無言の花嫁 056

禁転載

「そ、それでサルの上に臼が落ちてきてですね……」
「うん。ウスって自分で移動できるんだね」
「本当は出来ませんし喋りませんけど昔話なので大目に見てください、っていうか話の選択を誤った!」
馬上にいる雫は思わず頭を抱えたくなる。
ファルサスに入国してから二日目、街道を旅する二人は暇だからという理由でお互いの世界の御伽噺を交代で話すことにしたのだ。
迂闊にも雫が選んでしまったのは日本昔話の「サルカニ合戦」。親の仇討ちをテーマとしたこの話はサルやカニをはじめ、 生物無生物関係なく話して動き回るという昔話としては珍しくもない形式なのだが、いかんせん話す相手が悪かった。 「何故サルとカニで話が出来ているのか」から始まり、「カキはそんな早く実をつける植物なの?」と聞かれて、他にも少し話すごとに入る素朴な質問に、結局雫はよれよれになってしまったのである。
「こっちの世界って寓話ってないんですか? 動物が喋ったり……」
「人口に膾炙しているような話の中にはほとんどない。話の中で喋れる生き物はもともと喋れる生き物なんだよ。
 大体こっちでは御伽噺って実話を元にしたものがほとんどだ」
「うー。さすが魔法のある世界」
カルチャーショックに項垂れる雫の肩でメアが小さく鳴く。
この使い魔もまさに「御伽話のもとになった実話」を間近で見てきた存在なのだから途方もないとしか言いようがない。
諦めかけた雫はふと、もう一つの可能性を思い出して顔を上げた。
「神話ってないんですか?」
「あるよ。古いものは口承されてきたものしかないけど」
「それ! それ教えてくださいよ!」
神話ならば荒唐無稽具合が通じ合えるかもしれない。
この世界では「神」と呼ばれる存在も実在した上位魔族だったりするらしいのだが、それが全てではないだろう。
期待に目を輝かす彼女を一瞥すると、エリクは「うーん」と首を捻った。
「同じ話でも微妙に違うのがいっぱいある。どれがいい?」
「そうそうそうそう。神話ってそういうものなんですよね! 一番有名なの教えてください!」
「じゃあアイテア神の話にしようか。少し前まで一番大陸で信仰されてた神だ」
「少し前って今は違うんですか?」
「どうだろう。今は無宗教の人間が一番多いかも。信仰を退けるわけではないけれど、頭から信じている人間も多くない。人それぞれだね」
エリクはそう前置きすると、大陸最古の神話の一つを語りだす。
それは、この大陸自体の成立に関わる話だった。

かつてこの世界に大陸は一つだった。
海の果てまで広がる大陸には多くの人種が住み、多少のいざこざを起こしながらも平和に暮らしていたという。
当時はまだ国というものはなく、人々は神である五人の兄弟を崇め、彼らが協力して大陸を統治していた。
だがある時、増え続ける人間を見て、五人の中でこれからの統治の仕方について意見が分かれる。
完全に人間を管理し、出生や死亡まで統制すべきだと言った一番上の兄。
人間の中から王を選び出し、代理統治をさせながら互いに争わせればいいと言った二番目の兄。
人間にこれ以上の干渉をせず、もし人数が一定を越えるようであれば種ごと滅ぼせばいいと言った三番目の兄。
人間は守られるべき生き物であるからして、次々につがわせ増やせるだけ増やしてみればいいと言った四番目の兄。
そして、末弟たるアイテアは、人は人として知性がある生き物だから彼らのことは彼らに決めさせるべきと主張した。
五人の神は自らの意見が一番として譲らず、やがて彼らは決裂の時を迎える。
留めようとするアイテアを置いて、四人の兄は大陸をそれぞれ分割し、海の向こうに去っていった。
五分の一となった大陸に一人残ったアイテアは失意の後に人間の妻を迎える。
二人の間に生まれた子たちは、長じると神々となって大陸に散って行き、人が自分たちの力で生きていく為の自然をもたらしたという。

「あー、それで交流がないはずなのに他の大陸があるって言われてるんですか」
「そういうこと。実際あるらしいんだけどね。漁船が遭難した異大陸の人間を拾ったって記録もある」
雫は男の注釈に頷く。彼の選択ということで、非常に現実的な神話をされたらどうしようかと思ったが、元の世界でも充分通じるくらいの神話らしい神話だった。安心すると同時に更に詳しい事が聞きたくなる。
「東の大陸にも同じ話があるんですか?」
「それがあるらしいんだよね。東の大陸は二番目の神が作った大陸だと言われている。
 だからってわけじゃないんだけど、暗黒時代のこの大陸と比べても向こうは戦乱が多いし、不思議なことに向こうには精霊術士が生まれないんだ」
「精霊術士って魔法士の一種でしたっけ」
「うん。天性の素質が必要で人数はかなり少ない。自然物を操るのに長けているね」
人間の尊厳を重んじる神が残った大陸。
東の大陸にはいない精霊術士が生まれるのは、この大陸に散っていったという神々の祝福の産物なのだろうか。
「実際は地方によって色々細かいところで差異がある。それぞれの神々の主張とか、アイテアが妻を選んだ時の話とかね。
 暗黒時代の始まる更に百年程前にはほとんどの話は明文化されていて統一されているけれど、それ以前の話はまったく文として残っていないんだ」
「なるほど。でも神話ってそういうものですよね。口伝でしか伝わっていないものも多いっていう」
日本神話は雫の記憶では確か古事記、日本書紀、風土記に多くを負っていたはずであるが、古事記は口伝を編纂したものだった気がする。
神話についてその発祥を厳密に確定することは困難だが、それはつまり古代神話とは多くが口承で成り立ってきたものだということに他ならない。
それを後に人々が文字として纏めたりして今に到っているのだ。遡れば神話についての記述がなかった時期があっても少しも不思議ではない。
だが、雫の相槌にエリクは何か考え込んでいるような浮かない顔で「うん」と言っただけだった。
そのことを彼女は少し不思議に思ったが、結局会話はそこで途切れると二人は街道脇に見えてきた森の木陰でひとまずの休憩を取ることにしたのである。

手綱を近くの木に結わえてしまうと、雫は鞍からバッグを下ろして草の上に座る。
天気のよい日である為、若干暑さに頭がぼうっとしているのだ。伸び始めた髪は、そろそろスカーフで誤魔化さなくても違和感がないくらいの長さになっていたが、今は日光を遮る為に頭を布で覆っていた。その布をはずして彼女は息をつく。
「あっついですよ。紫外線攻撃をふんだんに浴びてます」
「シガイセン? ファルサスは城都に行くともっと暑いよ。この辺はまだ北部だから」
「うー。直射日光がなくて風が吹いてればもっと涼しいんでしょうけどね」
「熱で倒れないように。ゆっくり休んでいくといいよ。街はもうすぐだから急がない」
二人は荷物からお茶を出すと水分を補給した。雫は木の幹によりかかりながらノートを広げる。
シャープペンを取り出したのは先ほど聞いた神話の話を忘れないうちに書き留めておこうと思ったからだ。彼女は二、三エリクに確認しながら白いノートの上にペンを滑らせた。
「エリクはアイテア神が実在したって思ってます?」
「思ってない。上位魔族には血縁が存在しないから兄弟というものはないし、人間の魔法士にしては力が強大すぎる。
 結局ほとんどは作り話だろう。何かもとになった出来事があったのかもしれないけど……」
「まぁそうですよね。私の国にも国産みの神話がありますけど実話じゃないですから」
雫が隣を見下ろすと、そこには小さなコップにいれたお茶を啄ばむメアがいる。
魔法を使える緑の小鳥など、少し前までの彼女の常識では御伽噺の中にしか出てこない。けれど今は、その小鳥も大事な友人だった。
彼女はシャープペンを筆箱にしまうとノートを閉じようとする。だがその時、不意に強い風が吹いてきてページを激しくめくった。
「あ……っ!」
後ろのページに挟んであったメモが、風に乗って舞い上がる。
雫の伸ばした手をすりぬけて、白い紙はひらひらと揺れながら森の奥へと飛んでいってしまった。
「あれ何?」
「スケッチです。ちょっと取ってきます」
カンデラ城の外観を描いたメモ。それを追って雫は立ち上がる。目を凝らすと鬱蒼と茂る木々の向こうに白いものがちらついて見えた。
大して遠くではない。すぐに取ってこられるだろう。彼女は太い木の根を避けて森の中に踏み込む。
辺りを見回しながら進んでいくと、思ったより木々が多いのか、振り返っても森の切れ目は見えるがエリクの姿は影になって見えなくなっていた。
思わず富士の樹海を連想してしまうが、雫には自分は迷子にならないという自信がある。
転ばないよう気をつけながらメモの飛んでいった方向に歩いていくと、まもなく低い木の枝に引っかかっているスケッチを見つけた。
「あったあった」
自分の書いたものだが、大事な思い出の一つだ。彼女はそれを畳んで手の中に収める。
踵を返そうとした時、だが遠くから女の怒鳴り声のようなものが聞こえて雫は足を止めた。
「……何だろ。こんなとこで」
道もない森の中に一体誰がいるというのだろう。
彼女は好奇心と、誰かが困っているのかもしれないという懸念に囚われて声の聞こえてくる方へと歩を進めた。
方向は間違っていないのだろう。単なる音でしかなかった女の声が、近づくにつれ徐々に聞き取れるようになってくる。
「……っきょく……は! …………でしょう!」
「……だと! しょせん……」
どうやら人は男女の二人いるらしい。男の声の方が低く、聞こえにくかっただけだ。
どうオブラートに包んでも仲がよいとは思えない言い争いに嫌な予感を覚えながら、それでも今更引き返す気にもなれず雫はそっと距離を詰めた。
十メートル以上先の木の陰に、白いドレスを着た女の姿が見える。
「どうせあなたは私がいなければ何にもなれないのよ! 分かったらさっさと跪きなさい!」
怒っているのは女王様だろうか。事情は分からないが随分無茶なことを言っている。
雫は他人事ながらげっそりして木の陰に隠れた。ちらりと見えた女の髪は雫のものよりも深い黒。綺麗に結い上げて櫛のようなものを挿している。
対する男の姿は雫のいる場所からは完全に死角になっており見えないが、声を聞くだに若い男であるようだった。
「何故、私が貴女に跪かねばならない! 私が! 妻となる女に!」
「私があなたの妻になるのではないのよ。あなたを私の夫にしてやるというだけじゃない。どこの出かも分からぬ野良犬の癖に!」
「何だと?」
こんなどうしようもない喧嘩をしている二人は、どうやらもうすぐ結婚するらしい。
が、この調子では結婚前に破談か、出来ても即離婚だろうなと雫は冷静に見積もった。そろそろ帰ろうと一歩を踏みしめる。
「……ぐ……っ」
女の声にならない呻き声が聞こえたのはその時だった。
それまでの金切り声とは違う、喉が詰まったような声に雫は思わず振り返る。
そして彼女は硬直した。

女が、首を絞められている。
見開いた目は驚愕に満ちており、白魚のような指が自分の首にかかる男の手をかきむしった。
だがそれでも力は少しも緩まない。雫は自分に背を向けている、今にも殺人を犯そうとしている男を唖然として見やった。
状況がまったく飲み込めない。そんな彼女の視線が殺されようとしている女のものと交差する。
女は雫に気づくと助けを求めるように震える手を伸ばした。その指先の細さに彼女は我に返る。
「ちょ、ちょっと! 何してるの!」
雫は半ば反射的に草をかきわけながら二人に向って駆け出した。男の肩に手をかけようと腕を上げる。

女の目が見開く。
骨の折られる音。
断末魔の呻き。
それらは全て、雫の手が届く一瞬前に重なった。
止まらない。
男の肩に触れる。
ひどく硬い感触。
彼はゆっくり振り返った。
「お前は誰だ」
その目。
狂気を孕んだ目。
雫は戦慄する。
「見たな」
逃げなければ。
身を翻す。
だが、左手を掴まれた。
雫の体は引き摺られる。
大きな手が後ろから口を塞ぐ。
誰の名も呼べない。
息が出来ない。
目の前が暗くなる。

そして彼女は、殺人者の手に落ちたのだった。