異質と罪人 080

禁転載

『納得していないと思ったから』
レウティシアは確かそんな風に言っていた。彼に王家の封印資料を見せた、その後に。
彼女はおそらく、当時の王家の不審な対応についてエリクが不満を抱いているとでも思っていたのだろう。
例の事件後彼は真っ直ぐ城に出頭し、起こったことを全て述べた後で処分を願ったのだから。
しかし彼には叱責どころか何の処罰も与えられなかった。それどころか城における権利の数々さえ剥奪されなかったのだ。
その処置にいくらかレウティシアが絡んでいたことは明らかだったが、彼は結局全ての権利を捨て、ファルサスを後にした。
城への怒りがあったわけでも失望があったわけでもない。
ただもういいと、思っただけだ。もうこの国に残る意味もないと。

けれど今、もう一つの真実を知った彼は思う。
―――― あの事件には果たして本当に「納得」など存在していたのだろうか、と。



生温かい風が林を鳴らす。
臭気は少しずつ薄まっているような気もするが、既に鼻が麻痺しているようでよく分からない。ラルスは左手をかざして天を仰いだ。
「うちの王家は美女が多いらしいが、骨になってたり崩れていたりでは分からんな。まったくつまらない」
「陛下……」
不謹慎な主君の発言に随従の魔法士は何とも言えない顔になったが、それ以上諌める言葉も思いつかなかったらしい。ただ口を噤んで目を逸らすに留めた。
初めこそラルスは十人程の部下を連れて掃討にあたっていたのだが、次第に捕獲した遺体の運搬に人手が取られ、また「別にそんな人数いらない」と本人が言ったことで、一番王と付き合いが長い魔法士が一人、連絡係として残ることになったのだ。
「そろそろ疲れてきたし、気分を変えたいところだ。そうだな……この事件の名称でも考えるか」
「後になさった方が……」
「事件の名称はそれを聞いただけで大体の内容が分かりやすいものの方がいいと思わないか?」
「字数が多くなっても問題がございます」
「そうか。最小限に絞るのはなかなか難しいな。『死体』は入れた方がいいかな」
足を止め、真剣に考え始めた王に、魔法士は更に何か言いたげな視線を送ったが、ここで言って思い直してくれるような主君ではないと皆が知っている。
「年代は含めるべきかどうか」を悩むラルスの代わりに、彼は周囲に注意を払った。
既に第一霊廟の調査は済んでいる。そこに禁呪の元は見つからなかったが、犯人はほぼ内部の魔法士で決まりではないかという結論は王にも報告されていた。 犯人が逃げ出したかまだ城に留まっているかは分かっていないが、目的がよく掴めないこともありそちらの捜索は進んでいない。
まずは放たれた遺体の回収が最優先だが、最初の報告が入ってから二時間、第一霊廟と第二霊廟に安置されていた遺体は既に、八割方回収に成功していた。
「ディスラル廃王は未だ目撃されていないようですが……」
「俺は相手したくない。トゥルースかアズリアのところに行って欲しいぞ」
「…………」
数十年に及んだ政争の発端となった事件、その張本人である廃王の名はファルサスの人間ならば誰でも知っているだろう。
玉座にありながら狂気に堕ち、軍を率いて一国を滅ぼした挙句、血縁の中に猜疑の種を振り撒いた王。
諫言した臣下たちを手ずから斬り捨て、最後には大広間で武官や魔法士、他の王族と相対しての殺戮を繰り広げた狂王は、実の弟であったロディウスの手によって殺害されたと言われている。その後即位したロディウスも僅か一年で謎の死を遂げているのだが……。
「だってディスラルってあの事件の時、一人で六十三人を殺したらしいぞ。もうそれ人間じゃないだろ」
「今アカーシアをお持ちでらっしゃるのは陛下ではありませぬか。何とかなります、何とか」
「落とし穴でも掘った方がいいんじゃないか?」
「陛下……」
気持ちは分かるがそこは強気になって欲しい、と臣下たちなどは思うのだが、相手をしたくないものはしたくない。
大体死体なのだから正面から向き合わずとも捕獲する方法はあるはずだ。ラルスは考えながら辺りを見回す。

庭先を行く二人の人影を先に見つけたのは、王ではなく随従の魔法士の方だった。
黒い輪郭しか見えない二人は、しかし暗がりから月光の差す場所へ歩き出てきたことにより、顔の判別がつくようになった。それを魔法士は見咎めたのだ。
「待て、お前たち!」
厳しい声と共に彼は走り出す。ラルスは「あれ?」と首を傾げながらのんびり歩いてその後を追った。呼び止められた二人組は足を止める。
「ここで何をしている!」
言われた二人は顔を見合わせたが、どちらに言われているかなど考えるまでもないだろう。両方に言われているのだ。
しかし男はどちらかというと詰問の比重を異国の魔法士に置いているらしい。真っ直ぐエリクに向って詰め寄った。
「お前、何故ここにいる! レウティシア様はどうされた」
「カンデラにおられると思います」
「ならお前は何故来たのだ! さてはお前が……」
予想通りの展開に顔色を変えたのは一緒にいたハーヴの方だ。彼は「待ってください」と言いながら慌てて二人の間に入ろうとする。
エリクに掴みかかろうとする魔法士とそれを留めるハーヴの間で、静寂の中にあった夜が一転して騒々しいものとなりかけた。
だがその時、責められている当の魔法士は何かに気づいたのか、ふっと背後を振り返る。
藍色の双眸の軌跡を追って、ラルスは月の照らす庭を見やった。

黒いレースのドレス。長い銀髪が鈍い輝きを放っている。俯きぎみの横顔は影になって見えない。
だが、細い首に巻かれた赤い紐が髪と同様おだやかになびいており、それだけは少ない色彩の中で不思議なほど鮮やかに映えていた。

ラルスは手を伸ばすと、今まさにエリクを怒鳴りつけようとしていた魔法士の肩に手を置く。
王は慌てて振り返った部下にではなく、視線を戻した異国の魔法士に向けて問うた。
「お前がやったのか?」
「違います」
「そうか」
それだけで終わると思っていなかったハーヴはけれど、ラルスがついてきた魔法士に「先に戻ってろ」と言ったことで目を丸くしてしまった。
魔法士が驚愕しながらも王命に従ってその場を離れると、王は次にハーヴを見やる。
「お前も命令違反だな。減給ものだぞ」
「も、申し訳御座いません」
「まぁいい。仲間はずれも可哀想だから来ればいい」
エリクはその決定に僅かに眉を顰めたが何も言わなかった。彼は踵を返すと一人歩き出す。
それは何の感情も感じさせない足取りだ。後悔も嫌悪も何もない。躊躇でさえもそこにはなかった。
だが立ち止まることも彼は決してしない。
草を踏む微かな音の向う先、月の光が翳を作る庭には、黒衣の女が月下に佇み、緑の瞳でじっとエリクを見つめていた。



「ねね、こんな術ってある?」
そんなことを唐突に聞かれたのは、彼がカティリアーナの屋敷で借り出した図書を整理していた時のことだ。
少女からの拙い説明を聞いてエリクは首を傾げる。
「ある。けど禁呪の類だ。そんなの何で知りたいの?」
「ちょっと興味があって。だって、魔力って先天的なものなんでしょ? それを増やせるってどうしてかな」
その疑問は素朴と言えば素朴なものだ。エリクは少し考えた後に答えた。
「多分、術者の魂を変質させて許容量を増やす工程が含まれてるんだと思う。魔力を召喚して、それを術者に取り込ませる。
 その取り込みの過程で無理矢理容量を拡張してるんだ。記録にはないけど、実際は肉体的にも結構痛いんじゃないかな。
 だから増やせるっていっても限界があるし、変質に失敗したら精神崩壊するか死ぬと思う。そういう例はいっぱいあるし」
「死んじゃうの!?」
「死ぬよ。そんな危険がない術だったら、暗黒時代にはもっと強力な魔法士が沢山出てるはず」
しかしそうはならなかった。
多くの者が力を求め、種々の禁呪に手を出した時代。残ったのは「禁呪に触れてはならない」という歴史に実証された戒めだけだったのである。
カティリアーナは困り顔で悩んだが、しばらくして「やっぱりどんなのか構成教えて」と言い出した。
随分妙なことに興味を持つとエリクは思ったものの、彼女も一応王族の一人だ。何か自国の歴史に気になる点があるのかもしれない。
「実際の構成はもっと複雑だけど」と付け加えて、その場で考えた簡単な構成を口頭で教えてやったのだ。
構成図を描いてもどうせ伝わらないであろうし、むしろ真剣に伝える気もなかった。どうせすぐに忘れてしまうだろうと彼は思ったのである。
だから数日後、城から屋敷に戻ってきた時、彼は「それ」を見て愕然とした。
中庭に描かれた複雑極まりない構成と、その中央に重ねられた三つの死体と、そして血生臭い光景の前に、一人立っている女の笑顔を見て。



「カティリアーナ」
魂のもうない体を、エリクは生前と同じ名で呼ぶ。
それがおかしかったのか女は首を僅かに傾けた。罪人の証である赤い紐が揺れる。
緑の瞳は、それだけが今でも変わらない。幼子のように透き通ってじっと彼を見返す。
そこに、どれだけの真実があったのだろう。
今はもう分からない。彼女の魂が失われた今となっては。
エリクは過去に属する瞳を見つめる。
そしてあの時と同じく言葉なきままに、彼は深く溜息をついたのだった。



友人の後ろにいたハーヴは大きく口を開けたまま硬直する。
彼には、一体自分は何を見ているのか判断がつかなかった。
動転した挙句、ハーヴは話しかけづらい友人よりも隣にいた王を見上げる。声を潜めて囁いた。
「へ、陛下。あれは本当に……」
「ああ。カティリアーナだ。同じ服を着ているしな」
「ですが、まったく姿が…………劣化防止をかけなかったのですか?」
「かけた。一応慣例だったから」
―――― ならば何故、彼女はあのような姿なのか。
余計混乱してハーヴはもう一度女の死体を見つめた。
濃い茶色であった髪は透き通るような銀になっている。白く瑞々しい肌は罅割れて皺だらけの皮と化していた。
痩せこけた頬。肉のない骨ばかりの手がエリクに向って伸ばされる。
「あ、あれではまるで……老いてしまった、ような」
「老いたわけじゃない。本当の姿に戻ったんだ」
ラルスはアカーシアを抜く。エリクの首へと手を伸ばしかけていた彼女は、気配に気づいて顔を動かした。その目を王は真っ直ぐに睨む。
「さて、いつまでもその男に絡んでいないで棺に戻るがいい、カティリアーナ。
 それとも…………クレステアと呼んだ方がいいか? 大叔母上よ」
ラルスは罪人の真の名と共に剣を構える。
突如持ち出された真実にハーヴは凍りついた。
エリクはただ彼女を見つめる。
かつてと同じ緑色の瞳は、生前もそうであったように何処か空虚を湛え、世界を映し出していた。