無言の花嫁 065

禁転載

ネイから逃れた二人は残り僅かな廊下を走っていた。雫はエリクの指示通りに角を曲がって、だが次の瞬間、危うく転びそうになる。
「うわっと!」
バランスを崩したのは、廊下の隅に置かれていた空の鉢植えに躓きそうになったからだ。彼女は壁に手をついて体を支えると、それを飛び越える。
「あ、危ない」
「気をつけたほうがいい。君は時々そそっかしい」
「ご忠告痛み入ります」
後ろを振り返るが他に人間はいない。雫は蹴倒しそうになったさっきの鉢植えから、ふと白い花のことを思い出した。
直線の廊下を駆け抜けながらエリクを見上げる。
「そういえば、昨日デイタスに殴られた時……」
「殴られた?」
「な、なぐられた」
静電気のように空気がぴりっとしたのは気のせいだろうか。雫は何となく首をすくめながら続きを口にする。
「その時にいっぱい白い花の鉢植えがあったんですよ。式場の飾り用みたいだったんですけど。
 今思うと何となく火薬の臭いがした気がして―――― 」
何故、今この時になって抱いていた微かな懸念を口にしたのかと言えば、それは雫が無意識のうちにずっとデイタスの目的について訝しんでいたからだろう。
初めは誤って殺してしまった娘の穴を埋め、滞りなく議員になる為かと思っていた。
だがそれにしてはあまりにも不安要素が多い。もし本物のアマベルを知る人間が来たならどうするのか。それよりも街を回るお披露目はどうするのか。
いつもぴりぴりとしている彼は、式を乗り越えればそれで済むと考えているほど楽観的な人間には見えない。
まるでもっと他に大事なことが彼にはあるように思えるのだ。そう、例えば、この式を開くこと自体が目的のような―――― 。
だから火薬の臭いが気になった。鼻につくというよりもちらちらと脳裏を、嫌な予感が行き来している気がするのだ。

「そういうことか」
返って来たのはあっさりとした答だった。雫は思わず足を止めそうになる。その背をすかさずエリクが押した。
「そ、そういうことってどういう……」
「火薬を偽装して持ち込んだということだろう? ならこの式場で爆発を起こすつもりだ。
 燭台の下に不自然に発火構成が引かれていたんだ。あの上にでも火薬を置いて着火させるつもりだと思う」
「ば、爆発!? テロ!? 何で!」
「理由は知らない」
二人は角を曲がる。廊下の先に外へと繋がる扉が見えた。だが、雫はかえって足を緩めてしまう。彼女は緊張が隠せない目でエリクを見上げた。
「なら止めないと……。まだ間に合いますよね」
「さぁ。どうだろう。式の終わりまで燭台をつけないということは不自然だ。だから、もう猶予はほとんどないと言っていいだろう」
エリクは止まりそうになった雫の手を強く引く。だがその意味することが分かっていても、彼女はそれ以上走れなかった。
「私、行って来ます。だってヴァローラさんもいるし……」
「駄目。とにかく逃げることが最優先。それは僕が行って来るから」
扉に向って、彼は雫の背を軽く叩いた。そのまま微塵の迷いもなく踵を返す。
彼女は一瞬唖然としてその背を見つめて―――― しかしすぐに男の後を追った。
「私も行きます!」
「何言ってんの。君は顔が割れてるし、魔法陣が見えないじゃないか」
「うっ。その通り。でも」
来た道を彼女は引き返す。そこに恐れはあっても、後悔はない。
「でも、一人より二人のがましですって! さっと行ってぱっと消しちゃいましょう!」
デイタスは、雫の目に何を見たのだろう。ヴァローラは何を望んだのだろう。
もし雫自身が本当にアマベルであったのなら、今よりももっとこの意味の分からぬ事態に関われたはずだ。
そして、そのことで何かが変わったのかもしれない。ほんの些細な変化でも。
だが、雫は雫でしかない。言葉を聞けない部外者で、通り過ぎるだけの旅人。まるで一人外部に立っているようなものだ。
けれどそれでも何もできないわけではないだろう。荒野に水を撒くことができずとも、それが壊れてしまわないように手助けするくらいはできるはずだ。
エリクは珍しく憮然とした表情を作ったが、何も言わずに彼女を連れて元来た道を走り出す。
いつの間にか歓声はやんでいた。
ただ静寂だけが聖堂全体を浸しており、まるで海に浮かぶ孤島のようにこの場所が周囲から隔絶されている幻想を雫は抱いたのだった。

「何故ここにいる」
デイタスはカラカラに乾いた喉でようやくそれだけ口にした。ヴァローラは微笑む。
「私が、あなたの前に立つべきだと思ったから。それだけだわ」
二人の会話はヴァローラの名乗りも含めて列席する人間までは届かない。ただ出席者は一向に動かない二人を少し怪訝そうに見やっているだけだった。
「父親はどうした。来ていないと聞いたぞ」
「もういないの」
「いない……?」
ヴェール越しに見えるか見えないかの瞳。デイタスは視界を遮る絹を取り去りたいと思ったが、それは出来ずにいた。
見たいと思っている気持ちと同じくらい彼女に見られたくなかった。宝石のような瞳が蔑みに染まるところを目の当たりにしたくなかったのだ。
ヴァローラの指に力がこもる。重いものなど持ったこともないのだろう細い指が、彼の手を握った。
「私、この結婚であなたが幸せになれると思っていたわ。
 もしかしたらそれで、自分の罪悪感が薄れることを期待していたのかもしれない。
 でも父はそうではなかった。昨日やっぱりあなたを議員に取り立てるのはやめると言い出して……それでは駄目だと思ったの」
デイタスは黙って聞いていた。反論することがないわけではなかったが、彼女の言葉を聞きたい思いが勝った。
偽りでも本物でもない花嫁は少しだけ首を傾げる。彼女は男の肩越しに式場を見回した。
「だから、私、お父様を殺してしまった。言い争いになってそのまま」
ぽつりと呟かれた言葉。その意味を認識して彼は目を見開く。もう片方の手で彼女の肩を掴んだ。
「―――― 殺した、のか? お前が?」
ヴァローラは答えない。ただふっと微笑んだだけだ。
「私、あなたが幸せになれると思ってたの。だから何かを贈りたかった。あなたはずっと父を憎んでいたでしょう?
 父を殺してしまったのだと気づいた時、とんでもないことをしたと思ったけど、これであなたが解放されると思ったら嬉しかった。
 でも…………あなたもアマベルを殺していたのね。デイタス」
その言葉で彼は全てが露呈したことを悟った。だから彼女はここにいるのだ。別の少女が着るはずだったドレスを着て。
彼女の手は初めて出会ったあの日のように彼の手を握っている。
だが、もはや大人のものになってしまった手は触れていてもどこかが遠い。あの時のように無邪気ではいられない。
「デイタス。何も関係ない子まで巻き込んであなたが式を開いたのは復讐の為?
 恨んでいるのでしょう? あなたたち母子を追い出したこの街を。―――― あなたに石を投げた私を」
式場は静寂に満ちている。静謐よりも重い何かが広がっていく。
その中で二人はただ、お互いだけを見つめていた。

式が進行している最中、入場口近くで裏方をしていた職人の一人は小窓から式場を見渡してふと首を傾げる。彼は近くに居た雇われの魔法士に話しかけた。
「あの燭台はつけなくていいのかい?」
「式が終わって花嫁が衣裳換えしてる時に花婿が挨拶するから、その時につけるらしい」
「へぇ。今つければいいのにな。勿体無い」
「お偉いさんの考えることは色々あるのさ」
魔法士はそう言って欠伸を一つする。予定では構成に魔力を通す時刻まではあと五分ほどだ。
だが、式場の様子は予定よりも進んでいない。何故か花婿が花嫁の前から動かないのだ。
本当ならもう二人は祭壇の前に立ち、宣誓書に署名をしている段階だ。一体何があったのだろう。
「参ったな……」
規則正しく進む上流階級の式で、こんな滞りが出るとは思わなかった。
だからこそ彼は時間通りに終わることを予想して、次の街に陣を使って転移する許可を直後の時間に取り付けてしまってあったのだ。
次の街でも既に仕事は入っている。これよりももっと手間がかかって重大な仕事が。魔法士の男は時計を見て眉を寄せた。
ここで請け負った仕事は、決まった時刻になったら構成に魔力を通すというだけのことだ。そして、式が遅れているのは向こうの責任だ。
どうせ燭台がついていた方が綺麗なのだから、時間になったら始めてしまおう。
そう思って彼はまた一つ欠伸をしたのだった。

デイタスは大きな驚愕を覚えながらも、心のどこかで安堵する自分を感じていた。震える声でヴァローラに問う。
「いつから知っていた? 父親に聞いたか?」
「違うわ。私の方が先に気づいたの。名前を変えたあなたが屋敷に訪ねて来たその時から……。
 今更こんなことを言っても信じてくれないかもしれないけれど、私はずっとあのことを後悔していた。
 あの時はあなたのお母様のことで苦しむ母を見ていたからあんなことをしてしまったけれど、あなたがいなくなってから後悔した。
 だから、あなたを見た時は戻ってきてくれたのだと嬉しかった。あなたに謝りたいと思っていたから……」
「私がお前に近づいたのは復讐の為だ」
「そう。すぐに分かったわ」
背後で列席者がざわめく気配がする。動かない二人を不審に思っているのだ。
数日前までは、デイタスは彼らをも焼き尽くすつもりでいた。上流面をした彼らが母と自分をどう悪し様に罵ったか、彼はつぶさに覚えていたからだ。
だが、今の彼にはそれも全てどうでもよいことにさえ思える。
何かが洗い流されていくような感覚。ただヴァローラの声だけが体の中に響いた。
デイタスはしばらく黙していたが、不意に手袋を取る。そして彼女の手袋も取り、直にその手を握った。
「あの男は、私が誰であるか分かった時、私を野良犬と罵った。卑しい犬だからこそお前に手を出すような真似をするのだと」
「父は何も見えていなかったわ。あなたのことも私のことも。でもそれは私も同じ」
彼女の言葉にデイタスは心の中で頷く。
自分も、彼女のことが分かっていなかった。分かってくれないのだと思い込んでいた。
何も通い合うものがないのだと。深い断絶だけが横たわっているのだと。だがそれは、形こそ違えど彼女も同じだったのだろう。
そんな沢山の孤独が積み重なって、彼らは今この時に至っている。
「幸せになって欲しかったわ。自由になって欲しかった。でも私たち……二人とも人を殺してしまったのね」
女の声が震える。泣いているのだと、デイタスは分かった。ヴェールを上げ、久しぶりに見る彼女の貌を見つめる。
頬を落ちていく涙は、それだけが不思議なほど透明だった。彼は白い頬に触れてそれを拭う。
―――― 確かに復讐の為に近づいたのだ。
傷つけてやろうと思った。顔だけは優しげに微笑み愛を囁きながら、内心ではいつも彼女を引き裂いてしまいたかったのだ。
だが、身を焼くほどに燃え上がっていた妄執が、何故か今は消えている。
彼は初めて彼女に出会った時と同じ、何の飾り気もない純粋な思いで彼女を見つめていた。
ヴェールを取り去られた花嫁の顔を、他の花嫁姿の令嬢たちが目を見開いて凝視している。ざわめきが大きくなる。
ヴァローラは立ち上がり始める列席者を見やって、ほろ苦く微笑んだ。
「デイタス、私たちもう、どこにも行けないのね」
「―――― お前は私に付き合う必要はなかった」
しかし彼女は黙って首を横に振る。そこに込められた思いを汲み取ってデイタスは沈黙した。
あの時、一度二人の手は離れてしまった。決定的なまでに別たれた。
だがもし、彼らが子供の矜持を以ってその手を掴んだままであったら、もっと別の未来が訪れていたのだろうか。
デイタスは腕の中に彼女の体を抱きしめる。彼女はそれに抗わず、彼の胸の中ですすり泣いた。
その髪に口付けて彼は祭壇を振り返る。怒りに顔色を染め始めた出席者たちを眺めた。
まるで愚かな彼ら。権力と財力があれば思い通りにならないことは何もないと思っているのだろう。
けれどそれに力での清算を試みた彼も、また同類なのだ。自嘲が男の口元に浮かぶ。
全てが虚しい。乾いて何も実らない。
だがそれでも腕の中の彼女だけは―――― つけてしまった傷の分だけ、いびつに輝いて美しかった。

エリクと雫は、連鎖する構成の元となっているであろう入場口目指して走っていた。
途中何人かの警備兵とすれ違う。その内の一人が雫を見咎めて声を上げた。
「アマベル様でいらっしゃいますか!?」
「違います!」
そのまま振りきったが追ってくる気配はない。二人は角を曲がると階段を駆け下りた。
デイタスが雫を逃がしてくれると言っていたのが本当のことなら、彼が火をつけようとするのは花嫁が退場した後のことだろう。
だが時間はもうあまり残っていない。花嫁が出席する儀式部分は全部で十五分ほどしかないのだ。
あとはデイタスが挨拶をして、二人はお披露目に出る。どちらかと言ったら多くの人目に触れるお披露目の方に時間は長く割かれていた。
彼らは一階の廊下に出ると、入り口に向って走り始める。
新たな警備兵が廊下の先から二人をみとめて顔を顰めた。
「何だお前らは!」
この男は幸か不幸か雫の顔を知らないらしい。エリクは速度を緩めないまま半歩後ろを行く雫に囁いた。
「僕が時間稼ぐから、先行って止めて。入り口のすぐ横に扉があって裏方が出入りする小部屋がある。多分そこに魔法士がいるから」
「分かりました! あ、でも」
「何?」
「私、魔法士の人の見分けつきませんよ」
もし人がいっぱいいたならどう対処すればいいのだろう。魔法陣も彼女には見えないのだ。
だがそう思って危機的に問うた質問に、エリクはあっさり返してきた。
「え。そうだっけ? 見て分からない? 魔法着着てるのが魔法士」
「魔法着ってどんなんですか」
「端的に言うと、上下が繋がってる」
「あー!」
言われて見ればそうかもしれない。雫は横目でエリクを見た。
確かにいつも彼は上と下が繋がった服を着ていて腰帯を締めている。だが彼女自身、他人のファッションにあまり注意を払う方ではないし、「魔法使いのローブ」と言ったら、だぼっとしていてずるっとしているという偏見を抱いていたので気づかなかったのだ。現にカンデラの城に仕える魔法士はみんなだぼだぼしたローブを着ていた。その為、どちらかというと細身の体に沿う服を着ていた彼を、魔法士特有の格好をしていると疑ってみたことはなかったのである。
ネタばらしをされてしまうと、今まで何で気づかなかったのだろう、というくらいだ。
だが今はそんなことを感じ入っている場合ではない。雫は「分かりました!」と返事をすると、入り口に向って速度を速めた。
腕を広げて彼女の進行を留めようとする警備兵の足元に、エリクが何かを投げる。
それだけで何かが変わったようには見えなかったのに、男は足元を見やると「うわっ!」と叫び声を上げて尻餅をついた。その間に雫は男の横をすり抜ける。
入り口はもうすぐだ。彼女は受付を片付ける女性たちの前に走りこみ、そこで急ブレーキをかける。
辺りを見回すと小さな扉があった。何やら注意書きの張り紙がしてあるそこを迷わず押し開ける。
「許可なく入ります!」
突然の声に部屋の中にいた五人の男たちは振り返った。
その中の一人、上下の繋がった服を着た男は雫を見て目を丸くしながら、だが自分の右手を床に向けようとする。そこに雫は飛びついた。
「魔法使っちゃ駄目! 爆発する!」
「爆発!? 馬鹿言うな、もう前金は貰ってるんだ!」
「駄目だってば! 危ないって!」
「離れろ! 邪魔をするな!」
もみ合う二人に他の四人の男は対応に困る。だがその時、魔法士の男が大きく雫を振り払った。彼女はバランスを崩して床の上に倒れる。
男は再び詠唱をしながら手を床に向けた。それを見た雫は声を張り上げる。
「やめて! あの白い鉢が火薬なんだよ!」

デイタスはヴァローラを抱いたまま、他の花嫁に手振りだけで壇上から下りるように指示した。彼女たちは困惑しながらも後ずさり退場する。
そして、祭壇の後ろに二人だけになると彼は女に囁いた。
「今ならまだ戻れる。お前は幸せになれるかもしれない」
だが彼女は小さく首を振って答える。デイタスは深い溜息をついた。
アイテア神も、神妃を腕の中に抱いた時こんな思いを抱いたのだろうか。
世界に、二人だけしかいない。理解しあえるのも何かを分かちあえるのも。
しかし、もう孤独は感じない。今この時を、彼はどこかで幸福とさえ思っていた。
逃げ出した少女のことが一瞬頭を掠める。彼女はもう遠くへ逃げられただろうか。そうであればいいな、と少し思う。
彼は微苦笑しながら花嫁を抱き上げた。ヴァローラの両腕がしっかりとデイタスの首に回される。彼は祭壇に向って手を伸ばした。

構成に魔力が注がれる、まさにその瞬間―――― 魔法士の手を留めたのは部屋にいた職人の男だった。
筋肉質の職人は魔法士の手を掴みながら小窓に視線を送る。魔法士の男は目を白黒させながら叫んだ。
「何だ! その小娘の戯言を信じるのか!」
「予定では花嫁が退いた後のはずだ。何故今つけようとする?」
「もう予定時間だからだ」
「いい加減なことをするな。爆弾かどうかはともかくとして……」
他の職人たちも魔法士に非難の目を送っている。彼はうろたえて辺りをきょろきょろと見回した。その間に雫は「待ってて!」と小部屋を飛び出す。
これで時間が稼げる。その間にデイタスを説得して命令を撤回させればいいのだ。今度は殴られようとも退く気はない。
雫は入り口に戻ると今度は入場扉を押し開いた。花嫁として入場するはずだった青い絨毯の上に踏み込む。
真っ直ぐに伸びる通路の先、祭壇の後ろでデイタスはヴァローラを抱き上げていた。
彼は祭壇に向って手を伸ばす。その上から火の点いた小さな燭台を手に取った。そして二人は観客に背を向ける。
祭壇の奥に敷き詰められていた白い花。その中に彼は足を踏み入れた。困惑する人々の前で燭台を持った手を高々と掲げる。
何をするつもりなのか、この場でただ一人悟った雫は悲鳴に近い怒声を上げた。
「デイタス!!」
男は振り返る。ヴァローラが雫を見る。彼らは驚いた顔になる。
まるで時が止まったかのような一瞬。
デイタスは皮肉な目で苦笑して―――― そして、燭台を足元に投げた。

造花であったのか白い花々が紙のように燃え上がる。長いドレスの裾に火がついた。ヴァローラはそれを見て微笑む。
突然の光景に人々が愕然として硬直する中、雫は二人に向って駆け出そうとした。だがその手を後ろから捕まれる。
振り返るとエリクが厳しい表情で彼女と、祭壇の向こうの二人を睨んでいた。
「行くな」
「だって、まだ」
間に合うから、と言おうとした雫の耳を、だが次の瞬間つんざくような爆発音が打ち据える。何かの破片を含んだ爆風が彼女の体にぶつかった。
それが何であるか理解はできない。
雫は振り返ると煙でほとんど見えない祭壇奥を見やる。
「…………何で?」
会場内でいくつも悲鳴が上がる。人々は逃げ出そうと一斉に入り口に押し寄せる。
だが雫は目の前に迫る人の波にもかかわらず、その場に呆然と立ち尽くしていた。エリクが彼女の体を抱えるようにして外へと引き摺る。
「逃げるよ。この状況は不味い」
「でも、ヴァローラさんが、デイタスが」
「あれは助からない。もう死んでる」
「どうして?」
聖堂の奥を見たままの雫に逃げる男がぶつかる。エリクはよろめく彼女に苦い顔をすると「ごめん」とだけ呟いた。
どこからか出した薬を彼女の喉の奥に押し込むと、人を避けて彼女の体を抱き上げる。
すぐに意識を失った雫を抱えて彼は一度だけ祭壇を振り返った。
もはや誰も顧みない式場。
そこは外の喧騒とは別に、ただ静謐を湛えているように見えたのである。




祝祭の最終日に起きた爆発事故は、犠牲者二人の心中として片付けられた。
後の調査でディセウア侯爵とアマベル・リシュカリーザの死体が見つかったことで、結婚を反対されたデイタスとヴァローラが示し合わせて二人を殺し、 なおかつ犯行の露呈を恐れて心中するに至ったのだという結論が、大勢を占めたのである。
殺されたアマベルの身代わりとなっていた少女を、間一髪で難を逃れた貴族たちは手を尽くして探した。
アマベルの生家との関係悪化を恐れた彼らは、その少女こそアマベルを殺した真犯人ということにしてしまいたかったのだ。
だが少女の顔を知る者がほとんどいないせいか彼女はついに捕まらず、またアマベルの死体の首についていた手形が男のものであったことから、 少女の捜索も打ち切られた。デイタスの従者もまた事件を境に行方知れずになり、犯人ではないかと捜索がなされたが、少女と同様足跡はつかめていない。
全てはデイタスとヴァローラのせいとして事件はそそくさと片付けられ、街は元通りの平穏を取り戻した。
雫がそのことを知ったのは二週間後、ラオブの街から三つ離れた街の宿屋で、エリクに張り出された記事を読んでもらった時のことである。
彼女は全てを聞くと沈痛な感情を湛える目を伏せた。
「何か……もっとどうにか出来なかったかな、と思うんですけど、それって増長ですよね」
「どうだろう。悪いとは思わないけれど、あまり悩まない方がいい。君は人の気持ちを背負いがちだ」
雫はエリクの言葉に頷きながら目を閉じる。
最後の一瞬、幸せそうに笑っていたヴァローラの姿がそこには思い浮かんで消えたのだった。