異質と罪人 082

禁転載

遠くで何かがあったのか、静寂を破り人々の叫ぶ声が聞こえる。
ラルスは一瞬視線をその方角に彷徨わせたが、すぐにエリクの上へと戻した。
意識を失った少女を抱き上げる魔法士に、王は冷徹な視線を向ける。彼は王剣を抜いたまま一歩を踏み出した。
「それを殺させるか共に死ぬか、好きな方を選べ」
「どちらもお断りします。先日お約束したはずですよ。僕にも納得出来る理由を示さなければ、彼女は殺させないと」
雫を塔から飛び降りさせたことを非難したエリクに、それがラルスの出した譲歩だったのだ。正確にはレウティシアが譲歩させたのだが。
そして王がその条件を飲んだことでエリクは城に雫を預け、自分は調査に取り掛かった。
ファルサスの城が彼女にとって危険とは言っても、ここがもっとも魔法的な情報の集まっている場所であることは間違いない。
雫が元の世界に戻りたいと思う以上、ファルサスは避けては通れない要素だろう。
だが、閲覧できる資料は一通り目を通したが、二百四十年前の事件の真相については掴めず、他に手がかりになりそうなことは何もなかった。
そろそろ本当にこの国を出た方がいいかもしれない、彼がそう思い始めた矢先の事件が今夜だったのである。

「その娘は俺を殺そうとした。これ以上の理由があるか?」
「散々恨みを買うようなことをしていてよく仰いますね。ですが彼女はそれくらいで人を殺そうとしたりはしませんよ。
 精神を弄られてあなたを殺すよう命令されたんでしょう。彼女自身の罪ではない」
「だが危険分子であることは確かだ。処分した方が俺の寝覚めもいい」
「彼女をここで殺せば今夜の犯人が分からなくなりますよ」
エリクの一言に、王は初めて殺気を僅かに緩めた。顔を斜めにして異国の魔法士を見やる。
「その娘に術をかけたのが今夜の犯人と同一人物ということか?」
「まず間違いなく。死体だけ呼び起こしても大した意味はありません。せいぜい城内が混乱するくらいだ。
 その間に彼女を操って、あなたを殺させることの方が主目的でしょう。
 彼女に対する日頃のあなたの仕打ちは皆が知っていますし、彼女ならば比較的あなたに近づける」
「そして死体の方はお前に罪を押し付ければいいと、そういうことか」
「左様で」
エリクは腕の中の少女に一瞬視線を落とした。
こんなことなら最初から彼女を置いて自分だけ城に来ればよかった、と後悔が頭を過ぎる。そうすれば少なくとも暗殺の道具になどはされなかった。
権力に近づけば近づく程、人の意志は混沌として絡み合う。それを彼は歴史からも己の経験からも知っていたはずなのだ。
しかし、もし本当にそう提案していたとしても雫は首を縦には振らなかっただろう。彼女は自分の重荷を人に預けることに抵抗を持つ人間だ。
たとえこの世界に来てしまったことが彼女の責ではないとしても、困惑しながらやり場のない荷を自分の背に負う。
そうして迷いつつも次を模索していくのが雫という人間なのだ。
ラルスは月に冴える剣を手元で軽く返す。刃の鋭さを確かめる視線のままエリクに問うた。
「だがお前が言うのも可能性の一つでしかないのではないか? 例えばそう思わせてお前とその娘が首謀者ということもあり得るしな。
 それならば全ての可能性を潰した方がすっきりするだろう」
「そして、行き着くところは粛清の嵐ですか?」
苛烈とも言える返答。しかしラルスはそれを鼻で笑った。二人に向けて剣を構えようと腕を上げる。



だが、次の瞬間王は後ろから激しく蹴られて体勢を崩した。たたらを踏んで振り返る。
そこにはいつの間にか、転移によってやってきた魔法士の女が立っていた。
「……何するんだ、レティ」
「何するんだはこちらの台詞ですよ、馬鹿兄上! 死体の回収放り出して何をなさっているのですか? 何故その娘をまた苛めているのです!」
「あっちが悪い。俺悪くない」
子供のような返しに、王妹はまた細い脚を蹴り上げる。ラルスはそれを手で受け止めた。
「大体何でここにいるんだレティ。夜更かしは肌に悪いぞ」
「ディスラル廃王がどうにも出来ない上に兄上が戻って来ないって、アズリアが泣きついてきたのですよ!
 いつの間にかエリクもいないし慌てて来てみれば……その娘についてはもういいって仰ったでしょう!」
「言ったというかお前に言わされたというか」
「仕事なさい!」
畳み掛けるように怒る妹にラルスはどう見てもふてくされた顔になった。剣を収めるとエリクに向って手を振る。
「仕方ない。今日のところはこれくらいにしといてやる。それより、クレステアはきちんと処理してこい。それが見逃す条件だ」
「分かりました」
エリクは雫の体をハーヴに預ける。同時にラルスも妹に引っ張られその場から姿を消した。
途端に静けさが戻る夜の下、エリクは草の上に光る短い突剣を拾い上げる。
今まで息を飲んで事態の推移を見守っていたハーヴは気遣わしげな声を友人にかけた。
「大丈夫か?」
「平気。先戻ってて」
闇の中に消えていった女の亡骸を追って、男の姿もまた庭の影に没する。
何度も振り返りながら城の中に戻ったハーヴは十五分後、廊下の窓から庭に上がる火を見つけて、やりきれなさに両目を閉じたのだった。






夢の中で眠る。
本を枕にして彼女は眠る。
今はどの本も開かない。隠された歴史を覗かない。
夢の中で彼女は眠る。
それは忘却の忘却を促す閉ざされた檻だった。



雫が目覚めた時、枕元では膝にメアを乗せたエリクが本を読んでいた。よくよく目を擦って彼の存在を確かめた後、彼女は慌てて飛び起きる。
「エリク! 久しぶりです!」
「……やっぱり覚えてないんだ」
「え、何が?」
疑問符を浮かべて首を傾げる少女に、男は苦笑して「久しぶり」と返した。その表情がとても懐かしいものに思えて彼女は心から安堵する。
今までずっと気を張り続けて疲れていたのだ。弱みを見せないよう、疑われないように必死だった。
だがそれも、彼が隣にいる今では不思議と遠いものに思える。ようやく得られた安心出来る空気に雫はほっと息を吐いた。
「労働は終わったんですか……ってあれ、ここ何処ですか。ひょっとして今までのことって夢?」
「何処までが今までを指しているのかは分からないけど、ここは城の治療室」
「治療?」
「治療。君、精神魔法の侵蝕を受けてたんだよ。誰にやられたか覚えてる?」
エリクの問いは答を知りたがっているというよりは、単なる確認のように聞こえた。
聞きなれぬ単語を受けて雫は眉を寄せる。何だかすっきりしないが、彼がそう言うなら何かがあったのだろう。
眠りに落ちる前の記憶を手繰り寄せようと目を閉じた彼女は、しばらくしてようやく昨晩の記憶に思い当たった。
「あれ……そう言えば……庭を骸骨が歩いてて」
「そうそう」
「で……王様のお母さんと会って、部屋に戻って……。―――― ああああああああ! あの小悪党!」
拉致されたことを思い出した雫は、寝台の上に立ち上がらんばかりの勢いで拳を握った。
そう言えば確かに「精神魔法をかけてやるぞ」とか何とか言われていたのだ。腹立たしさに体温までもが上がってくる。
「む、むかつく! むかつく! あいつ今何処ですか! ディルギュイ!」
「はい正解。ディルギュイなら今軟禁中だ。調書が取れなくて困ってるらしいけど」
エリクは本の上に紙を置いて何事かをメモした。筆記体に似た走り書きの為、雫には単語も分からない。
だがそれよりも彼女は、自分の精神を捻じ曲げようとした魔法士への怒りに突き動かされていた。掛布を跳ね除け寝台を下りる。
「おのれ、言い逃れでもしてるんですか、あのおでこ禿げ! ちょっと行って文句言ってきます!」
「言っても聞こえないよ。ディルギュイは精神崩壊してる」
「勝手に崩壊!? …………って何でですか」
いつでも低温なエリクの補足に、扉に向けて走り出しかけていた雫は足を止めた。ようやく冷静になって彼を振り返る。
椅子の背もたれによりかかった彼は少し疲れているようにも見えた。整った顔に差す翳を雫は注視する。
記憶がない間に何が起こっていたのだろう。窓の外はすっかり明るくなっていた。
「ディルギュイは、多分君に術をかけた時に失敗したんじゃないかな。逆に自分の精神が崩壊したみたいだ。
 今回の犯人の有力候補だけどまったく証言が取れない。だから、君が起きたら代わりに証言が欲しいんだって」
きょとんとしている彼女にエリクは肩を竦めると、よく雫がやるように手の中のペンをくるくると回して見せたのだった。

城の人間が死体を全て回収し終わった頃には、すっかり空は白み始めていた。
そしてその処理に王が追われている間、レウティシアはハーヴの報告のもと雫を治療しながらディルギュイを探させ、 彼が自分の研究室で座り込んでいるところを発見したのだ。その時には既に精神崩壊を起こしていたディルギュイは、一人ぶつぶつと何事かを呟いていたが、 それはもはや意味のある単語ではなかった。 けれど彼の部屋に雫の使い魔が捕らえられていたことと、雫にかけられた構成の癖から、少なくとも彼女を拉致したのはディルギュイであるとレウティシアは断じたのである。
「でもね、死体を起こした禁呪の方は、知識的にディルギュイの単独ではないと考えているの。
 彼は禁呪の閲覧資格を持っていなかったし、ファルサスの城都から出たことのない人間だから。
 最近ディルギュイは頻繁に城下町に出かけていたようだし、誰か他国の人間が彼を使嗾したのではないかと疑ってるわ」
「あ、そう言えばファルサスを出てくって言ってましたよ」
連絡を受けてやって来たレウティシアは、エリクと交代で彼女の体調を診た後、簡単に事件の説明をしてしまうと雫からの情報を求めた。
まだ何処か痛む頭を引っくり返して雫はそれに応える。
「出て、何処に行くか言っていた?」
「それは……言ってなかったと、思います。
 でも様子からいって、もっと自分の力を生かせるところに行くとか、出世出来るところに行くとか、そんな感じでした」
「そう……。ありがとう」
レウティシアは難しい顔で考え込みながら、後ろで調書を取っていた魔法士を振り返る。
雫の知らぬその魔法士は、調書を王妹に差し出した。彼女は一通り目を通すと頷く。
「また聞きに来るかもしれないわ。何度も面倒をかけるけれど」
「とんでもない! 私も治してもらったりしてますし、協力させてください。
 むしろ記憶が曖昧ですみません。どうやって部屋を出たか覚えてなくて……」
「それは仕方ないわ。精神魔法ってそういうものだから。こちらこそうちの馬鹿兄がしつこくて、本当に御免なさい」
「……いえ」
まさか身内が「馬鹿」と言ったからと言って、家族の前でその尻馬に乗って悪言を並べ立てるわけにはいかない。
雫は色々思うところはあったものの、昨晩の記憶がないこともあって視線と共に話題を逸らした。
「カンデラのお仕事は終わったんですか?」
「大体ね。これからはもっとこちらにいられるから、何かあったら言ってね」
レウティシアは美しい笑顔を見せながら部下を伴って部屋を出て行く。その後姿を彼女はすっきりしない頭を振って見送ったのだった。