無言の花嫁 061

禁転載

「まぁ! ヴァローラ様がいらしていたんですか?」
貴族令嬢と丁度入れ違いになるように現れたオーナは、女中のエプロンを握って驚きを表した。雫は怪訝に思いながらも頷く。
「少し挨拶しただけだけど……。彼女を知ってるんですか?」
そうとしか思えないオーナの態度に雫が問うと、彼女はあからさまに気まずい顔になってしまった。
不味いことを聞いたかな、教えてくれないかな、と雫は思ったのだが、オーナはきょろきょろと辺りを見回すと声を潜めて囁く。
「実は……ヴァローラ様は、少し前までデイタス様と親しくされてらっしゃったのですわ。
 だからアマベル様のことをお気にされたのでしょう。何か仰ってました?」
「特には。それより親しくって、恋人だったんですか?」
率直に聞くとオーナはうろたえた。単に好奇心から尋ねたのだが、聞きとがめたように思われたのかもしれない。
別に不快じゃないから、と再三念を押して、雫はようやく詳しい話を聞きだすことに成功した。

デイタスは五年前にこの街に、ネイを伴って現れたのだという。
当時二十歳になったばかりの彼はしかし、少ない元手で卸売商を始めると目利きのよさと機を見るに敏な動きで、あっという間に顧客を増やし財を築いた。
卓越した手腕は街でも有数の商売人として彼の名を押し上げ、やがて彼は貴族とも懇意になり、彼らの屋敷に直接出入りも許されるようになったらしい。
デイタスがヴァローラと出会ったのは、そんな時のことだ。
華やかな侯爵令嬢と切れ者の男。どちらかというと、初めに言い寄ったのはデイタスの方だったそうだ。
やがて二人は親しく付き合うようになり、父のディセウア侯爵もそれを認めていた。
が、ある日二人は何の前触れもなく別れると、デイタスには代わりとでも言うように遠くの街の貴族の娘が婚約者として紹介されたのである。

「これって普通、花嫁に言うことじゃないよね……」
雫は僅かに与えられた休憩時間、珍しく一人になった隙にそう呟いた。机の上にあった便箋に日本語で分かったことを書きとめる。
オーナは話好きな女性らしく、最初こそ主人の前の恋人について話すことを躊躇ったものの、雫が興味を示したと分かると堰を切ったように知っていることを全て教えてくれた。その内容は矢張りこれから結婚するであろう花嫁が聞いていて気分がいいものでは少しもなく―――― もし本当のアマベルが聞いたなら、どの道デイタスと大喧嘩になってしまっただろう。
「そしてデッドエンド……って駄目じゃん」
こう考えると、デイタスとアマベルは本当に相性が悪かったとしか言いようがない。
殺人という悲劇を回避するには、かなり事前の準備が必要だったように思えて雫は額を押さえた。
「でも、ヴァローラさんはデイタスが嫌いには見えないんだよね」
むしろもうすぐ結婚する彼を心配しているようにさえ見えた。彼女は彼女なりに何か気になることがあってアマベルに会いに来ただけで、恨んでいるようも蔑んでいるようにも思えなかったのだ。ならば二人が別れたのはデイタスの方に原因があったのだろうか。雫は手の中でペンをくるくる回す。
ただそれにしても、デイタスが誰かに言い寄るなどという姿はまったく想像できない。
あの短気で傲岸な男でも好きな女性の前では態度を改めるのだろうか。
不思議ではあったが、見てみたいかと言ったらまったく見たくない。他人の色恋沙汰など首を突っ込んでよいことがあるとは思えなかった。
「エリクはあれ、見つけてくれたかな」
雫は一人でいることをいいことにぽつりと呟く。
彼だけに宛てた伝言。それに気づいてくれる可能性に賭けて、店を出てからわざと悲鳴を上げたのだ。
エリクならばあれを見て、単語の意味を理解してくれるはずだ。そして雫が今どういう状況に置かれているか、おおよそを推察できるに違いない。
上手く行けばエリクは式場に来てくれて、式が終わって解放されたなら彼と合流することができる。
その後デイタスを告発するかどうかは、エリクに相談して決めればいい。いささか楽観が過ぎる気もするが、雫はそう結論付けて目を閉じた。
転寝に落ちる前の一瞬、暗く落ちていく意識にヴァローラの微苦笑が甦る。
デイタスのことを口にする彼女の微笑みは、雫のよく知る誰かに似ているような気がしたが、それが誰かは曖昧にぼやけるばかりで少しも思い出せなかったのである。

いよいよ明後日が式というところまで来た日、雫はほぼ完璧に教えられたことを身につけていた。
もともと物覚えが悪いわけではない。とりあえず身の安全の為に必要なことと腹を括ってしまえば、面倒な手順の数々が自然と頭の中に入ってきたくらいだ。
練習の一環として、デイタスの参加のもと式の流れをおさらいした雫は、彼の「悪くない」という感想を受けてほっと息をついた。
男は練習用のドレスを着た彼女を上から下まで眺めて呟く。
「もう少し気品が欲しいが、まぁいいだろう」
「平民育ちだから諦めて。澪だったらもうちょっとそれっぽく出来たかもしれないけど」
「ミオ? 誰だそれは」
「妹」
もしこれが、元の世界の殺人者相手であったら妹の存在など教えなかっただろうが、ここは異世界である。
デイタスがどれ程短気で乱暴な男でも、彼には雫の家族をどうにもすることはできない。だからこそ彼女は何の抵抗もなく妹の名を教えたのだ。
「妹などいたのか」
「上もいるよ。姉が。私は三人姉妹の真ん中」
何故そんなことが気になるのか分からないが、姉妹の話はデイタスの興味を誘ったらしい。彼は少しだけ視線を辺りに彷徨わせると、ぶっきらぼうに「どんな姉妹だ?」と聞いてきた。
「どんなって……普通。お姉ちゃんは天然入ってるけど、美人だし優しい。みんなに好かれてる。
 妹は何でも出来て、いつも堂々としてる。頭もいいし、うるさいとこあるけど可愛い」
「随分持ち上げるものだな。それに比べて自分は……という奴か?」
「そうは思わなくもないけど。今はあんまり」
何でもそつなくこなせる妹なら、きっと高貴ささえ纏って花嫁を演じることが出来ただろう。姉ならそのままで何とかこなせたかもしれない。
雫から見ると彼女たちは、自分と比べてあまりにも「特別」で、自然と人の注目を集める存在なのだ。
以前はそれが苦しかった。何故自分だけぱっとしない人間なのだろうとよく思ったものだ。だから家を出て学生会館に住んだ。
けれど今は、いつの間にか彼女たちと比しても自分のことがさほど気にならなくなっている。
それは、二人から遠く離れた場所にいる為か、それとも彼女自身が変わったからか、どちらなのかはよく分からなかった。
デイタスは鼻で笑うとソファに腰掛ける。尊大な仕草で足を組むと、眉を寄せる雫を見上げた。
「自分にはないものを持っている兄弟に劣等感を抱かずにいられるとは図太いことだ」
「……感じないわけじゃないけど、仲いいし」
「そうだろうな。だからお前はそういう目をしていられる」
吐き捨てる言葉に含まれていた嘲り。デイタスはそれを一体誰に向けていたのだろう。
「だがな、お前たちのように皆が馴れ合っているわけではない。私などがその好例だ。
 ―――― 私の妹は、私を兄と知るや嫌悪も露わに石を投げてきたのだからな」
「……え? 石って……悪口?」
「いいや、比喩などではない。本物の石だ。別に珍しくもない話だろう。私は父親が外の女に産ませた子供だったのさ。
 父親の分からぬ子供を産んだ母を皆は蔑み、事情を漏れ聞いた妹は私を化け物のように追い立てた。
 父はそれを見ていながら止めようともしなかったな。つまりは血の繋がりなど所詮……その程度のものだ」
デイタスは激しているようには見えなかった。ただ淡々と自分の身に起こったことを並べただけだ。
そしてだからこそ雫は何も返すことが出来ない。自分が知っている家族とはあまりにも違う彼の過去に唖然とその場に立ち尽くすのみだった。
男の視線が彼女の顔の表面を撫でて行く。乾いた風をまた感じて、雫はふと喉の奥が熱くなった。

もし、彼の罪が購われるならば。
今彼に必要なのは、彼のことを本当に思い支えられる人間なのかもしれない。
彼の為に不毛の地に水を撒くことを厭わぬ人間がいたならば、或いはいつかには救いが訪れるかもしれないだろう。
けれど、自分はそうはなれない。そうできるような思いがない。雫はやるせなさを覚えて目を伏せる。
そして、本当に花嫁としてふさわしかったのは―――― もしかしたらヴァローラの方ではなかったのかと、その時彼女はぼんやりと思ったのだった。



昨日から始まった祝祭は大きな街を隅々まで喧騒で満たしていた。
中央にある広場のあちこちでは旅芸人たちが芸を競い、その度ごとに大きな歓声があがっている。
子供も大人も浮き立っているような最中、エリクは人の間を縫って大聖堂へと向っていた。
明日には祝祭の一部である婚礼が行われる聖堂は、最後の準備に忙しいらしく職人たちが中を慌しく走り回っている。
花の飾りつけから大きな作り物までが並べられている廊下をはじめ、聖堂内は様々な道具と人間たちが入り混じって混沌としていた。複数の工房に発注しているのか全体の統制を取る人間はおらず、少々混乱している為、部外者である彼も見咎められずに内部の作りをゆうゆうと見て回ることができる。
エリクは中の経路と出入り口、当日関係者が使うのであろう奥の部屋を確かめると、最後に招待客が集まるであろう聖堂に足を踏み入れた。
高い天井と規則的に並ぶ備え付けの椅子を彼は一瞥する。ふとその時、背後で金属音がしてエリクは振り返った。
見ると大人の背丈くらいはある金色の燭台が一本、床に倒れこんでいる。見習い職人の格好をした少年がそれを慌てて拾い上げようと身を屈めた。
少年は急いで燭台を手に取ると元あった場所、等間隔で式場全体を囲んでいる柱の前に設置する。
「それ……何?」
「え?」
突然見知らぬ魔法士に話しかけられて少年は目を丸くした。男が指差しているものが自分が触れている燭台だと分かると首を傾げる。
「燭台だけど……何で?」
「いや。そうなんだけど床も。床に発火の魔法陣が描かれているだろう?」
「そうなの? 俺には見えないや。でもこの燭台は魔法仕掛けで一斉に点くんだってさ」
忙しいらしい少年は問いに答えるとさっさと駆け去っていった。エリクは燭台の傍に歩み寄ると床を見下ろす。
確かに発火の魔法陣だ。それほど強力なものではないが、発動すれば陣の上には火と熱が生じる。
よく見ると柱ごとに同じ魔法陣が描かれており、その全ては一本の魔法線で繋がれ連動しているようだった。
置かれている職台はその火を吸い上げて上に灯す魔法具らしいが、そうと分かっても彼は訝しさを拭うことは出来ない。
一斉に燭台に火を灯したいのなら、もともと発火機能が含まれている燭台を用意して構成に手を加えればいいのだ。
わざわざ回りくどいことをして魔法陣を描く必要はない。
内装の指示をしたという花婿はこういう面倒な仕掛けが好きなのだろうか。エリクは冷めた目で広い聖堂を見回すとその場を後にした。