異質と罪人 071

禁転載

この世界には緑茶がない。
一般的にお茶と言われるものは紅茶に似た色合いをしているが、風味はハーブティに近い。
一度どんな植物から作っているものか聞いたもののエリクはそれを知らなかったので、雫は未だに原料を知らないでいる。

「はい、お茶ですよ。王様」
「こんなにぞんざいに茶を出されたのは初めてだ」
「正座して泡立てればいいんですか?」
「お茶を泡立ててどうする。嫌がらせか」
「文化の違いが……」
盆を持ったまま雫は苦い顔で執務机の前から下がった。
不満を示されても不満なのはこちらも同じなのだ。丁寧語を使っているだけで彼女としては譲歩である。
半袖のブラウスに膝丈のスカートというウェイトレスのような格好をした彼女は、机から去り際、後頭部に紙くずをぶつけられて顔を顰めた。
勿論誰がぶつけたかなどよく分かっている。この部屋の主人一人しかいない。
「何するんですか、王様」
「正体を現せ」
「いい加減しつっこいなぁ!」
雫はつい持っているお盆をラルスめがけてぶつけたくなったが、何とかそれを堪えて部屋を退出したのだった。

ファルサスの城都は暑い。湿度は低いが、温度は高い。
にもかかわらず城の人間は皆、長袖を着て平気な顔をして仕事をしている。
例外はただ一人、国の頂点に立つ男で、彼だけは半袖の簡素な服を着て仕事をしていた。
ラルスは暑いからというより動きやすいからという理由で人に会う用事もない時は軽装らしいのだが、それを知らなかった雫が
「王様だけ涼しそうですね」
と言ったところ
「お前も好きな格好をすればいい。甲冑でも裸でもな」
と返されたので、「ありがとうございます。ド変態」と言って彼女は宿から持ってきた私服に着替えたのだ。
出会ってすぐに問答無用で殺されかけた雫は、最早無礼という域を通り越すチクチクした態度で王にあたっているのだが、彼自身はまったく気にしていない。 もっとも彼女は厳密には王の臣下ではないのだから、そこを口うるさく言う必要もないということなのだろう。ラルスの性格なら臣下がこうでも気にしない気もするが。

「私、いつまでこの生活すればいいんでしょうか」
「うーん……」
雫の問いに苦笑したのは兄より数千倍常識人のレウティシアだ。
ただこの言い方を通用させるにはラルスの常識が零ではいけないという前提が必要なのだが、公人としては彼はほとんど欠点のない王であるらしい。
その欠点のなさを少しでも性格に分けて欲しかった、などと雫は思うがそれは王に近しい人間全員が思っていることであるようだった。
「王様って二十七歳ですよね。二十七歳になっても人参を根深く嫌ってるってことは、私もあと二十七年くらい疑われるんですか」
「…………それはちょっと……御免なさい」
「謝らないで否定して頂きたいんですが」
現在十八歳の雫はあと二十七年経ったら今の親の年齢と同じくらいになってしまう。そんなになるまでこの国にいるとは思いたくなかったし、 ましてやあの王と小競り合いを続けているなどとはもっと想像したくなかった。雫は精神的疲労に頭を抱えることもできずに項垂れる。
「そもそも私、一体何と間違われてるんですか?」
それが分からなくては反論もしにくい。当然の疑問にレウティシアはまた「うーん」と唸った。
「これはファルサス直系だけの秘密だから。本当は兄でなければ他言はできないのだけれど、さわりだけ」
「はい」
「貴女は別の世界から来たと言ったでしょう? それで、この世界には貴女の他にやっぱり外から来たものがあるのよ」
その答は雫にとっては目から鱗が落ちるようなものだった。レウティシアと並んで回廊の手すりによりかかっていた雫は思わず体を起こす。
「いるんですか!? じゃあどうやって……」
「分からない。けれどそれらは干渉者だから。ファルサス王家にはそれを排除するようにと口伝が継がれているの」
『干渉者』とはどういうことだろうか。雫にはこの世界に干渉しているという自覚はない。もっとちっぽけな存在だ。
ただ「外から来た」という一点でひとくくりにされてしまっているのだとしたら迷惑にも程がある。雫は何だか分からぬものを内心で恨んだ。
「何で排除するんですか? 外から来たから?」
「違う。弄られて鑑賞されるから。私たちには―――― 人の誇りがある」
レウティシアの言うことはよく分からない。分かるように説明はできないのだろう。それは本来ならラルスの許可がなければできないことだ。
だが彼女の言いたいことは少しだけ分かった気がした。
人には人の矜持がある。
だからこそ雫も、巡り巡って今ここでこうしているのだから。

王仕えの女官となった雫の仕事は、朝起きて執務室の掃除をして、王に時々お茶を出して小間使いのように注文を聞きつつ、 おおよそ夕方にさしかかるという頃に終わる。他国から城にやってきて塔から飛び降りた挙句女官に任じられた少女を、他の女官たちは困惑と共に迎えたが、王のお気に入りと認識している為か腫れ物に触れるように扱って必要以上に接触してこない。実際はお気に入りというより、天敵のように思われているのだが、面倒なので雫はその事実を黙っていた。
「エリクはどうしてるんですか、王様」
その質問にラルスは書類を処理していた目だけを上げて雫を見る。
「働かせてるぞ、書庫で。最近レティが忙しくて人手が足りないらしいから丁度いい」
「書庫って何処にあるんですか」
「おしえなーい」
「…………」
『すっげぇ殴りたい』という言葉が喉元まで出かかったのを飲み込んで彼女は沈黙を保った。
殴りかかりでもしたなら、それこそ「正体を現したな!」と喜ばれかねない。
この男の物言いはまったく隙なく腹が立つが、それ以上に思惑に乗るのは嫌だった。
「あの男はお前に甘いから駄目だ。折角俺がボロを出すまで苛めようとしているのに」
「ド変態の王様はサドですか。サド王ですね」
「サドとは何だ」
「私の世界の文豪マルキ・ド・サドと性癖を同じくする方々を称えてそう言います」
微妙に明言を避けて説明すると、ラルスは「ふぅん」と気のない相槌を打つ。薄青の瞳は相変わらず感情が読めない。
元来の性格で感情が読めないエリクとは違う、「見せない」瞳。表層的なものが全て擬態なのはどちらかというと彼の方ではないのだろうか。
「お前の世界はどんな世界だ?」
「ここと変わりませんよ。魔法と文明以外は」
「国があって王がいて争っているのか?」
「いえ……今は民主国家です。私の国は」
「なるほど。責と利を分散させているのか」
大陸でもっとも大きい国家。その責を一身に担う男は平然と感想を述べる。だが制度の違う国への言葉には驕りも妬みも感じられなかった。
手持ち無沙汰なので執務室内のテーブルを磨き始めた雫は、机に頬杖をつく男を一瞥する。
レウティシアは『あれ』を排除することを「人の矜持によって」と言っていたが、兄の方は今現在とてもそうは見えない。むしろ「何となく」でやっている気さえする。ただ、初めて雫と会った時、彼女に向かって剣を向けた男は―――― 紛れもなく「人の王」たる威を帯びていた。その姿は雫には忌まわしい印象と共に記憶されている。
外見だけを言えば申し分ない、秀麗な男だ。
しかしその中身を知っている雫にとっては優れた見栄えに何の意味も覚えなかった。まったく人間は「中身が重要」なのだ。
「お前の世界には人参があるのか?」
「ありますよ。ありまくります。重要なカロテン源です」
「それは残念だ。やっぱりお前を処断するしかないな」
「人参の有無で人の生死を決めないで下さい。こっそり人参食べさせますよ」
「どれ程誤魔化しても気づくからいつでもかかってこい」
本当に人参を食べさせてやろうか、と、人参嫌いの子供にこっそり食べさせるレシピを雫はいくつか思い描き始める。
それにしても彼女などは甘いと感じる人参の何が嫌なのだろう。他人の食べ物の好き嫌いはえてして理解しにくいものだ。
雫は床にしゃがみこむとテーブルの足を拭き始める。一本しかない足はこんなところまで見る人間は滅多にいないだろうに綺麗な彫刻が施されていた。
「今の境遇が嫌か?」
見えない角度から男の声が振ってくる。雫は考える間もなく即答した。
「嫌です。不愉快です。衣食住を見てくださるのは嬉しいですが、それより人として見てください」
「なら時を戻せばいい」
「そんなことできたら大変ですよ。魔法使いじゃないんですから」
王は沈黙する。
―――― 時間とはこの世界の魔法によってさえも戻せないのだと彼女が思い出したのは、夜になってからのことだった。

密談は暗い部屋でしなければならないというわけではない。
その為、彼ら二人は燭台によって煌々と照らされた部屋に向き合って座っていた。
質のよい平服を着た男はおどおどと辺りを窺いながら、目の前の魔法士に視線を送る。
「本当にこちらの条件を飲んでくれるんだろうな」
「貴殿がそれを為し得れば。姫は願いを叶えると仰っていた。地位でも財でも好きに与えてやるとな」
男は異国の魔法士の言葉に一瞬期待のこもった目を向けた。だがすぐに我に返るとかぶりを振る。
「確証が欲しい。命を賭けるのだぞ」
「命を賭けるのはそちらの勝手だ。為したか、為さぬかのみが判断される」
まるで書類を読み上げているような情味のない答に男は表情を曇らせた。
心中で危険と報酬が天秤に賭けられる。成功すれば、輝かしい未来が保証されていると言っていいのだ。このままこの国で燻っているよりも。
男の野心を見透かしたようにかけられた誘い。それを前に男は落ち着きなくあちこちを見回していた。
「やらないというのならそれでも構わない。貴殿のことをファルサス国王に密告して、それでしまいだ」
「待ってくれ!」
交渉から脅迫に、場が一転しかけるのを男は慌てて留めた。異国の魔法士に向って両手を上げる。
「やる。やろう……。今は絶好の機会だ。王妹は不在がちで、城には不審者がいる」
「先日騒ぎを起こしたという娘か? 王のお気に入りなのだと」
「それと、四年前の事件に関わった魔法士だ。何かあればまずやつらから疑われるだろう」
だから、やる―――― と男は結んだ。異国の魔法士は笑みもせず頷く。
こんなものは、ただの遊びだ。姫を退屈させないように繰り返されるただの遊び。
だがそれもいずれは趣きを変えるであろう。数ある遊びが全て打ち落とされようとも、姫の手には今、新しい幕を開ける種が育ちつつあるのだから。