異質と罪人 079

禁転載

草を踏む二人の足音だけが夜の中、響いている。
ハーヴは恐怖よりも緊張が、そして緊張よりも心配が勝って友人の後ろを離れられないでいた。もう何度目になるのか分からない忠告を口にする。
「エリク、戻ろう。広い上にこの闇だ。上手くカティリアーナ様に出会えるかどうかも分からないし、もう誰かが見つけてるかもしれない」
「どちらかというと君の方が戻らないと不味いよ。今、外にいるのは古参の人間だけなんだろう? ばれたら君も罰則だ」
「お前はどうなんだよ」
「僕は知ってるからね」
投げ返された答は、ハーヴに何故ほとんどの人間が建物内に下げさせられたのか、そのおおまかな理由を確信させるに等しいものだった。
やはりそれには第三霊廟の遺体と、王家の封印された歴史が関係しているのだ。
つい先日王族の許可のもと封印資料を見たエリクは、知識的には古参の臣下たちと同じ立場にあるということだろう。
歴史を専攻するハーヴは、自分が仕える王家について人並み以上の探究心を持ってはいるが、それ以上に自分の立場を弁えている。
だから外に残っているのも友人を放っておくのが心配だっただけで、出来ればどの遺体とも対面しないに越したことはないと思っていた。
「俺を気遣ってくれるなら一緒に戻ろう。お前に何かあったらあの子はどうなる」
「彼女はあれでたくましいからな。それに僕も死ぬつもりは別にないよ」
「なら何でカティリアーナ様に拘るんだ。いい加減ふっ切れよ」
「そういうのとはまた違う」
エリクは不意に足を止めた。つられてハーヴも立ち止まる。
月光の下、少し離れた場所を女の骸骨がゆっくりと歩いていた。
白いドレスが風になびき、歪で幻想的な空気をかもし出している。
二人は息を潜めて死体が離れていくのを待った。ドレスの裾が木の向こうに見えなくなると、エリクは口を開く。
「中に戻って欲しい。君にはカティリアーナを見せたくないんだ」
「何でだよ。そんな酷い状態だったのか?」
「違う。綺麗なものだったよ。殺した僕が言うんだから間違いない」
自嘲でも自虐でもない事実だけの言葉に、ハーヴは深く息を吐いた。何処か疲れた目でかぶりを振る。
「そういうことを言うのはやめろ。また変な噂話が流行る」
「本当のことだけどな。それより僕の忠告の方を聞いて欲しい。多分今のカティリアーナを見たら、君の立場は非常に不味くなる」
「…………何だそれ」
カティリアーナは禁呪の構成に失敗した後、死を迎えた。―――― それだけではないのだろうか。
知っていると思っていたことが、途端に闇の中に没し始めた気がしてハーヴは顔を歪めた。
「何知ってるんだ、お前。俺に話してくれたことが全部じゃなかったのか?」
「全部だった。あの時僕はそれだけしか知らなかった」
だが、今は違うのだとエリクは言外に続ける。それは王家の封印資料を見たことと関係あるのかどうか、ハーヴには判断がつかなかった。
―――― 確かに当時も、色々なことがおかしいと思ったのだ。
エリクがまったく処分を受けないことも嬉しくはあったが不思議ではあったし、何よりも何故カティリアーナが禁呪の構成を組めたのかが分からなかった。 けれど当時はそれを深く追及する気になれなかったし、多少無理を感じはしたが、そういうこともあるのだろうと心の中で片付けていたのである。
「何なんだよ……今更」
折角友人が戻ってきたというのに、甦らなくてよいことまでゆっくりと頭をもたげつつある。
銀の光の中をかつてのカティリアーナが一人歩いている光景を思い浮かべて、ハーヴは溜息をついた。
この異常な夜はもしかして、四年前の事件の真実に触れるものになるのかもしれない。
真実など呼び起こさずともいいという自分と、歴史の真相を知りたいと思う自分の間で彼は瞬間、煩悶した。
しかし結論を出したのはどちらでもない、エリクの友人としての自分だ。ハーヴは苦い顔で友の肩を叩く。
「分かった。でも戻らない。見ちまったらレウティシア様に記憶を消してもらうよ」
「記憶操作は大変らしいよ。多分面倒がられると思う」
「陛下じゃあるまいし。やってくださるさ。それより強い死体と出会ったら俺の魔力使っていいから何とかしてくれ」
「まず自分で何とかしてみよう。駄目だったら逃げよう」
「死体恐怖症になりそうだ……」
二人の魔法士はぶつぶつと言葉を交わしながら広い城の庭を歩いていく。
それは四年前の過去には到底届かない、今を行く道筋だった。

頭の中には罵詈雑言が積み重なってピサの斜塔を形成しているものの、それを口にして逆上されても困るということで雫は沈黙を保っていた。
そもそも転がされているのは石畳の上なのだ。いくら暑い国と言っても、そろそろ内臓が冷えてきた気がする。腹痛になる前に起き上がりたい。
「聞いていたか、小娘」
「残念ながら大体は」
聞いてはいたが、だからどうしたという印象でしかない。
エリクの過去がどうであれ、それは彼女と旅をしてきた彼を否定するものではないだろう。大きなお世話にも程がある。
むしろハーヴから聞いて曖昧に想像していたより、エリクが具体的に特殊な位置にいた人間だったと分かってようやく驚いたくらいだ。
雫には魔法士の相対評価など出来ないので、今まで彼の力量を魔法士として計ったことはないし、それでも充分凄い人間だと思っていた。
その為ディルギュイの話もいくつか気になるところはあったが、総じて「だからどうした」で済ませられる話なのである。
「それで、えーと……。死体起こして私を転がして、おしまい? だったらそろそろ放して欲しいんだけど」
本当ならばディルギュイの意図通りショックな顔をして見せた方がいいのかもしれないが、馬鹿馬鹿しさと腹立たしさが先に立ち、毒づかないでいるのが精一杯だった。男は額に青筋を浮かべかけたが、なけなしの矜持によって踏みとどまったらしい。雫を見下ろしながら冷静な声を作る。
「お前は、最後の仕上げだ。お前もあの魔法士も単なる駒でしかない」
「はぁ……」
間の抜けた返事に、ディルギュイは明らかに落胆の顔になった。だがそんな顔をされても抽象的なことしか言われていないのでは反応しにくい。
雫は半眼になって、続くのであろう話を待った。男は忌々しげな目で彼女を見下ろしながら顔の傍に屈みこむ。
「精神魔法というものを知っているか?」
「初耳。名前から想像がつく気もするけど」
「想像の通り、人の精神を操る魔法だ」
「はぁ……」
先程と同じ相槌。しかし雫の内心には冷や汗がふき出しはじめていた。
魔法によって精神を操るというのなら、まさしくこの男は自分を「駒」にするつもりなのだろう。
具体的に何をさせるつもりかまでは分からないが、石で殴られるより余程嫌だ。雫は男と目を合わせないようにすぐ傍の石床を見つめた。
「お前が一番うってつけだ。おかしな動きをしていてもさして怪しまれない。おまけに元の感情があって弄りやすい」
「元の感情?」
聞き返した雫に対し、頭上から聞こえてきたのは魔法の詠唱だ。彼女はぞっと戦慄すると、縛られていない足を素早く動かす。
右足を真っ直ぐに蹴り上げ、しゃがみこんでいたディルギュイの足首を打った。いいところに当たったのか男は叫び声を上げて横倒しに転ぶ。
その間に雫は後ろ手に縛られた両手に力を込めた。
しかし、椅子自体に縛られているせいかどうしても立ち上がることは出来ない。
焦っているうちに起き上がったディルギュイが片手で雫の髪を掴んだ。痛みに彼女は唇を噛み締める。
「この野良猫が! 大人しくしていろ!」
「今まで黙ってたけど言ってやる! この小悪党! 魔法士長になりたいなら実力でなれっての!」
「お前……っ」
変な術をかけられるより逆上された方がましだ。
雫はそう思ったもののディルギュイはそれ以上何も言わなければ暴力を揮うこともしなかった。
ぎりぎりと音が聞こえてきそうな程に歯を食い縛って彼女を睨むと、震える声で返してくる。
「……もう魔法士長になどならなくともよい」
「何でよ。負け惜しみ?」
「違う! お前になど分からんだろうが、いつまでもファルサスだけが魔法大国でいられるわけではないのだ!
 つい先日も東の小国が画期的な魔法具を売り始めたのだぞ? ろくな魔法士がいないと思われていたちっぽけな国が!
 ファルサスのように自国だけに技術を囲い込んでいては、いずれ他の国々に追い抜かれる。その前に私はこの国を出るのだ!」
彼には彼の考えがあるのだと窺える弁論に、しかし雫は一片の関心も抱かなかった。氷片を散りばめた目で男を射抜く。
「じゃあ出てってください。レウティシアさんには私から言っとくから」
「ああ、出て行くさ」
ディルギュイは吐き捨てると詠唱を再開した。雫は息を飲む。
動揺は見せたくなかったが、これから起きる事態が非常に不味いものであることは彼女にも分かっていた。雫は部屋の隅に置かれた鳥籠に向って叫ぶ。
「メア! 起きて!」
「起きんよ。あの籠は封印具だ」
「起きて! お願い!」
男の目が雫の瞳を至近から覗き込む。
合わせ鏡の如くそれらはお互いの顔を映し出して―――― そして何かが「入って」来た。

生温かいものが脳に直接触れているかのような感覚。
無遠慮に指をずぶずぶと埋め込まれるような気持ち悪さに、髪を掴まれたままの雫はえずいた。
思考を侵されて行く。
意識が歪められる。
全身を震えが走りぬけ、彼女は椅子に縛られたままの体を跳ねさせた。
「嫌だっ! 放して! 放せ! 出て行け!」
「抵抗すれば苦しいぞ」
男の声もよく聞こえない。
自分の鼓動だけがやけに響く。
時間の感覚も、天地でさえも判らない。
拒否と否定が呪のように繰り返された。

入り込んでくる力
無遠慮な
粗雑な
それはもっと稚拙な
変質を
精神に
魂に
変えて
潜んで
言葉を
記憶を

―――― 気づいてはいけない



雫は負荷に耐え切れず気を失う。
意識が暗転する直前、最後に聞こえたものは石畳に跳ね返る男の絶叫だった。