鉄鎖の鳥籠 109

禁転載

「子供は好かぬ。何の為にお前がいると思っているのだ」
「そう仰ると思いました」
予想通りのオルティアの切り返しに雫はあっさりと答えた。手に持った急須をカップに向けて傾ける。
オルティアの部屋は雫が知る限り城内でもっとも混沌としている部屋だ。
本来広いはずの部屋には姫の趣味で集められた何だかよく分からぬ家具や雑貨がところ狭しと置かれている。
その中から急須に似た道具を見つけ出した雫は、挿さって枯れていた花を捨てるとそれを洗い、報告を兼ねながらお茶を淹れ始めたのだ。

キスクに来てからの日々はそれまで以上にやるべきことに追われ、気がつくとあっという間に時間が経っていたものだが、赤子が生まれてからはそれが激化している。雫などは休憩を挟みながら一日約十時間を赤子と一緒に過ごしているだけだが、昼夜なくついている乳母はどれだけ体力を使っているのか、考えるだに頭が下がる思いだ。
まもなく生後二週間になろうという子供の経過報告をしながら「一度お会いしてみますか?」と聞いて拒絶された雫は、紅色のお茶を姫に差し出す。
「大人しい子ですよ。ご不快にさせるようなことはないと思いますが」
「お前は一度言われたら諦めるということを覚えぬか? くどい」
「情報を補足したら気が変わられるかと思いました」
この国で働くうちに変わってきたもう一つのことと言えば、オルティアの嫌味に動じなくなったことだろうか。
主たる側近の男二人とはまた違った受け流し方を雫は身につけたのであり、それはもっとも姫を喜ばせる可能性と不興を買う可能性の両方を兼ね備えている。
ある意味「殺されにくい」という優位を持っていなければ出来ないことだろう。だが雫はその優位性を利用することを躊躇わなかった。
そういう人間でもいなければ、姫には誰も率直な苦情を言うことが出来ないのだ。そして彼女の真意を問うことも。

雫は音を立てぬよう深く息を吸い込む。
今日はどうしても確かめたいこともあるのだ。それをぶつけるタイミングを見計らって彼女は椅子に胡坐をかくオルティアを見下ろした。
細められた黒い瞳の視線に気づいて、お茶に口をつけていた姫は顔を上げる。
「何だ」
「お伺いしたいことがあります」
「申せ」
「ヴィエドの親は誰ですか?」
この二週間、ずっとそれが引っかかっていたのだ。何の力もない赤ん坊を何故オルティアは丁重に育てようとしているのか。
答はヴィエドと名づけられた赤子の親にあるとしか思えない。
オルティアは問いを聞いてつまらなそうに唇を曲げた。
「セイレネに決まっている。お前も知っているだろう」
「父親をお聞きしているに決まってます。セイレネさんはキスクの人間ではありませんよね? どこの国の方で誰の奥方だったんですか?」
セイレネはキスク人なら皆知っているらしい「花雨の日」を知らなかった。つまりは他国人であるのだろう。そして予想ではヴィエドの父親も。
オルティアは湯気のたつカップを優美な仕草でテーブルに戻した。絹を合わせただけの衣から覗く脚を解いて組みなおす。
「それを知ってどうする。腹の子の父親が誰であったかなど、本人しか分からぬものではないのか?」
「でも姫はご存知だから匿ってらしたんでしょう? ヴィエドの父親は本当にファルサス国王なんですか?」
二人の女の視線が交差した。付随する沈黙に雫は疲労感を覚える。
もし肯定が返ってきたならそれは、明らかな国家間闘争の中心に生まれて間もない子供がいるということを意味するのだ。






―――― 父親はラルスかもしれない。
ファニートから呈されたその可能性を、雫は結局無視することができなかった。
そう考えれば考える程、オルティアがどうしてセイレネを庇護していたのかのつじつまが合ってくるのだ。
今現在ラルスもレウティシアも独身であり、彼らには子供がいない。そしてファルサスは六十年前から続く政争で彼ら以外の直系は残っていないのだ。
そこにオルティアがラルスの子を擁して現れたなら。
王位継承順位がどうなるのか具体的なことを雫は知らないが、オルティアにファルサスの中枢に食い込む可能性が生まれるということは分かる。
ましてやラルスやレウティシアに不慮の事故があったなら尚更、二人の死と共に王位はオルティアの下に転がりこんでくるであろう。
たちの悪い冗談に思考を誘導され、他の可能性が見えなくなっているのかもしれない。
けれどどうしても確かめたかったのだ。
オルティアはファルサス直系の子を手中におき、現王を退ける為戦争を起こそうとしているのではないかと。



一日のほとんどをヴィエドについている雫は、改めてファニートに問い質そうにも時間があわずに焦燥だけが積もっていた。
しかし代わりに昨晩ニケを捕まえることが出来たのだ。
いつか貸した燭台を律儀にも返しに来た男は「ちょうどよかった!」と室内に引きずり込まれて嫌な顔になる。
「父親? 知るか。知ってても言えるか」
「『はい』か『いいえ』かだけで答えてくれればいいから」
「尋問をするな! 馬鹿女! そんなの勝手に答えたら俺の首が飛ぶ!」
そこまで言われて雫は唸った。この場合「首が飛ぶ」とは「辞めされられる」ではなく文字通り斬首を意味するのだ。
いくら気に入らない男とは言え、自分のせいで殺されては寝覚めも悪い。彼女は質問を変えることにした。
「ね、親子の証明って魔法で出来るの?」
「出来ない。魔法士の親から魔法士の子が生まれれば魔力の類似が見られることもあるが」
「じゃあ本当に親子でも、『違う』って言われたら終わりなわけだ」
「普通はな。ファルサス王家は違うが」
「え?」
目を丸くする雫に、ニケは諦めたのか「紙と書くもの貸せ」と指示する。
その通りノートとペンを渡すと、彼は一枚丸々使ってそこに家系図を書き始めた。
「いいか? ファルサス直系と言われる人間にはある条件がある。それは『自分から遡って五代前までに王が存在すること』だ」
「あれ。王家の血を継いでるならみんな直系じゃないの?」
「あほかお前。それで言ったら今頃千人以上直系が残ってるぞ。あの国がどれだけ歴史が古いと思ってるんだ」
「ぐう」
あほ呼ばわりされたが、雫は教えてもらう立場として反撃を控える。
彼女はニケの隣に座るとノートを横から覗き込んだ。
家系図の末端に描かれている名前は、おそらくラルスとレウティシア。ラルスの上には星が書き込まれているが、これが王を意味するのだろう。
「ラルスは勿論自身が王だから直系だ。そしてレウティシアは一代前、つまり父親が王だった為直系とされる。
 ただレウティシアの血を継ぐ子供が全員王にならないと仮定した場合、直系とみなされるのはあの女の孫の孫までだ。
 その次の子は王が六代前になるからな」
「あ、なるほど。五親等が限界なんだ」
「そう。ちなみに姻戚は直系に含まれない。血を継いでいなくても直系扱いを受けるのは王の正配偶者だけだ」
ニケはレウティシアの下に棒を引いて四つの丸を書き足す。ここまでが直系の資格を持つ人間だということなのだろう。それ以上血が薄まると直系とはみなされなくなる。ただもし、この中に王となる人間がいたならまた計算は違ってくるのだろうが。
「で、ファルサス王家は魔力を拡散させたくないのか、血族結婚も他の王家よりは多いんだ。結果、直系の人数自体はいつも百人を越えない。
 おまけに今は数十年も身内で争ってたせいで王族が激減して、王と妹の二人しかいないと言われている」
雫は男の解説に頷く。その話自体はファルサスにいる時にも何度か聞いていたのだ。エリクは「二十五年間の政争で王族が何十人も死んだ」と言っていた。
遠い世界と思える出来事に彼女は溜息をつく。
「大変そうだよね。二人は若くてよかった」
「キスクからするとよくないがな。……まぁそれは置いといてだ。
 ファルサス王家にはアカーシアや精霊が受け継がれているが、これを継承する条件は『直系であること』だ。
 逆に言えばこれらに受け入れられればその人間は直系であることが証明される……俺の言ってることが分かるか?」
「あ、ひょっとしてアカーシアに認められれば、王様かレウティシアさんの血を継いでるって証明されるってこと?」
「意外にも分かったか。しかも王妹が身篭ってなかったことは皆が知ってるから自然と一人に絞られる」
「うわぁ……王様も逃げ場ないね…………」
二人しかいない直系に加え、「生まれたばかりの直系」が出てきたのならどちらかの子に決まっている。
雫は何となく「隠し子に慰謝料を請求されるラルス」を連想して大きく息を吐いた。隣に座る男を見上げる。
「ってことは、ヴィエドは直系の自信があるってことでいいの?」
「俺に聞くなと言っただろう! 誰だお前にそんな入れ知恵した奴は!」
「じゃあヒント頂戴。『はい』か『いいえ』かだけで答えてくれればいいから」
「圧し掛かってくるな! 重い!」
折角真相を知っていそうな人間だ。ヴィエドのことだけではなくティゴールについてなどもっと聞き出そうと思ったのだが、逃がすまいと拘束しかけたところニケは雫を放り出して部屋から出て行ってしまった。肝心のところが聞けずじまいで終わった雫は唸り声を上げる。
もうこれは直接姫に聞くしかないだろう。彼女がファニートやニケの上に立つ人間であるのだから。
雫は断片的な情報を揃えてオルティアの前に立つ。
それが吊り橋を渡るような危険な問いだと分かっていても、真実がヴィエドと自分の両方に大きく影響してくる以上、聞かずにはいられなかったのだ。






雫から赤子の父親をファルサス国王かと問い質されたオルティアは、冷笑を浮かべると「そうかもしれぬな」と言い捨てた。
知っていながらはぐらかすような口ぶりに雫は眉を寄せる。
「ティゴールさんはファルサス国境近くの領地の領主さんなんですよね?」
「元だが。今は息子が治めている。―――― 誰に聞いた?」
「文官の人たちが話しているのを聞きました。今そこで酷い暴動が多発していて、ファルサスへ亡命者が出ているということも」
「亡命というとおかしな響きだな。奴らはほんの数代前まではカソラ……ファルサス属領の人間であったのに」
「暴動によって逃げ出した人たちは、ファルサスに住む同胞に頼り、共にキスクへの対立感情を膨らませているとも耳に入れましたが」
オルティアは扇で口元を隠した。化粧によって綺麗に縁取られた瞳だけが雫を見返す。
それはまるで闇夜に光る猫の目だ。
姿を隠し、真意を隠し、右往左往する獲物を愉悦を以って見下ろす目。
悪意で身を飾り立てるが如き高慢に、雫は不快が胃に沈殿していくのを止めることはできなかった。
答えない主君に向かい、最後の質問を口にする。
「姫の狙いは戦争を起こし、その渦中でファルサス王を殺すことですか?」
アカーシアによって直系か否かを判断できるなら父親が生きている必要はない。むしろ今玉座に在る男は邪魔な存在でしかないだろう。
ヴィエドを擁するオルティアにとってラルスが生きていていいことは一つもない。
ならば彼が「死ぬかもしれない状況」を作り出すことで、彼女は自分が望む未来を引き寄せようとしているのではないか。

もしファルサス王の息子を手中にしたのがオルティアではなかったら。
その人物はおそらくもっと慎重で確実な手段を取ったのではないか、と雫は思っている。
まずは赤子に自分の存在を刷り込んで育てながら確実に後見となり、その後で正面から彼こそが長子であり王位継承権があると主張して、ファルサスとの交渉に入る。その方がずっと安全な方策ではないのか。
勿論赤子を育てる時間を置く間にラルスやレウティシアに別の子供が出来ては困る、という懸念は分かる。
けれどだからといって今無理矢理戦争を起こしてまで二人を殺そうとするのは暴挙としか思えない。
仮にその中で彼らを討ち取ることに成功したとしても、王族を殺した敵国が擁する子など反感を持たれるに違いないのだ。
泥臭く後先を考えない手段は、得られる利点もあるだろうが不確定要素が多くデメリットも大きい。
何しろ相手は大陸最強と言われる国家だ。どんな人間でももっと慎重になり確実性の高い一手を模索するだろう。
―――― しかしオルティアは、常に飽いている。
待てないのだ。彼女はきっと。子供を育てる数年に耐えられない。
セイレネが臨月になった頃、「腹を割いて取り出せるか?」とまで尋ねた彼女だ。ヴィエドに物心がつくまで待てるかも怪しい。
ファルサスへの干渉が彼女にとって「執務」ではなく「娯楽」である以上、望まれているのはより速やかな変化であり混乱でしかないのだ。



オルティアはじっと雫を見つめる。
猫の目は見る角度によって、あてる光によって形が変わる。それと同じように、彼女の瞳にもまったく異なるいくつかの感情が浮かんでいるように見えた。
子供のような老女のような。酷薄のような無垢のような。
理解を拒みながら孤独を嫌う。傷を好んで痛みを恐れる。
少しも定まらない、纏められていないままの思惟。それが彼女を優秀な政務者でありながら、残虐な支配者と成している。
はたしてオルティア自身は不安定な自身の精神を自覚しているのか、雫は歪な硝子細工を前にしたかのように息苦しさを味わった。
幾許かの静寂の後に、姫はころころと笑いだす。
「雫、お前はあの男から聞いたか? ファルサスは直系の血脈を非常に重んじているのだと」
「存じません。アカーシアがあるからですか?」
「そうだ。アカーシアも精霊も、ファルサスに与えられた過去の遺産だ。奴らはそれにしがみつき、血を保つことに必死になっている」
「…………」
少なくとも雫にはそうは見えなかった。ラルスもレウティシアも好きに生きていたように思える。
だが、キスクから見たファルサスとはまた違う姿で描かれるのだろう。それが時代や環境によって作られた先入観なのだとしても。
「妾はな? 退屈なのだ。所詮一生をこの城に繋ぎとめられるつまらぬ王族の人間だ。
 城には無能が多い故、気晴らしに外に出られたとしても長くは空けられぬ。この部屋に戻ってくる他はない。籠の中の鳥だ。
 ならばせめて……面白い話が聞きたいではないか。
 少し弄ってやればそれが可能になる。あのファルサスが慌てふためくところなど滅多に見れぬ見世物だぞ?」
―――― オルティアは、どうやって自分を自分として納得させているのだろう。
今の発言の中にさえ矛盾があることを、彼女は知っているのか見ぬ振りをしているのか。
自分にさえも嘘をつくその姿は一人の女王に重なって見える。この国の始まりにいた孤独な女に。

雫は溜息を言葉に変える。薄々と感じる諦観を押し殺すと口を開いた。
「姫、あなたは鳥籠の中になんかいませんよ。出たければお出になればいいのです」
「妾がいなくなれば皆が困るぞ? 数日で国が立ち行かぬようになる」
「あなたがなさる悪戯のせいで、負ければ国が傾きます」
オルティアの存在は、キスクにとって薬であり毒薬だ。
彼女がいればこそ確かに上手く動く部分もあるのだろう。だが、だからといって国を私物化して損なうことが許されるとは思えない。
城に縛られるのが嫌なら出て行けばいいのだ。彼女がいなくなっても、誰かが何とか国を回していくだろう。
雫は自分でも残酷と思える極論を彼女の前に示す。雫でなければ言わないことをあえて言う。
きっと不興を買うだろう―――― その予想の通り、オルティアは氷の目の奥に嬲るような光を宿して雫をねめつけた。
「妾がこの国にとって害だと、そう申すのか?」
「このままではそう言わざるを得ません。もっと他のやり方を選ばれてください」
「お前に何が分かる? 物知らずな小娘が」
「ならば他の方々にも聞いてみましょうか。本格的な戦争になればキスクの敗北する可能性は高いと、思われている方は多いようですが……」
そう言った時オルティアの顔に浮かんだのは、暗い喜びとしか言えない陰惨な微笑だった。
自国の滅亡を目の当たりにして咲き誇るであろう花の蕾。子供の快哉に似た光に雫はぞっとする。

彼女は、おそらくそういう人間なのだ。
支離滅裂な精神。
オルティアの不安定さはきっと「城を離れられない」という固定観念と、「城を出たい」という願望の中で揺れている。
自分は国にとって必要な人間なのだと思いたいにもかかわらず、その国が煩わしくて仕方ない。
落ち着いていられないのだ。だから孤独で、そして残酷になる。
楽しいことを見たいと言いながら、その実彼女は何を見ても満たされないのではないか。
雫はこの時、同い年でありながらあまりにも違う女の在り方に空虚を見た。



オルティアは声を上げて笑いだすと不意に手に持っていた扇を投げた。雫の顔を掠めて後方に、それは軽い音を立てて落ちる。
誰に向けるともつかぬ嗜虐を顕にして姫は嗤った。
「滅びるなら、それも悪くはない。構わぬではないか。滅びぬ国など何処にもない」
「……国はあなたの玩具ではありません。壊してしまうのなら手放した方が余程ましです」
「煩い、雫。お前はあまりにも増長がすぎる。仕置きとして耳を削いでやろうか。後は髪で隠せばよいだろう」
軽くかけられた言葉。
言われた意味を理解した時、その軽さにこそ雫は恐怖を感じた。初めて姫に対面した時の緊張が甦る。

これ以上食い下がっては不味い。
そのことは分かる。オルティアは雫の耳を削ぐくらい平気でやってのけるだろうと。
だがきっと。
ここで引けば、また代わり映えのない日々が始まるのだ。
雫にとっても彼女にとっても何も変わらない「異常」が。
まだどちらも、二十年も生きていない。
それなのに同じままの日々が、続いてしまう。
誰が教えてくれるのだろう、そこにある欠落を。
気づかないまま、生きていく、でもそれは

『きっとずっと苦しいのに』



すれ違う意思が交差する数秒間。
雫はオルティアの言葉に慄きながらもまた、凪ぐように静まっていく自身の部分をも感じていた。
今そこに怒りはない。ただ虚しいだけだ。
彼女は震える指をそっと握ると、姫にもわかる程に深く息をつく。
「痛みは好きではありません。だから、それを為されるというのなら私はあなたに許しを請うでしょう。
 ですがそれは、痛みに屈しただけです。あなたの仰ることに納得したわけではありません」
伝わらないことは伝わらない。
けれど、言葉を放棄したくはないのだ。
自分は自分の意志を口にする。
それに返ってくるものが刃なのだとしても、今ならきっと諦められるだろう。
ずっと自分が分からずに苦しかったのは、彼女もまた同じなのだから。



雫の答にオルティアは細い眉を曲げる。苛立たしげな感情が声音に滲んだ。異物を見るような視線が彼女に向けられる。
「賢しい。どれほど言い繕おうと屈すれば同じことではないか」
「違いますよ。それでは変えられないんです」
「妾は変えてきた」
「変わりません。変わりたくないと、思っていますから」
雫はテーブルの上に置かれていた小さな短剣を手に取ると、オルティアの眼前に回った。
敷物に両膝をついて座ると短剣の柄を彼女に向かって差し出す。
「どうぞ」
自らを傷つけるという相手に差し出した剣。
それを、オルティアは目を見開いて見つめる。
断絶を恐れているのはどちらなのか。
ただ、両目を閉じて刃を待つ雫の貌は、オルティアの作る影のせいかひどく悲しげなものに見えたのだ。