無言の花嫁 058

禁転載

貴族令嬢として迎えられた雫は、何とか気持ちを落ち着かせると女中のオーナから情報を集めることにした。
幸いアマベルはラオブの街のことをまったく知らないようだ。だからこそ街や屋敷について聞いてもさほど不自然にはならないだろうと彼女は思ったのだ。
気のいい女中が教えてくれたところによると、この街はファルサス北西部にある主要都市の一つで、長い歴史を持つファルサスの中では 百五十年程前に出来た比較的新しい街なのだという。当時城都から移住した貴族が私財をはたいて整備したということと、 その城都から遠いという事情もあって、王国の中でも比較的自治の度合いが強い街らしい。
「ラオブは、貴族様たちと議員様たちのお力でつつがなく平和に治められているのです」
「議員、様は選挙で選ぶのですか?」
ぎりぎりの質問かな、とも思ったが雫はつい気になって口を挟んでしまう。だがオーナは笑顔で彼女の質問に答えてくれた。
「民の支持によって選ばれますが、貴族様たちの意向も重要です。貴族様と議員様は協力しあわなければならない立場におありですから。
 デイタス様も、ディセウア侯爵のご紹介で貴女様を娶られることになったのですし……あら、こんなことはご存知ですわよね」
最後の言葉に雫はぎくりとしたが、平静を装うと「ええ」と相槌を打った。
その後も話好きなオーナから色々聞き出したことを総合すると、要するにデイタスはこの街で一番力のある貴族ディセウアの紹介で、 南部の貴族令嬢を妻として迎えることを条件にまもなく議員になれるらしいのだ。アマベルの生家であるリシュカリーザは古くから 商船交易で財を築いてきた一族らしく、その一族と縁を結ぶことでラオブの街そのものにも益がもたらされるのだという。 婚礼後にはラオブと、アマベルの出身地であるニスレとの間に直通の転移陣を設置するという計画も出てきているらしく、 それが実現すれば輸入品を直接ラオブに卸すことも可能になり、街の流通は一変すると見積もられている。
そこまで聞けば、何故殺された本物のアマベルがあれほど強気に振舞っていたのかも分かるというものだ。
彼ら二人の婚姻には、彼の出世だけではなくラオブの発展もまたかかっていたのである。
そんな大事な相手をかっとなったからで殺してしまうとはカルシウムが足りないんじゃないだろうか、と雫は素直な感想を抱いたが、他人事ではないところが頭痛を通り越して憂鬱だ。もしアマベルを知っている人間が彼女を訪ねてきたならデイタスはどうするつもりなのだろう。

「とりあえず、脱出路を探すしかないか……」
凹んでいても仕方ない。
命が最優先ならデイタスの言うことを聞いて大人しくしているのもありだろうが、情報を集めるだにどうしても自分が長く生かされるようには思えない。
下手をしたら結婚後、本物ではないということを隠す為に殺されてしまう可能性もあるのだ。
雫はようやく一人になると、手近にあった紙にオーナから聞き出した大体の屋敷の配置図を描き出すと、眉を寄せて考え始めた。
彼女のいるこの離れは屋敷全体の敷地の西側に位置している。
デイタスは数年前にふらりとこの街にやって来ると、鋭い商才によってあっという間に財を築いたというが、それにしても三十前に見える若さでこれだけの広大な屋敷を持てるとはかなりのやり手なのだろう。その才能は悪巧みではなくもっと別の方向に向けて欲しいのだが、とりあえずは言っても詮無いことだ。
デイタスの屋敷自体は街の西、郊外にあるらしい。
上手く屋敷を逃げ出して街の中に逃げ込めれば、エリクを待って合流することもできるかもしれない。
雫は異様に裾の長い自分のドレスを見下ろす。できればもっと動きやすい服装をしたいのだが、それをオーナに頼んでは不審なだけだ。
彼女は部屋を出ると「屋敷の中を見て回りたい」と言って現状把握を進めることにした。
離れと言っても充分広い建物を、雫は頭の中に地図を描きながらゆっくりと見定めていく。
西側に面した二階の窓からは、屋敷の外周である塀とその向こうの街並みが見て取れた。塀の高さは二メートルくらいだろうか。 自力で越えられるかどうかは近くで見てみなければ分からない。付き従っていた若い女中が、窓の外を見つめる雫に声をかける。
「明日には街の仕立て屋が来て、ご婚礼衣裳の最終合わせがございます」
「……衣裳って……ちゃんと合うんですか?」
「あら。アマベル様のご生家から贈られたものですから。ご心配なさらなくてもお似合いになりますわ」
これは不味い質問だったかもしれない。雫は背中に冷や汗をかいたが「慣れない環境で少し痩せたかもしれないから」と誤魔化すと部屋に戻る。
そこには、デイタスの従者の男が待っていた。

「逃げようなどと思わぬ方がいい」
二人きりになってから開口一番でそう言われて、雫は思わず閉口した。
ネイと名乗った男は雫の監視に来たらしい。二人で取ることになった夕食は、豪勢ではあったが重苦しい雰囲気に満ちていた。
彼女はやたらと厚い牛肉をナイフで切りながら、無表情の男からの圧力に耐える。
「大人しくしてなきゃ殺されるんでしょ? 私だって命は惜しいよ。でも、本当に誤魔化せるの?」
「式までの辛抱だ。それだけの間くらい何とかなるだろう」
式まで、ということはその後は監禁されるのか殺されるのか。雫は思わず食欲を失くすと、口に運びかけた肉を皿に戻してしまった。
だがネイはそれを見て「きちんと食べろ」と注意する。
「お前は細い。出された分くらいの食事はしておけ」
「と言われても。五日で太るのとかは無理だと思う」
「そうではない。心配する必要はないと言っているんだ。お前はこの街の人間でも貴族でもない。式が終われば解放されるはずだ」
それは雫にとっては初めて聞くとも言える希望的な言葉だった。
だが聞いてもすぐに喜べなかったのは、デイタスがアマベルを殺し、その後彼女自身の首に手をかけたという忘れられない出来事の為である。
人を人とも思わぬあの狂気を目の当たりにしては、とてもではないが無事に解放すると言っても信じられない。
雫は口を開いて返事をする代わりに、訝しげな目でネイを見返した。だが男はそれ以上何も言う気がないようで、ただ黙々と食事を続けている。
こうしてラオブに着いた一日目はあっという間に過ぎ去った。
だがこれは、単なる恐怖では割り切ることのできない歪んだ事件の始まりだったのである。

中位魔族を使い魔としている人間は決して多くはない。
上位魔族などは人間を卑小な存在とみなして興味を持たない為、人間界に姿を現すこと自体ほとんどないのだが、 それほどまでとはいかなくとも中位魔族にとって人間は、自分たちの上に立つような存在として認識されていないのだ。 彼らはよくて人間を見下しているか、悪くて単なる獲物としてしか見ていない。
だからこそ魔法士でもなく何の力もない雫がメアを使い魔としているのは例外中の例外であり、本来ならば彼女が雫を守る切り札になるはずだった。
だがしかし、現在メアは主人と行動を共にしていない。ちょっとした別行動から完全にお互いの居場所が分からない状態にまで引き離されてしまっている。
「せめて彼女が魔法士なら、君を呼ぶことができたんだろうけどね」
魔法士であれば、使い魔の名前に魔力を乗せて相手に居場所を知らせることができる。
だが、雫には魔力がない為メアを呼んでも届かないし、エリクは正規の主人ではない為、やはりメアを呼び出すことはできない。
森に入ったまま忽然と消えてしまった少女。エリクは近くの状況からそれを、何者かが彼女を連れ去ったのではないかと判断していた。
雫の性格から言って自発的に移動したのなら、その前に彼のところに一旦戻ってきたはずだ。
それがない上、探しに行ったはずのメモを落としていったのだから、おそらく誰かに拉致されてしまったのだろう。
「多分、この街のどこかにいるんじゃないかと思うんだけど。馬車の跡がこっちに向ってたし」
肩の上の小鳥に話しかけながら、エリクは街の雑踏に視線を送る。
もし本当に雫が拉致されたのだとしたら、こんな目につくところにはいないだろう。大体馬車を所有しているような人間は上流階級の人間だ。 そんな人間が森の中で何をしていたのかは分からないが、平民よりよほど限られた人数だろう。探しやすいと言えば探しやすい。
「もうすぐアイテア祝祭か……彼女なら喜ぶだろうね。折角だからそれまでに見つけよう」
祭りを前に賑わう通りを魔法士の男は縫うように歩いていく。
平然とした表情で辺りを見回す整った顔立ちの男。だがその藍色の瞳には見た者を射抜くような威が潜んでいると、彼と目が合った人間だけが気づくことになったのだ。

翌日、雫はデイタス立会いのもと、屋敷に来た仕立て屋によって花嫁衣裳の試着をさせられた。
着ているだけでずっしりと重量を感じる布は、非常に質のいいものだと分かるのだが、だからと言って嬉しいわけではない。
雫は大きな鏡の中、清楚な花嫁として佇む自分を作り笑いで眺める。
「まぁまぁ。こんな可憐な花嫁様は滅多にいらっしゃらないわ。如何です? デイタス様」
「ああ。私は幸せものだな」
白々しい、と内心だけで突っ込みを入れて雫は彼らを振り返った。仕立て屋が寸法を確かめて首を傾げる。
「少しお痩せになりましたか? ニスレの仕立て屋から送られた寸法より全体的に細くていらっしゃるようです」
「マ、マリッジブルーで」
彼女は自分では何とか切り抜けたと思ったが、その場にいた人間たちは全員が全員怪訝な顔になる。それに気づいて雫は慌てて「緊張していて痩せたのかもしれないの」と言い直した。
言動一つとってももっと注意深くならなければならない。彼女はにっこりと笑顔を作って採寸をしなおす仕立て屋に礼を言う。
仕立て屋は数歩下がって雫の姿を眺めると、軽く首を傾いだ。
「もう少し長いヴェールの方がよいでしょうか。店に戻ればいくつか在庫があるのですが」
―――― これは、チャンスかもしれない。
雫は躊躇う。ちらりとデイタスを振り返って、短い間に決断すると口を開いた。
「なら、自分の目で見て選んでみたいです。駄目でしょうか」
「勿論構いませんとも! 他の仕事を早めに切り上げて、午後にもう一度参ります」
「あの……今、一緒についていってすぐ見て決める……では駄目? お時間は取らせませんから」
屋敷から出て、街に行ってみたい。
デイタスは彼女の意図に気づいて怒るかもしれないが、式を控えて彼女の顔が他の人間たちにアマベルとして知られた以上、すぐにどうこうは出来ないだろう。せいぜい監禁されて脅されるくらいだ。逆に言えば、式を挙げてしまう前にしかチャンスはない。
雫は僅かな可能性に賭けて、そう要求した。
ドレスの下の足は微かに震えている。殺気混じりのあの目で見られたらどうしようかと思った。
だが、デイタスは意外な程あっさりと、「本人がそう言うのならその方がいいだろう」と許可を出す。
その答に雫の方が驚いてしまったくらいだ。屋敷の主人たる男は、そのまま何か言いたげな目で刹那彼女を一瞥すると、ネイを残して部屋を立ち去る。
去り際に少しだけ見えた瞳。脅すわけでも睨むわけでもない、まるで荒野を孕んでいるような空虚な双眸。
その目にあてはまる言葉を知っていてるような、けれどどうしても取り出せないようなもどかしさを覚えて、雫は結局オーナが声をかけてくるまでその場に立ち尽くしてしまったのだった。