異質と罪人 078

禁転載

「嬉しい?」
彼女はよくそう聞いてきた。
初めてその言葉を聞いたのは、単なる留学生だった彼を彼女が自分付きの魔法士として正式に雇い上げた、その後のことだった。

祖国ナテラでの勉強を経てファルサスへと留学したエリクははじめ、住み込みで働きながら一般に開放されている図書館に通っていた。
そこで城が過去に発行した学術誌や研究書を読み漁る毎日を送っていたのだが、ある時研究書を選んでいた彼の前に一人の少女が現れたのだ。
彼女は恥ずかしそうにはにかみながら挨拶すると、「わ、私のところで、働かない?」と聞いてきた。
「働く? 何故?」
「ま、魔法を教えて、欲しいから……」
「なら人選を間違ってる。僕には魔法士としての力がほとんどない」
「でも! この間、助けてくれたでしょう……?」
「……ああ」
そこでようやくエリクは目の前の彼女と自分が初対面ではないことを思い出した。
確か数日前、城都のはずれを歩いていた時に、やたら身なりのよい少女と出会ったのだ。
彼女は外見からして上流階級の人間だとすぐに分かったが、そういう人種にしては珍しいことに供も連れず、高い木に向って必死に手を伸ばしていた。
エリクがその少女に目を留めたのは挙動不審なことに加え、制御訓練が完全ではないのか体内の魔力が周囲に染み出していたからだ。
一度は彼女を横目にその場を通り過ぎたものの、二時間後同じ道を戻ってきた時にもまだ彼女が同じように手を伸ばしているのを見ては、さすがに無視することはできなかった。彼は本を抱えたまま困り顔の少女の隣に歩み寄る。
「何してるの」
彼女は、話しかけられたことにひどく驚いたようだった。緑の瞳を大きく瞠る。
答える言葉が分からないのか、少女は二、三度辺りを見回した後、エリクに再度同じことを聞かれてようやく口を開いた。
「ヴェールが、とれないの……」
言われて初めて彼は、木の葉々に隠れるようにして白いヴェールが枝にひっかかっていることに気づく。
彼女の身長を遥かに越えた高さにあるそれには、確かに手は届きそうにないし、彼女に木登りなど出来ないだろう。
けれどエリクは少し眉を顰めただけで即答した。
「魔法を使えばいい」
「使い方が、分からない」
「大したことじゃない。ヴェールを少し浮かせればいいんだ」
エリクはそれでも浮かない表情のままの少女に、基礎から構成の組み方を教えてやる。
飲み込みの悪い彼女は一時間程かかってようやくヴェールを浮かせて落とすことに成功したが、その時には既に何度も失敗したせいか、 レースに穴があいてしまっていた。拾い上げて穴を見つけたエリクは「残念だったね」とヴェールを彼女に手渡す。
貴族の娘であれば駄目になってしまったヴェールに腹を立てただろう。むしろその前に諦めて帰ってしまう人間がほとんどだ。
だが彼女はその時、本当に嬉しそうに両手を伸ばして白いレースを受け取ると「ありがとう」と微笑したのだ。
随分変わった人間だとエリクは思ったのだが、問題はないようだったのでそれきり忘れてしまっていた。
「思い出した? 私ね、ああいう風にまた、魔法を教えてほしいの」
あの時よりは簡略なドレスを着ている少女は、彼に向って頬を赤く染めながら笑顔を見せる。
「魔法を教えてと言われても。もっと優れた魔法士はいっぱいいるよ。貴族なら宮廷魔法士に頼むことも出来るだろう」
「習ったこと、ある。でも駄目だったの……。あなたが教えてくれたことが、一番分かりやすかった」
「うーん……。正直、貴族にはあまり関わり合いになりたくない」
貴族と平民の間では常識が通じないことが多い。そして優先されるのは大抵が貴族だ。
そのことをよく知っているエリクは少女の申し出を断ろうとした。だが彼女はぱっと顔を輝かせてかぶりを振る。
「私、貴族じゃないの。それならいい?」
よくない、とは何故か言えなかった。
それは彼女が緑の瞳の奥に寄る辺ない迷子のような不安を宿していたからだろう。
あれだけ要領の悪い娘だ。今まで何人にも匙を投げられた経験があるのかもしれない。
そんな中、時間がかかったとは言え、自分で魔法を成功させたことがとても嬉しかったのだろう。 エリクは溜息を一つついて「いいよ」と答えた。
彼が自分の選択を後悔するのはすぐ翌日のことだ。
彼女は確かに貴族ではなかった。もっと上の―――― この国には四人しかいない直系王族の一人であったのだ。

「うん。嬉しい」
情味のこもっていない返事は嘘ではなかった。エリクは書面に書き起こされた待遇に目を通して頷く。
その中には城の蔵書の閲覧権利と講義の聴講が含まれていたのだ。
本来ならば宮廷魔法士かその見習いしか得ることの出来ない権利。ほんの一握りの人間しか手にすることの出来ない特権に、まさか自分が恵まれる機会が来るなど今まで思ってもみなかった。
カティリアーナは彼の返事を聞いて、彼よりも百倍は嬉しそうな笑顔になる。
「本当? ならこれからよろしくね」
「うん。ただこんなにお金は要らない。三分の一でいいよ」
「どうして? 宮廷魔法士の給金を聞いてきたのに」
「僕は宮廷魔法士じゃない」
「でも、私の魔法士だわ」
彼女は幼子がよくするように「不思議だ」という目で彼を見たが、何度か話し合った結果エリクの言う通りに金額を下げてくれた。
しかし実際のところ、カティリアーナはその差額分を彼への報酬として毎月取り分けてあったのだ。
エリクは彼女の死後、三年分の大金をレウティシアから受け取って初めてそれを知ることになる。

カティリアーナはよく彼の後を小鳥の雛のようについて回った。
初めて出会った時から三年以上の時が流れ、すっかり青年になった彼とほとんど外見に変化を感じさせない彼女の間に様々な噂が立とうとも、それは変わらなかった。
城で禁呪の管理に携わるようになったエリクは、三年の間に欲しかった知識も要らなかった知識も身につけた。
後になって思い返せば、あの時の自分は慢心していたのだろうとエリクは思う。
本来の研究分野と異なるとは言え、禁呪の構成を読み解くことを彼は確かに面白いと感じていたのだから。
―――― 禁呪を使いし者は禁呪に滅びる。
その不文律の例外に、彼もまたなり得ることは出来なかった。
少しずつ禁呪を当然の存在と感じ始めていた彼は、カティリアーナの死によってそれを思い知ったのだ。

男はそこで言葉を切ると、相手の反応を窺う。雫は冷え切った目で相手を見返した。
「で。私はいつまでここで聞きたくない話を聞かなければならないのか、教えて欲しいんだけど」
「聞きたくないのか? お前の連れが過去この城で何をしていたのか、本当は知りたいのだろう?」
「聞きたきゃ本人に聞くよ。あんたからは聞かない」
気味のいい返事ではあったが、ディルギュイは目に見えて不愉快になる。
男は、椅子ごと縛り上げて床に転がしている雫を見下ろした。だかすぐに視線を戻すと、彼女の言葉を聞かなかったかのように話を続ける。
「カティリアーナは、今の王からはまるでいない者として扱われていた。レウティシアの方はよく面倒を見ていたがな。
 城の者たちも愚かな娘を腫れ物に触るように扱っていたし、その分あの娘は自分を見てくれる魔法士に執着していった。
 そしてあの娘は自分の魔法士に思いつく限りの恩恵を与えようとし、ついには禁呪へと手を出したのだ」
雫は耳を閉じてしまいたかったが、生憎自分の意思で耳を動かすことは出来ない。せめてもの反抗として目を閉じて相槌を打たなかった。
このまま寝てしまえたらいいな、と思うのだがそれはさせてくれないだろう。先に捕らえられたメアは籠の中で眠らされているのだが。
「カティリアーナは自分の魔法士から禁呪の構成を聞き出した。
 奴もまさかろくな構成を組めない娘が本当に禁呪を施行できるとは思わなかったんだろう。
 資料にあるものそのままの構成を伝えては問題があると思ったのか、自分で考案した構成を教えた。
 その時に気づかなかったのが愚かとしか言いようがないな。
 ―――― カティリアーナは、巨大な魔力を召喚してそれを人に与える構成を知りたがったのだから」
「……っ」
反応しないようにしようと思っていたにもかかわらず、雫はつい声を上げてしまいそうになった。
それが何を意味するのか、事情を全ては知らない彼女にも分かってしまったからだ。
構成力はあるけれど魔力を持たない魔法士。その彼に、おそらくカティリアーナは魔力を贈ろうとしたのだ。
彼の才と魔力の不均衡について、ハーヴが洩らした「悪い誘惑だ」という苦い言葉が甦る。
どうしようもないことを、道理を捻じ曲げてでもくつがえそうとする誘惑。
カティリアーナはその誘惑に負け、道を踏み外した。エリクの為に禁を犯し、そして失敗したのだ。
「場所はカティリアーナの屋敷だった。あの娘は自分の屋敷の使用人三人を殺して触媒としたんだ。
 だが奴が作ったものとは言え、禁呪の構成に耐えられなかったのだろう。術は失敗してあの娘も死んだ。
 カティリアーナは禁呪に手をつけた罪人として葬られたよ。そして奴はファルサスから追放された」
「追放された?」
今度は疑問の声を抑えることは出来なかった。言ってしまってから雫は思わず舌打ちをしてしまう。
一方反応が得られたディルギュイは、してやったりという笑みを浮かべた。彼女は心中で「小物顔め」と毒づく。
だが、ディルギュイとのつまらない心理戦はさておき、雫の知る限りエリクは「追放された」のではなく「自分で出て行った」のだ。
ハーヴもレウティシアも確かにそう言っていた。この食い違いは、一体何を意味しているのだろう。
「奴ものうのうと戻ってきて何がしたいのやら。しかし丁度いいから、あの娘に会わせてやろうと思ったのさ。
 まだたった四年だ。死体も変わりないだろう。元のままの姿の娘に出会って、詫びでも言えれば満足に違いない」
雫は口には出さず「そういうの大きなお世話っていうんだよ」と返して目を閉じる。
ディルギュイが何を考えて雫をこのような目に合わせているのかも分からなければ、エリクについても何も分からない。
ただ彼以外の人間が自分の視点からの情報を、部分部分雫の前で口にしていくだけだ。
それは決してかみ合わないジグソーパズルを見ているようで、彼女を落ち着かない気分にさせてばかりいる。
もし足の届くところにディルギュイが近づいてきたら蹴ってやろう、そう思いながら彼女は長く話をしていない彼を思い返し、深く溜息をついたのだった。

切りかかってくる男の死体は、紫色の斑点が目元に現れていた。
ラルスはその剣を弾いて逸らすと、次の一撃で鎧の上から死体の首を切り落とす。
重い音を立てて倒れた体はしばらくもぞもぞと動いていたが、切り口から黒い液体が零れだしてしまうとその動きもなくなった。
王は転がった生首を拾い上げて背後の魔法士に放る。魔法士は慌ててそれを皮袋に入れた。
「あと何体だ?」
「二十四、五だと……」
「面倒面倒。だが第三霊廟の遺体だけでも回収せねばな」
王家の罪人ばかりが収められた霊廟。そこにある死体の半数は「見られてはいけない」様相を呈している。
そのうちのほとんどが六十年前から続いていた政争に関わった者たちであるが、彼らの中には禁呪に手を出し体を侵された者や、 毒による粛清を受けた者も多く混じっているのだ。それらについての記録は王家の封印資料に記されているが、一般には口外されていないこともまた事実だった。
要らぬ詮索や不安を呼び込まぬ為にもそれら遺体は衆目に晒さない方がいい。ラルスは持っていた布で軽く刃を拭う。
「魔力がなくなっているから女の死体の方が捕まえやすいな。男は逃げ出すと追いきれない」
「腕力と脚力が強化されているようですね。判断力が落ちてはいますが。遺体を動かしている術は複雑なものではないのでしょう」
「まるで泥人形だな。これが終わったら火葬にして壷にでも詰め直すか」
王に従っていた魔法士は、「壷?」と問いたそうな表情になったが、ラルスはそれには構わず歩き出した。夜の庭の中、慎重に気配を探っていく。
「さて、俺が見つけられるに越したことはないが」
―――― 見られてはいけない死体。
だがそれでも古参の武官や魔法士たちの中には数十年に渡る秘された歴史を知っている者たちがいる。今、外に出て掃討を行っているのも彼らだ。
けれどそれ以上にラルスには「自分とレウティシア以外には見られたくない」死体が一体あることを分かっていた。
ファルサスの王族たちによる罪責の中でも例外中の例外であり、そして決して許してはならないと彼が思っている事例の一つ。
その死体だけは出来れば自分の手で回収したい。ラルスはアカーシアの柄を握り直した。
「一体何処にいる? カティリアーナ」
その名を呼ぶ声に返事はない。
王は一瞬嘲りを口元に浮かべると、だがすぐにいつもの面倒そうな表情に戻って夜の中に踏み込んでいった。