無言の花嫁 063

禁転載

式を挙げた後、二人がどのルートを通ってお披露目をするかは既にエリクの知るところであった。
だがその途中でどうにか出来るかといったら難しい。走っている馬車を止めるのもそれなりに手間がいるのだ。
だから彼はもっと前を狙った。関係者以外は入れない聖堂。そこに入るために、別の人間にまず接触したのだ。

二人の侍女を伴ってヴァローラが聖堂に到着したのは、予定時刻ぎりぎりのことである。
化粧越しでも分かる青い顔色。口元を押さえて中に入ろうとした彼女はしかし、馬車を降りてすぐに一人の男に声を掛けられた。
魔法士の格好をした男は「ディセウア侯爵令嬢ですね」と確認を取ると彼女に歩み寄る。彼は声を潜めて囁いた。
「本来はお父上にお話しすることなのですが、屋敷にはいらっしゃらなかったので。
 ―――― 今日結婚する花嫁のことでお話があります」
「アマベル様のことかしら。あの方がどうかして?」
「今の彼女は偽者です。攫われてアマベルを演じさせられているただの娘だ」
「……え?」
「本物は……ほら」
男は手を差し出した。そこには高価な装身具がいくつか乗せられている。
そしてその内の一つ―――― 指輪の裏にはリシュカリーザの名が刻まれていた。彼女は信じられない目でそれを見つめる。
「探すのに時間がかかってしまいましたが、森の奥に埋められていたのをようやく見つけました。お疑いなら後でご案内しましょう。
 本当のアマベル・リシュカリーザは殺されている。今、花嫁にされかけている娘は僕の連れです」
ヴァローラは目を見開く。
その目を真っ直ぐ見据えて、エリクは「協力をお願いしたい」と冷ややかな声で告げたのだった。

花嫁衣裳を身につけ、ヴェールを被った雫は所在なく控え室に座っていた。時間を見るとあと三十分程で式である。
今頃は別の「花嫁」も支度をしているのだろうか。雫は他に五人いるはずの女性たちにぼんやりと想像を働かせた。
彼女は部屋で一人見張りをしているネイを窺う。彼はほとんどの場合雫と一緒にいるが、 未婚の女性が婚約者以外の男と二人きりでいてもよくないとは思われないらしい。身分差のせいか、よほど信用されているのかは分からないが、 デイタスの片腕である彼は得体の知れない男だった。雫は沈黙が居心地悪くなって口を開く。
「アイテアの神話って酷いよね」
「そうか?」
「だって神様なのに無視されるなんてあんまりじゃない? 奥さんになる子だけが唯一口をきいてくれるとか」
「理解する気がなかったんだろう」
端的な答に雫は首を傾げた。神話への理解力が足りないということだろうか。だがネイは彼女の様子に気づいて補足する。
「村人を含め他の娘たちには神の言葉を理解しようという意思がなかった。
 唯一神妃ルーディアだけが純真であった為にその真摯を持っていたんだ」
意外とも言える真面目な返答に雫は虚を突かれた。
なるほど、そう考えれば納得できる。神の言葉とはしばしば難解で、解釈の余地を多く持っているものだ。
アイテアに呼びかけられた他の人間たちはそれを理解しようと試みることさえしなかった。 そして、一人真面目に神に向き合った少女だけが彼の妻となりえたのだ。神妃とは神託を伝える巫女のようなものでもあったのかもしれない。雫は納得の息を吐き出す。
「……プ、プレッシャー」
神話の意味は分かったが、余計プレッシャーが増してしまった。
ならば本来この式は、花嫁である彼女だけがデイタスの意に耳を傾けることが出来るという繋がりを暗示しているのだろう。
だが、現実はそれとは乖離している。雫にデイタスは理解できないし、彼も彼女に理解してもらおうなどとはまったく思っていない。
神と人との例に及ばず、人間同士の間でも会話において、単語の意味は分かっても話の意を正しく理解できるとは限らないのだ。
雫はいつかエリクに聞いたことを思い出す。
「白い」という単語が会話の中で同じでも、相手と自分が本当に同じ「白」を指しているのかは、完全には確かめられないのだと。
途方もない気分になった彼女は、凝ってしまいそうな肩をほぐす為、両手を上げ伸びをした。袖についた花飾りがヴェールをくすぐる。
控え室の扉がノックされたのはその時だった。扉近くに座っていたネイが立ち上がって応対に出る。
そこに立っていたのは小間使いらしい服装の少女だ。彼女はネイに何事かを囁く。彼は頷くと雫を振り返った。
「ディセウア侯爵に呼ばれた。少し席をはずすがそのままで待っていろ」
「分かった」
男は少女の案内で足早に出て行った。雫は一人きりになって欠伸をする。だが、ほっとしたのも束の間、すぐに扉は叩かれた。
彼女は慌てて立ち上がるが、ドレスが広がっていて上手く歩けそうにない。外にも聞こえるよう大声で対応しようとした時、けれどドアは勝手に開かれた。
そこから一人の男が入ってくる。
「や、久しぶり」
「ひ、ひさしぶり、です」
「うん。無事で何より。じゃ、脱いで」
「……その発言、あなたじゃなかったらセクハラですよ」
聞きなれぬ単語を聞いたエリクは怪訝な顔になった。その表情に「日常」を思い出し―――― 気が抜けた雫は涙を堪えながら笑い出したのである。



部屋に入ってきたのはエリクだけではなかった。ヴァローラが侍女の一人を伴って入ってくると雫に向って深く頭を下げたのだ。
「御免なさい。私、あなたがアマベルではないと知らなかったの……」
「こ、こちらこそ騙していてすみませんでした」
頭を下げ返すとヴァローラは美しい顔を歪めて微笑する。何故かその目は雫に痛ましさを覚えさせた。
青い顔をしている彼女は傍に控える侍女に目だけで指示を出す。侍女は雫の後ろに回ってヴェールに手をかけた。
「御免なさいね。こんなことに巻き込んでしまって。花嫁は私が代わるわ。だからあなたはすぐにここから逃げなさい」
「え? でも、ヴァローラさんも……」
「私の衣裳は侍女が着るわ。大丈夫。ヴェールと化粧で分からなくなるから」
―――― 式の前に逃げ出す。そんなことが出来るのだろうか。
放っておいても式が終われば解放されるのだ。こんなことをして無闇にデイタスの怒りを煽ることにならないか。
雫は不安の目でエリクを見やる。だが彼は「急いで」というと部屋を出て行ってしまった。着替えをする彼女達への配慮だろう。
ヴェールを固定するピンをはずされながら、雫は自分も服を脱ぎだしたヴァローラを見やる。
「デイタスは……怖い人です。それに、終わったら逃がしてくれるって言ってたし、ヴァローラさんに迷惑をかけては……」
「違うの。私たちが、あなたに迷惑をかけたのよ。それ以外ではありえないの。
 だから、これ以上関わるのはよくないわ。あとは私が終わらせるから―――― 」
ヴァローラの貌はその時、まるで病みつかれた人間のように見えた。それでいて瞳だけが強い意志を帯びている。
雫は一瞬息を飲んだが、彼女の意の強さを感じると躊躇いながらも頷いた。それ以上は何も言わずにドレスを脱いで着替える。
あれほど着るのに苦労したドレスをヴァローラはさっさと身に着けてしまった。最後に顔を隠すようにヴェールをつける。
それを平服に着替えた雫はぼんやりと見つめた。
「あの、大丈夫なんですか? 他にお父さんとかもいますよね?」
「ええ。私は貴族の娘だから何もされないわ。心配しないで。ちゃんとあなたが逃げ切るだけの時間を稼ぐから」
ヴェールの下の表情はよく分からない。雫は促されて出て行く為のドアに手をかけながら、それでも心配になって振り返った。
もう一度ヴァローラの方を見る。
「……あなたがデイタスの恋人だったって、本当ですか?」
少しの間。乾いた大地のように広がる空虚。
取り戻せない罅割れた時間をそこに置いて…………ヴァローラは笑った。
「本当はね。あなたなら彼を少しずつ変えていけるんじゃないかって思っていたの。彼を理解しようとしてくれるのではないかと。
 でもそれは甘えだったのね。デイタスの言葉を聞くことができるのは最初から私しかいかなかった。
 私にはもうその資格はないのかもしれないけれど……」
それは、遠い過去が含まれている言葉だ。届かないものを想う言葉。
期せずして人の深奥に触れる答を聞いてしまった雫は、感情を選びかねて沈黙する。
多分、何かがあったのだろう。かつて恋人であり、そして突然別たれた二人には。
だがそれは部外者である雫が踏み込んでよいものには思えなかったし、彼女にはその気もなかった。
雫はただ「ありがとうございます」と言って部屋を出る。そこには壁に寄りかかったエリクが待っていた。
「よし、行こう」
「はい」
そうして二人は、慌しく人の行き来する廊下を歩き始める。
式の始まりまで時刻はあと十五分に迫っていた。

「ディセウア侯爵が来ていない」
あっさりとした報告にデイタスは顔を上げた。その表情が見る見る険しいものになる。
他の使用人には決して見せない顔、だがネイは平然と男の威圧溢れる視線を受け止めた。「どういうことだ」という詰問に順序だてて答える。
「先ほどディセウア侯爵の使いの者に呼び出された。だが、指定の場所に行っても侯爵はいなかった。おまけに会場のどこにもだ。
 屋敷には既にいないという話もある。ヴァローラは来ているようだが……」
「逃げたか?」
「分からない。情報が洩れているとは考えにくい」
従者という立場にもかかわらずぞんざいな口調で報告する男をデイタスは睨んだ。
だがそれはネイに不満があるというより思考を巡らしているが為の表情である。デイタスはしばらく考え込むと口を開いた。
「ぎりぎりまで会場内を探せ。やつがいなければ意味がない」
「分かった。見つからない時は延期するのか?」
「…………いや、できない。あの娘を拘束したままにするとしても、お披露目に出せばアマベルではないと知れるかもしれん。
 それに…………お前との契約は今日までだ」
「ああ。そうだったな」
よく分かっていることを、まるで今思い出したかのようにネイは頷く。デイタスは皮肉げに唇を歪めた。
部屋を出て行こうとする従者に花婿は声をかける。
「お前は、明日からどうする。国にでも帰るのか?」
浅黒い肌の男は足を止めた。振り返らぬまま答を返す。
「まさか。俺はお前程過去を引き摺っているわけではないが、それでもあの国に帰る気はない。あそこに俺の居場所はないからな」
足音をさせぬままネイは部屋から出て行く。扉の閉まる音だけが部屋に響き、後には表情のないデイタスだけが残されたのであった。

雫は顔を隠す為に俯きながらエリクの後についていった。入ってきた時も思ったのだが、通路は上ったり下りたり妙に入り組んでいる。
それでも彼は道が分かっているのか、人の少ない通路を選んで出口に向かっているようだった。
普通の招待客は立ち入らない、吹き抜けで式場部分を見下ろせる通用路に差し掛かると、雫は階下の光景に気を取られる。
「す、すっごい人……。でなくてよかった……」
「街の有力者がほぼ全員集まってるらしいよ。でも君、婚礼衣裳着たがってなかった?」
「脅迫されて着るのはちょっと……。他人事なら飾りつけとか綺麗なんですけどね」
あちこちが白い花と布で飾られた聖堂内を彼女は一瞥する。その視線はだが、ある一点で止まった。見覚えのある鉢植えが目に入る。
「あ、あの花……」
「ん? どれ?」
「燭台の下に置かれてるやつです。あれって」
しかし雫は最後まで言い切ることが出来なかった。突如死角である廊下から現れた男にぶつかってよろめく。
「ご、ごめんなさい」
反射的に謝り、顔を上げて雫は凍りついた。相手の男もさすがに唖然とした目で彼女を見下ろす。
「お前……どうしてこんなところに……」
いち早く動いたのはエリクだった。彼は男に向かって何かを投げつける。男がそれを避けて体勢を崩した隙を狙って、彼は雫の手を引くと走り出した。素早く角を曲がると後ろを窺いながら尋ねる。
「誰?」
「デ、デイタスの従者。私の見張り」
「それは不味いね」
雫は振り返れない。足音も聞こえない。
だが、誰かが追ってくることは分かる。嫌な圧力を背後に感じる。
先が見えない恐怖。けれど外に向って走る彼らとは別に、終わりの時は確かに近づきつつあった。