異質と罪人 076

禁転載

前王妃の体は心臓をアカーシアの刃に貫かれ崩れ落ちた。ラルスは剣を収めると母の体を抱き上げる。
胸元からは血ではなく、黒くどろりとした液体が染み出していた。それは周囲にたち込める臭気をさらに凝縮させたような匂いを放っている。
王は眉を顰めてその液体を睨んだ。
「禁呪の類か?」
「おそらくは。どこかに元があるかと思われます」
「死体の能力は? 生前の能力を持っていたらさすがにどうにも出来んぞ。魔女が出てきたらお手上げだ」
「魔力は消えておりますので。その代わり筋力が発達しているようです」
男たちの分かるような分からないようなやり取りを雫は目を丸くして聞いていた。
王家の霊廟が暴かれたということは、先程の骸骨も含め歩き回っている死体は皆かつての王族ということなのだろうか。
だとしたら相手をする兵士もやりにくいに違いない。彼女は隣で苦笑いをするハーヴを見やる。
ラルスは母の遺体を魔法士たちが用意した布の真ん中に置き包んでしまうと、彼らに預けて立ち上がった。
「禁呪の元と言われても探すの面倒だな。死人を全員捕らえて、明日レティに探させるか」
それはあんまりにも……とその場の何人が思ったかは分からない。少なくとも雫は「放っておいていいの!?」と内心で叫んだ。
だがその時、場に一人の魔法士が駆け込んで来る。魔法士は王の傍に寄ると素早く耳打ちした。
それを聞いたラルスの顔がみるみるうちに苦いものとなる。王は周囲を見回して口を開いた。
「兵士たちを下がらせる。魔法士もだ。城に戻って外に出るな。
 死人については俺の他にトゥルースとアズリアに掃討の指揮を取らせる。古い人間たちを使え」
王命が何を意味するのか、理解したらしい者はその場の半数ほどだった。彼らは総じて顔色を変えるとそれぞれ駆け出す。
残った者たちは困惑しながらも建物内に戻る為に動き出した。ハーヴが雫の肩を軽く叩く。
「行こう。送ってく」
「あ、はい」
雫は彼に連れられ夜の庭を歩き出した。戻りながら夜着一枚だった彼女にハーヴは上着をかけてくれる。彼女自身の上着は兵士にかけたままだったのだ。
けれど礼を言ってそれを受け取った彼女は、不意に説明できない悪寒に襲われ空を見上げる。
黒く広がる空、そこに在る月に、いつの間にか薄い雲がかかっていた。

「何なんでしょうね」
ぽつりと呟いた雫の言葉に、ハーヴは首を軽く捻った。それは彼にも分からないということなのだろう。二人は先に見える建物へと歩いていく。
「霊廟っていくつかあるんですか?」
「三つある。王と妃の為の霊廟と、それ以外の王族を納めるところが」
「最後の一つは?」
「罪を犯した王族が納められる。場所は知らされていない」
二人は少し押し黙る。その頭の中に浮かぶことが同じであるか否か、どちらも自信が持てなかった。したがって彼らはそのことを口にしない。
雫が口を開いたのは、もっと別のことを思い出したからだ。彼女は指を一本立ててハーヴを覗き込む。
「そう言えば! あの人覚えてますか? 何か難しい名前の人」
「誰?」
「挙動不審で権勢欲がある魔法士の人です」
「ああ、ディルギュイか」
そんな説明で分かってしまうのもどうかと思うが、数少ない二人共通の記憶をハーヴは呼び起こした。頷いて聞き返す。
「ディルギュイがどうかした?」
「いえ。あの人あの時何処に向ってたんだろうって。あの先の建物って霊廟しかないですよね」
ラルスに無駄なランニングをさせられた雫は城の建物配置を大体把握してきているのだ。
そして彼女の言うとおり、あの時ディルギュイが分け入っていった林の先には霊廟と、外周の城壁しかない。
雫が何を言いたいのか分かったハーヴはさすがに絶句する。だが彼は驚きを数秒で乗り越えると眉を寄せた。
「いや、でも……禁呪だ。さすがにそんなことをするとは思えない」
「出来ないんですか?」
「魔力的には出来なくは、ない……と、思うが……知識がないと思う。この城では禁呪の知識は完全に統制されてるから。
 可能性があるとしたら他国からの情報だ」
いくら縁が薄いと言っても同僚が禁忌に手を出し、このような騒動を起こしたとは思えないのだろう。ハーヴの反応に雫はそれ以上押すことをしなかった。
沈黙したまま二人は建物に到着する。見張りの兵士が開けた戸を雫だけがくぐった。振り返るとハーヴは難しい顔で彼女を見ている。
「ちょっと……それでも一応陛下に申し上げてくる。君は部屋から出ないように」
「分かりました。送ってくださってありがとうございます」
雫は頭を下げて「おやすみなさい」と言うとその場でハーヴと別れた。
飛び出してきた時と同じ暗い廊下、だが何処か外の騒ぎが伝染しているような落ち着かない空気の中を戻っていく。
「あ、上着返すの忘れた」
自分の肩に手をやって、雫はハーヴの上着を借りたままだったことを思い出した。だが、今更夜の中に追いかけていくわけにもいかない。明日返せばいいだろう。
そう思った彼女はしかし、もう一つ、もっと大事なことに気づく。
「……メア?」
人を呼びに行ったはずの使い魔が戻ってきていない。最初はメアがラルスたちを呼んできてくれたのかと思ったが、ならば何故彼女自身は戻ってこないのだろう。 目立つことを嫌って先に部屋へと戻っているのだろうか。
雫は少し不安になって歩く速度を速める。まもなく自室に到着し、鍵のかかっていない扉を開けた。
「メア、戻ってる?」
窺う声に返事はない。彼女はメアが寝ていた部屋の隅へと歩み寄る。
けれどそこには矢張り小鳥の姿はなく―――― 次の瞬間彼女は、物陰から伸びてきた腕に頭を絡め取られ、声もなく意識を失ったのであった。



彼女は、不思議な少女だった。
愛らしい顔立ちをしていたと思う。よくは分からないが、皆はそう言っていた。
柔らかい笑顔を浮かべる少女だった。時折、まるで空っぽになってしまったかのように何もないところを見つめている時以外は。
強大な魔力はファルサス直系のゆえだろう。だが、構成はあまり得意ではないようだった。
だから少しだけ手を貸した。それだけだ。
けれど彼女は、そのことがとても……嬉しかったらしい。
よく彼の後をついて歩くようになった。彼を雇い上げると、自分なりに考えて便宜を払ってくれるようになった。
城への出入りをはじめ、王妹への紹介からついには禁呪の閲覧資格まで。彼女は当然のように彼に知識をもたらしていった。
それを知った人々は、彼のことを幸運だと噂する。中には実力に見合わない寵をどうやって受けているのかと妬む者もあった。
だが、あれが本当に幸運であったのなら…………何故彼は、最後に冷え切った彼女の手を握り締めることになったのだろう。
その答の半分は彼の中にある。
彼は結局、彼女に応えたのか違うのか、未だに自分でも分からないままなのだ。



ディルギュイが怪しいのではないかと遠回しに示されたハーヴは、夜の庭を足早に歩いていた。
―――― 確かに怪しいかもしれない。あの男は禁呪への抵抗心が薄い魔法士だった。
だが、そうだとしてもこの事件を引き起こして何の得になるのだろう。
魔法士長になる為に邪魔な者を殺してしまうのなら分かるが、無差別に死者を放つなど意味が分からないにも程がある。
万が一王が死んでしまったら、この国自体が危うくなってしまう可能性もあるのだ。
しかし、王妹が不在の時を狙って霊廟を暴いたとすれば、やはり内情を知っている人間の可能性が高い。
そしてその条件に一番合致するのは、宮廷魔法士の誰かではないのか。
ハーヴは天秤を揺らすように肯定と否定の間を彷徨う。肯定に傾けば否定が、否定に傾けば肯定が湧きあがり、一向に結論が出そうになかった。
「参った……」
小さなぼやきが零れ落ちる。けれどそれは、すぐ近くで何者かが草を分ける音によってかき消された。ハーヴは瞬時に臨戦態勢を取る。
王族の遺骸に攻撃するのは抵抗があるが、それで自分が殺されてしまったら仕方ない。彼は簡単な炎の魔法を詠唱する。
だが草を踏む音と共に暗闇の中から現れでたのは、彼のよく知る男であった。ハーヴは驚いて友人を見返す。
「エリク! カンデラに行ってたんじゃなかったのか?」
「戻ってきた。禁呪について呼び出しを受けたから」
「呼び出し? 王からか?」
「いや」
エリクは言葉を切ってかぶりを振った。
その様子が何処か、普段と違っているように見えるのは暗がりのせいなのだろうか。ハーヴは僅かに不安を覚えたが尋ねてみることはしなかった。
「ってことはレウティシア様も戻っておられるのか?」
「戻ってない。彼女はカンデラだ」
エリクの答はハーヴの眉を顰めさせる。
現在、レウティシアこそがエリクの直接の上官扱いとなっているのだ。そして彼女はこのような事件の話を聞いて戻ってこない人間ではない。
ならばエリクはレウティシアには何も伝えぬまま、無断でファルサスに帰ってきたのだろう。おそらく後で罰則を受けるに違いない。
「何やってんだ。立場が悪くなるぞ」
「分かってるよ。今更という気もするけど」
「馬鹿言うな。お前個人に罪はないだろ」
ハーヴが自分でも胡散臭いと思う程に力を込めて言うと、エリクは少し苦笑したようにも見えた。藍色の瞳が暗闇の中、黒に見える。
「雫は?」
「部屋にいるはず。送ってきた」
「そうか。ありがとう」
まるで空々しい夜だ。ハーヴは寒くはないというのに、肌寒さを背筋に覚える。
死体が歩いているということも、友人がこんな時に一人でこんな場所を歩いているということも、何もかもが意味不明で得体が知れない。
エリクは一体誰から呼び出しを受けて、何をしているのだろう。
それをもう一度聞こうとした時、だが当の相手は闇の中に向って歩き出した。再び暗い林の中に入っていこうとする。
「何処行くんだ」
「ちょっと探し物」
「探し物? 何してるんだ? 今は危ないぞ」
「分かってる」
短い返答はハーヴを少しも安心させない。真意の見えない友人に彼は小さく息を飲んだ。
何故王は、一部を除いて部下たちを建物の中に戻したのか。
三つある霊廟のうち、第一と第二は既に破られている。
前王妃のように劣化防止の魔法が効いたままの遺骸や、数百年を経て白骨になってしまった遺骸もほとんどが棺を這い出ているのだ。
―――― なら、第三霊廟は未だ無事であるのだろうか。王家の罪人ばかりを埋葬した知られざる墓は。
罪人は葬儀も行われず何処にあるともしれぬ墓に葬られる。そして、そこへと最後に葬られたのは……
「…………お前、まさかカティリアーナ様を……」
ディルギュイには魔力があっても禁呪の知識はない。
この城の誰もがそんな知識を持ってはいない。例外的に資料の閲覧資格を持っていた、一人を除いて。
「お前が、カティリアーナ様を甦らせたのか?」
震えるハーヴの問いにエリクは足を止める。
振り返り彼を見返した瞳は、氷よりも冷たく沈みきった色をしていた。