんと荷物を持ってきている辺り、エリクは冷静というかマイペースなのだと雫は思う。
彼女も勿論自分のバッグを持っているが、それはどちらかというと異世界から来た自分の素性に繋がるものだから大事なのであり、またもとの世界に戻った時、大 学に返さなければならない本が入っているからこそ無理してでもいつも持ち歩いているのだ。
そんな自分と比べると、彼は荷物が大事だというより、単にそれくらいの余裕はあるから持ってきたという程度のことに見える。
もっともこの感想は雫がいつも平然としている彼の表情から勝手に推察したイメージの為、実情に即しているかどうかは分からないのだが。
買い直した馬で街道を旅し、二週間近くかけてファルサス国境近くの街に到着した二人は宿を取ると、まずカンデラの事件がらみの情報を集めた。
「まぁ予想通りと言えば予想通り。ファルサスに城を緊急制圧されたって感じか」
「あー、王様死んじゃってたんですね。やっぱり」
雫は禁呪の核の陣があった暗い部屋を思い出す。あの時玉座には主教が座っていたのだ。ならば雫が行く前に既に王は命を絶たれていたのだろう。
禁呪に手をつけた人間の末路と言えば因果応報なのかもしれないが、巻き添えになった人間の方はたまったものではない。
「死者や行方不明者がどれくらいでたかは、後の記録にならないと分からないだろうな。今はカンデラを立て直すことが最優先だろうし」
「死体が消えちゃったりしましたからね。ちょっと申し訳ないです」
核の陣を壊しに行って禁呪に追いかけられたということは、エリクに話してある。
彼はそれを聞いた時さすがに唖然として「君は結構思い切りがいいよね……」と洩らしたものだが、「助かった。ありがとう」とも言ってくれた。
無謀を怒られるかとも覚悟していた雫だが、よくよく考えてみればエリクに怒られたことは一度もないのだ。 せいぜい初めて出会った時、図書館で騒いでいたところを注意されたくらいだ。多分それは、雫が怒られるようなことをしていないというより彼の性格の為だろう。
だがそんな彼相手であっても、雫はあの時、負そのものであった主教とどんな会話をしたのかについては伝えていない。
負と向かい合っていた時は高揚状態にあったせいか気にもしていなかったのだが、改めて後から思い返すと、自分が「異世界から来た人間」と見抜かれたことが異様に恐ろしくなってしまったのだ。
雫だけを執拗に追ってきた禁呪の塊。あれは、彼女が異世界の人間だから狙ってきたというのだろうか。
逃げおおせたはずの闇を思い返して彼女はぞっと身を震わせた。
「―――― みんな無事なのかなぁ」
「分からない。けど、侵入者で捕まった人間はいないみたいだね」
雫はターキスとリディアの顔を思い浮かべる。今頃彼らがどこで何をしているのか、想像もつかなかった。

国境を前に二人が落ち着いた街は、カンデラの城都ほど大きくはなかったが、充分に賑やかで多くの店が軒を並べていた。
なくしてしまった魔法具を買い足すというエリクについて買い物に出た雫だが、どちらかというと彼女の方が夢中になってあちこちの店を覗いている。
ガラス窓越しに花飾りが並ぶ店内を見やった彼女は軽い歓声を上げた。
「いいなぁ。綺麗ですね!」
「欲しいの?」
「それほどでは。持っていけないですしね」
自分の家も部屋もない彼女には必要以上の荷物を持っていくことはできない。こんな時少しだけ、学生会館の小さな部屋が懐かしいと思う。
あそこならば色々小物を飾ることも出来るだろう。この世界でしか売っていないような魔法仕掛けの置物も。
雫は広い机の隅に魔法で動く陶器の人形を置き、遠い世界の出来事について物語を書く自分を想像して溜息をつく。
それは不思議と、物悲しさを感じさせる空想だった。

その小さな店は街の中央近く、奥まった細い路地に面していた。
たまたま路地に足を踏み入れた雫は、ウィンドウに飾られたドレスに気づいて思わず足を止める。
「すっごい! ウェディングドレスのお店ですよ!」
質のいい生成りのレースをふんだんに使った衣裳はデザインこそ素朴なものであったが、彼女の目をひきつけるに充分な存在感を放っていた。
雫は年相応の憧れの詰まった目でドレスを見つめる。
「こっちの世界も結婚式は白いドレスなんですか?」
「ずっと昔は色々だったらしいけど。最近は白が多いと言えば多いらしい」
「へぇ……。いいなあ」
「欲しいの?」
「どこに着てけばいいんですか、こんなの」
元の世界にいたとしても、「単に欲しくなったから」でウェディングドレスを買う気にはなれない。大体婚礼衣裳は飛びぬけて高価なものなのだ。
雫はひとしきりドレスを眺めて満足してしまうと、店の奥に視線を移して、ふとそこに何人か人がいることに気づく。
一人の少女と彼女の体に布をあてている女、持っている紙に何かを書き込んでいる初老の男など、察するに婚礼衣裳の注文を出しているところらしい。
だが、雫はその光景にぽかんと気を取られてしまった。
それと言うのも大人たちの中心に立っている少女、その少女は雫が今までに見たこともない程、圧倒的な美貌の持ち主だったのである。
「うっわぁ……美人」
初めてメアに会った時にも映画や写真でしか見ないような綺麗な顔立ちだと思ったが、今、店の中にいる少女は彼女を遥かに上回る。
長い漆黒の髪に大きな黒い瞳。白い肌にすっと通った鼻筋、小さな紅い唇は見た者の心を捕らえるであろう繊細な造作を保っていた。
まるで彼女自身が一つの芸術品だ。こんな人間が実在していることが嘘みたいだと雫は感心してしまう。
少女はよくできた人形に似て表情に乏しかったが、純白の絹を肩からかけて少し嬉しそうにも見えた。見ている雫の顔も自然にほころぶ。
「幸せそうですよ。可愛いなぁ」
「へー」
「何でそんな無感動なんですか。美少女ですよ美少女!」
「ごめん。よく分からない」
そう言えば、エリクは人の顔の美醜が分からないのだと雫はようやく思い出した。感動をわかちあえる相手がいないことについがっかりしてしまう。
「うぐぐ。もっと感激してくださいよ。勿体無い」
「感激はしてないけどちょっと驚いてる。多分あの子はかなり強力な魔法士だよ」
「え?」
彼の表情はまったく驚いているようには見えなかったが、本人がそう申告しているのだからそうなのだろう。
雫はあらためて店の奥にいる少女に視線を戻そうとした。その時、すぐ隣にあった扉が開いて中から男が出てくる。
「おっと」
「あ」
窓の向こうに夢中になっていた雫は反射的に避けようとしてよろめいた。その背をエリクが支える。
「危ないよ」
「ご、ごめんなさい」
「すまない。人がいるとは思わなかった」
上からかけられた声。雫は背の高い男を見上げた。
初めて会う男。見覚えのない顔。だがその顔立ちはどこかで見たような既視感を覚えさせる。
エリクが中性的な顔立ちで綺麗だと思うのに対し、この男は男性的な秀麗さを持っている人間だ。
鍛えられた体は戦うことを生業としている人間なのか、カンデラで見た傭兵や剣士たちを思い出させた。
ただそれよりも―――― 夜空の色に近い瞳が雫を妙に落ち着かなくさせる。逃げ出したいような悪寒が背筋を走った。
……何故なんだろう。初めて会うのに。
そう思ったと同時に、突如眩暈が襲ってくる。彼女は耐え切れず石畳の上にうずくまった。
「雫?」
「どうした。具合でも悪いのか?」
―――― くらい。こわい。きもちがわるい。
不安によく似た、けれどもっと強い感情。
だがそれを口にすることさえ雫にはもうできなかった。
ぐるぐると天地が回る。意識が遠のく。自分がどこにいるのかも分からない。
永遠に続く暗闇。
その中へと彼女は一人、足場を失くして落ちていったのである。