異質と罪人 083

禁転載

王妹がいなくなってまもなく、入れ違いになるようにしてエリクが戻ってきた。
彼は出て行った時とは違い今は本を持っていない。代わりにお茶のポットと菓子袋を手に持っていた。
「終わった?」
「とりあえずは。また何か聞くかもって言ってましたけど」
「しばらくはごたつくだろうね。遺体の復元もあるし大変そうだ」
二人はテーブルを簡単に片付けるとエリクの持ってきたお茶を飲み始めた。何だか食欲のない雫は温かい飲み物に人心地をつけるとエリクに向って頭を下げる。
「何ていうか……私を連れてきてくださったばっかりに面倒ごとに巻き込んですみません」
昨夜のことはよく分からないが、エリクは無断で動いたとのことでそれなりに怒られたらしい。
他にもディルギュイに罪状を押し付けられそうになったことや強制労働のこと、そもそも過去に何かあったらしい場所に彼をつきあわせてしまったこともあり、まさに雫は彼に対して頭の上がらない思いを抱いたのである。
しかし、テーブルに額をつけて謝る少女に、当の本人は苦笑しただけった。彼女の顔を上げさせると焼き菓子を勧める。
「別に僕が選んだことだし不平はないけどな。それに、君にはここに来る切っ掛けをもらってありがたいと思ってる。
 多分あのままだったら僕は一生この国に戻ってこなかっただろうしね」
「そ……うなんですか?」
「うん。僕の昔の話って誰かから聞いた?」
答えにくい問いに雫は「ぐ」と詰まった。それは明らかな肯定でありエリクは驚く風もない。
「気にすることないよ。ほとんどの人間が知ってることだから。むしろ今まで黙ってて悪かった」
「そ、そんなことは。私だって昔のこと全部話してるわけじゃないですし」
興味があるからと言って、何処までも踏み込んでいいわけではないことを雫は知っている。
ディルギュイには「聞きたかったら自分で聞く」と言ったが、あれはあの場だからそう返しただけで、実際エリクから本当のことを聞きだそうとは彼女は思っていなかった。
もそもそと焼き菓子を口にし始める雫を魔法士の男は眺める。
何処か落ちつかなそうな不安を表情に漂わせる少女の貌は、彼に四年の年月が過ぎ去ったことを実感させるものだった。



久しぶりに会ったエリクは、普段と変わらないながらも何処かいつもとは違うようにも感じられた。
その「何処か」分からなくて、雫は彼の横顔を見つめたまま首を傾ぐ。
窓の外を見ていた男は彼女の視線に気づいたのか、急に視線を動かした。目が合ってしまったことにより雫は居心地の悪さでむせそうになる。
「どうしたの」
「な、何でも」
まさか「何か変なので凝視してました」などとは言えない。
咳き込みながら誤魔化す雫にエリクはしばらく呆れた目を送っていたが、気分を切り替えるように指でテーブルを叩いた。
彼女の注意を引いてしまうと、彼は微苦笑に似た表情を作る。
「ちょっと……君には本当のことを話しておこうかな」
「何の、ですか」
「昔、僕を雇っていた子のこと」
その彼女の名を雫は知っている。カティリアーナと呼ばれていた王族の少女。今はもういない人間の名だ。
雫はエリクの藍色の目を見返すと黙って頷いた。彼は少しだけ微笑む。
「彼女はね、一言で言えば危なっかしい子だった。要領が悪くて、そのくせ人に上手く頼ることも出来ない。
 いつもそわそわと不安そうにしてた。人の気持ちを読み取ろうとして挙動不審になったりね」
何だか半分くらいは耳が痛い気もする。雫はそう思ったものの声に出しては相槌を打たなかった。黙ってエリクの話に耳を傾ける。
「彼女が僕を雇ったのもほんの偶然だったと思う。当時は年が同じくらいだったから、気安かったんだろう。
 僕は僕で、彼女が便宜をはかってくれたことで勉強の幅がかなり広がって、それが嬉しかった。
 彼女のことも家に残してきた妹がいたらこんな感じかなって思ってたな」
エリクとカティリアーナの間には当時色々と下卑た噂が立っていたという。
雫はディルギュイからそれを聞いていたが、何だか彼のイメージと合わないなと思っただけだった。
「ファルサスでは三年ちょっと勉強した。それは本当に身になるものだったし、僕には自信もついた。
 けど、勉強や特殊な仕事に夢中になっているうちに、僕は少しずつ必要以上には彼女に構わなくなっていったんだ。
 他に親しい人間も多くなかった彼女は、それが淋しかったらしい。
 でもその時僕は彼女の気持ちに気づいていなかったし、彼女もはっきりとは言えなかった」
それが家族間の愛情がゆえだとしたら、雫にも少し気持ちが分かる。
姉が高校に入ったばかりの頃、彼女の興味の対象が家から学校へと移り、淋しい思いをしたことがあるのだ。
雫が頷くとエリクは微笑したまま目を細めた。彼は見えないものを見るかのように、部屋の中、視線を彷徨わせる。
「カティリアーナ……彼女は、次第に城に来なくなって、代わりに屋敷に閉じこもるようになった。
 僕について来ると護衛をさせなきゃいけなかったり、馬鹿な質問をして勉強の邪魔になるからって言ってたね」
「護衛、ですか?」
何だかそぐわない言葉に雫が聞き返すと、エリクはばつの悪い顔になる。
「カティリアーナは王族だったし、人見知りだったからね。自然といつも一緒にいる僕が護衛を兼ねなきゃいけなかったんだよ。
 でも戦闘系の魔法はほとんど使えないから剣を習った。当時魔法に関係ないことをやったのはそれくらいかな」
「うわぁ。それで、剣使えるんですか?」
「かなり苦手だけど。護身程度だ」
「なるほど……知りませんでした」
確かに雫が偽の花嫁として拉致され、追って来たネイと相対する羽目になった時に彼は似たようなことを言っていたのだ。
普段は剣を持ち出さないことからして自己申告通り苦手なのだろう。
余計な相槌で話を脱線させてしまった雫は、我に返ると「すみません、続けてください」と付け足す。
エリクは首肯するとテーブルの上に置かれたお茶のカップを眺めた。薄紅色のお茶には今は波紋の一つもない。
「事件が起きたのは三年が過ぎて少し経った頃のことだ。
 ある日カティリアーナは僕に、魔力量を増やす術があるかどうか聞いてきたんだ。
 でもそれは禁呪の一種で、僕はそう説明した。場合によっては術者が死ぬこともあるってね。でも彼女は具体的な構成を聞いてきた」
雫は緊張に唾を飲む。ディルギュイの話が正しければ、その問いが悲劇の引き金となったのだ。
「何でそんなことを聞くのかって思ったけど、妙に真剣だったから僕は構成を教えてやった。彼女でも出来そうなくらい簡単なものを考えて」
「って、簡単なの教えちゃったんですか!?」
「うん。ちょうどその時作ってた薬草を育てる構成をね」
「―――― へ?」
間の抜けた声を上げる雫にエリクは笑ってみせる。だがそれは、見た者に喪失を連想させる微苦笑であった。
藍色の瞳は方向を転じて窓硝子の向こうを眺める。薄青に広がる空を淡い雲がゆっくりと流れていった。
「禁呪と偽って、花を育てる構成を教えた。もし本当にそれをやったのならきつく叱って、その後出来たことを誉めようと思った。
 怒られても花が咲いたのなら彼女の気も紛れるだろうと思ったんだ。でも……」
悲劇の結末を雫は知っている。彼女はその先を思って唇を噛んだ。
「でも、彼女が組んだ構成は、本当の禁呪だった。城から帰ってきた僕はその場に出くわして、驚いた。
 庭は花が咲くどころか酷い有様だった。でも彼女は笑って僕に『嬉しい?』って聞いたんだ」
「…………」
「その頃の僕は身につけた知識に自信があったこともあって、自分一人で何でも出来ると思っていた。
 だから、禁呪によってかなりの魔力が庭に溢れ出そうとしているのを見ても、何とか出来ると思ったんだ。
 けど、人を犠牲に出来上がった魔法はそんなに甘いものじゃなかった。僕は迂闊にも構成に干渉して、引きずり込まれそうになった」
今語られているこの話が、彼の見た真実なのだろう。雫は四年の歳月を置いてそれに触れている。
かつての自分をエリクは取り除くことの出来ない苦さと共に思い返す。常に自らの後をついて回る影を、彼は時に振り返って見つめるのだ。
「禁呪に飲まれそうになった僕を留めたのはカティリアーナだった。
 彼女は生まれた魔力を一つに集めながら、もう一度僕に『嬉しい?』と聞いたんだ。僕はそれに『嬉しくない』と答えた。
 そうしたら彼女は、その魔力を自分の身の内に取り込んだ。……そして僕に、『殺して』と笑った」
エリクは細く息を吐き出した。
それだけの間に言葉にはならない複雑な思いが潜んでいる気がして、雫の胸はひそやかに痛む。
淡々とした主観には、後悔という言葉だけには留まらない感情がたゆたっていた。それらは話の表面にいくつも浮かんでは消えていく。
「僕はその後、禁呪を取り込んだ彼女を殺して何とか暴走を抑えた。そして城に行ってあったことを報告したんだ。
 彼女を殺したと報告して、『禁呪を教えたのはお前か?』と聞かれたから『はい』と答えた」
それは雫の知らない話だ。彼女は虚を突かれて口を開く。
「本当のことを言わなかったんですか?」
「うん。正直その時は自分に失望していたから。客観的に見ても王族を殺したんだ。処刑されるのが妥当だと思った」
「でもエリクは……」
「そう。罪には問われなかった。でもそれは……この城の都合が働いただけだ。
 僕にはやっぱり罪があったし、彼女に雇われてこの城にいたのに、彼女を拒絶してここに居残るのはおかしいと思った。
 だから僕はファルサスを出て、元の専門の勉強に戻った。さっきも言ったけど、君がいなかったらここを訪ねることもなかっただろう」
エリクはお茶のカップを手に取る。
半分以上残っている中身は、既に冷めてしまっているようだった。けれど彼は構わず口をつける。
「これでおしまい。―――― 本当のことを人に話したのは初めてだから、何か変な感じだ」
そう言ってエリクは笑う。
嬉しそうにはまったく見えないその貌は、けれどほんの少しだけ、軽くなったように雫には見えたのだった。



「人を殺した」という告白を聞いても恐怖や嫌悪が沸かないのは、その時の二人の思いを雫が知り得ないからだろう。
きっと永久に辿りつかない。悲しみにも怒りにも届かない。
傷が塞がった後の感傷を、伝え聞く記憶を頼りになぞっていくだけだ。
本当のことなど、世界中についた足跡のように人の数だけ溢れている。
その一端に触れた彼女は少し先を行く彼の背を見て、また自分の足で歩き出すのだ。



長い沈黙があったようにも思える。
しかし雫はまるでそれがなかったかのように、透き通った目を男に向けた。思ったままを口にする。
「あの……話してくれてありがとうございます」
「うん。余計なことで御免ね。でも君には知っておいて欲しい気もしたから。
 僕は罪人で、それは一生拭われることはない。でもこうなったのは全て僕の責で、今はこの結果に納得してる。
 そして―――― 多分、この国の色んな人がカティリアーナのことをそれぞれ違う風に言うと思う。
 けど、僕からすると今の僕があるのは彼女のおかげで、それにはずっと感謝してる」
「はい」
それが、彼の本音なのだと雫は分かっている。
終わってしまったことだからこそ、振り返ることしか出来ないからこそ、記憶を留め、感謝を忘れないのだと。
神妙に頷く少女を見やってエリクは微笑した。彼は小さなテーブル越しに手を伸ばすと彼女の額を軽く叩く。
「あとはまぁ……あんまり無理を溜め込まないように。辛かったら言ってくれると嬉しい」
雫は軽く目を瞠った。言葉に詰まると困ったように笑い出す。
エリクはけれど、彼女の反応に苦笑しただけでそれ以上は何も言わなかった。
柔らかなお茶の香と少女の笑い声は、風に乗って窓の隙間から外へ出て行く。
それは日の光の下散り散りになると、庭に咲く花々の上へ穏やかに舞い落ちていった。






広い部屋には焚かれた香の匂いが立ちこめ、一呼吸するごとに頭の奥が朧になっていくような酩酊を来訪者にもたらす。
紅色で統一された家具、柱や壁に施された装飾は、優美でありながら何処か毒気を感じさせるものだった。
だがそれら全ては主人である姫の好みに合わせたものであり、彼女の纏う妖艶で棘のある空気とこの上なく似合っている。
薄絹を肢体に巻きつけ、寝台の上に寝そべる女は、話を聞き終わると扇の下で欠伸をした。彼女は横目で跪く男を見やる。
「つまらぬ。失敗した話など聞きたくもない。お前はいつまで経っても愚図だのう?」
「申し訳ないことでございます。わたくしもいくらか手を貸しはしたのでございますが……」
「容易にたぶらかされる者は器量もたかが知れている。遊びには時間をかけねばならぬということであろう」
失敗を責めはしたものの、今日の彼女は機嫌がよい。
面倒を見ている女の腹が順調に膨らみつつあるのが楽しいのだろう。
他に妊婦を知らない彼女はその経過を報告させては子供のようにはしゃいでいるのだ。
「つまらぬつまらぬ。やはりあの子供が生まれねばファルサスは崩れなかろうて」
「仰るとおりでございます。ですが、まだそれまで時間がありますれば……かの国で面白い者たちを見つけました」
「どのような?」
興味のなさそうな姫の声に、男はファルサスで見つけた二人の人間―――― 禁呪の管理者であった男と、王の傍にいる少女について語り始める。
悪意を散りばめたそれらの会話はけれど、この部屋においては他愛もない遊びの始まりでしかない。
そしてまた歴史の記録に残らぬ一幕は、人々の望む望まないとにかかわらず箱庭を舞台として、ゆっくりと開かれていくのだ。