無言の花嫁 059

禁転載

馬車から降り立った場所は大通りに面した店の前だった。
大きな窓には純白の婚礼衣裳がいくつも飾られ、その店構えからして富裕層が出入りする高級店なのだと分かる。
雫はネイに手を取られ店の中に入ったが、一歩足を踏み入れた瞬間居並ぶ店員たちに一斉に頭を下げられ硬直してしまった。
その彼女を護衛という名目で実際は監視している男は、さりげなく背中を押して奥へと歩かせる。
広い店の中は、脅迫され偽の花嫁となっている雫にその状況を一瞬忘れさせるくらい白一色の華やいだ空間だった。
彼女は口の中で感嘆の声を上げながら飾られている衣裳の数々を眺める。
「綺麗……」
「ありがとうございます。ヴェールはこちらです、アマベル様」
自分の名ではない名前で呼ばれて雫は我に返った。ここでぼうっとしていては危ない橋を渡った意味がないのだ。
彼女は三人の店員が示していくヴェールを見ながら、不自然にならない程度に窓の外に視線を送る。
確かにとても栄えている街だ。地方都市でありながらカンデラの城都と同じくらいかもしれない。
絶えない人通りの中を、時折派手な服を着て足早に駆け抜けていく人間がいるのは、もうすぐあるという祭りの準備の為だろうか。
雫は並べられたヴェールのうち、手織りのレースで縁取られた絹のロングヴェールを選んだ。それが一番顔が見えにくいと思ったのだ。
他にも小物を見たいと言って、店内をうろうろしながら雫はふと壁にかけられた地図を見た。
それ自体が絵画としての価値があるらしい精巧な地図は、この街を真上から描いたもののようである。
街全体が中央の広場を除いて碁盤の目のように整然とした作りをしているのは、貴族が私財を以って整えた成果であろう。
雫はネイを振り返った。
「聖堂って、どこにあるんですか?」
「街の中央。広場にある」
半分ほどは予想していた答に雫は頷く。この店からも建物が見えないだろうかと彼女は窓の外を見上げた。
だが、通りのすぐ向こうに高い建物があってよく見えない。雫は諦めて視線を戻そうとする。
その時、彼女は店の外を行く一人の男に気づいて息を止めた。見覚えのある顔立ち。藍色の瞳。肩には緑の小鳥が乗っている。
「エ……」
咄嗟に彼の名を呼びかけて、けれど雫は自分が置かれている状況に気づいた。
背後からネイの冷たい視線が突き刺さってくる気がする。彼女は顔半分だけで恐る恐る振り返った。
こんな場所でも剣を佩いている男は心の奥底まで見透かすような目で雫を見据えている。その威に気圧されて雫は蒼ざめた。
もし、今この店を飛び出してエリクのところに駆け寄ったら。
果たして逃げ切れるだろうか。少なくとも人通りの多い場所で雫を切り捨てることはできまい。
が、考えてみればエリクは単なる旅人で、ネイは街の権力者の従者だ。下手をしたら権力を盾に二人とも拉致されてしまうかもしれない。
雫の内心の動揺を嗅ぎ取ったのか、ネイは一歩近づくと彼女の耳元で囁いた。
「今逃げようとするなら、お前の代わりにこの店の店員を殺す」
「な……」
「嘘だと思うか? 試してみるか?」
からかうような声音では一切ない平坦な口調に、雫はそれが脅しではないことを悟った。彼女はぎこちないながらも微笑んで頷く。
「何でもないの。ごめんなさい」
「ああ」
雫はネイから離れると店の中央に戻った。いくつか並べられている小物の中から、純白の羽で作られた羽ペンを見つけるとそれを手に取ってみる。
「これ、本当に書ける?」
「勿論ですよ。宣誓書を書くためのものですから」
へぇ、と相槌を打つと彼女は手触りのいい羽を指で撫でる。その後近くにある試し書きの紙にくるくるとペンを走らせインクの具合を確かめた。ネイが後ろからそれを覗き込む。
「アマベル様、そろそろ帰りましょう」
「ええ。ありがとう」
再び一斉に頭を下げる店員たちの間を抜けて、雫は店の外に出る。だが彼女は外に出てすぐ石畳につまづいて転びそうになってしまった。
悲鳴を上げる少女をネイは後ろから支えて立たせてやる。甲高い声に通りの注目が彼女に集まった。
「ご、ごめんなさい」
「気をつけろ」
来た時と同様馬車に押し込まれると、雫は窓から僅かに見える街の景色に目を凝らす。
彼が来ている、それだけでも事態が好転しているはずだと、自分にそう言い聞かせて。

上客が去った後、ドレスの最終調整にかかろうとしていた衣裳店は、若い男の来客を受けて首を傾げた。
旅人の服装をしている魔法士は、女性を連れているわけでもなく一人である。その藍色の目に幾許かの険しさを感じ取って対応に出たお針子はたじろいだ。
「今、ここに女の子がいなかった? 黒髪で十代の……少し変わった顔立ちの娘。声が聞こえたんだけど」
「ああ、アマベル様でしょうか。先ほどまでヴェールを見にいらしてました」
彼女がつい答えてしまったのは、男の迫力に気圧されたのと彼が綺麗な顔立ちをしていた為の両方である。
店の主人に睨まれて若いお針子がそそくさと頭を下げて引っ込んでしまうと、エリクは眉を寄せて店内を見回した。
「アマベル? 似ているだけか?」
雫によく似た声で悲鳴が聞こえた。だから近くの店を片端から当たっているだけで、肝心の少女の顔は見ていないのだ。
だが彼が上げた特徴に該当する人間はこの店に来ていたという。
何か判断材料がないものかエリクは白色ばかりの店のあちこちに視線を泳がせる。ふとその時、彼はテーブルの上の紙に目を留めた。
インクの乗り具合を確かめたのか、そこには柔らかな曲線がくるくると描かれている。
「…………なるほどね」
雫を監視していたネイは気づかなかった。彼はその曲線を文字だとは思わなかったのだ。
だがエリクには分かる。文字を専門とする魔法士はそれを旅の間に彼女自身から教えてもらっていたのだから。
バラバラに書かれた三つの単語、”true” “bride” “killed “ 
―――― 本当の花嫁は殺された ――――
筆記体で書かれた雫からのメッセージにエリクは眉を寄せる。
彼はその紙を破りとって懐にしまうと、無言のまま店を出たのだった。

屋敷に戻ればネイと離れられるかと思った雫は見事に予想を裏切られ、昼食とその後まで彼と二人で過ごすことになった。
ほとんど沈黙に包まれた食事の後、彼女はネイから直接、式当日の流れとやるべきことを教えられる。
デイタスと彼以外には雫がアマベルではないと知っている人間はいないのだから、ある意味当然のことだろう。
細かいタイムスケジュールだけでなく、いざ聖堂に入ったらどこからどう入場してどこでお辞儀をするかなどと詰め込まれて、彼女の頭は破裂しかけていた。
「これ、もっと他に女性の協力者に頼めないの? あんまり自信ないんだけど……」
「時間がない。人が増えれば面倒も多くなる。お前が失敗しなければいいだけだ」
雫は反論できずに口を噤む。そもそも彼女は要求など出来る立場ではないのだ。苦い顔になりつつも頭の中でもう一度習ったことを思い起こした。
まずは一人で入場し、聖堂の奥にいる五人の花嫁と共に並ぶ。その後にデイタスが入場。
彼は五人の花嫁それぞれの手を取り「あなたの名は何であるか」と問う。だが彼女たちはそれには答えず彼を無視するだけだ。
最後にデイタスは雫の手を取り、雫が「アマベル・リシュカリーザ」と答える。そして二人は結婚の宣誓書にサインするというのがおおまかな段取りだった。
「あの……この辺の結婚式ってみんなこうなの?」
何故五人の花嫁が別にいるのか。彼女たちが主役であるデイタスを無視することといい色々不可解である。
それともこれがこの世界の標準的な結婚式なのだろうか。前もって婚姻の風習についてエリクに聞いておけばよかったと雫は今更ながらに後悔した。
ネイはちらりと彼女を見下ろす。針に似た視線に雫は後ずさりたくなった。
「……デイタス様の式は特別だ。アイテアの伝説を模して行われる。祝祭の最中だからな」
「アイテアの伝説?」
「知らないのか?」
即座に聞き返されて、雫は「うっ」と言葉に詰まった。かつて大陸でもっとも信仰されていた神の伝説など、皆が知っていて当然のことなのだろう。
だがここで知ったかぶりをしても傷口が大きくなるだけだ。
「し、知らない」
「……そうか」
ネイは呆れるでも怒るでも疑うでもなかった。ただ淡々と件の伝説について教えてくれる。
それは昨日エリクから聞いたアイテアの神話の続きと言っていいものだった。

兄弟たちが皆去り、一人になったアイテアは失意の中、残された大陸を回る旅に出た。
神であることを隠し、単なる人として「人間」を目の当たりにしようと思ったのだ。
力を封じての長い旅にはさまざまな困難がつきまとった。そしてその旅の終わりにアイテアは大陸西部、ちょうどこのラオブのある辺りの森にさしかかったのだ。
当時は辺り一帯に広がっていたという森は深く、そこを越えようとしていたアイテアは疲れ果てていた。
それでも彼は神の力を使おうとはせず、乾く喉を葉々の滴で癒しながら更に森の中へと進んでいく。
やがて彼は森の奥で一つの集落に出くわした。
外界と隔絶した暮らしを送っていた村は突然の旅人に驚き、村人たちは一晩の宿を請うアイテアを遠巻きに避けていく。
困り果てた彼の前に好奇心に溢れた五人の娘が現れたのは、彼が仕方なく村を立ち去ろうとしていたその時のことだった。
アイテアは娘たちに水を求めたが、彼女たちはある者は困惑し、ある者はただ笑っているだけで、名前を聞いても答えようとさえしない。
五人は彼を囲むように周りを走り回ると、最後にはやはりアイテアを置いて村の中に逃げ帰っていった。
だが、そんな娘たちと入れ違いになるようにして一人の少女が現れたのだ。
もっとも若く、もっとも無垢であった少女は黙ってアイテアに水甕を渡した。
彼が礼を言うと少女は恥ずかしそうに俯いていたが、重ねて名前を問われると「ルーディア」と名乗ったという。
後にアイテアの妻となる女である。

「理解できた。ありがとう」
この伝説を模しているからこそ、五人の花嫁が別に必要なのかと雫は納得した。納得すると同時にプレッシャーが襲い掛かってくる。
神話に模した式で、神の妻になった娘に相当する役割など非常に辞退したい。何かの嫌がらせかと思えるくらいだ。
五人の花嫁のうち誰かが代わってくれないだろうか、と実現しない希望を彼女はつい抱いてしまった。
「その五人分の花嫁の衣裳も用意したの?」
「いや。彼女たちはそれぞれこの街の貴族の娘だ。やりたいと名乗り出たのも彼らであるし、衣裳も自分たちで用意している。
 親娘の虚栄心を剥き出しにして競うように着飾って来るだろうな」
「う……それはそれで嫌だ」
まるでどちらが引き立て役か分からない。
本物のアマベルならあの気の強さで他の五人とやりあえただろうが、雫はそういった自己顕示欲とは無縁の人間なのだ。 話を聞いただけで彼女たちに出会う前からげっそり疲れてしまっていた。
雫は肩で息を吐き出すと、ふとあることに気づいて顔を上げる。
いつも感情味のないネイが、彼女たちについて触れた時にだけまるで嫌悪感を抱いているような口ぶりだったのだ。
無表情なデイタスの従者を彼女は顔を斜めにして見上げた。
「ひょっとして、貴族が嫌い?」
ネイの瞳に漣が走る。
それは、まったく似てはいなかったにもかかわらず、何故かデイタスの荒野のような目を思い出させた。
乾いて、何もない、飢えた世界。何もかもを拒む茫洋。
ネイは質問に驚いたのか、思わず雫がたじろいでしまうほど彼女を凝視してきたが、ふっと目を逸らす。返答の代わりに事務的な言葉を口にした。
「式が終わったら聖堂を出してやる。すぐにこの街から離れるといい」
それきり彼は無言になってしまった。
本当に言いたかったことは何なのか、彼女には分からない。
だがそこに幾許かの空虚を感じ取って、雫は沈黙を保ったのだった。