隠された手々 085

禁転載

レウティシアから「今の話は口外無用で」と念を押された二人は、城の部屋に戻るとテーブル越しに向かい合った。
どちらも難しい顔をしているのは聞いた話の内容からして無理もないことだろう。お茶を淹れた雫はエリクにカップを差し出しながら口火を切る。
「あれって本当に本当の話ですかね……」
「信じ難い。荒唐無稽だよ」
彼はお茶に口をつけると、皺が出来た眉間を指でほぐした。
「大体僕は、例の事件を調べはじめた時も、何か未発見の法則が絡んでいるんじゃないかって疑っていたんだよ。
 だから本当に法則外の事態だとは思っていなかったし、ましてや世界外存在って何だ」
「ですよね。私も突然異星人が、とか言われたら驚きますし」
雫のたとえ話に男は怪訝な顔をしたが具体的なことを問うてはこない。彼女はテーブルの上に座るメアに菓子をちぎってあげながら嘆息した。
「でもレウティシアさんは嘘ついてるように見えなかったんですよね」
「まぁね。だから嘘だとしたらあの人ごと騙されてるってことだな」
「うわ。そうきますか」
「当然。それに僕は法則外の力っていうものを見てないから半信半疑だ。でも……」
二人は目を合わせて微妙な表情になる。彼が何を言いたいのか、勿論雫も分かっているのだ。
「でも、私が」
「そう。君がいる。世界外存在」
「あっははははは」
壊れかけた笑いをもらす雫に彼はこめかみを押さえた。エリクが悩んでいることをここまで表に出すことは珍しい。
珍しいのだが仕方ないことではあるので、雫は精神を立て直すとバッグからノートを出して開いた。
「ちょっと整理しましょう。まず本当に私が世界外存在かどうか」
「自分から言い出すとは思わなかった。僕もちょっと思ったけど」
「いや、私の記憶がおかしくて単なる妄想ってのが一番すっきりするオチじゃないですか。なので一応今はここから」
納得できないのなら可能性を潰していくしかない。雫は自分について、という項目をノートに書き出す。
ただこの仮説には大きな問題点が一つあることも分かっていた。彼女の持ち物のことだ。
エリクもそのことに気づいているのか、彼女のノートを見やりながら指摘する。
「記憶だけなら改竄できるけど、文化技術の違う持ち物だしね。本もみんな印刷物だし」
「そうなんですよね。百歩譲って本は私の独自文字だとしても、携帯とか音楽プレイヤーありますから」
机の上に置いた機械二つの電源は、今はどちらも切られている。雫はピアノ曲しか入れていないプレイヤーを指で弾いた。
「それってこっちの世界でも作ろうと思えば作れるんだよね? それとも法則外?」
「多分作れますよ。技術と材料があれば。機械ってみんなそういうものですから」
しかしこの大陸の何処にもそんなものはない。技術水準からちょっと進んでいるどころではなく、飛びぬけているのだ。
雫は次の菓子をメアと半分に分けて口に入れた。
「他の可能性としては、君は実は別大陸の人間だった、というものがある」
「わぁ。それいいですね。無難です。交流のない別大陸では実は科学技術が発展していて、
 そこからこの大陸を調査する為に記憶を改竄した私を送り込んだんですね」
「僕には充分それも荒唐無稽に聞こえるけど」
「ファンタジーを楽しんでくださいよ」
「何それ」
棒読みの要求にエリクは苦笑した。先程から雫は目が据わっているのだが、それには触れずに彼は自らの仮説の問題点を挙げる。
「ただそれだとしたら、あまりにも不自然な箇所が多い。
 記憶の改竄が意図的なものだとしたら、この大陸に送り込むには適切な記憶とは思えないし、
 事故で迷い込んだのだとしても、そもそも君の記憶を異世界のものとして作り変えることに何の目的があるのか分からない」
「誰かが改竄したんじゃなくて私が思い込んだのかもしれませんよ。まさに脳内世界」
「そうかな。その状態で持ち物と記憶と知識を整合させるのは結構大変な気がするんだけど。
 君の持っている本には君の世界について記述されてるじゃないか」
「あー……そう、言われれば」
英語の辞書には勿論科学技術に関しての単語がかなりの数記されているのだ。それだけではなく歴史や地理についても書かれている。
これがそのまま別の大陸の辞書であったとは、それらの点から考えられない。
この仮説を真とするには、雫の記憶も持ち物も全て意図的な捏造を含んだものでなければ、何処かで綻びがでてしまうだろう。
しかし、そうだとしてもその意図が分からないのだ。
手間をかけて「異世界の少女」を捏造する目的にはどのようなものが考えられるか、悩んでいた雫は段々眩暈がしてきた。
「何と言うか……これつきつめると頭がおかしくなりそうなんですけど」
「自分の全てを疑うという試行は精神力を消耗する。だから、否定してあげよう。多分この仮定は間違ってる」
「何でですか?」
「君、カンデラで負に影響を受けなかったんだろう?
 大陸が変わっても世界の位階構造まで変わるわけじゃない。世界は共通で、人間も共通だ。東の大陸の先住民を見ればそれが分かる。
 だから……別大陸の文化や文明がこちらとまったく異なっていて、なおかつ魔力を持たない人間ばかりで魔法が存在しない場所だとしても、
 そこの人間が負からまったく影響を受けないということはないんだ。あれはこの世界では人間の構成要素の一つだからね」
「あ……」
「だから君は本当に世界外存在なんだと思う。とりあえず自分の記憶に自信持ってていいんじゃないかな」
雫は言われてようやく思い出す。
カンデラにてあの禁呪と相対した時、世界の最下層たる負は彼女を『世界に迷い込んだ棘』『外から来し者』と呼んだのだ。
それこそが間違いなく彼女の異質を証明する言葉であっただろう。負はこの世界全ての床下に広がっているのだから。
彼女は肺の中、淀んでいた空気を吐き出す。両手で前髪をかき上げ天井を見上げた。
「じゃあ、私は本当に異世界人ってことで、いいんですよね」
「多分。じゃ、次は君と外部者が同じ世界の存在かについて詰めてみよう」
「ああああううううううう」
次から次へと問題が沸いてくる。
結局二人が、「雫の世界では、現時点において外部者の呪具のような技術を実現することは難しい」という結論に落ち着き、「雫と外部者は別世界の存在だろう」という帰結に至るまでは、それから一時間もの議論を要したのだった。

「頭痛いです」
「じゃあ小休止」
すっかり冷めてしまったお茶を少女の姿に戻ったメアが淹れ直してくれる。
普段は入れない砂糖球を二つ、お茶の中に入れながら雫は溜息をついた。
「もし外部者の話が本当だとして……エリクはどう思います? いつの間にか実験動物にされてるって」
「論外だね。虫唾が走る。ラルス王についてはまったく好意的な評価が出来ないが、ファルサスの口伝で排除を指示されているのも頷ける」
「わ、私じゃないですよ!」
彼が珍しく感情を露わにして吐き捨てたので、雫は慌てて顔の前で手を振った。
だがエリクは「何言ってるの。もう一回最初から詰めなおす?」と言っただけだったので、彼女はありがたく遠慮する。
以前異世界からの技術流入について話した時も、それを嫌がった彼のことだ。
実際のところ、より酷い干渉が起きているという外部者の話はまさに論外でしかないのだろう。エリクは若干伸びた自分の髪を苦々しく手でまとめた。
「論外ではあるが、外部者が本当に異世界から積極的な干渉をしているなら、君にとっては助けになるかもしれない」
「え。そうなんですか?」
「だって意図的に世界を渡れるんだろう? 実験の為にこっちに呪具を送り込んできたっていうなら。それを応用すれば元の世界に帰れるかも」
「あ、そっか」
「ただし、彼らの世界に連れて行かれる可能性もある」
「嫌だああああああああああ」
何だかもう泣きたくなってきた。テーブルの上で萎れる雫をメアは困ったように見上げる。
エリクはよれよれしている彼女のことは放置すると自分のメモ書きを一瞥した。
「とりあえず……さっきの話を信じるなら、これからの道は二つかな」
「二つ、ですか?」
「うん。他にあるっていう外部者の呪具を探すか、外部者に対抗する呪具の使い手を捜すかのどっちかだ」
それは難しい二択だ。
どちらも場所も分からなければどんなものかも分からない。
おまけに前者は効果自体が分からないし、後者は殺される可能性があるのだ。
「前門の虎、後門の狼」と呟きかけた雫は何だか違う気がしてその言葉を飲み込んだ。
「どっちがいいんでしょうね。外部者の呪具って見つかっても全然違う効果だったらどうしようもありませんし。
 外部者自体はこっちの世界にいないんですかね」
「分からない。けど話の感じからして呪具だけを送り込んできているって印象を受けたな」
「うーん……」
雫は手の中でペンをくるくると回してみる。ふと素朴な疑問が浮かんで、向かいの男を見上げた。
「呪具って魔法具とはどう違うんですか?」
「魔法で作られていない道具が呪具。呪詛が術者の独自定義でかけられるところから来てるんだけど、
 実際は仕組みが何だかよく分からない道具をまとめてそう言うんだ。ほとんどが何の力もない偽物だけどね」
「マジックアイテムより更によく分からないものって凄いですね」
「魔法は法則があるから」
結局何だかよく分からない事態は何だかよく分からないものに頼るしかないのだ。雫は腕を組んで考えこむ。
「何か途方もないですよね……」
このまま足掻き続けていていいのだろうか。そんな不安が頭を過ぎる。
自分一人のことならそれでも構わない。だが、彼女が諦めないということはエリクにもまた苦労を強いることになるのだ。
それよりも諦めて、平穏の中に居場所を求めた方がいいのではないか。
きっと自分はこの世界でも生きていけるだろう。旅をして、少しずつ違う場所に馴染んできたのだ。面倒ごとを経て自信もついた。
以前は常にちらついていた、姉妹の間で希薄な自分というものも、いつの間にかほとんど思い出さなくなっている。
誰かと比べられ続けるというのも苦痛だが、誰とも比べようがない異質というのもやはり苦しいものだ。
ここまで両極端じゃなくてもいいのに、とぼやきたくもなるが、折れないよう踏み留まり続けてきたことは、確実に彼女の中で支えとなっていた。

考えても考えても自分一人では答が出ない。
そんな時、二人であってよかったと安堵する。
でも時に、二人は二人だからこそ言い出せないのではないだろうか。相手に遠慮して、「もうやめよう」とは。

「やめたい?」
「うわっ」
まるで心の中を見透かされたようなタイミングでの声に、雫は飛び上がった。慌てて取り繕うとエリクを見る。
「な、何がですか」
「いや。もう諦めたいかってこと。それもありだと思うよ。君は充分頑張ってきたし」
彼は決して根拠のない慰めをかけない。本当のことを言ってくれるから嬉しくて申し訳ない。
呆れるわけでもなく、気遣うほどでもなく、単に「やめるかどうか」だけを尋ねる声。
その淡白さがかえって雫を落ち着かせた。彼女は男の藍色の目を見つめる。
「エリクは、これが終わったら何をするつもりなんですか?」
「別にこれといって予定はないけれど。多分研究」
彼は、そうやって時間を費やしていくのだろう。何だかこの先何十年も本に向っている光景しか想像できなくて雫は微笑した。
その時間を少し分けて欲しいと思うのは我侭だろう。彼の道行きは彼だけのものだ。
だから、少なくない罪悪感を抱きながらも彼女は望みを口にする。
「もう少し私に付き合ってもらうことって……出来ますか?」
「いいよ。最初からそのつもりだし。君といると色んなことが分かって面白い」
彼は当然のように即答する。
その答を温かい、と思いながら雫は、「もし今から一年経っても結果が出ないのなら、その時は諦めよう」とこの時決心したのだった。