異質と罪人 068

禁転載

ファルサスの建国は遠く暗黒時代にまで遡る。
戦乱と裏切りが満ち溢れていた混沌の時代。日毎に情勢が移り変わり、国境が書き換えられていた絶望の時代において、現在の強国は生まれた。
無残にも蹂躙され、打ち滅ぼされた小国はこの時代後を絶たなかった。しかしその内の一つにある時一人の男が現れたのだ。
彼は寄る辺ない人々を集め、知恵を使って外敵と渡り合いながら徐々にその才を以って強力な軍隊を、そして国を作り上げたという。
建国を為したその王の名はしかし、何故かファルサスの記録には残っていない。
ただ、彼にはいつも付き従う美しい妃がいたことと、そして謎の人外から「魔を断つ剣」アカーシアを与えられていたという逸話が伝わるのみだ。
世界に一振りしか存在しない魔法の効かない剣。
その力は未だ解明されぬまま、しかしファルサス王の象徴として、現在も第三十代ファルサス国王ラルス・ザン・グラヴィオール・ラス・ファルサスの手にある。

「二十七歳! わっかい王様ですねー。こっちの世界ってみんなこうなんですか?」 
「いや、ファルサスが特別なんだよ」
城都についてから三日後、「城に行って直接王に頼むことになった」と言うエリクに、雫は緊張しながらも頷いた。
まさか自分が王様なる人間と直に会う日が来るとは思ってもみなかったのだ。まったくとんだ展開である。
約束を取り付けてくれたのは宮廷魔法士のハーヴらしいが、それにしても驚きだ。粗相をして王を怒らせてしまわないか雫は今から心配だった。
「ファルサスの王は王剣アカーシアの主人であることが暗黙の条件なんだ。
 でもアカーシアは単なる飾り物の剣じゃなくて魔法士に対抗する最強の武器の一つだからね。当然主人には相応の技量が求められる」
「あ、だから若い人が継ぐんですか」
「そう。ここ数百年、大体王は五十歳になる前には後継者にアカーシアを継がせてる」
王様と言えば白い髭があって恰幅がよくて金の王冠を被っている、という子供のようなイメージを持っていた雫は少々驚いたもののエリクの説明に納得する。
つまりファルサスの王とはイコール王剣を扱う剣士でもあるのだ。
魔法大国を治める王にしては意外な気もするが、ファルサスの魔法が突出したのはここ百年のことらしい。
一方アカーシアは建国時からあったというのだから、そちらの方が優先するのももっともだろう。
「それにしても千年以上も持つ剣って一体何で出来てるんでしょうね」
「さぁ。他国はそれを解き明かしたいと思ってそうだけどね」
魔法に詳しくない雫などにはよく分からないが、「魔法がまったく効かない」という存在はファルサスの国宝以外に何処にもないらしいのだ。
もしその理由が解明できれば魔法技術研究にも役立てられる、と多くの人間が考えてはいるらしいが、ファルサスの王族は、他国は勿論自国の魔法士にもその研究をさせていないらしい。 雫は国宝なんだしそんなものか、と感想を抱いたのみで、あとは王の性格の方に関心を移した。
「どんな人なんですか。前エリクは寛大だって言ってましたっけ」
「寛大だよ。政を見る分には。僕は直接会ったことはないけれど」
「うう、失礼しないか不安ですよ。無礼討ちとかされませんよね?」
「何それ。何となく不吉な言葉に聞こえる」
「正解です」
エリクはお茶のポットから自分のカップにもう一杯注ぎ足す。藍色の瞳を雫から転じて彼は窓の外を見た。遠くに白い城が見える。
「今の国王は寛大だ。だけどそれは、自分の力に自信があるってことの裏返しでもある。
 個人的な人となりを言うなら、王はおそらく―――― 一筋縄ではいかない人間だ」
雫は緊張に息を飲んだ。想像もつかない王の存在に落ち着かないことこの上ない。
けれど、ここまで苦労してやって来たのは、ファルサスの秘密から元の世界に帰る手がかりを掴む為なのだ。怯んで立ち止まってはいられない。
雫はその後、ハーヴの母親に服装を見てもらって当日無礼にならない程度に整えてもらった。
陽気は暑いことこの上ないのだが、腕も足も出してはよくないとのことで、彼女は長袖のシャツに足首まであるフレアスカートを見繕ってもらう。
別の世界から来たことを証明しろと言われた時の為に、バッグを整理するとずっと切ってあった携帯電話の電源を入れてみた。
元の世界にいた時はまめに充電を心がけていた携帯は、まだ充分電池が残っている。
何となくボタンを操作して、雫は着信履歴を見てみた。
ずらっと並ぶ友人の名前、その最後に姉の名前を見出して―――― 雫はその晩少し、泣いたのだった。

謁見の日はあっという間にやってきた。
巨大な城門の前にエリクと二人立った雫は、荘厳な城の姿に感嘆の溜息をつく。
それは写真でしか見たことのない西洋の城によく似ていて、窓の多さがそのまま建物の大きさを表しているような気がした。
雫は城壁のすぐ内側、四方に立っている高い尖塔を見上げる。
「すごいですね……」
「あんまり上を向いてると首がもげるよ」
「もげっ!?」
「ほら、行こう」
エリクは城門に立っている兵士に何かの書類を渡した。兵士は二人を見て頷くと城門脇の通用扉を開けて中に入れてくれる。
あちこちを見回す雫にエリクは「はぐれないようにね」と念を押すと、まるで勝手を知った場所のように歩き出した。
建物の中に入り長い廊下を行きながら、彼は雫に声をかける。
「王にお会いする前に、一つ約束をしよう」
「はい。何ですか」
「君に不利益は出したくない。だから、もし僕が僕のせいで咎めを負うようなことがあったら、その時は僕を切り捨ててくれ」
「―――― は?」
言われた意味がよく分からない。
雫は大きな目を瞠って彼を見た。だが、エリクは冗談を言っているようにはまったく見えない。
むしろいつになく張り詰めた空気をかもし出している気がして、彼女はうろたえた。
「な、何ですかそれ。何があるんですか?」
「何もないかもしれない。その可能性の方が高い」
「でも、何かある可能性もあるってことですよね。それなら―――― 」
それなら、一人で行く、或いは王のところになど行かなくていいと、雫は言おうとした。
彼と雫は、本来的には対等な取引の上での関係なのだ。それを彼が右も左も分からない雫の為に色々譲ってくれているだけで、それさえも彼女は申し訳なく思っている。 ましてや自分が元の世界に戻る為に、エリクに何らかの危険を負ってもらう、などということは念頭にもなかった。
帰る為に誰かを犠牲にしようとは思わない。それをするくらいなら帰還を諦められる。
苦しい選択ではあるが、雫にとってそれは既に自分の中で決した優先順位であるのだ。
だが彼女が留める言葉を口にする前に、エリクは「ここだよ」と言って立ち止まる。そこは、兵士たちが左右に控える大きな扉の前だった。
動揺する雫の前で、しかし扉はゆっくりと奥に開きだす。白い大理石の上に敷かれた紅い絨毯が目に入った。
彼女はエリクを見上げる。だが、彼はいつもとまったく変わらぬ目で前を見ていた。
「気にすることはない。僕は……」
そこから先は聞こえない。
代わりに奥から朗々とした男の声で「入るがいい」と言われて、雫は理由の分からぬ焦燥に身を震わせたのだった。

王の前に武器や叛意を示す存在を伴っての入室は許可されない。
その為メアは宿屋に置いてきており、雫の持っていたバッグも一応兵士によってチェックされた。そしてその上で、二人は王の前に立つ。
今年二十七歳だと言う国王ラルスは、外見だけ言えばむしろ年よりも若く見える端整な顔立ちをした男だった。
黒茶の髪に薄青の瞳。穏やかに微笑む男はしかし、鍛えられた体躯に消せない威と鋭さを纏っている。 そして、それを含めた姿はやはり紛れもなく王のものであり、底知れない光を湛える双眸とあいまって三十にもなっていない彼に老獪な印象さえ抱かせるのだった。
雫はエリクに半歩遅れて、椅子に座ったままの王の前に立つ。
王族に対しての礼儀などよく分からなかったので、彼女は深く頭を下げると「雫と申します」と名乗った。ラルスは物珍しげに彼女の全身を眺める。
「雫?」
「はい。あの、ご無礼があったらすみません。王様への礼儀を知らないもので」
「構わない。それより、何故お前は二百四十年も前の事件を知りたがる?」
無形の力を伴う上からの声に、心臓を突かれたような緊張が走った。雫は息を止めそうになる。
何から話せばいいのか、どうすれば信じてくれるのか。
昨晩ベッドであれ程反復したはずなのに、いざ王を目の前にするとまるで言葉が霧散してしまったかのように上手く出てこない。
雫は空気を求めるかのように何度か口を開く。
「どうした? 早く言ってみろ。俺もそれ程暇ではない」
答えなければならない。雫の理性はそう叫んでいる。
だが、何を答えればいいのか。まるで眩暈がする寸前のように彼女は全てに躊躇した。
「雫」
その時、水のように澄んだ声が彼女の耳を打つ。聞きなれた声。雫はその響きに我を取り戻した。
支えてくれる意志。その存在。いつだって彼がいてくれたからこそ、彼女はここまで来れたのだ。
混乱に乱れ散った精神が集まってくる。この部屋に入った時よりももっと気分が凪いでいく。 雫は自分の手に視線を落とす。
そしてもう一度―――― 彼女は王を見上げた。僅かに固さの残る唇を動かす。
「王様、信じてくださらないかもしれないけれど、私は……とても遠い場所から、この世界に迷い込んだんです」
そして雫は、暑い夏の帰り道、あの黒い穴と出遭ってしまったところから、自分の話を語り始めた。



時にたどたどしく絡みそうになる話。けれど雫は冷静に冷静に、と自分に言い聞かせて何とか慌てずに説明をすることができた。
何故昔の事件について知りたいのかはエリクが補足してくれる。ラルスはそれをじっと雫を見つめながら聞いていた。
話が終わると、王は別段驚いている風もなく問いかけてくる。
「本当に別の世界から来たと、証明できるか?」
「少しですが、元の世界から持って来たものがあります」
雫はバッグから携帯電話と音楽プレイヤーを取り出すと、それを王の前で操作して見せた。ラルスは目を細めてそれを見やる。
携帯で写真を撮ってみせると、さすがに彼は少しだけ驚いた顔になった。
「どこまで遠くが映せる?」
「これは簡易なので遠くに行くほど不鮮明になりますが、元の世界では肉眼では見えないものも、目の前にあるかのように撮れたりします」
「面白いな。他にもこの世界にはない技術が沢山あるのか?」
何気ないその問いに、だが雫は緊張を覚えた。
以前エリクが注意してくれたことを彼女は思い出したのだ。「強力な武器を作れそうな知識を、雫から聞き出そうとする人間もいるかもしれない」と。
かと言って答えなければ、王は雫の言い分を信じてはくれないだろう。彼女は考えて、慎重に答を選んだ。
「私の世界には魔法がありません。その代わり文明はここより栄えています。そして確かに……もっと多くの技術があります。
 ですが私はそれを再現することはできないのです。そういった技術を学んでおりませんでしたので……」
ラルスは黙ったまま頷く。一体王はどう思ったのだろう。何を考えているのか読めない相手だ。雫は萎縮しそうになる意識を留める。
男はさっきからずっと雫を見たままで視線を逸らさない。その視線の強さが居心地悪かった。何だか冷や汗をかきそうである。
「この世界ではできないこともできると、そういうことか」
「多分、そうです」
「なるほど。まったく、困ったものだ」
それがどういう意味か、雫には分からなかった。ただラルスの声は本当に、少し困ったような煩わしげなものに聞こえただけだ。
彼女は王の青い瞳を見返す。
「口承では聞いていたが、まさか俺の前に現れるとは思わなかった。実は真実かどうか疑ってもいたのだがな」
「…………王様?」
「何故ファルサスに……俺の前に来た? あれが本当に壊されたかどうか探りに来たのか?」
その問いに、答える言葉を雫は持たない。何を聞かれているのかも分からなかった。代わりに言いようのない気分の悪さが魂の奥底から這い上がってくる。
王は立ち上がった。均整の取れた長身を彼女は見上げる。どこか既視感を覚える光景。
「女子供として現れるとはやりにくい。だが、これが俺の務めでもある」
大きな手が腰に佩いた剣の柄にかかる。あれが話に聞く王剣アカーシアだろうか、そんなことを雫は考えた。
ラルスは彼女を見たまま長剣を抜き、そして典雅な程ゆっくりと構える。雫は黙ってそれを見上げた。
「―――― 立ち去るがよい、外部者よ」
鏡のように美しく光る刃。
その切っ先が自分に向って振り下ろされるのを、彼女はただ呆然としたまま見つめていたのだった。