異質と罪人 077

禁転載

恐る恐る硝子に爪を立てるようなハーヴの問い。
「禁呪を使ったのか」と間接的に問われたエリクは溜息をついた。両手を広げて肩をすくめる。
「何で僕が。遺体を動かしても意味がないよ」
「そ、そうだよな。すまない」
「別にいい」
エリクは不快になった風もない。そう言えば、こういう人間だったのだとハーヴは思い出した。
ここのところすっかり忘れてしまっていたが、エリクは魂がもうないと分かっていて体だけ蘇生させるようなことはしない。
仮に魂が取り戻せるのだとしても、一度起こった死をくつがえそうとはしないだろう。彼はそういう感情的な欲をほとんど持たない人間なのだ。
「じゃあ何を探してるんだよ。誰に呼び出されて来た?」
「カティリアーナ」
禁忌とも言える名。彼の方からその名を口にしたということに、ハーヴは雷撃を受けたかのように硬直した。
みるみる蒼ざめる友人を見やってエリクは苦笑する。
「正確には探しているのはカティリアーナの体。僕を呼び出したのは彼女の名前を騙った誰か」
「第三霊廟が破られているのか!?」
「死体たちに破らせたみたいだね。あそこの場所を知っている人間は少ないから。さっきディスラル廃王らしき死体を見かけたよ」
何気なく出されたかつての王の名前にハーヴは愕然とした。歴史を専門にする魔法士として、ファルサスの人間として知らぬはずがない狂王。
歴史に黒い染みを残した彼の遺骸までもが今、城に解き放たれているというのだ。その事実はハーヴに震える程の戦慄をもたらした。
「お、お前、それ……」
「避けてきた。武装してたし。その内ラルス王が捕まえるんじゃないか?」
「いや、やばいだろ。あの狂王だぞ? 陛下に何かあったらどうするんだ」
「大丈夫だよ。所詮死体は死体だ。本人と戦うわけじゃないから」
エリクはどうでもいいとしか思っていないらしく軽く言うと再び歩き出す。ハーヴは慌ててその後を追った。
目的地があるのかないのか、彼は林の中を無造作に歩いていく。時折あちこちを見回すのは、かつて喪った少女を探しているのだろうか。
時が巻き戻ったかのような友人の姿は、ハーヴを不安にしかさせなかった。しばらく呆然とエリクの後を歩いていた彼は、我に返ると激しく首を振る。
「駄目だ。お前、カティリアーナ様のご遺体を捜してどうするんだ。それよりも早くカンデラに戻れ。こんなところにいると見つかったら……」
ハーヴは言いかけたまま固まってしまった。
『見つかったらどうなるのか』
そんなことは分かりきっている。彼自身そう思ったのだから。つまり―――― エリクがこの事件を引き起こしたのではないかと。
禁呪の閲覧資格を持っていた彼には知識と、そして動機がある。おまけにファルサスの正式な魔法士ではない。
この状況では違うと言い張ってもそのまま投獄されかねないだろう。ハーヴは陸に上げられた魚のように口をぱくぱくと開閉させた。
だがエリク本人は分かっていないはずがないだろうに、少しも動揺しているようには見えない。彼は他人事のように平然と返した。
「多分、僕を呼び戻した人間もそれが狙いだろうね。僕は前科持ちだから犯人としてはうってつけだ」
「なら何で戻って……」
「いい機会だと思ったから。僕は彼女の埋葬には立ち会わなかった」
「立ち会えなかった、だろ! 今更何を言ってるんだ」
「本当に今更で無意味だ。だが無知ではなくなっただけましなのかな」
エリクの言葉に感情は窺えない。だがそれは、感情がないということと同義ではないだろう。ハーヴは他の人間よりもそれをよく知っている。
七年前、初めて出会った時から四年前に分かたれるまで、二人は多くの時間を分かち合った友人であったのだから。

十五歳のエリクは色々な意味で目立つ少年だった。
中性的に綺麗な顔立ちもその理由の一つだったが、滅多に笑わない無愛想な人間だったという点で。
そして、何よりも彼の存在を際立たせていたのは、いつも隣にいる一人の少女だった。
カティリアーナ・ティル・ロサ・ファルサス。
この国の名を末尾に冠した王族の一人。
現王ラルスのまたいとこに当たるという少女は、卓越した魔法士であったとされる二代前の王妹クレステアの孫として、ある日突然城に現れた。
記録では独身であったクレステアが誰の子を産んで、更にその子が誰と結婚してカティリアーナを産んだのかはまったく明らかにされていない。
ただ空白の数十年をおいてカティリアーナは、唐突に王族の一人として城の人間に紹介されたのだ。
彼女を何処からか連れて来た当時の王は、その後城に近い屋敷をカティリアーナに与え、世間知らずの少女が一人で暮らすのに不自由ないよう便宜をはかった。
話だけを聞いて彼女のことを訝しんだ人間も、カティリアーナを直に見れば皆納得したという。
何しろ彼女はファルサス直系の人間が多くそうであるように強大な魔力をその身に宿し、なおかつクレステアによく似た顔立ちをしていたので。

カティリアーナは年の割りに幼い精神を持っていた。
そのせいか自分の魔力も上手く使えず、構成も上手く組めない彼女は魔法士としてはかなり不安定だった。
だが、ある時彼女は自分と正反対の少年に出会う。
遠く東の国から魔法を学ぶ為にファルサスに来た少年。
彼は、勉学の賜物か類を見ない構成力を持ちながらも、生来の魔力が足りない為中位以上の魔法が使えない、そんな不自由な魔法士だった。

「お前、ファルサスの人間じゃないんだって?」
図書館でたまたま一人でいた少年にハーヴが話しかけたのは、純粋な好奇心の為である。
異国の人間であり、また宮廷魔法士でないにもかかわらず、異例な特権の数々を得た少年。
多くの人間は王族に気に入られた彼を遠巻きにしながらも、やっかみも込めて無責任な噂話に花を咲かせている。
だが、ハーヴは真偽の分からぬことをまことしやかに語る心根を嫌って、直接本人に尋ねることを選んだのだ。
それでも王族と一緒にいる時に話かける程の勇気はない。だから、こうして少年が一人でいるところを見つけられたのは幸運と言ってよかった。
少年は本から顔を上げてハーヴを一瞥する。藍色の目には話しかけられたことを歓迎する意思は見えなかったが、不快もまたなかった。
「ファルサス出身じゃないよ。ナテラの人間」
「ああ、タリスの北か」
「そう」
それで話は終わりと思ったのか、少年はまた本に視線を落とそうとした。ハーヴは慌ててそれを留める。
「ちょっと待って」
「何?」
「お前って禁呪の閲覧資格があるの?」
彼が一番聞きたかったことはそれだ。この少年がカティリアーナやレウティシアとどういう関係なのかなどはどうでもいい。
ただ、歴代の魔法士長の中でも特別に許可を得た者でなければ入ることの出来ない禁呪資料室、そこに少年が本当に出入りしているのかどうかが気になっていたのだ。
少年は軽く顔を斜めにしてハーヴを見上げる。綺麗な顔立ちだが少女に見えないのは、彼が何処か硬質な雰囲気を醸し出しているからだろう。
彼は好奇心に目を輝かせる少し年上の少年に、当然のように頷いて見せた。
「あるよ。五級限定までだけど」
「まじか! 凄いな! やっぱ構成とか複雑なのか?」
「そうでもない。五級くらいは触媒に問題があるだけで構成は普通だから。宮廷魔法士なら出来るんじゃないかな」
「ああ、生贄使ったりするやつか」
「そう。人の血を使ったりね」
あっさりと返ってきた答はハーヴに更なる興味を抱かせる。
もっと詳しく質問をしようと思った彼はしかし、他の人間ならば一番に引っかかるであろう疑問に気づいて首を傾げた。
「なぁ、聞いていいかどうか分からないけど、何で資格もらえたの?」
その資格を喉から手が出る程欲しい人間も今までいただろう。だが、彼らではなく異国の少年にそれは与えられたのだ。
はたして王族の姫に気に入られているからと言ってそこまで優遇されるものなのだろうか。
噂ではそう言われているが、ハーヴはどうしてもそれだけとは思えなかった。率直な質問に少年は初めて微苦笑する。
「禁呪を整理したかったらしいから。僕が丁度よかったみたいだよ」
「丁度よかった?」
「魔力がないから。構成を知っても自分では組めない。知識はあるけど力がないってやつだね。厄介な資料を扱わせるのに適任だ」
「でも構成図を描いたら……」
「僕の構成図ってみんな意味が分からないらしくてね。初歩のものを描いても伝わらない」
「…………」
胡散臭げな目でハーヴは少年を見たが、後日見せてもらった構成図は本当に酷かった。子供の落書きでももう少し気が利いていると思えたくらいだ。
「それに他国の人間なら失っても痛くないだろう? そういう訳で利害が一致して働かせてもらってる」
「失ってって……口封じとかされたらどうすんだよ」
「別にどうも。人間一度は死ぬものだ」
ハーヴは少年の妙にからりとした意見を聞いて呆気に取られる。
しばらくして彼はようやく自分がまだ名乗っていないことを思い出し、「あ、俺ハーヴ。魔法士見習い。お前は?」と遅い挨拶をしたのだった。

それから彼らは友人のような関係になった。
もっとも最初は一方的にハーヴが質問を重ね、エリクがそれに応えるだけであったが、次第にエリクも苦笑しながら話題を振るようになったのだ。
そしてこの友人のことを知るにつけ、ハーヴは何故彼が禁呪資料の司書のようなことを任せられているのか納得する。
確かに彼にはほとんど魔力がなく、また構成図が破滅的に下手だ。
だがそれら欠点よりもむしろ、多岐に渡る知識と抜きん出た構成理解力、純粋な学究心と理性、権勢欲や功名心のなさこそ、 禁呪を管理するにふさわしいと評価されているのだ。若くして魔法士の頂点に立つレウティシアは人の能力と性向をよく見抜く。そして彼女の采配はいつも適切だった。
エリクはファルサスにいた三年間、魔法士たちの主流にいたことはなく、どちらかというといつも孤立していたが、 人々が向ける異端の目とは別にレウティシアは彼に信を置いていた。だからまさか、ハーヴは彼があんな風にファルサスを去ることになるとは思ってもみなかったのだ。
四年前のある日、唐突にもたらされた知らせは城の人間たちを驚愕させた。
あってはならない事件、それは―――― 城都内における禁呪の施行。
城の外の屋敷で起こったその事件において犠牲になった人間は四人。
その内一人はカティリアーナであり…………禁呪の構成案を作成したのは、エリクであった。